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審判
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審判の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 21~40 2/2ページ
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「審判」(カフカ)読了。あろうことか台風の影響で何時間も足留めされた新幹線の中というある意味極限の状況下で、この出口の見えない難解な物語と格闘するという得がたい経験(もう二度とゴメンであるが)をした。たぶんカフカにはカフカを読むにふさわしい時間と場所があるような気がする。それがいつどこでなのかはすぐには思いつかないが、すくなくとも台風の影響で何時間も足留めされた新幹線の中でないことは確かであろう。 「審判」(カフカ)の第9章がお気に入りです。「カフカ短編集」の中でわたしが一番好きな「掟の門」が主題となっている章です。個人的には「生きてきたこと生きていること生きていくことについての切なさを伴う考察」と認識してます。実際にはもっと深遠なテーマのようですが。(笑) まあいずれにしてももはや神経戦の様相すら感じさせる「審判」であるが、おそらく人生の中でこれを読むべき年齢というのが確かにあって、わたしはそれを28歳から32歳の間とふんでいるのだがもちろん何の根拠もないのは言うまでもない。 | ||||
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『変身』と短編では間違いなく天才の着想と完成度を誇っていたカフカにとって本作を含めた長編三作は習作であったらしい。そして41歳で急逝してしまった著者は本作も未完のまま終わらせている。『城』を読んだ時には立体感のない会話が延々と続く冗漫さに読了までしんどい思いをした為、「審判もそうだったらやだなー」と思いながら読み始めた。(余談だが、奥泉光氏は『城』を途中で投げ出したそうだByエッセイ集『虚構まみれ)。『城』と比較すると本作は遙かに構造と立体感を備え、ディテールにも粗さが無い。だが公務員として多忙の中作品を描いたカフカにはやはり時間が足りなかったのではないか。あえて内容には触れないが、カフカの超絶的創造力であれば、世界のすべてが唐突に裁判所に繋がっている仕掛けをもっと巧妙かつ豊富に作る事が出来たと思う。〜若くして人生を終えてしまった事が作家としてのカフカにとって良かったのか否かは、僕には解らない。だが、間違いなく唯一無二の天才だっだ著者の才能と世界観は若かったからこそ為し得た僥倖というべきなのかも知れない。 | ||||
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1966年刊行以来、長年親しまれてきた版ですが、光文社のタイトルを変えた新訳、『訴訟』では、構成が大幅に変わっています。 従来の本作は、原稿を預かったカフカの友人、マックス・ブロートによる恣意的な編集がなされているとして、光文社版では近年の研究、全集に従った新たな訳を試みています。 このあたりの事情については、光文社版の解説、レビューやWikipediaに詳しいので、それらにお譲りします。 もともとの原稿は順番がはっきりせず、未完成の作品なので、あの衝撃的なラストも、新訳では主人公の夢とも解釈できるとのことです。ナチスによるユダヤ人迫害の予見という解釈も、やはり解釈の一つということでしょう。 中野孝次訳の1992年刊新潮文庫版新訳 が現在入手できないのも、こういった事情も関係しているようです。 (ちなみに私が昔読んだのは1971年刊新潮文庫旧版 の原田義人訳でした) しかしドラマティックな展開の、この旧版もそれなりに捨てがたいので、よく比べて選んでみることをおすすめします。 | ||||
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ある日、朝起きると、ゴキブリになっていた。そして、人生の歯車が狂いだす。これは有名な『変身』。 ある日、朝起きると、有罪になっていた。そして、人生の歯車が狂いだす。これが『審判』。 『変身』と同じく歯車の狂った人生が、おもしろおかしく、そして哀しく暴走する。 理由もないのに突然、人間を有罪にする不条理な裁判制度。 一体、これをどう解釈するかは、読む人によって様々に解釈できる。 カフカの友人は『ユダヤ教の神の審判』だというし、 別のレビュアーの方は『ファシズムを予見していた』と。なるほど、どれも一理ある。 ただ、ぼくは足りない頭でなんども考えてみたけど、いまいちよくわからない。 この本を理解できなかたのかなと、もやもや感に苛まれたのだけれども、それはさておき十分に楽しめた。 それは、描かれていた世界そのものがおもしろかったから。 会社の物置をあけたら、おっさんがムチでお仕置きされていたり、スラム街のボロアパートの一室ででいきなり裁判が始まったり、 普通の現実が奇妙にねじれていくその様が、不思議な浮遊感を与えてくれる。それは本に酔わされたかのような、心地よい白昼夢。 というわけで、カフカのその意味を解釈しようと力まずに、気軽に読んでください。 