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風の万里 黎明の空 十二国記
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【この小説が収録されている参考書籍】
風の万里 黎明の空 十二国記の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.70pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全105件 1~20 1/6ページ
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| 僕は十二国記はあまり好きではないのです。どちらかというとデルフィニア戦記、ロードス島シリーズ、アルスラーン戦記、イクサガミなど戦闘描写多めで手に汗握る展開が好きなんです。脳みそが退化したおっちゃんは位の高い文学要素は求めていないのです。 ただ、今回はとてもよい読書体験が出来ました。陽子を含めて三人の少女にはそれぞれ罪を背負っています。陽子は人の評価や失敗を恐れて自己選択しない罪、鈴は、自分の不幸を嘆くばかりで他人を理解しようとしない罪、祥瓊は、知る努力を怠り果たすべき責任を放棄した罪です。また陽子を除き後の二人は気位が高く、他人から施しを受ける事を当たり前だと感じている節さえあります。しかし、良い出会いが旅が少しずつ三人を変えて行きます。これからが楽しみです。 刺さった名言。 楽俊「(祥瓊に誰でも貧しい暮らしをしながら幸せを感じていることを伝えて)当たり前のことを当たり前に思えないのは不便だな。」(ホントは不憫だと馬鹿にしたかったんじゃないか。それを敢えて不便だと表現した皮肉?) | ||||
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| 民を知らない者は王ではない。陽子は国を治めるために里に出る。自身の決断が民を傷つけることになってはいけない。戦をなくすために戦う現実にもがき苦しむ。祥瓊と鈴。他者への感謝と友の死を経験し、王憎しの認識を改める。誰が黒幕なのか。人は恐れると動けなくなる。動けば不幸になるなら現状のままでいいのか。望みがあることを忘れてはいけない。緊迫する心理戦。各々の意見が飛び交い、解けそうな糸が紡がれて強固になっていく。人生に苦しみは山ほどある。喪失を乗り越えた先には何があるのか。闇の先に光があるとは限らないが、はたして。 | ||||
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| 作品自体は全体的に暗い十二国記の中で、新しい時代の幕開け的のような場面なので、比較的明るいです。私はホラーが苦手なので、小野不由美さんの他の作品はトイレにいけなくなるかもと思い、手がつけられません。しかし、これはホラー要素のない部分なので読みやすいです。 ただ、Amazonで頼むのはやめたほうが良いかもしれません。大きな紙袋でガサッと届いて帯付きでしたが、表紙カバーを含め破けていました。本体は大丈夫だったので私は久しぶりに読みたかった欲も強く、もういいやと思いましたが、全部キレイじゃないと!という方はやめたほうが良いです | ||||
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| 過去にとらわれすぎると道を失う。現実を受け入れなければ望みは絶たれる。望まぬ立場を進む者、望む立場を手放す者、他者をうらやみ続ける者、各々の苦しみは異なるが、自身の心が受け入れてくれない。生い立ちから転換することの困難さ。物事を知っているだけでは理解していないのである。見た目だけ着飾っても中身が伴わない世間知らず。そこに哀れむ慈悲はいらない。本当に自分だけ不便なのか、そこを突破しなければならない。責任を果たさずに手に入れられるものはないと気付かされたとき、心の痛みは和らぎ、最上のものをに手にするのだろう。 | ||||
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| 綺麗な品物でした。 発送も素早くて助かりました。 また利用したいと思います。 | ||||
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| 実家に全巻あり、自分用にも欲しくなったのでまとめ買いしました。 買う巻数を選んだ関係でセットではなくバラで購入したのですが、封筒型にフィルムや緩衝材もない無造作に入った状態で届きました。 概ね目立った損傷がなかったのは幸いでしたが、こちらだけカバーが浮いており、角がぐしゃっとなってしまったのが、新品購入なだけに残念です。 | ||||
