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城
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城の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 41~60 3/5ページ
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『城』は、カフカの小説の中では最長の長編です。登場人物がけっこう多い小説なので、登場人物の名前と人間関係を整理しながら読むことをおすすめします。 『城』は未完の小説ですが、未完であることが物語の不毛さに拍車をかけています。『城』に限らず、未完であることが必ずしも完成度を下げる結果にはならないところが、カフカ作品の面白いところだと思います。 主人公のKは測量士で、城にたどり着くために努力するのですが、どんなに頑張っても城にたどり着くことができません。Kは城の領地である村の住人と会話しますが、しょっちゅう心がすれ違います。Kや城については謎が多く、城で働く役人の仕事の手続きはとても込み入っています。 一見すると奇妙な小説ですが、私たちが生きる現実の世界もこうした徒労に満ちていると思います。不毛な行動や無駄な作業に満ちており、当時の役所仕事の能率の悪さを窺い知れる小説でした。ちなみにフランス政府は、役所仕事の能率を測定するために、2006年に「カフカ指数」を導入したそうです。 巻末解説には、「第二次世界対戦の終了直後、フランスの哲学者サルトルや小説家カミュが『実存主義』を唱えた。カフカはまず、その実存主義者によって発見された。論じられたところはかなりちがっていたにせよ、正確な本能が見つけたといえるだろう」と書いてありました。実存主義者のカフカ論に論点のズレがあったということは、重要な指摘だと私は思っています。 | ||||
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iPadにKindleアプリを設置して、Amazonで調べると無料の本があり、さらに童話なのですぐダウンロードをし、子供に読ませています。ありがたいです。 | ||||
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カフカの長編は「失踪者」「審判」「城」といずれも未完のまま、カフカの死後に出版されましたが「城」に関してはこの未完という形が完成型なのではないかと思います。 どこまで行ってもたどり着くことはできない。 村に及ぼす「城の力」について、オルガが語る場面が象徴的です。 オルガの妹アマーリアが、彼女の美しさに心惹かれた城の役人からの呼び出しを拒否したことから始まったオルガ一家の不幸。 城から告発があったわけでなく、何ら許してもらうこともないにもかかわらず、村は自分たち家族を許さないと受け取り、それがためによけいに村から拒否される。意味もなく人々は不安がり、誰もがそうするしかなかったと受け入れている。 一見意味もなく吹きつのっているようで、遠くの見知らぬところから送られてくる。 そんな風のようにすべてに「城の力」が働いているというオルガ。 いったん方向が間違うと、組織は間違った道を突き進み、そちらに行ったまま時がたっていく。 柔軟な対応ができない組織の象徴が「城」なのか。 外部から村にやってきたKは、冗談とも役所の気まぐれともつかないことに、どうして従わねばならないのかとの態度で、村人からすれば異端児である。 しかしながら、測量士と名乗っているK自身、本当に測量士なのかどうかも実は明らかではないことから、物語の行く先は混迷を極める。 「城」は「失踪者」や「審判」と比べ、まさに一筋縄ではいかない物語である。 | ||||
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城の未完成性にはもっと面白い。 _1_到着、もすでに 池内紀は部分の斜線も買い替えさせた。もちろん 16_残されたKは、、 21_とうとう起きてしまった、、 22_なにげなく辺りを、、 23_このときようやく、、 24_もしエアランガーが、、 25_目を覚ましたとき、、 | ||||
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文庫本も持っているが、いかんせん字が小さいくて見づらい。キンドル版なので、読みやすい。ただ、訳は少し古い気もする。 | ||||
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現代社会への批判とか予見とか、何かの属性を通してしか自分を認識できない人間の悲哀とか、 いろんな読み方が出来ると思った。 あとがきにも書いてあるように、カフカ自身、ヨーロッパ化された西方ユダヤ人として生まれたが、 キリスト教世界には属さず、またチェコに生まれたが、ドイツ語を話す。つまり、どこにも完全には属さない、 生まれながらの「異邦人」であったようだ。 確かに、カフカの作品には、決して報われる事のない、のたうちまわる孤独さ、を感じる。 得体のしれない「城」は不気味で、村の人はなかなか打ち解けてくれない。 会話のやりとりで数十ページも費やす箇所がいくつもあることや、Kが中々理屈っぽいので、やきもき させられるが、ストーリーには引き込まれた。余り深く考えず、カフカを感じられればいいと思う。 | ||||