その暗示している意味はわかりにくいが、文章は平易でわかりやすいので、誰でも楽しめると思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑以上、初読の感想。再読し、さらには『城』を読むとその意味するところが見えてきた。 これは「法と人間の関係」を描いているのではないだろうか、と。 法はあれど、それを施行する人間は恣意的である。 法はあれど、それを解釈する人間は恣意的である。 法は完全であったとしても、それを施行する人間は不完全である。 『審判』は法を執行する人間たちの愚かさを描き、 『城』は法を執行するシステムの愚かさを描いている(法を執行する人間たちは優秀であるのに)。 この法をユダヤ教の律法と解釈すると"審判"を"神の審判”と解釈できる。 ファシズム下の法と解釈すると”審判”を全体主義の強権発動と解釈できる。 ただの法律と解釈すると『審判』を一般的『判決』と解釈できる。 まあ、程度の差はあれ、どの社会でも人間は掟によって理不尽に扱われ、人生を狂わされる可能性を秘めているのだ。 法治国家の根本の矛盾を平易に描いた見事な作品。 | ||||
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初めて審判を読みました。 読む機会があった本がこれだったのでレビューするが、文庫本があるならそっちを買った方が良いと思う。文章的には5つ星だが、値段が高いので星4つとした。 小説は主人公が捕まるところから始まる。 大げさな逮捕劇ではなく、あくまでも静かに”同行願う”形で審判の場へと立たされることになる。 主人公は社会的地位もあり、機転もきくし、弁も立つ。しかし、それゆえに逮捕された理由がわからないまま彼は裁判を進めていくことになる。 読者からしてみれば「逮捕された理由はなんなんだろう」と思ってページを進めていく。しかし、最後には物語がどうこうという話ではなく「審判」というものがどういうものか理解するようになってしまう不思議な感覚に陥る。 罪を着せられたことのある人間ならば、読んで間違いはない。 | ||||
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Kについてはごく平凡なサラリーマンとしか説明のしようがない。なぜ裁判に巻き込まれることになったのか、 なんの裁判かも彼には全く訳が分からない。そして次第に彼はどうしようもない窮地に追い込まれていく。 これ即ち、コント55号のコントである。違うのは目的だけである。 ところで、『審判』で検索すると、2番目にヒットするのは田代まさし氏の書いた『審判』である。 これもまた不条理ということか。 | ||||
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カフカは難しい、様々な解釈が可能.... カフカにはこのような評価がなされることが多いようである。 私は、カフカに対するこのような評価は、次のことを意味しているのだと勝手に考えている。 「自由にカフカを感じれば良い」 上記のような立場で本書を読んだのであるが、私にとって本書はカフカの世界を象徴していると言って良い。 自らの裁判(審判)の行方がどうなるかわからない、どう進行しているのかすらわからない「不安」、何ら適法な手続が採用されない「不合理」、全体主義が垣間見える社会の「恐怖」、そして結末が象徴する「不条理」。 本書に対する研究者の評価、評釈を先に読んで構えることなく本書を読み、自由にカフカの世界を感じることを強く奨める。もしカフカを好きになって、彼の作品を読み進めることになったら、私同様、本書が彼の世界を象徴していると感じるのかもしれない。 最後に一言申し添えると、上述も私の勝手な評釈であるため、影響されずに自由にカフカをお読みください。 | ||||
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とにかくすごい作品。 読んでも読んでも底の見えない世界観に圧倒されます。 社会システムや法に対する批判や恐怖、そういうことがテーマになっている と思うのですが、それをこういう表現方法で展開できる人はカフカ以外には いないでしょう。 もちろん、カフカ以降でその模倣をする人はいますが・・・ これだけ現実世界から乖離した突飛な話であるにも拘らず失われる事のない リアリティと説得力はいったいなんなんでしょうか。 この作品が今から90年以上前に書かれたとはとても思えない。 天才の仕事だと思います。 | ||||
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1925年に書かれて以来、これまでに多くの人がそれこそその数だけの解釈をしてきたのではないだろうか。後に来るナチやファシズムを予見したとか。私個人は、主人公の経験に似た(もちろん程度は違うが)理不尽な経験を思い出したりして、リアルな感覚も感じた。そんな体験は誰にでもあるだろう。読む人はその感覚を思い出し、主人公に重ねてこの物語を見るのだろう。そういう構成がカフカのすごさなのだろう。 | ||||