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| 全巻大人買いしてイッキ読みしました。 | ||||
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| 全巻大人買いしてイッキ読みしました。 | ||||
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| んんー、なるほど!! いや、面白かった! エンディングもよかった! 各キャラクター(少女たち)も、 まんまな展開だけど、 でも完全納得。すごくよかった。 決戦前夜といくさの後の、 あの浮かれた感じも、 漫画っぽい (子供向けアニメっぽい) 会話だったけどまあ、 ぜんぜん許容範囲で。 総じて素晴らしい作品でした。 やはり十二国記は名作ですね。 なのですが、では、 なぜ★をひとつ削ったのか? そこには、ぼくの思う、 著者の弱点が関係しています。 これは映画、漫画、小説など、 表現者の全てに言えますが、 学のある作家ほど、 教科書のない行為や現象は、 答えがなく、描けない。 という弱点を抱えている確率が、 非常に高いと感じるのです。 政治、友情、人間関係、 文化文明、社会構造、 王政や礼儀作法、 軍議や軍略。そして拷問。 ディベートや人の心理、 国家の対立は当然として、 拷問や処刑などまでは、 書物で調べられます。 つまり、ここまでは、 『公的知識』なんです。 なにが言いたいのか? 戦闘が描けてない。 または急に拙いという弱点が、 本作にもあるということです。 国家的対立としての暴力。 外交や戦争としての、 数学的(巨視的)な暴力。 とはつまり、 集団や上下関係など、 理不尽で一方的な暴力。 社会構造としての暴力です。 では、戦闘とは? 戦闘とは個対個、 あるいは小規模集団同士の、 双方向的な(微視的)暴力です。 これを描ける表現者は、 実は限られています。 有名でも売れっ子でも、 天才と言われていても、 文豪と呼ばれていても、 んなもん関係ありません。 暴力の双方向的なシステム。 これは、 たぶんムリだと思ってましたが、 この時点での小野不由美さんに、 もし弱点があるとするならば、 やはりそこだったかと。 クライマックスがですね、 戦場なんですよ。 初期の対化物戦では、 なんとか誤魔化せていた攻防。 それでも今回も、 戦争という大きな現象なので、 誤魔化せてなくはないです。 が、やはりこれでは、 筋をなぞっているだけに見える。 戦いました死にました。 加減しました死にませんでした。 では、 アクションを舐め過ぎです。 アクションで語れる語り手は、 確実に存在します。 軽く見られがちですが、 そこには確実にセンスと、 技術や能力が存在しているのです。 アクションを描き、 それをクライマックスにする。 この展開が少し、今巻、 著者の手に余っています。 戦闘シーンが眠たい。 クライマックスなのに、 読むのに時間がかかったのが、 その証拠です。 身体は、脳味噌は、五感は、 嘘をつけない。 ぼくは十二国記、 ここまで読んで、 大好きになっていますので、 悪くは言いたくないです。 今巻もほんと素晴らしかった。 でも、このクライマックスなら、 正直に評価するなら、 ぼくの感覚では★4つです。 そのぶん嫌いになったとか、 低く見るようになったとか、 著者の能力を疑うとか、 好きという気持ちが減るとか、 そんなのは、全くありません。 次巻もこれまでと同じくらい、 ちゃんと楽しみです。 十五冊重ねてあった十二国記。 もうあと八冊、約半分です。 嬉しいやら寂しいやら。 さて、次を読みます。 | ||||
