ユートロニカのこちら側
- SF (392)
- ディストピア (15)
- 第3回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞 (1)
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近未来のデストピアSFです。 個人情報を放棄するかわりに、安定した生活を送る人々の物語です。 徐々にそんな社会が近づいてくるような、予言的な一冊です。 | ||||
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本書が刊行されたのは2015年(単行本)。現時点(2023年初頭)で、すでに7年 ほど過ぎている。SFという形式の小説は、時代を経ても「古びないもの」と、すぐ に時代に追いつかれ「古びてしまうもの」に、きれいに分かれるように思う。 たとえば、ポーの作品「メロンタ・タウタ」は、何とほぼ170年前に西暦2850年 頃を舞台とした作品。内容はアフリカでの内乱や、「磁力線」で移動するエネルギ ーを持つ宇宙船が登場する(と覚えている)。この作品は今でも読み継がれている。 ひるがえってこの作品はどうだろうか。情報が全ての価値の源泉となるという 近未来のあり方が、すでに何度も繰り返し幾多の作家が書き続けてる。その中で 本書の魅力はどこにあるのか。かなり疑問に思う。 情報収集の技術的側面は、なぜか詳しくは記していない。身につけるブレスレ ットや目にはめ込むカメラなどのアイデアはもう出尽くしている。また、人間の 情報を集めるのに、生身の人間から直接データをとる方法も古びている。 人間総体のモデリングが可能であるような未来なのに、あえて「情報を与えるだ けで労働することもなく報酬を得て生活できる」という設定もいかにも奇異。 しきりにAI、AIと言いつつ、そのAIが普通に動いているのかと、変な想像 までしてしまう。それほど情報収集の対象となった人間の行動がまともに描けて いない。未熟なAIと対象となった人間の行動の薄っぺらさ。 話が変わるが、本書を読んでいる時に将棋を思った。将棋の世界でのコンピュ ータソフトが人間よりも優ったのは2012年あるいは2013年。この時にすでに、 将棋というかなり限られた局面しか持たないゲームではあっても、AIは人間をし のいだ。大量のデータ処理のみならず、データそのものもモデリングが可能にな る日も近いだろう。このことを考えると、2015年の発刊時点で本書はもう「古い」。 小説としても未熟としか言えない。登場人物が(TVの推理ものの犯人のモノロ ーグ)のように、厚みのない必然性のない説明口調で、砂を噛むような味わいのな い会話をしている。まるで紙人形のように個性がない。現実でこのような、自分 を一々説明する人がいたらさぞ嫌だろう。 ハードSFでも幻想的SFでもなく、「情報」という名を付けただけの「ディストピ ア小説」。著者の専門であったのか、陳腐な精神分析もどき(いやそのまんまか)の 術語が時折出てくるが、残念ながら著者は臨床経験もほとんどない様子。 典型的な文献頼りの文章で、理論づけようとあがいているが、見事に失敗。虚仮 威しの文章は書かぬがいい。 「人類の叡智の結晶のように映った」だの、いったいつの時代の表現か。 勃起不全、サナトリウム、超自我、解離性同一性障害、全てがこの作品の添え 物でしかない。著者の経歴からは、どうやら心理学から精神分析的分野に足を踏 み入れたらしい。これが医学からだともう少しリアリティのあるものになるだろ う。 意味深な題名を付けているが、その意味も分からない。第1章の「リップ・ヴァ ン・ウィンクル」は、1820年頃のアメリカの小説の題名及び主人公の名前。アメ リカ版ミニ浦島太郎の物語だが、その名付けの意味さえ分からない。 繰り返しになるが、全体として登場人物が喋りすぎる。自分のプライベートな ことを初対面でもペラペラ、まるで行間の説明文のように話す。また、汚い言葉 や汚いシーンを描いたりするが、これも不快なだけ。 未熟すぎる表現も数多い。 アメリカ人の会話で「ご飯がさめる」と登場人物が言う。いくらなんでも「スープ やシチューがさめる」とでも書けなかったのか。お味噌汁じゃあるまいし。 「母がおよそ二分の一の確率でハンバーグにレーズンを入れる」ともある。こん な表現は日本語にはない。 「楽しそうに何かを喋ったり、楽しそうに何かに対して黙ったり」。これまた奇 異な表現。こんな表現をする作家に初めて出会った。 「今のあなたには、煙突みたいに煙を吐いているだけの時間が必要なの」。気取 ったつもりで意味不明。 文章自体に締まりがなく、スカスカの内容を水増しした小説。情景描写もほと んどなく、薄ぼんやりした光景が続く描写だけだった。 章ごとに主人公を別にしているが、最後にまとめる手法が悪く、小説構成も失 敗だろう。 解説も酷い。「お仲間の褒め言葉」のみ。 「比喩的に言い換えれば、小川-入江の関係が、阿部-東の関係と相似でありさ えすればよく、合同であることまでは求められているわけではない」。何を例えて いるのか、洒落たつもりで空振りになっている。大学院での指導教官が同じであ ったことを自慢したいのか。 最初の三分の一ほどでうんざりして、あとは斜め読み。 Amazonではなく町の本屋さんに行って、面白そうと思ったが見事に失敗。 暇つぶしにもならなかった。1000円近くする値段でこの内容。 本書は5年間で2刷。これで重刷しているのが不思議なくらいにレベルが 低い。 全くお勧めしない。日本のSF界も素晴らしい人がいるだろうに、賞を取っ たのが信じられない。 | ||||