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カミュが“シーシュポスの神話”の中で、“城”とともに高く評価しているのがこの小説です。とても読みやすく、毎日少しずつ読んでも一週間ほどで読み終わることができます。この小説は未完に終わったとされていますが、読んでみると内容は完結しています(同じく未完に終わったとされているカラマーゾフの兄弟のようなものと思ってよいです)。小説の中に挿話的に入っている”Before the Law”だけでも読む価値が充分です。一つ難を申せば、この新書版の訳者の解説には小説の結末がすべて書かれており、読まれる前にこの解説を読むと興味が削がれる可能性があります。一週間ほどで読み終えることができる小説なので、解説は読後に読まれることをお勧めします。 | ||||
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「裁判所の実体は、たくさんの精巧なしかけの中に見えなくなっているんですが、万事このしかけしだいなんですからね」(本文より) 道端で出会った人が、自分の名前を知っている。自分が裁判にかけられていることも知っている。 そんな状況は、普通に考えて明らかにおかしい。 しかし、おかしいことが説明もなしに続いていくと、だんだんそれに慣れて受け入れ、疑問に思わなくなってしまう。それが怖い。 主人公Kは、しかけの犠牲者である。 社会のしかけは人が作ったものであるはずなのに、人が立ち向かうのはあまりにも困難になってしまっている。 この小説には、全体を通して形の見えない、しかしとてつもなく大きく見える不安がある。 何かが根本的におかしくて、不安はどんどん大きくなっていくのに、いっこうにその正体がつかめない。 形の見えない不安と、無限ループ。解釈の余地は無限にある。 | ||||
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カフカ未完の傑作。未完というとどうもよくないイメージがありますがカフカの長編3つはたしかどれも未完。未完だけれどもこれだけおもしろく読めちゃうのはどういうわけだと思わず呻ってしまう傑作。 ナチス台頭を予知したとか言われていますがたぶんこの作品の魅力はそんなところじゃないだろう。小説的思考があちらこちらにある真の「小説」だ。まったく意味のわからないままに逮捕され、裁判にたいして自由でありながら束縛されていくK。悪夢的連鎖の中で囚われてどうしたらいいのかさっぱりわからないことでしょう。巨大なシステムとしての審判の機能は人間を束縛するのか自由にするのか、犬のように殺されてしまったほうが楽なのか。どうなんでしょうね。 | ||||
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ヨーゼフ・Kは何も悪いことをしていないのにもかかわらずある日突然逮捕される。彼を逮捕に来た役人もKを逮捕するだけが仕事でどういう理由で彼を逮捕するかは知らない。逮捕されたKは裁判にかけられるのだが、裁判はアパートの一室で行われる。そして単なる傍聴人と思われた人々も裁判所の予審判事と同じバッチをつけている。裁判所の実態もよくわからない。 逮捕されたもののKは投獄されるわけではなく日常生活は自由である。彼の前には弁護士、裁判官の肖像画を描く画家、叔父、牧師などが次々と現れ、彼にアドバイス(説教?演説?)を長々と述べるのだが、そのアドバイスは法律の中には一般の人には見えないものがある。法律より大事なのは裁判所へのコネである、というものである。そして、あなたを助けることが出来るのは自分だけだと言ったりもする。 結局Kは最後どうなるかというと、どうなったかはハッキリ書かれているのだが、なぜそうなったのかがよくわからない。 ‘41年頃書かれたこの作品は、後のナチス登場に象徴される次代の精神状況を予見した作品と言われている。そう言われれば確かにそうであるのだが、この作品の多くを占める、Kにアドバイスを述べる人物達の話を読んでいると、本当にそれだけか?と思ってしまうのである。しかし、それが何であるのかは難しすぎて何度読んでもよく解らない。 そして、何とかしようと努力はするものの裁判のあり方自体に疑問を持たないKもただの被害者ではなく、権力には従順な庶民の愚かな姿の象徴なのかなとも思ったりするのだが、これもよく解らない。 とはいえ、私は何故か読むのに骨の折れるこの作品が面白くて何度も読んでしまう。不思議である。人に何かを考えさせる小説とはこういうものなのかもしれない。 | ||||
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近畿大学国際人文科学研究所サブテキスト<必読書150>で必読書と して掲げられていたので改めて読んでみました。論理的にストーリーを 追求しようとすると、肝心な説明が欠落していたり、それを主人公が明 らかにしようとしないことにいらだちますが、まあこういう小説もある かな、と思えばそれなりに楽しめます。ノンフィクションやハウツーも のを読み過ぎたなと思ったら、こういう小説の世界に浸ってみるのもい いと思います。 | ||||
