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ユートロニカのこちら側
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ユートロニカのこちら側の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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近未来のデストピアSFです。 個人情報を放棄するかわりに、安定した生活を送る人々の物語です。 徐々にそんな社会が近づいてくるような、予言的な一冊です。 | ||||
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アガスティアリゾート。 そこは、自身のプライバシーを無条件に提供する者のみが居住を許される特別地区だ。 感受性の強い人間は、必要以上にストレスを感じることになってしまうことから、その街では、鈍感さが最も尊い美徳のひとつとなっている。 各人の目が見る情報はすべて提供されるため、街を管理するサーバントは、この街の人間関係と欲望、欲求のほとんどを知っている。 したがって、その街では犯罪を未然に防ぐことが可能であり、危険の排除から、危険の予測と回避への転換が、アガスティアリゾートの基盤となっている。 では、果たしてプライバシーを犠牲にして獲得した平和に価値はあるのか。 犯罪者を行為ではなく目的で裁くことは許されるのか。 理想の街に暮らす多くの人々は、自分が利用している側だと思い込んでいるが、実は、体よく利用されているだけなのではないか。 本書ではそこから更に踏み込み、そもそも「自由」とは何なのか、自由の解釈や意識についても問題提起がなされている。 アガスティアリゾートで暮らす多くの人々は、それぞれが自由を謳歌しており、監視されていることを不自由とは感じていない。彼らは彼らの基準において自由を謳歌している。 しかし、人間は不自由からの解放という形でしか自由を認識できない。不自由がなくなれば自由もなくなる。完全に欲求が満たされれば欲求は存在しなくなる。 人間は嫌なことや難しいことがあれば、意識を呼び出して、うんと考えてそれを解決しなければならない。つまりストレスが意識を発生させる。しかし、人間は、考えなければならないことがあれば、なるだけ考えなくてもすむように技術を進化させていく。そうやって人々の希望どおりストレスを無くしていくと、最後は意識が消滅するのではないか。人間はストレスを感じず、ずっと無意識のまま生活することになる。 いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になったとき、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる。 以上のとおり、本書のテーマはなかなかにして深く考えさせられる。 小川哲の作品は、超傑作「ゲームの王国」もしかり、エンタメでありながら作者が伝えたい情報に深みがあり、小川哲ならではのオリジナリティーを感じる。 また、彼の文体には好感を持つし、彼の文学的技巧にも魅力を感じる。 例えば次のような比喩がある。 「バスタブがお湯でいっぱいになるように、自分に足りていなかった何かが満たされていくのを感じた」 「灰色に濁った、何かに八つ当たりするような雨だった。湿った床がねっとりと靴底に粘ついた」 こんなのもある。 「個人情報が直接的に金銭と結びついた社会においては、自分をどれだけ箇条書きにできるかが人間の価値になっている。」 「機械にまかせて事件を解決するようになったら人間として終わりだ。責任を取ることは人間に残された美点の最後の砦だからな」 今後の作品がとても楽しみな作家のひとりとなりました。 | ||||
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作者の作品としては「嘘と正典」に次いで本作を読んだが、SF色が濃い。近未来の監視社会施設を舞台にしているが、通常のディストピア小説と異なるのは、"住民側"が情報を全て売る事を許諾している点である。人工知能(AI)の2045年問題において、楽観派が勝利した事を前提に、その時、「人間はどう生きるか」、という問題を先取りした感がある。施設の創立・運営はマイン社という会社が行なっており、各章毎に登場人物が異なる。 第一章、ジョンとジェシカの夫妻の内、妻のジェシカは積極的にこの施設に順応するが、夫のジョンは("背後霊"に監視されている様で)馴染めない。これに対する施設の精神科医のアドバイスが面白い。「通常の社会でも人は道徳の様な背後霊に縛られているのだから我慢しなさい」。中々、形而上学的なアドバイスである。また、ジョンにはジェシカと別れて施設を出る程の決断は出来ない。「選択肢がない時に人はどう行動すべき」かを問い掛けている様にも映る。第三章、物語とはやや離れるが、意識を含む情報を全て蓄積していれば犯罪を未然に防げるという着眼点も面白い。この他、施設の警察がナチス的であるとか、自由と束縛との関係とか作者の思索の幅は広いが、どうも物語が練れていない感があって求心力という点では今一つという印象。それで、連作短編集の様な体裁にしたのだろう。AIをハードウェアとソフトウェアとに別けている点も知識不足か。 上述した通り、色々と面白い、あるいは先見性のある鋭い着眼点が多い作品だけに、小説として練れていない点が惜しい。それでも、考えさせられる点が多い(特に、2045年問題)ので一読の価値がある秀作だと思った。 | ||||
