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武器よさらば
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【この小説が収録されている参考書籍】
武器よさらばの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全55件 1~20 1/3ページ
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読後に感じたのは、この悲惨な話を追体験したかのような重苦しさと、自分の物語としては取り込めない、距離を置きたくなるような感覚だった。ヘミングウェイは、自分の悲惨な体験で受けたトラウマ(重傷を負った、眼前で人が死んだ、恋人に振られた)を浄化するためにこれを書いたのではないか。残酷で理不尽な場面を詳細に描きつくし、人を愛することは大切だが愚かだと伯爵に言わせ、恋人の意思で別れるのではなく神の意思により死なせることで失恋の痛手を癒そうとした、のではないか。それらを感受してしまうとこちらも苦しくなってしまう。 ヘミングウェイ自身も納得できる形の物語にできていなかった、消化しきれてなかったのではないか、この後もトラウマとして苦しんだのではないか、と思わされる。 | ||||
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いっつも酒飲んでるなあ キャサリンってちょっとアレだなあとか あの二人の軍曹を撃つ必要あった?とか 淡々と事実が書かれるのみなのでこういう即物的な感想になる まだ若いからか、人生とは!みたいなテーマも感じない 中盤までの戦争の描写は面白い、ただその後は退屈だった でも終わり方は余韻があっていい | ||||
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本も新しいし、配送も早かったので助かりました。来月に文学の科目試験に必要であり、数回読む必要に迫られていた。 内容は、筆者の経験をもとに書かれており、戦争と恋愛とが前半と後半に分かれており、結構読むだけはありました。 | ||||
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単なる恋愛小説 ここに至るまで 祝祭移動日 日はまた昇る 老人と海 武器よさらば と読み進み この順序で私の評価は下がって行った 翻訳者にもよるのだろうが 老人と海がノーベル賞? 武器よさらばの内容がつまらないと思うのは 私だけだろうか 祝祭移動日だけは何度でも再読でき素晴らしいのだが | ||||
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特にラストにかけてのあっさり加減でだいぶと批評が分かれている印象があるが、 それこそ主人公も言っていた通り1人の人間の人生なんてそんなものだと思う。 途中で主人公が自分の命令に反した同志を撃ち殺したが、きっと殺された彼にも愛する人や家族が居ただろう。 それでもあんなに呆気なく死ぬ。(なんとなく…だがあそこで主人公の罪と罰=愛する者を失うことが決定付けられた気がする) そう、動物というのはそれくらい呆気なく、今日、今死ぬものなのだ。 生まれてくるはずだった息子と、キャサリンを亡くした後、彼はどうなったのか。 やはり自暴自棄から酒浸りになって、最後は自殺するのか。 それとも新しい出会いがあるのか。 それは自分の頭で考えれば良い話だと思う。 そう思うし、おそらくヘミングウェイ自身もこれだけそれ以前の描写を事細かく書いていたのにも関わらず最後をあれだけ削り切って終わらせたということは、最終的に主人公がどのような道を辿ったかは読者へ完全に、そして意図的に委ねたはずだと思う。 大切な人を失った世界で、 君たちならどう生きるのか。と。 私はまだ老人と海と本作しか読んだことのないゴリゴリのニワカだが、きっとヘミングウェイは喪失と虚無の果てにある人間の機微を描く(考えさせる)天才だと思う。 | ||||
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私はヘミングウェイの文書の奥にある伝えたいことを全然分からなくて、ただ読んでいただけに過ぎなくて「武器よさらば」のタイトルに惚れてただけだったのでもう一度購入してしっかりとヘミングウェイのつたえたかった事を理解したいと思います。個人的に「日はまた昇る」が一番理解でき、好きです。この武器よさらばはヘミングウェイ自身がモデルだったのかと思いました。 | ||||
