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壁の男
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壁の男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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貫井徳郎の「壁の男」を読みました。最初はただのミステリーかと思っていましたが、予想を大きく裏切り、深い心理描写と人間ドラマが展開されていきました。主人公の悩みや過去、そしてその後の葛藤が非常にリアルで、読んでいるうちにどんどん引き込まれました。 「壁の男」というタイトルが示す通り、物理的な壁だけでなく、精神的な壁をも感じさせるストーリーが描かれています。人間関係や社会との摩擦がテーマとなり、登場人物一人一人の心情が非常に丁寧に描かれている点が特に印象的でした。特にクライマックスでは予想外の展開が待っており、最後まで一気読みでした。辛い描写も多いですが、それ以上に人間の孤独や心の中の壁を描いた作品として深く考えさせられる一冊でした。 | ||||
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ノンフィクションライターの「私」は、栃木県の外れに、稚拙ながらも目を引く、 カラフルな絵がそこら中に描かれている「高羅」という町があると知り、 すぐに現地に向かいます。 ところが、絵の描き手である「伊刈」という男性は、 「あくまでも、趣味で描いただけ」 と取り付く島もありません。 どうしても納得のいかない「私」は、近隣の住民に取材していくうちに、 「伊刈がかつて東京で暮らしていた」という事実を知り、彼の身辺を調査するように なります。 果たして、「伊刈」の「絵を描きたい」という真の欲求と目的はどこにあるのでしょうか? 個人的には、「伊刈」の元妻の梨絵子が、一見、自信があるように見えて、 実は自己肯定感が低いために、 「自分を好きだと言ってくれる人に冷たくするのが、怖くて仕方ない」 と言う気持ちに共感を覚えました。実際に、「優しさ」と「弱さ」というのは 紙一重なところがありますよね。 | ||||
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ラストのシーンが感動的で、本来ならこの2人の未来に期待して本と閉じるところです。でもすでに結末を知ってしまっているんですよね。いつまでも引きずってしまうのはそれが理由だと思います。 | ||||
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とても良い本ですね。 ミステリーテイストでもあるので、ネタバレは書けません。 ちょっと関係ないこと書きます。 2006年5月に飛鳥資料館にて開催されたキトラ古墳展。 石室に描かれていた『白虎』が展示されていました。 大昔の、それもお墓の中に描かれた絵だから、インスタントなものではないか?と少々高をくくっていましたが、目に飛び込んできた実物に私は気圧されたのでした・・。 熟練の画工が描いたものだとしても、並々ならない緊張感。 約束事でデザインされた図案にオリジナリティーは無いかもしれません。 しかし生き生きとした一本一本の線に溢れんばかりの美が宿っていました。 私は思いました。 「あれ? これって誰に見せるでもなく、土に埋められるんだよね?」 「だったら適当でいいんじゃないの?」と・・・。 しかしこうも考えました。 「怖い人が後ろで見てて、『ちゃんと描けよ!』と脅かされていたから、仕方なく一生懸命描いたのかな?」 でも待てよ、、。 自分だったらどうするか? きっと死者に見せるための絵って真剣勝負にならざるを得ないのかもしれない・・・。 吉本隆明はそうした目を【世界視線】って言ってたな。。 人間って、そういう所がある。 今も昔もそう変わらない。 生者よりも死者との関わりの方が嘘がつけない。 自分を律する。 そして行為は真剣なものとなり、それは見る人にも伝播する。 この小説の主人公は頑なに絵の代金をもらわなかった。 それは素人だから、という理由より、絵を見せる相手が実は絵の注文主ではなかったからではなかろうか。 確かに頼まれて描く。 でも、それを一番見てもらいたいのは、今はここにいない人。 上手い下手は関係ない。 人に響くものって、魂を揺さぶるものって、敬虔なものなのだろう。 再び原点に戻って制作していこうと思う。 悲しい物語だけど、心をリセット出来る傑作だと思います。 | ||||
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まずまずの内容でした。全体的に読んで楽しいお話ではないですけどね(笑) この作家さんの作品を読むのは初めてでしたけど、平易な文章の中に難しい語彙が入るのが、気になりました。Kindleなんで意味をすぐ調べられますけどね。 | ||||