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読むたびに凄い、と思う。登場人物の不思議な生々しさや生き生きした感じと、官僚組織的冷たさや拘束感との同居。おかしさ・滑稽さと悲哀・残酷との同居。平凡さと奇妙さとの、日常的なものと普遍的なものとの同立。あらゆる解釈を可能にしながら、しかもこの小説自体は変わらない。一体こんな小説があったものだろうか。 作品の素晴らしさは読めばわかるので、余談をいくつか。 ・しばしば世間的立場から「へなちょこ」扱いされることもあるカフカだが、仕事場ではかなり有能だった(もっとも、本人はうんざりしていたようだが)。また彼は保険協会の年次報告に毎年のように寄稿し、機械の安全な扱い方について説明するなど、労働現場の環境にも目を向けていた。(ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』によれば)工事現場で使われる安全ヘルメットを発明したのもカフカであるという。保険金の査定や労働現場の査察を行うなかで考え出したのだろう。 ・『審判』執筆に挫折しかけていた際、絶望のためか自暴自棄か何か理由はわからないが、カフカは徴兵検査を受けたという(当時は第一次大戦中だった)。合格したが、動員はされなかった。 ・書いたものを出版しようとしなかったカフカだが、『火夫』などについては自分で出版のための努力をした(友人の書いたものを出版しようとするほうがずっと多かったが)。だがほとんどの作品は出すことなく、ひたすら書き続けていた。なぜ出そうとしなかったのかは未だに謎である。 | ||||
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突然役人に捕まって、裁判にかけられてしまうお話。カフカの作品は「不条理小説」というジャンル分けがされることがありますが、何か得体の知れない力による、という点は共通しています。『バトルロワイヤル』などの場合は法律が制定された、とかなんとか変な理屈をこねてしまっていますが、カフカの場合は「この世界の現実はこうだ!」と無理やり小説の世界に引きずり込んでしまいます。結果として読者は小説の世界に入り込んでしまう。なぜ、どうしてという疑問を持たせない物語の展開はすごいと思います。 | ||||
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なぜか「変身」の方が有名なカフカですが、「審判」はザムザが虫になってしまうといった明らかに夢のような設定はなく、あくまで生活においてのリアリズムに則った作品になっています。(といっても、明らかに現実にはなりそうもありませんが、ナチスの台頭前夜の社会情勢ということを考慮すれば実にありそうなことだと思われます。) 本書と「アメリカ」「城」の三作を含めて孤独三部作ということになっています。本書以外は未完ですので、そういった意味でもまず読んだほうがいいと思います。「アメリカ」「城」のどちらともが、未完に終わった、というより、終わるはずがない小説だった、という印象を自分は持っています。 | ||||
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比較的読みやすい訳文で、内容自体も非常に深く、それ故に興味深いのだが、版元との関係で章立てが当時の執筆時のものとは違っており、「あとがき」の、pp.370~371に書いてある順番で読んだ方が話の流れ上、良いようだ。先に言ってほしかった・・・。 | ||||
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池内紀さんの訳は現代的で、かなり読みやすく内容が頭に入りやすかったために選びました。 意訳も多いだろうから、これまでのものと比べて読むのがいいかとは思います。 カフカの作品は主人公が、とんでもないことに巻き込まれながら、なぜかそれに対してあまり驚かず受け入れようとするところがあると思います。 「変身」では虫になりながら、特に感想もなくすぐ仕事と家族のことを考え、「失踪者」では理不尽にアテもなく追放されながら嘆くこともありません。 「審判」では主人公のヨーゼフ.Kは理由もなく逮捕されます。しかし誰に相談するでもなく、内心の動揺を隠し「こんなこと何でもない、すぐに解決する」と鷹揚に構えています。徐々に焦り、みるからに落ち着きを失いますが、最初は深刻にとらえようとしません。 それが、主人公のおかれた状況以上に、奇妙に感じられます。 作者がわざと「間違った状況にあるのに、抵抗しようとしない人」として書いたのか、そういう訳ではないのか、分かりませんが。 役人や弁護士に対する描写がやけに詳しく、現実的な話でもないのに、リアルに感じられ、揶揄しているように感じられます。 本当にあれば深刻であり怖い話のはずが、思わず笑ってしまうところもありました。 | ||||
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カフカの最高傑作。読めば読むほどその面白さとカフカの類希なる人間と人間社会への洞察力を感じ取ることができる。分量こそ少ないが、プルーストの「失われたときを求めて」とジョイスの「ユリシーズ」と並ぶ20世紀文学の金字塔。しかも、他の2書より遥かに読みやすい。是非、一読を。 | ||||
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