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★3.3/2022年19冊目/2月3冊目/『武器よさらば』(新潮文庫/新潮社)/ヘミングウェイ/P.494/1955年/629円+税 #読了 #読了2022 翻訳かつ文字ポイントも小さく読み終わるのに苦労した。全体的にリリカルな印象。第一次世界大戦のイタリア戦戦を背景に、戦場に芽生えた恋愛を描いた作品。所々、主人公が、戦争はもう終わる、と呟いていることや、最後は思わぬバッドエンドだったのは、ヘミングウェイの個人的な戦争観にも由来しているんだろう。—「ここには戦争はなかった。僕にとって戦争はもう終わっていた。けれども、本当に終わったのだという感じはしなかった。ズル休みをした少年が、学校では今頃何をやってるんだろうと考えているような気持ちだった」p340 | ||||
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女性に翻弄される兵隊さんの話し。以上。 | ||||
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とても良かったです。 | ||||
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"しかし、彼女たちを追いだし、ドアを閉めて、ライトを消しても、何の役にも立たなかった(中略)しばらくして廊下に出ると、ぼくは病院を後にし、雨の中を歩いてホテルにもどった。"1929年発刊の本書は実体験を元にシンプルな文体で描かれ、2度映画化もされたノーベル賞受賞作家の代表作。 個人的には『老人と海』『移動祝祭日』『日はまた昇る』と読み継いできて、手にとりました。 さて、そんな本書は第一次世界大戦真っ只中、オーストリア軍と戦うイタリア軍に身を投じたアメリカ人青年フレデリックが砲撃で重傷を追って病院で再会したイギリス人看護師キャサリンと次第に恋に落ち『カポレットの惨敗』などの戦況が悪化する中、軍を脱走。キャサリンと一緒に新天地スイスで幸せを掴もうとするのですが。 まず、ページこそ約500ページと割と分厚くもハードボイルド文学の原点とも言われる【独特の削ぎ落としたような簡潔文体】はやはり読みやすく、驚くほどすらすらと読み終えることができるし、また本書では一説によるとスタンダールの『パルムの僧院』−あの映画のカメラワークを先取りしたような圧巻の冒頭描写を参考にしたともいわれるカポレットの混乱極まる敗走シーンは写実的な迫力を感じたのですが。 ただ、元祖ハードボイルド。"黙っていても背中で語ってるだろ"的に余白から【書かれていない感情を読者が読み取らなくてはいけない】のかもしれませんが、どこか虚無的な発言、行動をし続ける語り手のフレデリック。そしてある種の男性からは今でも理想的かもしれないけれど、現代感覚からは古典的なヒロイン、キャサリンは【感情を寄せるには難しかった】 あと、舞台は毒ガスの登場など【何でもありの近代兵器が飛び交う悲惨な戦場】のはずなんですが。フランスやスペインで酒を飲んでは享楽的な日々を過ごす著書の他作品と同じく、本作のフレデリックも【とかくお酒を飲み続ける】わけですが。やはり同じ年にドイツ人作家レマルクが発刊した『西部戦線異常なし』の内容と比べてしまうと"ノリが軽い"というか違和感を強く感じてしまった。 ノーベル賞受賞作家の代表作の一つとして、また翻訳の勉強してる方やチャンドラーみたいなハードボイルド作が好きな方にもオススメ。 | ||||
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2007/06/10 記 第一次大戦下、アメリカ人フレドリックはイタリア軍で傷病兵搬送任務にあたっていた。彼は戦地で出会ったイギリス人看護師キャサリンと恋に落ちる。凄惨な戦争のもとでも彼女との日々に癒されるフレドリック。しかし戦況は厳しく、ドイツ軍の大攻勢のためイタリア軍は敗走をよぎなくされる。そのさなか、フレドリックは戦線を離脱してキャサリンのもとへ帰ることを決意し…。 今から四半世紀も前の高校時代、大久保康雄の翻訳で「武器よさらば」を読んだことがあります。若い二人が理不尽な戦争によって翻弄されていく悲しい物語に心揺さぶれたことをよく憶えています。 私が好きな高見浩の手でこの物語が新たに訳し直されたと知り、もう一度二人の運命と伴走してみることにしました。 死と隣り合わせの日々に熱を帯びる若い男女が、高校生であった私の目には憧憬の対象として映ったものです。故郷である地方都市以外で暮らした経験のない私が、自分の人生ではなくこうした小説の中にしかまだ見出すことのできない、波乱に満ちた物語に憧れを持つのは無理からぬことでした。 あれから幾星霜。人生を歩んできた末に今回再読して印象に残ったのは、少し別の側面でした。 本書124頁で、フレドリックは会話をかわした従軍神父がいつの日か故郷のアブルッツィに帰ることを静かに祈ります。町はずれを流れる小川。そこに棲む鱒。涼しい夏の宵。栗林を縫って行なわれる秋の狩り。一緒に昼食をとる地元の農夫たち…。彼はそんな様子を思い描きながら眠りにつきます。 そう、なんてことはない、波乱とは縁遠い村の日々には、戦争のない幸せがある。しかし変哲のない生活にありがたみを感じることのできる平和が今は遠のいてしまっている。そのことを描く、とても美しいこの場面を私は幾度も読み返しました。 この場面に胸打たれる私が25年後の今ここにいる。そのことを感慨深く思った読書です。 . | ||||