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無料なのでダウンロードしてみました。 まだ読んでませんが… もっともっと無料でダウンロードできるものが増えればいいなと思います。 | ||||
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簡単に、こうだと言えない類の小説だと思います。 決して読みやすくはないのですが、導入部の流れが素晴らしいですね。 連想したのはつげ義春さんの『ねじ式』のようなイメージでした。 そこを通過して、夢の海の中を彷徨っているうちに、この作品の重さで少しづつ圧迫されてゆきます。 カフカは労働者災害保険局の優秀な勤め人でした。 モチーフになっているのは、役所の仕事だろうと思います。 カチッとした強固な組織の中で行われている行為や会話は、見方が変われば実にシュールに映ります。 主人公のKは、最初は奇妙だと感じていたのに、時間が経つに連れ同化してゆきます。 本人はそれに気がつかないようです。 人が喋るたびに真実は入れ替わり、事実も変更されてしまいます。 こういう世界に我々は棲んでいたのか、と思わせられてしまいます。 読み終えて、見渡してみれば景色が少し違って見えます。 | ||||
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尊敬する作家保坂和志氏が、カフカは深読みしないで(なんの喩えなのかとか考えずに)素直に読むのがいい、と言っています。20代の頃の私は、カフカの長編に挑戦しても味気なくてすぐいやになりました。しかし60代の今、保坂氏の助言に従うと、なんとか読み終えることができました。突然思いがけない人物が登場したり、相手の話を聞いているはずの人が眠っていたり、意外な出来事が数多く起こり、またユーモアも所々に盛り込まれています。 しかしなんと言っても最大の収穫はカフカの見方・考え方を知ったことです。その粘り強い思考には、「カフカは天才だ」と思わずにはいられませんでした(特に後半)。その思考法を私の言葉で述べてみます。たとえば、私は三つの理由でAだと思う。相手はAを否定し、Bだと言う。私は、それを大筋認める。しかし一部分反論する。相手はそれにまた反論する。私は今度その反論を一部認めるが大部分反論する。相手は私の反論にまた反論する。いつのまにか最初の問題が別の問題に変わっている。突然、私は疲労におそわれ、論争なんかどうでもよくなる。相手は私のそんな態度におかまいなく自説を述べ続ける。私はもう、相手が話をやめることだけを望んでいる。――ほとんどがこんな調子だと思いました。 不条理とか現代の官僚機構批判とか、城にいつまでもたどりつけない絶望的状況とか、そんな小難しい内容ではないと思います。そもそも私は不条理という言葉がきらいです(大げさに聞こえます)。 原田義人訳は原文に忠実で、前田敬作訳はこなれた日本語だと思いますが、両方参照しながら読みました。 | ||||
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カフカの知性に感服しました。自分は太宰が嫌いです。なぜなら見えてないからです。知性がないからです。 | ||||
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このわけのわからなさはむしろ快感である。わたしはわたしの人生においてこれを二度読んだ。たぶん死ぬまでにもう一度読むであろう。 | ||||
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ある測量士が目指す、《決して辿り着くことのできない「城」》。 不毛とも思える行為が延々と繰り広げられるこの物語は、 ついに終焉を迎えることはなかった。 それは一体何を意味するのか。 カフカにとっての「城」、読者にとっての「城」、 そして《「世界」としての「城」》。 答えは無数に存在する。 永遠に続くとも思える不条理の連鎖をテーマとしながらも、 読者を惹きつけてやまない、カフカならではの渾身の世界描写。 cf)『審判』/『掟の前で』 | ||||
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だらだらと長い会話、なかなか進まぬストーリー、回収されぬままの伏線・・・未完の小説『城』。 もしちゃんと出版されるとわかっていたらカフカは推敲を重ね半分ほどの分量で出版したに違いない。 研ぎすまされた『変身』『審判』よりもはるかに感じる回りくどさ。 しかし、ページを進めるごとにどうもこの回りくどさが病みつきになってくるのである。 主人公Kが底なし沼にはまってゆくように、自分が読書の底なし沼にはまっていくような、不思議な読書体験であった。 遠い場所からある村にやってきた主人公Kは、その村を管理する行政組織「城」に翻弄されつづける。 そこに見えるのは城という大いなる官僚組織。 効率を追求したあまり非効率になっていく組織。 自分たちのために作ったルールによってかえって苦しめられる人間。 「城」を「国」や「会社」に置き換えるとまさに現代にも通用する内容である。 とはいえ、組織の非合理さも「仕方ないか」と折り合って生きていくのが組織的人間というもの。 堅苦しいルールの中に生きるサラリーマンでなくとも、日本人なら誰しもが矛盾も多々ある日本の法律というものに従って生きているのである。 しかし、自分が納得しないルールに対して徹底的に従わなかったのがKである。 信じる者は己一人。ある意味アナーキスト。非常に聡明なるパンクなのである。 こんな人はとても希有で、既存の法にのまれなかったイエスか、ブッダか。 システムと個人の問題、それを徹底的にやってのけようとしたが途中で頓挫してしまった、それがこの小説ではなかろうか。 この小説でとてもおもしろかったのは男と女の対比。 男(主人公以外)はシステムに従い合理的に行動する。しかし、システムが非合理的なので非合理的なのである。 女はシステムには従わない。しかし、感情的に動くために非合理的である。 非常に賢く何でも見通せるカフカは、わけのわからぬものがとても苦手だったんじゃなかろうか、つまり、組織と女性というものが。 | ||||