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ビートルズのようなポップさがありながら、人物描写が秀逸で、章を進めるにつれどんどんはまっていく感じがありました。 | ||||
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ディストピア小説というか、今の世の中に対する懸念を書いてあるように感じた。管理社会ではなくネットを通じて自分にその時心地よい世界に浸る、そうなるのであれば自身の情報を提供しても構わない、AIが提案してくれる自分が興味のある分野に勤しむ・・・。そんなのでいいの?というのは肌感覚としてよくわかる。 ただ、小説としてどうかと言われると、少々理が勝ち過ぎかなあという印象。最近の音楽のように上手にいろんな要素をミックスして、言い換えると“作った感”が表に出てしまっているカンジ。(嫌いじゃないけど。) そんなわけで、もっと強いパッションで・・・、とも感じたが、このあたりは読み手によるのかなと思う。 | ||||
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1986年生まれで東大大学院在籍の小川が、ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞したデビュー作です。 情報企業のマイン社が管理するサンフランシスコの特別区、アガスティアリゾートを舞台に 展開する6つの連作短編を収めています。 「ユートロニカ」という語は「ユートピア」と「エレクトロニカ」を組み合わせた造語だそうです。 アガスティアリゾートが一種のディストピアとして描かれるのは、 そこに居住する人々が、視覚、聴覚などの感覚情報や位置情報などをマイン社の情報銀行に売り渡して、 企業(というか自治体管理者)にほぼ無制限の監視を認める、管理社会となっているからです。 もちろん、このSF的設定は架空のものですが、きわめて現実社会と近いところにあるというのが重要です。 というのも、僕が読んだところ小川の関心は、 G・オーウェルの『1984年』のようにディストピアの息苦しさを描くことにではなく、 まちがった社会に対して「個人」がどのように抵抗していくかを描くことにあるように見えるからです。 つまり、小川はアガスティアリゾートを現代社会のつもりで描いているということです。 連作短編の核は提供された情報から犯罪の可能性を予見し、その予防を司るABMという組織にあります。 そこでは実際にはまだ犯していない犯罪を、可能性段階で取り締まるべきかどうかが焦点となっています。 我々の社会でも共謀罪など可能性段階での逮捕を可能にする法律が作られたりしているので、 やはりアガスティアリゾートは現実世界に近似しているわけですが、 そのことが文学的雰囲気を強めるという利点はありながらも、ストーリーの面白さを弱めることになっている気がします。 SFコンテストの審査員の東浩紀は、抵抗者の人物造形が薄いと不満を述べたようですが、 その原因は小川自身の力量よりも現実に近い舞台設定に求められる気がします。 現実社会への抵抗をリアルに考えると、そう面白い解決策が出てくるはずはないのです。 興味深かったのは、小川の描く抵抗者がみんな個人(もしくは二人)を単位としていることでした。 彼の描く抵抗行為には「連帯」という視点はほとんどありません。 それから自治体管理者が営利企業である、という点へのこだわりが少ない気がしました。 私企業が管理しているならば、そこは抵抗者にとって大きな攻め所になるはずですが、 そのような視点も不足しているように思えました。 少々不満を述べましたが、小川の小説家としての力量は確かだと感じました。文章も明確で無駄がなく、アメリカンな雰囲気を出す比喩も巧みで、 登場人物の描き方も若さを気にしないでいられるものがあります。 小川は作中で「ユートロニカ」という造語に「永遠の静寂」という字を当てています。 これは人間が自分のすべてを何かに委ねて、完全に無意識になった状態を指しています。 簡単に言えば子宮回帰状態といえるわけですが、 そんな子宮回帰状態に抵抗する小川が、三世代の父子の話でこの作品を閉じたのは象徴的に思えました。 | ||||