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貫井さんの推理小説を多く読んでいますが、こちらもなぜなぜ?と推理を働かせて読みました。最後のほうに色々詰まっていて読み応えありました。 | ||||
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え?それが衝撃のラスト?という声もわかるが、私にとってはいい作品だった。途中はっとさせられるような描写もあり、とても良かった。 | ||||
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打ちのめされる覚悟であらすじも見ずに貫井氏の本を手に取りましたが、読み終わった後爽やかな気持ちになり、初めて小説のレビューを書くという行為に手に染めています。 「我が心の底の光」で僅かに見出した人の一途な思いを、優しい形でもう一度味わうことができました。 人の嫌な部分を日常レベルから犯罪レベルまで描ける人は、人の優しさや尊さも描けるんですね。本当に嬉しい誤算でした。 | ||||
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壁に絵を描き続ける男。なぜ? 予想もしなかったラスト。 明かされたその訳にまんまと号泣いたしました。 「ああ、この本に出会えて良かったと思える」小説。 | ||||
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面白かった!途中引っかかってた違和感が、最後の章で色々と納得させられ、最後にじんわりと切なくも暖かなりました。 | ||||
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目に鮮やかな街が想像に広がる。どんな絵なのか見てみたい。そんな街が、なぜ街中が絵で満たされたのか。描き手の人生を、親、妻、子供と、それぞれ辿りながら、ミステリーのように解き明かしてゆく。その深い悲しみは、崇高な精神に昇華されている。そしてその営みは、才能や血統によってではなく、自他への誠意によって為されている。変哲もない凡庸な人物が、いかに自らを全うしたか。感動なしには、読み進むことはできない。 | ||||
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「わが心の底の光」でもそうだが、「孤独な男の半生」というテーマでは、この作者は抜きんでてるように思う。確かにイヤミスの帝王といわれる所以と納得する。常に行間に漂う雰囲気は「貫井徳郎」自身じゃないかと思えてしまう。 とにかく読後感は「切ねー」の一言。ラスト2行。泣ける。 | ||||
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男は、なぜ生まれ故郷のこのまちで、民家の壁に、絵を描き続けるのか?、興味の尽きない、テーマでじっくり読み込ませる、そして、わかってくる、真相、貫井敏郎の、抜群の、筆力がさえる傑作。 | ||||
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この連休中に「わが心の底の光」「宿命と真実の炎」そして「壁の男」を立て続けに読んだ。 前者2作品に関しては、いつもの貫井節?にどっぷり浸かって充分に堪能&感動させてもらえたものの、ラストの顛末が、いきなり空気の抜けた風船みたいにしぼんでしまい、我流天性に欠けてしまったのが至極残念だった。 それに対しこの「壁の男」は、読み始めは少々かったるくて、他にすることがあれば読むのをやめてしまうくらいの磁力だったが、中盤に差し掛かるあたりから徐々に内容に埋没し始め、この作品に関しては、最後まで満足な状態で読み終えることが出来た。 文全体に気負ったようなところがなく、実はスルドい複線も見事。 この作品を勧めることが出来ない読者がいるとしたら、ハッピーエンドしか受け付けない好みの人だけだろうと思われる。 | ||||
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SNSで話題となっている栃木県の寂れた街。その理由は、多くの民家の壁に描かれた決して上手いとは言えない絵。 描いたのはその街で学習塾を営む伊苅という男。あるノンフィクションライターが取材に訪れ、絵を描いた理由を尋ねるが 伊苅はあまり多くを語らず、真相がつかめない。果たして伊苅が絵を描き続ける理由とは? 読み進めるにつれて伊苅の過去が明らかになっていく手法はミステリー風でありながら 決してそういうジャンルの作品ではなく、素朴な人間ドラマといった感じ。 個人的には山田太一脚本のテレビドラマに近い印象を受けた。哀しいながらも優しさと救いがあり、何ともいえない読後感。 タイトルは作品の内容を考えると合っているようで微妙に合っていない気がする。 興味を引く不気味さはあるが、ホラー作品と勘違いされそう。文庫化の際には変えた方が良いかも。 | ||||