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すべて同じ印象でした。 話し方の論理が同じというか、みんな同じ知的レベルで個性がないというか。 内容はすごくおもしろかったです。 ありがとうございました。 | ||||
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アガスティアリゾート。 そこは、自身のプライバシーを無条件に提供する者のみが居住を許される特別地区だ。 感受性の強い人間は、必要以上にストレスを感じることになってしまうことから、その街では、鈍感さが最も尊い美徳のひとつとなっている。 各人の目が見る情報はすべて提供されるため、街を管理するサーバントは、この街の人間関係と欲望、欲求のほとんどを知っている。 したがって、その街では犯罪を未然に防ぐことが可能であり、危険の排除から、危険の予測と回避への転換が、アガスティアリゾートの基盤となっている。 では、果たしてプライバシーを犠牲にして獲得した平和に価値はあるのか。 犯罪者を行為ではなく目的で裁くことは許されるのか。 理想の街に暮らす多くの人々は、自分が利用している側だと思い込んでいるが、実は、体よく利用されているだけなのではないか。 本書ではそこから更に踏み込み、そもそも「自由」とは何なのか、自由の解釈や意識についても問題提起がなされている。 アガスティアリゾートで暮らす多くの人々は、それぞれが自由を謳歌しており、監視されていることを不自由とは感じていない。彼らは彼らの基準において自由を謳歌している。 しかし、人間は不自由からの解放という形でしか自由を認識できない。不自由がなくなれば自由もなくなる。完全に欲求が満たされれば欲求は存在しなくなる。 人間は嫌なことや難しいことがあれば、意識を呼び出して、うんと考えてそれを解決しなければならない。つまりストレスが意識を発生させる。しかし、人間は、考えなければならないことがあれば、なるだけ考えなくてもすむように技術を進化させていく。そうやって人々の希望どおりストレスを無くしていくと、最後は意識が消滅するのではないか。人間はストレスを感じず、ずっと無意識のまま生活することになる。 いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になったとき、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる。 以上のとおり、本書のテーマはなかなかにして深く考えさせられる。 小川哲の作品は、超傑作「ゲームの王国」もしかり、エンタメでありながら作者が伝えたい情報に深みがあり、小川哲ならではのオリジナリティーを感じる。 また、彼の文体には好感を持つし、彼の文学的技巧にも魅力を感じる。 例えば次のような比喩がある。 「バスタブがお湯でいっぱいになるように、自分に足りていなかった何かが満たされていくのを感じた」 「灰色に濁った、何かに八つ当たりするような雨だった。湿った床がねっとりと靴底に粘ついた」 こんなのもある。 「個人情報が直接的に金銭と結びついた社会においては、自分をどれだけ箇条書きにできるかが人間の価値になっている。」 「機械にまかせて事件を解決するようになったら人間として終わりだ。責任を取ることは人間に残された美点の最後の砦だからな」 今後の作品がとても楽しみな作家のひとりとなりました。 | ||||
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作者の作品としては「嘘と正典」に次いで本作を読んだが、SF色が濃い。近未来の監視社会施設を舞台にしているが、通常のディストピア小説と異なるのは、"住民側"が情報を全て売る事を許諾している点である。人工知能(AI)の2045年問題において、楽観派が勝利した事を前提に、その時、「人間はどう生きるか」、という問題を先取りした感がある。施設の創立・運営はマイン社という会社が行なっており、各章毎に登場人物が異なる。 第一章、ジョンとジェシカの夫妻の内、妻のジェシカは積極的にこの施設に順応するが、夫のジョンは("背後霊"に監視されている様で)馴染めない。これに対する施設の精神科医のアドバイスが面白い。「通常の社会でも人は道徳の様な背後霊に縛られているのだから我慢しなさい」。中々、形而上学的なアドバイスである。また、ジョンにはジェシカと別れて施設を出る程の決断は出来ない。「選択肢がない時に人はどう行動すべき」かを問い掛けている様にも映る。第三章、物語とはやや離れるが、意識を含む情報を全て蓄積していれば犯罪を未然に防げるという着眼点も面白い。この他、施設の警察がナチス的であるとか、自由と束縛との関係とか作者の思索の幅は広いが、どうも物語が練れていない感があって求心力という点では今一つという印象。それで、連作短編集の様な体裁にしたのだろう。AIをハードウェアとソフトウェアとに別けている点も知識不足か。 上述した通り、色々と面白い、あるいは先見性のある鋭い着眼点が多い作品だけに、小説として練れていない点が惜しい。それでも、考えさせられる点が多い(特に、2045年問題)ので一読の価値がある秀作だと思った。 | ||||
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