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ホワイト・ジャズ
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ホワイト・ジャズの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全18件 1~18 1/1ページ
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単行本1998年8月15日第四刷で読了、 580ページ厚さ36ミリの重たい本だが、拡げやすく持ちやすい製本で手に取る喜び有り、 巻頭に主要登場人物一覧、 最後に訳者によるコメント文付き、 幾人かの登場人物を重複させ書き連ねられたLA四部作の最終作で、これを読んでなぜ四部作なのかをようやく納得できた、 文体は独特過ぎるものであり、読者によっては拒否反応を示すレベルで極めて独特とも言え、誰にでも推薦はできない、 ビッグ・ノーウェアが長い稜線を歯を食いしばって登り切り頂上を目指す作品とすれば、本作は頂上登頂後に崖のような坂道を一気に駆け降りてゆくようなスピード感がある、 特に冒頭から三分の一ほどの疾走感は、種々諸々が頭の中でまとまらないにも関わらずページをめくるのが止められなくレベルで面白みがある、 中盤は長い物語で説明必須の部分を担当するのでいわゆるハードボイルドになるが、後半に入れば再度スピード感を増加させ、こんどは崖を転げ落ちるように終末に向かうのだった、 序盤から繰り返し話題に登場するチャベス・ラヴィーン、 同地域を再開発することで現在のドジャース・スタジアムが建設され現在に至る経緯は読者なら検索必須、 本作は同地区地上げ時期の裏面を巧妙に物語に盛り込んでいる、 ライ・クーダーのアルバム”チャベス・ラヴィーン”は本作のような邪悪な面を排除したチャベス・ラヴィーン地区の追憶を歌ったコンセプトアルバムで、本作とは真逆な明るい記憶と回顧を明朗な音楽とともに歌っており、音楽を聴く趣味のある方には推薦したい、 ホワイト・ジャズは1950年代末の同じ時代、LAPD内部がFBIまで巻き込んで繰り広げられる警察官にあるまじき邪悪な確執と争闘の物語、 夢のカリフォルニアと歌われるほんの一昔前の物語である、 世の中には勇敢な映画監督がいるようで、現在本書を脚色中らしい、 さて如何様な仕上がりになるが、実に楽しみだ、 速射砲のようにセリフが飛び交う会話劇になるか、 それともLAコンフィデンシャルのように上手くクライマックスでオチをつけるか、 フィルム・ノワール調が商売にならないことはすでに業界標準だろうから、大人向けのサスペンスとして語り継がれるレベルになるよう期待したい、 私が脚色するなら、地獄の黙示録の構造を引用して、語り手が過去を追憶する巡礼譚にすると思う、 | ||||
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ノワール、犯罪小説にはほぼ興味がなく、単純に「クランチ文体」の元ネタとして著名だから手に取りました。つまり、『ホワイト・ジャズ』以外の暗黒のL.A.4部作も未読です。そういう私のような読者は、読了するのに四苦八苦すると思います。 >あんたがトラブルに巻き込まれるのは歓迎だ。気前がよくなるからな。(p282より) ↑こういう小説です。 登場人物がみんな私欲まみれで動いて、トラブルを引き起こしまくります。 主人公クライン警部補は人を陥れ、人に陥れられまくります。馳星周氏がよせた解説どおりに勢いで読んでると、読者までしょっちゅう騙されます。どいつもこいつも信用ならんってのがノワール小説の流儀なのでしょうか? 一読したあと、収録されている裏面史年表(の661頁)を読み返してようやく整理されてきたような気がします。 またクライン警部補がやってることが、聞き込み=脅迫・詐欺/家宅捜索=窃盗などなど――悪徳警官のくせに――やっていることが地味で泥臭いです。 地の文がクライン警部補の一人称で、うっかり警部補に感情移入して読むといっしょにぐったり疲れます。 文体はおおむね読みやすいです。 | ||||