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ピンチョン『重力の虹』に他人の夢を代わりに見ることのできる人物が登場しますが、 実際に他人の夢を見るのがどんな感じか体験してみたければ、この小説を読むといいでしょう。 『城』はカフカの作品の中でも最も「夢のような」作品です。 カフカの作品の明らかな特異性は、単純に不合理であったりファンタジックであるのではなく、 本当に「夢っぽい」、我々が実際に見る夢の性質を如実に再現していることです。 この点で、カフカの作品はラ米文学などに見られるマジックリアリズムとは明らかな一線を画しています。 例えば、相手がなにか言う、自分がそれに答えるが、それは実際に自分が言おうとしたことと違っている。 そしてそれを相手が異様な曲解のもとに聞き、さっき言ったことと矛盾することを言う。 こういうやりとりが終始続きます。 夢日記をつけたことのある人なら覚えがあるかもしれませんが、夢の内容を記述するのは容易なことではありません。 錯綜した夢の内容を、錯綜したまま描けるとしたら、すでにその人は精神を幾分か病んでいるのではないでしょうか。 カフカはそれを完璧にやってのけます。 村上春樹氏はカフカの影響を受けていると言われますが、カフカの小説と村上氏の小説はかなり雰囲気が違います。 村上氏の小説における非現実性はむしろマジックリアリズムのそれに近いもので、 カフカの神経症的な非現実性とは異なるものです。 村上春樹の源流を探ろうという気持ちでこの『城』を読むと、きっと失望してしまうでしょう。 それよりも「他人の夢を見るのはどんな感じか」という興味のもとに読んだほうが楽しめると思います。 読み終えた後に思うのは、こんな悪夢をもし自分がずっと見続けていたとするなら、 そしてこのように明晰に文章にできるほどはっきりとそれを認識して、「今晩もあの夢を見る」と分かっていたなら、 ほとんど間違いなく気が狂ってしまうだろうということです。 | ||||
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「変身」「審判」は一応オチ(主人公の死)がありますが、「城」にはオチがありません。 カフカの描く不条理は「=ゴールにたどり着けないほどのとてつもないまわりくどさ」だと思うのですが、「城」ではもうほんと、あたま狂いそうなくらい、全部が全部まわりくどいのです。 だから、「早く話をすすめろよ〜!」と思うのですが、なぜかそのまわりくどさにカタルシスを感じてしまうのは、やっぱり現代というまわりくどい世界に暮らしている私の心がそれに安心してしまうからでしょうか。 ということで、まわりくどいのは全然好きじゃないのに、オチがないのも好きじゃないのに、僕はカフカの長編作品の中ではもっともまわりくどいこの「城」が一番好きなのです。一番憎らしいのに、一番好きなのです。まわりくどい言い方ですみません。 故に、カフカ三部作は「変身」「審判」「城」の順番で読むと、よりそのまわりくどさによる文学的カタルシスが味わえると思います。いらいらしつつも。 ・・・・・・・・・・ それから蛇足になりますが、この作品をレビューしてる方々はすごい的確でおもしろいので、他の作品レビューも見てみるといいと思います。 | ||||
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ズバリこの本は、文学の極みを描いていると私は思っています。よつて、アートと同じで、頭ではなく体感で理解するしかないと考えています。カフカは、おそらく色々な意味で苦難の人生を歩んでいかれた方だつたと思うからです。このような意味で、私にはこの、城の持つているメツセージがとても良く分かるのです。これは、未完ではあるが、戦争と平和、と並ぶメルヘンタツチの大傑作と思います。独創の世界を堪能できます。 | ||||
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カフカの小説は、主人公が「知的」であり、「挑戦的」である。 それは近代小説とよばれる作品の中で、内省的であることで周りの行動会話を映し出す不在の中心のごとき「気弱げな」主人公たちの存在とは、質的に何かが違う。このヒロイックな感覚は、ただの一面である。ドストエフスキー以降、小説は「書かれている内容に対する解釈を行うもの」となってしまった。そのことはかの地で「形式主義」と呼ばれる批評家たちが最初に出現したことにあらわれている。もちろん、あれだけ巨大な「解釈の対象」を、ほとんど超絶的な魅力で描き出したドストエフスキーは桁が外れているが、バフチンにしろシクロフスキーにしろ、ドストエフスキー以上の形ではあの種の創作物は書かれえないと理解していたからこそ、その構造を書く偉大な「批評家」(ロシアフォルマリズム)になったのだろう。 