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50代の読書好きです。 題名は知っていたが、事前情報なく初めて読んだ。ヘミングウェイも初めて。 巻末年譜で見ると、作者30歳位の作品のようだが、天賦の才能を感じる。 戦時と 人間模様を絡めるストーリーはトルストイの『戦争と平和』を想起した。 主人公の恋人、妻のキャサリンの人柄は抜群に素晴らしい。 「とっても素敵な暮らしをしているわ。でも、こんなに大きなおなかを抱えているから、 あなたが退屈しちゃうんじゃないかって、それが心配。」P487 「わたしね、二人が完全に溶け合ってしまえばいいな、って思うの。」p490 スイスでの2人だけの生活に、大きな幸せを感じていたキャサリン。非常に愛らしい。 決して信仰心の強くない主人公は願う。 「どうか神様、彼女を死なせないでください。お願いです。お願いですから、 どうか死なせないでください。神様、どうか彼女を生かしてください。」 結局キャサリンは死産の上に、本人も死んでしまうのだが、 キャサリン本人は、それをなんとなく感じていたから生の喜びを満喫し、 短い生活に無常の幸せを感じていたのだろう。 死があるゆえに、生が輝く。 同時に、戦時を体験、脱出した主人公も、2人の生活を愛しんでいた。 戦争があるゆえに平和が輝く。 自分は読後に、作者のメッセージを汲み取ろうとするが、ドストエフスキー作品にあるような 強烈なものは感じなかった。 むしろ淡々とした虚無感、人生に多くを求めるな、というものを感じた。 | ||||
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タイトルからもっと反戦ものなのかと思っていたが、戦争の描写は少なめ。ただし、反戦というメッセージはそれなりに伝わってくる。 上下巻だが下巻のほうが面白いので、上巻は頑張って読んでほしい。 | ||||
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第一次世界大戦を舞台にした恋愛小説。 下巻は、舞台をスイスに移す。スイスに移動するシーンはそれなりにハラハラドキドキ。 その後、平和な時間が続いて終焉に向かう。 個人的には大団円で終わってくれてもと思ったが、こういう描写のほうが心に残るかもなとも思った。 | ||||
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とにかくやたらとお酒を飲む小説である。欧米人の標準なのかは知らないが至る所で酒を飲む。妊娠中の女性ですら酒を飲むのにはギョッとさせられる。酒と会話がセットになっている。酒を飲めばキャラクターがしゃべりだし内面や個性が分かってくる。戦時のストレスを表す記号なのかと思ったが戦争と無関係の人でもガブガブ飲む。戦争、戦時下が舞台なのにあまり悲壮感はなく優雅な雰囲気すら漂う。割と不名誉な戦線離脱をしても悲壮感はない。悲劇的な結末だが全体の軽さのせいかまるで失恋したかのような程度の衝撃だった。戦争小説として読むには物足りなさを感じた | ||||
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物語はイタリア北部の戦場から始まります。主人公は部下を何人か失ったけれどイタリア軍は勝ちます。ところが、下級イタリア兵が反乱して、上官を捕まえて殺して行きます。味方なのに何故?と思うけど、結局カネかと思いました。(このへんまでは上巻) 主人公は逃げのびて、戦闘で負傷した時に病院で知り合った看護師のキャサリンとスイスへ行きます。ふたりがスイスにたどり着いた時、どこからか猫が出てきてすり寄ってくるのでなでたりしています。この場面は幸せの予感のようで、ふたりはしばらくは蜜月の時を過ごします。やがてキャサリンはお産で入院します。主人公がひとりで歩いてると、道端で野良犬がゴミ箱あさりをしています。何か食べ物を探してあげようとしたけどあいにくと何もありません。この場面は暗い予感らしく、死産で赤ちゃんもキャサリンも死んでしまいます。キャサリンの辞世の句「あたしを忘れないでね」「けど、はやく元気を出して新しい恋人をつくってね」はとても良いと思いました。 | ||||