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「アメリカン・タブロイド」や「アメリカン・デストリップ」などを読んである程度エルロイの文章やスタイルに慣れていろと 思っていても、この「ホワイト・ジャズ」は特別取っつきにくい。体言止めを多用し、主語や目的語を 省く彼のスタイルが、ここではもっと徹底され、後半の終わりに近づくまで、なかなか筋が読めなかった。 ところが、2つの家庭の暗い過去が明るみに出始めることで、この物語の背景の部分と今までの事件の 流れがやっと読者にも理解できるようになる。「暗黒のLA四部作」の最終完結版とある。残念ながら、 私は巻末の馳星周の強い薦めにも関わらず、この四部作を完読することなく、この「ホワイト・ジャズ」を 手に取ってしまった。それも筋を追いにくかった原因の一つとは思うも、必ずしもそれだけではない だろう。巻末に、この四部作の事件の流れと、この四部作でのメインキャラクターと言えるダドリー・スミスの行動を 年表にしてある。思い切り暗黒小説であり、思い切り残忍で、そして思い切り希望がない作品を 書いてきているエルロイの作品の中でも、最も「優れた」暗黒小説かも知れない。最後の100ページほどは、 いかに彼が精緻なプロットを組んでこの作品を書いたか、読者は圧倒されるであろう。私がそうであったように。 | ||||
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「10歳の時に母親の非業の死に直面した」という著者の経歴、内容紹介にある「世界最高の暗黒小説にして警察小説の極北」と云う惹句に釣られて読んでみましたが、大したことないなあ、と云うのが正直な感想です。 「世界最高の暗黒小説」と云ったって、ハメットの小説(「血の収穫」)に比べても目立って描写が激しいわけではないし、フォークナーの一連の小説(「八月の光」、「サンクチュアリ」等々)で描かれている世界の方が、はるかに「暗黒」です。「警察小説の極北」についても、日本には「恥さらし」、「北海道警察の冷たい夏」(どちらも講談社刊)という極北の事態が、目の前の現実としてあるんですから。一般的に、心理描写が無いのがハードボイルド小説の特徴であるかのように言われていますが、これはそれをさらに徹底させて、単語の羅列とぶつ切りの文章で全編を貫いた破天荒のスタイルが、物珍しく、斬新風に見えるだけでしょう。 もうね、3.11以後の暗黒社会に生きている身にすれば、こんなもんどうってことないよ。つまらなくはなかったですけどね。期待せず、暇つぶしに読んでみられたらいかがですか? | ||||
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1992年に発表された所謂LA四部作の完結編にしてエルロイの最高峰。 好き嫌いは別にして本作が与えた影響を無視して以後のノワール、警察小説を語る事は出来ない。 警察内部とギャングたちの醜悪な争いを語る異様に簡潔な電文の如き文体、銃弾のように羅列される単語、吐き捨てられる会話を通して実在と架空を問わず憑かれた登場人物たちの過剰な欲望と情念を露わにする圧倒的筆力。 丹念に張られた伏線の見事さ、錯綜したプロットを操るストーリーテラーとしての手並みも鮮やか。 そして読者に有無を言わせず眼を背ける事を拒絶させる悽愴な結末から浮かび上がる主人公の絶望と哀しみの深さ、それはどんな詩よりも美しい、エルロイの面目躍如。 | ||||
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率直に言ってしまえば、本作を未読の方が本当に羨ましい。 あの凄まじい感動と興奮を新鮮な状態で味わえるのだから。 それは何も1回きりの話ではない。僕に言わせれば、少なくとも2、3回は"ぶっ飛べる"。 いや、むしろ一読しただけでは本作の魅力は充分には実感できないだろう。真の醍醐味は2周目以降に詰まっていると言うべきか。 だから、できることなら僕だって記憶を消してもう一度読みたい。そして再度、底知れぬ陶酔感と酩酊感に打ち震えたい。 まあ、別にそんなことをしなくても、この小説の面白さは永遠に変わらないのだけれど。 *** 『ホワイト・ジャズ』――とんでもなく恐ろしい作品だ。ダークで、ヘビーで、クールな物語だ。 本作に出会ったせいで、僕が今までありがたがってきた小説の数々が、一気に陳腐で退屈なものに変貌してしまった。 