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まず抱いた印象が文章の読みやすさ。 28歳が書いたとは思えないほど洗練された文章です。 テーマ的にはけっこう難しくて、哲学的思索が多いのですが文章の妙が読みにくさを打ち消しています。 テーマは大きく分けて3つあって 1、金銭と引き換えに個人情報を提供することの是非 2、高度な犯罪予測が可能になったとき思想犯を裁くべきか 3、人工知能による問題解決機能の外部化の帰結 どれも面白いテーマなので終始関心を持って読み進めることができました。 特に2は個人的に強い興味を持っている問題でした。 ニュースで凄惨な事件を見るたびに 「犯罪予測ができれば事件が起こる前に犯人を捕まえることができるのに」と常々思っていました。 しかし登場人物の一人であるドーフマン博士は別な視点を与えてくれます。 「アガスティアリゾートの犯罪予測は犯罪者を裁くためのものではなく 起こる必要のない事件を回避することで、被害者と加害者の未来を救うシステムなのです。」(セリフの要約) 作中の犯罪予測システムは事件そのものが起こらないようにして 被害者のみならず加害者をも救うという理念のもと運用されているのです。 これはある意味で理想的なやり方かもしれません。 ただ、作中ではこのやり方を採用したせいで事件が起きてしまうのですが、 それに対してもドーフマン博士は次のように述べています。 「このやり方を取る限り今回のようなことは起きうる。 が、これまでこのやり方は被害者と加害者となる多くの人間を救ってきた。」(セリフの要約) 犯罪予測ができたとしてそれをどう運用するかは人間の判断に依存しています。 理想郷を目指す人類の前には問題が山積していることに改めて気付かされた一冊でした。 | ||||
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『127ミリリットル。いい数字だ。127は31番目の素数で、31は11番目の素数で、11は5番目の素数で5は3番目の素数だ。3は2番目の素数で、2は最初の素数だから、127は完璧な素数になる。』(第4章、「理屈湖の畔で」、177ページより) 第3回ハヤカワSF大賞受賞作。更にこうした場では珍しいことに連作短編となっている。 そしてその出来はというと……すこぶる良い。ロケーションを米国、その一部で発達を進める情報的先進リゾート地が主たる舞台……とここだけ見ると飛浩隆「グラン・ヴァカンス」を想起させるところだ。だがその出来の方向性は、どちらかというといわゆるSF的奇想・着想よりか、人間の内面へと向かっている。 ――ポケベルも、携帯電話も、スマートフォンもない昔々は、人に連絡をつけるにも前提となる知識を求められたり、電話交換手や家人を介したりと「情報が損なわれる/漏洩する」リスクを控えていた。かつてはフィクションの世界で常套手段として用いられていた「意思疎通のすれ違い」も、悲しいことに「LINE」一本で容易に使えなくなってしまっている現代だ。 この「ユートロニカのこちら側」で見えてくる「すれ違い」は行き過ぎた管理情報社会への抵抗や危機意識によるものを根としているだろう。これを卑近するものと比べると、第三者的目線という意味でフェイスブック、ツイッターなどのSNSが近いかもしれない。そうした現代だからこそ掘り下げうる余地の出てきた価値観や思想を、SFの科学的プロットで補強して創られた本作は、第1章から第3章まではさながら海外短編小説の名手――O・ヘンリやモーパッサン――を思わす人の情緒の味わい深さを感じさせる。ただし甘みはなく、苦味と哀切、そしてノスタルジィが主となるが。 そして前半で豊かに人々を描き、作品世界の持つ側面を多角的に描いたのち、ステージは後半へ。第4章からはその構造自体に疑問を投げかける人々へと移る。その静かな反抗活動がどのような幕引きを迎えるかは、是非とも読んで確かめてほしい。 2008年の「ハーモニー」においてディストピアの社会は激しく、そして末期は静かな雨のように描写された。 それが2015年にはまた別の「S」……社会的な形で、情緒的に描かれたということが偶然の一致か伊藤計劃の影響がなせる業か、個人的には非常に面白く、また興味深く感じた。次作にも期待! | ||||
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文章に力があり、刺激に富んだ文章が出てくる。 物語は情報が完全に管理されたプライバシ―のない都市で暮らす実験が舞台なのだが、 いや、普通に面白いですよ。 テーマは日常と非日常でしょうか。 SF好きなら最先端の管理社会ものとしてぜひ一読願いたいが、 オチが伊藤計劃の「ハーモニー」と似ていることについては論争を呼ぶだろう。 このオチをぼくがそんなに評価しないこともあるのだが。 あと、作者はフリーライダーという概念を参考に書いているようだが、 フリーライダーという概念が経済学の用語であることの解説がないのでちょっとわかりにくい。 ニーチェの「善悪の彼岸」で述べられてることかと勘ちがいしたがそうではなく、経済原理による概念のようだ。 対価を払わずに経済サーヴィスを利用する者を指す。 ちなみに、学者が好みそうなフレーズは随所に盛り込まれている。 それを読むためだけにも読んでもいいんじゃないだろうか。 ただ、ぼくは、これは歴史的記念碑ではなく、何か監視社会の一大傑作が作られる際の準備段階ではないかと思ったりする。 これは、日常と非日常をテーマとしており、日常はもちろん情報管理されているのだが、さて、非日常はとなるとより面白かった。 現在において、監視社会について最も正確に書き記した書物ではあると思う。 | ||||
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