「書かれているもの」と「その解釈」。この小説的な構図はおそろしいほどはっきりと現代にまで続いているし、およそ覆されそうにもない。ただ、カフカがしたことを除けば。 ドストエフスキー以降の世界でカフカだけが「違っている」のは、その「対象←→解釈」という構図から出ようとした点にある。 作家の誰もが「解釈されること」の内側で泳ぎ方を覚えようとする中で、カフカは「解釈」という意味そのものについて考えていた。これはたいしたことではなかっただろうか? 意識的にであれ無意識的にであれ、いまだに自分が書いた作品が「どういう意味で解釈されるのか」を考えつつ、ものを書くしかいない作家たちの世界から見れば。自分が巻き込まれている絶対的な尺度(「対象←→解釈」)の中で、うまく泳ごうとするのではなく、誰もがその中にいながら、誰も意識していない捕縛の構図そのものを取り出すこと。物事を理解することや問題を理解することの意味を、「批評」(解釈)ではなく「小説的形式」(対象)によって実践すること。ここにこそカフカの特別さがあるのではないだろうか。 物事に対して知的であり、挑戦的であるほど、問題の輪郭は永久に膨らんでいく(=k)。この事態は、産業資本主義による自己増幅、意味や解釈のみが永久に自律的増幅を見せる、現代社会の病巣そのものである。カフカの作品は、この抽象的な現実を鮮やかに暗示していた預言書であるともいえる。不惑に物事をとらえ、自身のパラダイムや内的構造を極限にまで反映した彼の作品は、現代に生きるひとびとこそ読むに値する。 | ||||
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600ページを超える未完の大作だが、シュールな物語の展開、登場人物の長いモノローグの応酬を基調とする独特の文体、やけに分析的な主人公Kの台詞等に引き込まれてしまい、あっと言う間に読破してしまった。村上春樹はカフカの影響を強く受けていることを自ら認めているが、この作品が無かったら村上春樹は存在しなかったのではないかと思えるほど、本書には村上春樹の小説のエッセンスが盛り込まれている。村上春樹のファンだったら本書は必ず気に入るはずである(実はこういう私は必ずしも村上春樹のファンではないが)。 前述のとおり本書は未完であり、ストーリーとしては完成されていないが、権威の象徴である「城」とその支配下にある「村」の住民たちによって紡がれる本書の主題は明確である。権威である組織のためにただ盲目的に従う人々をアイロニーを交えて書く一方で、権威に対して批判的で、自由な発想を持つKは結局異邦人でしかなく、世界から完全に阻害されてしまう。この主題が意味するところには半ば恐ろしさまで感じてしまった。特に、現代社会の象徴である高度な官僚制の描写に関してはユーモアと鋭利な視点が混じっており、秀逸。 半ば以降からは堂々巡りのようなストーリー展開になってしまうが、主題はあくまで明確である。カフカは本書の途中で主題を書ききった一方で、あまりにも話のスケールが大きくなりすぎたので、物語を完結することができなくなってしまったのではないか。シューベルトの交響曲8番のように。 | ||||
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なかなかのボリュームにもかかわらず、本書で展開される時間はせいぜい一週間足らずである。それというのも、本書のほとんどがダイアローグで構成されているからだ。しかもそれは村の諸々の人々とKとのやりとりなのだが、それぞれ一旦喋り出すといつ果てるともしれずに延々と続いていくため、ダイアローグでありながらある意味でモノローグと言えなくもない。 職業の有無だけでなく、その職業に従事することを公的に、そして世間的に認められることがアイデンティティとなるならば、「周り」の存在なしには「自己」の存在はない。つまり、社会という枠組みの中でしかもはや自分を証明する居場所がないのであり、そこから逸脱してしまった場合、Kやバルナバスのように社会から締め出される。 たいへん残念ながら本書は未完の書である。したがって「城」への門は開かれたままであり、様々な解釈が可能で、そこからどのような結論も導き出すことはできまい。しかしながら、知力に長けたKの当意即妙な反駁や機転の利いた弁明、そしてなによりも訳者の歯切れの良い訳のおかげで、それだけでもたいへん読み応えのある作品となっている。 | ||||
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「ボルヘスは旅に値する」という言葉があるけど、この「城」も何とも奇妙な旅としての体験を読者に与えるのではないでしょうか。その旅は、奇妙な形をした未完成の迷宮を行くものです。それは冬のモノトーンです。行き止まりの袋小路、何本もの分かれ道、退屈なまっすぐ道、落とし穴、急カーブ、きつい上り坂、下り坂、意味のつかめない標識などでできている迷宮です。それは人生を生きることの謎というか不条理というかでこぼこ道というか、そんなものです。 カフカは常に消滅にいたる文学と言われます。たぶん、積極的に肯定することはいつまでもできない文学です。しかし、人間が生きていく以上、それは無視できないものとして屹立しています。その点で歴史に残る文学なのでしょう。 | ||||
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