それくらい、僕にとっては至高の一冊となった。もう何度読み返したか分からない。ちなみに、僕は本作を3冊持っている。 本作は僕の中の常識と価値観をひっくり返し、粉々にしてしまった。その代わり、ぽっかりと空いた心の空洞に、新たな世界を呈示してくれた。 そんなわけで、この手の小説への僕の考え方は極めて単純化した。「エルロイ」と「非エルロイ」の基軸で色分けできれば、それで問題なくなった。 は?何を馬鹿なことを言ってるんだ?と思われる方は、ためしに本作を読んでみれば分かるだろう。 そして、エルロイの天才ぶりを目の当たりにすることになる。同時に、翻訳者の佐々田雅子さんの手腕にも唸らされることになる。 *** 舞台は1958年〜1959年のロサンゼルス。主人公は弁護士資格を持つ悪徳警官のデイヴィッド・クライン。この男、実はマフィアの使いっ走りでもある。 彼の上司は何を考えているのかよく分からないエドマンド・エクスリー。部下には馬の合わないジョージ・ステモンズ・ジュニア。 LA市警とFBIは仲が悪く、冒頭から何やら剣呑な雰囲気が充満している。連邦検事で切れ者のウェルズ・ヌーナンが市警を懲らしめようとしているらしい。 そんな折、市警の麻薬課のボスからクラインは仕事を頼まれる。何でも、市警と繋がりのある麻薬密売人の家に異常な強盗が入ったというのだが……。 と、出だしの内容を簡単に紹介すると、こんな感じになる。これ以上の説明はナンセンスなので割愛。というのも、プロットは非常に入り組んでいるからだ。 そして、クラインに振りかかる数々の事件と陰謀を、エルロイはその超特異的な文体でハイスピードに描いていく。 実は、本作は俗に言う『LA4部作』というシリーズの一部なので、完全に独立した物語ではない。 と言っても、本作だけでも楽しめるのは間違いないだろう。しかし、できることなら『ブラック・ダリア』から順番に読むべきだ。 なぜなら、本作に登場する重要人物の人間関係や過去の事情が描かれているから。これは知っておいて損はない。 だが、重ねて言うが、本作だけでも充分に読み物として成立する。ものぐさな方は、いきなり本作に挑戦しても構わないだろう。 その完成度は、前3作を遥かに凌駕していて奥深い。暗黒のサーガを締めくくるに相応しいスケールの大きさを、是非ともその目で確かめてほしい。 *** レビュー欄でこんな間抜けなことを書くのも恐縮だけれど、もう僕からは何も言いたくない。 とにかく、本作の魔力にガツンとやられたい方は今すぐ買うべし。そして、貪るように読むべし。 あとは他の方々のレビューを参考になさってください。少なくとも、amazonでは概ね高評価のようなので。 最後に、一つ注意点を挙げるとすれば、それは本作(というよりもエルロイの作品全般)が非常に読者を選ぶものであるということ。 冗談抜きで、かなり毒々しい話だし、気が滅入るような話だし、嘘と裏切りと怨念に満ち満ちた話になっている。 だから、根本的な部分で、本作が生理的に受け付けないという方も多いだろう。それは仕方のないことだと言える。 それに加え、本作はとにかく読みにくい。地の文には―や/や=といった記号がこれでもかと散りばめられ、まさに呪文の様相を呈している。 だから、本作を「普通の小説」だと思って読み始めると、すぐに挫折しかねない。実際、人には向き不向きがあるため、それも仕方のないことに思える。 しかし、もしもこの手の話が好物だという方なら――。あるいは、ありきたりなミステリー小説に飽きてしまったという方なら――。 願わくは、どうかあなたがエルロイの魔力の虜になりますように。 そして、極上の読書体験を堪能できますように。 | ||||
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こちらの文庫は10年ほど前に購入し読んでますが、引っ越しで紛失した為、最近また急に読みたくなったのでハードカバー&文庫の方を注文してみました。どちらも廃盤のようで。。。納得できるだけの状態の本を手に入れることはできなく。。ハードカバーは何とか読めたのですが。。。数ページ読むとなんだか違和感が。。。。あれ?。。。。文庫本の突然文字がでかくなる所や文体の変化が全くないではないですか。。。。。(ガラスが【ドカン】と破裂した。。。)文字も小さくて読みづらいので、ホワイトジャズを読むなら必ずこちらの文庫バージョンを手に入れてください。必ずです。臨場感が全く違います。あとがきの方の評価が高くそれにつられてユーザーの評価も引き上げられてますが、文庫版でしたら5点を出したいのですがハードカバーでしたら4点ぐらいかな。なぜなら。。自分の中でエルロイのLA四部作の中ではビッグノーウェアが最高傑作だからです。うそだと思ったら読み比べてみてください。 | ||||