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ヘミングウェイがイタリアに渡り、傷病兵搬送車要員として前線に配置されたのは、1918年6月だった。そして10年後の1928年、本書『武器よさらば』の執筆にとりかかった。ヘミングウェイは事実を報ずるジャーナリストでもあった。にも関わらず史実と乖離した記述をなぜしたのだろうか。自らの戦争体験を表現するには、カポレットの敗走こその主題に相応しいと考えたに違いない。つまりフィクションが、物事の真実を顕在化させる、と解釈すべきだろう。彼が描きかったのは、自分の体験ではなく、戦争の悲惨だったからに違いないからだ。 | ||||
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NHKのBSで、著者の実蔵に迫る番組があった。アフリカで、ライオン狩りをするなど、肉体派を演じていたが、本書の舞台となった第一次世界大戦の頃は、「死の恐怖」に襲われていた、とのことである。小説は、当然のことながら、読者への受けを狙い脚色されていることは、知ってはいるものの、虚実の隔たりをあらためて思い知らされた。。 | ||||
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そもそも私は森山直太朗の「アンジョリーナ」という曲を入り口として本書を手に取ったのだが。それはともかく。 燃える丸太に群がる蟻に「世界の終末」を見る件が印象的だったが。それもともかく。 訳者による「解説」に、次のような文章がある。 英語の“Arms”には、もちろん“腕”という意味もあるから(中略)愛する人のたおやかな腕に別れを告げる意も仄かに伝わってくる。そのことも、ヘミングウェイは意識していたにちがいない。 これ以上、私に何が書けるのか? 何も書けやしない。蛇足として書けば、こうなるだろうか? もう「皮肉」としか言いようがない。 かつて戦争で愛する男を失った女。 男は彼女を愛したが、その彼は彼女ばかりか生きて産まれて来るはずだった「チビ」をも戦争で失った(と考えられる)。 戦争は容赦なく「希望」を奪っていった。 森山直太朗「アンジョリーナ」の歌詞の一節に、 追えば追うほど とあるが、私の空耳かそれは「forever hold on」と聴こえる。 追えば追うほど 逃げていく 愛する人を、いつまでも自分の腕で抱きしめていたい(forever hold on)。もう二度と自分の腕には戻って来ないから。 「アンジョリーナ」では ヘミングウェイに頓挫して いるはずだが、森山直太朗「アンジョリーナ」とヘミングウェイ「武器よさらば」は、私の中では「仄かに」共鳴したのである。 | ||||
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『武器よさらば』は、第一次世界大戦中の北イタリアを主な舞台とし、青年将校と看護師の女性の恋愛と、戦場でのサバイバルを描いた物語だ。ヘミングウェイのペンは、優れたドキュメンタリー映画のカメラのように落ち着き払って、死と隣り合わせの苛烈な運命を見事に物語っていく。その文体は、二十代の若書きとは信じがたい明晰さを示しているが、明晰だというわりに、彼の思想を読み解くことは難しい。物語の表層では、現実がそうだったかのように、それぞれのシーンが精密かつ自然に描かれており、まったく非の打ち所がない。欧米文学の根幹をなすキリスト教に対しては、一定の距離を置いた礼節さが保持されている。ドストエフスキーのような、非凡人や魂の救済といった深遠なテーマも、神は存在するかといった哲学的側面も考慮されないし、独創的な性格が主人公たちに付与されることもない。そういう意味では、ごく常識的な小説の体裁を採っている。しかし、ヘミングウェイの文体は、軍の規律や社会のルールを事務的に遵守し、ときに違反しながらも、“自分の意思で行動すること”を存分に楽しむ、それが私の流儀だと静かに示唆している。戦争悪は、国家権力がもたらすものだが、最終的な救済は自助努力によるしかない、それが戦場での常識なのだ、と主人公は確信犯的に考えている。彼は、いつも穏やかな物腰を忘れない好青年だが、敗走する軍隊の大混乱を自力で乗り切るタフさを持ち合わせており、ふとしたトラブルから兵士を撃ち殺すことにも躊躇しない(なんなら、その行動様式にはフィリップ・マーロウのプロトタイプが認められるといってもいい)。だが、そうやってうまく立ち回ったものの、物語の結末では思いがけない苦い運命が待ち構えていたのだった。ヘミングウェイは、一貫して、文学的な修辞や空疎な希望をきっぱりと拒絶し、しかも、ニヒリズムに陥る一歩手前で踏みとどまっている。このリアリズムの文体は、当たり前のようでいて、じつに最高にスリリングな冒険だった。それは行動のみの冒険ではなく、背後に知的な冒険が隠されているという意味では、だれもやったことがないものだったからだ。 補足を少々。高見浩氏の翻訳は、磨かれた大理石にも似た硬質で美しいヘミングウェイの文体を伝えており、また、ほかの新潮文庫版も含めて、氏の長文の解説は、惚れ込んだ者の熱気をはらんでいて好感を覚える。 | ||||
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