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色々とレビューは書かれていますが、貫井さんらしい作品だと思いました。人の嫌な部分が見えたり、救いようのない悲しい話があったり、などなど。内容に満足しました。 | ||||
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初めての作家の初めての作品です。とても良い作品に出会えて幸せ!という感想です。理由は、こうです。1.村中の壁に画を描くという現象の不思議さ、2.描くことの原因の刹那さ、3.幸福と不幸の繰り返し、4.過去や現在に背景が替わるので飽きない。他の作品も読んでみたくなるキッカケを作って頂き、ありがとうございます。 | ||||
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五章構成のこの本の最終章の冒頭で主人公を取材しているライターが独白する 「いくら調べても劇的な話には行き当らない やはり、平凡なひとりの男には本一冊をかけて語ることなどないのだ」 このなんのひねりもない無い文章を目にしたとき、 このライターは知らない設定なのですが、最前までの章で主人公の半生を読んで 知っている僕は深い深い感慨をいだきました。 主人公は実はまったく平凡でもなく薄っぺらでもない人生を送ってきたからです そして、このように深い想いや出来事を経てきていながら実は物語上では ライターには彼の人生は知る由もないのです 主人公を取材するノンフィクションライターは他の人を見るときの読者自身 この主人公は他の人に見られるときの読者自身です 人はだれもが、人に知られていようが、知られていまいがそれぞれに重く深い 物語を有しているのでしょう 幸福も悲しみも哀しみも・・・・ まるでビクトル・エリセの映画を観て感じたような感慨と同じものを 僕はこの本の読後に感じました。 物語は地方に住むひとりの中年男性が町並みの壁や塀に描いた奇妙な絵に ネット記事で着目したライターが興味を持ち、ノンフィクションの記事にと その町を訪れ取材をしてゆくことから始まります 彼の絵は原色でデッサンも筆線も稚拙でまるで幼児が描いたようでありながら 町中を埋め尽くす熱量と見た者を惹きつけ微笑ませる魅力を持っています 彼の絵を描くことの動因とは?また彼に自分の家に絵を描かせる住民たちの 心由とは? 主人公の絵を描くことに至った彼の過去の出来事については作者の意図により ライターには知らされず、読者にのみ開示される構成になっています この絶妙なポジショニング、バランス構成が読者には、神が人をみるときのような、 或いは名映画監督が俳優を撮るときのような前述の感慨を与えているのでした 2016年の作品で失礼ながら賞の候補にも挙がらず、装丁も地味な風采のこの本 でもその装丁さえも作者の想いを映したものの様にさえ思えてなりません もっと話題になってもいいはず 少なくとも読んだ者にとってはきっと残る物語です アドレナリン出させまくりのハリウッド大作や無理やり泣かせる邦画ではなく しみじみとした人生って哀しいよねっていう語り口、そしてそれでも明るいなにかが 人生には残ってるよねっていうラストシーン、これはやはりヨーロッパ映画です 本を読むってことはこういうことなんだな 本をによってこんな感慨も受けることができるんだな そんな 哀しいけれどうれしい気持ちにさせてくれる本でした おススメです | ||||
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読み進めるにつれて明らかにされる1人の男の人生。途中からページをめくる手が止まらなくなった。 後半、養護施設出身の若い夫婦が出て来たあたりで、不穏な空気が一気に倍加。こんな幸せな夫婦がこのまま幸せな生涯を送れるはずがない、との不安がよぎる。そして、衝撃のラストへ。 主人公と離婚した妻の、娘への愛情が今ひとつ薄いのがずっと気になっていたけど、それも腑に落ちた。考えてみれば彼女の人生も気の毒なのだ。 これ以外ありえなかっただろうと思えるほど構成も巧みである。 | ||||
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貫井徳郎とは叙述トリックと濃密な物語を両立させる作家だと認識していた。平井和正にも見え隠れするミステリ的部分をさらに突出させながら、平井和正の情念に近いものを文章に滲ませる稀有な作家だと思っていた。そして、ミステリ作家として自認するがために、言霊使いと自認してしまった平井和正より器用に小説というものを創りだしているのだろうと。だが、「夜想」を書き、あとを「余生」と規定した貫井徳郎は、自らその器用さを捨てたように思える。平井和正同様に、ただ書きたいものを書いているように。それならそれで。そう読んでいきたい。 | ||||
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