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エルロイ先生と言えば、うらぶれたオトナたちの汚くておぞましい世界をカッコよく描く、暗黒ハードボイルドの代表的な作家ですし、LAコンフィデンシャルとブラック・ダリアは映画化されて、多くの人のハートをガッチリわしわし掴んだと思われるので、知らない奴は男じゃねえと断言していいくらいに有名な暗黒大先生です。そんな先生が、ブラック・ダリア、LAコンフィデンシャル、ビッグ・ノーウェアを含むLA暗黒四部作の暗黒最終章として描いた暗黒小説が、このホワイト・ジャズです。何がすごいって、まず文体ですよ。パンチが効きすぎてます。まあ、それは読んでからのお楽しみとして、とくにかくダーティで、汚らしくて、おぞましくて、リアルで、カッコよい、そういう集大成っぽい、最高にクールな小説なんですよ。しかもこの文庫版は四部作全体の丁寧な年表がついてますし、馳星周の解説もなかなか愛にあふれているわけで、買って損ナシなわけです。本編600ページ超、ぎっしり、みっちり、暗黒ハードボイルド。読後感もなんとも言えない、ずっりしたものが残ります。内容は触れませんが、最高ですんで、ハードボイルドなあなたは是非。 | ||||
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20年近く海外ミステリを読み漁ってきましたが、トップ3に入る作品です。 大作『ブラック・ダリア』に始まるLA4部作の締めくくりとしてふさわしいスケールの大きさです。 でも、読むならやはり第1作からどうぞ。というのも、描かれている中身があまりにダークで、ウォーミングアップをしてからでないと、内容や文章を堪能する前にダウンしてしまうので。 エルロイは「狂気」でひとくくりにされることが多い作家ですが、私はそうは思いません。緻密な計算と冴えた構成力がないと、これだけの大作を編むことなどできるはずもありませんから。来歴はどうあれ、もっとスケールの大きい作家です。 佐々田雅子さんの翻訳もすばらしい。最小限にまで言葉を絞り込んだ叩きつけるような文体が、主人公の心理を読み手にも余さず伝えてきます。翻訳として、という前に文章としてこんなのありなのか、と衝撃を受けました。ホントにかっこいいんです。 | ||||
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こういうジャンル分けはまだないのだろうけど、『ホワイト・ジャズ』は最高級の「陰謀小説」である。(そういえば、「プロット」には「陰謀」という意味もある。) 個人対組織、という主題を持つ小説は、おそらく昔かあったのだと思うけど、20世紀後半くらいから、中身の分からない、謎に包まれた「組織」と個人が対峙する形式の小説が、飛躍的に(特にアメリカで)増えてきた。 ぼくたちは、普通に能天気に生活していると気付かないのだけれども、実はぼくたちの知らないところでけっこう大事なことがたくさん決まっていたりする。それでいつの間にか「やつらにはめられた!!」ということになっていることがありうるし、実際に、ある。そしてぼくたちは、自分たちの人生が、自由競争とか自由意志とか開かれた議論とか、そういったハッピーなコンセプトとは全然違うものに実は翻弄されているということを知ることになるかもしれない。 語り手のデイブは、極めて悪質な陰謀に巻き込まれる。そのうちの一つの罠は、今までに読んだどんな本よりも、見たどんな映画よりも、ひどいものだった。その中で、デイブは思う。 <いずれ、おまえたちはおれに話し、誰かに話すことになる−−−おれは絶対に追及の手を緩めない>(p.461) 『ホワイト・ジャズ』は、殺人と謀略と血と肉と金にまみれた、げんなりするような小説だけれども、なぜか救いがあるのは、デイブの持っているこの探求への欲求が、ぼくたちの中に眠っている探求への欲求と能力を幾許か奮い立たせてくれるからなのだと思う。 (しかし、翻訳は、ひどい)。 | ||||
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素晴らしいの一言に尽きる。 あえて分類するなら前衛小説の最右翼+クライムノベルといった様。 文体がスラッシュやイコールなど読みづらい方もいるようだが、私は何十回読んだことか…。内容云々というよりもまずこの果てしない陶酔感の様なものに衝撃を受ける。 勿論、名台詞も多数含まれる。 とにかく書店で手にとって欲しい1冊。 | ||||
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LA4部作を読了し、ホワイト・ジャズの読み返しにかかっています。 ホワイト・ジャズは、ビッグ・ノーウェアでのバズ・ミークスの物語の語りなおしであると同時に、どこか似たシチュエーションに置かれたキャラクターたちに、再度遭遇することもできます(もちろん、LA4部作の作品間を貫く同名のキャラクターも複数登場するわけですが。。。)。 ただ視点は、一人称に変化し、たたみかけるような表現によって、焦燥感はいやましています。読みにくさは文体というより、名前だけでも伝わるはずのアメリカ社会のエスニシティーに、日本人である我々が疎いから、ということもあろうかと思い、ニュアンスの把握という点では、少し悔しい気もいたします。 汚れきった男の独白と描写が積み重なり、読了近く、別れの場面で「こみ上げてくるものを押さえ込みながら。。。。」とたった一行、イノセントな心情の吐露が出てくるところは、まるで見えないところからパンチを食らった感じで、えらく利いてしまいました。 | ||||
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LA4部作を読了し、ホワイト・ジャズの読み返しにかかっています。 ホワイト・ジャズは、ビッグ・ノーウェアでのバズ・ミークスの物語の語りなおしであると同時に、どこか似たシチュエーションに置かれたキャラクターたちに、再度遭遇することもできます(もちろん、LA4部作の作品間を貫く同名のキャラクターも複数登場するわけですが。。。)。 ただ視点は、一人称に変化し、たたみかけるような表現によって、焦燥感はいやましています。読みにくさは文体というより、名前だけでも伝わるはずのアメリカ社会のエスニシティーに、日本人である我々が疎いから、ということもあろうかと思い、ニュアンスの把握という点では、少し悔しい気もいたします。 汚れきった男の独白と描写が積み重なり、読了近く、別れの場面で「こみ上げてくるものを押さえ込みながら。。。。」とたった一行、イノセントな心情の吐露が出てくるところは、まるで見えないところからパンチを食らった感じで、えらく利いてしまいました。 | ||||
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たまらない 例によって最初にやられたのはその文体で、いったい何が起こっているのか分からず、内容もつかみにくく、筋を終えている自信も全く持てないまま、気がつくと何章も読み進めている・・・。止まらなくなる・・・・。 ばらばらにちりばめられた言葉が寄り集まり、少しずつ流れが出来始め、自分もその世界にほうり投げられている。火薬の匂い、街のざわめき、立ちこめる不安、暴力と血の気配を共有する。ひとつの岩が次第に彫刻を施されそこに無かったものに変貌してくのを見るように、小説も次第に形を見せ始める。そして、読み終わった後、自分が体験した様々のものが一体なんだったのかうまく理解できないまま、不思議な感情の波が起こっているのを実感する。直接的な描写ではない、文体・小説のトーン・内容、全てが絡まって、直接書かれないある種の感情が浮き彫りになって行く過程は、ぞくぞくするくらい刺激的だった。 この体験を言葉にするのは難しい。何度も、「ああ、たまらない!」という言葉を反すうしている自分に気がついた。 たまらない | ||||
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たまらない 例によって最初にやられたのはその文体で、いったい何が起こっているのか分からず、内容もつかみにくく、なんだこりゃ?と思いながら、気がつくと何章も読み進めている・・・。止まらなくなる・・・・。 ばらばらにちりばめられた言葉が寄り集まり、少しずつ流れが出来始め、自分もその世界にほうり投げられている。火薬の匂い、街のざわめき、立ちこめる不安、暴力と血の気配を共有する。ひとつの岩が次第に彫刻を施されそこに無かったものに変貌してくのを見るように、小説も次第に形を見せ始める。そして、読み終わった後、自分が体験した様々のものが一体なんだったのかうまく理解できないまま、不思議な感情の波が起こっているのを実感する。直接的な描写ではない、文体・小説のトーン・内容、全てが絡まって、直接書かれないある種の感情が浮き彫りになって行く過程は、ぞくぞくするくらい刺激的だった。 この体験を言葉にするのは難しい。何度も、「ああ、たまらない!」という言葉を反すうしている自分に気がついた。 たまらない | ||||
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読み終えて、しばらく動けなかった。この先、こんな読後感に浸れることが再びあるだろうか?幸運なことに「ブラックダリア」でエルロイという狂気のストーリーテラーに出会い、そこから始まる「LA4部作」で綴られてきた荒みきった欲望のドラマとリアルタイムで対峙することができた。幸運なことに、だ。鈍感だったのか、最初のうちは、少し特殊な背景を持つ作家くらいにしか認識していなかった。「ブラック~」を読んだにも関わらず...。犯罪歴のある作家は多い。刑務所で小説を書き始めた作家だって他にもいる。むしろエドワード・バンカーのほうがリアルだ。それでも気がつけばエルロイは抜きん出た存在となっていた。それは独特の文体に惹かれたからか? 現実と小説が混在したよう!な母親の死の謎か?違う。エルロイは人間の下劣さと脆さ、強かさ、そして選れた愛おしさを、自在に操り、無邪気な子供が様々な色の絵具で落書きを楽しむかのように描いていく。キャンバスは一見、出口の無い複雑な迷路のようにも見える。私はその迷路にはまり込み、狂気の道先案内人に手招きされ、何年!、そう何年もかけてようやく出口まで辿り付いたのだ。そしてその出口で、これからどうしていいのかわからずにただ佇んでいる。この先、こんな読後感に浸れることが再びあるだろうか? | ||||
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LA 4 部作の最後を飾る本書は、それまでとは一転して、ウィリアム・フォークナーばりの「意識の流れ」の手法で書かれている。そして、この手法は、話者が薬物の影響を受けるところで、恐ろしいほどの効果をあげる。エルロイは、この部分をこのように書く、というアイディアが先にあって、この手法を選択したのではないだろうか。本書を読んで、エルロイは文体の作家だ、というのは誤っている。この文体は、既に古くからある手法を選択したに過ぎないからだ。本書を読んで、エルロイの文体は読みにくい、というのは当然である。まさに、エルロイは、本書のために、そのような読みにくい文体を選択したのだ。それでも、フォークナーの「響きと怒り」の第 1 章に比べれば、ずいぶん読みやすい文章だと思う。本書を一般化して、エルロイの文体を語ることはできない。ただ、いずれにしても、エルロイは、その内部に書くべきものを持っている、というだけでなく、それをどう書くか、という技術、技法の点でも、卓越した作家であることを、本書で改めて示した。最後まで読んで、初めて、最初の、ほんの 1 ページほどの小文の意味が分かる。そうした構成の妙も含めて。 | ||||
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汚れ切った世界を最後をしめる傑作です。 本来は、4部作だけではなく、秘密捜査から、 連綿と続くダドリー スミスの悪魔の所業を追いかける のが、正しい読み方だと思います。 LA-で活躍したエドも絡んできます。 チャンドラーが固ゆで卵なら、 エルロイは、腐って熔けている卵でしょう。 | ||||
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