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| 文庫版で購入。 上下巻の大ボリュームなので、 視点は3つにわかれている。 王になった陽子の視点。 悪政で討たれた王の娘、 祥瓊の視点。 日本から流された海客、 鈴の視点。 少しずつ読む難度は増し、 覚える当て字も多くなる。 度々ページを戻して、 これなんて読むんだっけ? なんて探すことも。 また、今までの巻と同様、 序盤百ページちょいは、 説明の時間で我慢の時間。 3つの視点が少しずつ動き、 個性を発揮しだすと、 少しずつ面白くなってくる。 誰がどう変化し、 そして誰が生き残るのか。 現時点で善人または悪人でも、 くるりと変わる可能性はある。 どっちもワガママ娘に感じた、 祥瓊と鈴にも、 出会いや経験で、 少しずつ差が出てくる。 これがどう転ぶのか。 というのを期待しだしたところで、 下巻につづく。 う、うまい。 ちゃんとその策に、 のっけられている自分が嬉しい。 まだまだ何冊ものこってるので、 もっとのせてほしい。 ずっとのせられていたい。 あ、そうそう。 この疑問は野暮なのかな? でも書いちゃう。 王様の宮のある山は高く、 雲海の上にある。 地平線まで雲の海がつづくなら、 地上から見るとずっと曇りなのか? と思って読んでいると、 どうも空や晴天があるような。 これは、 どういう景色を想像するのが、 正解なのかしら。 たいした問題じゃないけど、 王宮が出てくるたびに思うので、 ここで吐き出してみました。 ストーリーには今のところ、 どんな風景でも影響はないので、 どうでもいいのですが。 ただこれを、 気にしておいたほうがいいのか、 気にしなくていいのかが、 初めて読むのでわからないのです。 一応、 なにかの伏線だったときのため、 疑問だけ抱えておこうかなと。 | ||||
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| 話の先が気になって、ついつい急いで読んでしまった。 一度最後まで読み通した後、途中をじっくり何度も読んで楽しんでいる。 初めて読んでよくわからなかったところが読み返す度に理解できるようになるので長く楽しめる。 手もとにおいて、また読み返したい。 | ||||
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| 陽子のその後が分かり面白かった。 | ||||
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| 読み進めるうちにどんどん引き込まれます。人間味溢れる登場人物の中にはきっとお気に入りの人が見つかると思います。 | ||||
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| 「月の影 影の海」の直後、戴冠したばかりの景国王陽子の戸惑いから始まり、元芳国公主(皇女)祥瓊や、明治時代末の日本から十二国に流れ着いた少女鈴の紆余曲折、3人を同時並行で描くことで、十二国で生きることがどういうことなのかを重層的に見せる巻となっている。 祥瓊も鈴も、それぞれ3年間や100年間で身分の激変があり、「世界」を知る契機があったのに、自らの不幸を嘆くばかりで、張清じゃないけどほとんど「ガキ」だ。そして陽子ははじめての王様の仕事で王様ブルーになって市井に隠遁するなど、「月の影 影の月」とは種類の違う暗い展開になっている。 また、「この世界」の様子もだいぶわかって来た。少なくとも千年以上は続いているこの世界が、何故に日本のように産業の発達がないのか、その秘密も少し推測できるようになった。例えば、人や馬や牛、新種の作物でさえも、それは「生命のなる木(天帝の意思?)」の気まぐれにまかされていて数が調整されているからだ。また、王朝の交代や天災によって、人口や経済は一気に後退する。経済によってモノが産まれるのではなく、意思によって産まれるのである。そんなこんなで産業の発達は著しく阻害されている。人々はそのことに何の疑問も持っていない。だって、世界はそうなっているから。だったら、完全に閉じて、百年のうちに何度も外の世界(日本や中国)から人を招き入れなかったら良いのに、などと私などは思う。そこには深遠な天帝の意思があるのか、それともないのか、他所のファンはともかく、私などはそういうことが気にかかるのではある。 しかし、泰麒や陽子が流れ着くこの時代、あまりにも王朝の交代が激しく、日本からの招来が多い。それは何故なのか?おそらくシリーズを通じて最大の謎になるだろうと思う。 祥瓊や鈴の、あまりにも自分勝手で「ガキのような」思考には辟易した。下巻では、それが反転するのかしないのか、まぁそれも読みどころだろうと思う。 明らかになった年表的事項もあるが、それは下巻で記入する。下巻を紐解くのはおそらくお正月だ。 2019年12月読了 | ||||
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| この巻は物語の王道を通って、見事に終着しました(少女たちの成長物語、ラスボスの正体)。この巻には、慶国のみならず、芳国、才国、柳国、恭国の状態まで出てきます。これまで巧国、戴国、雁国が出てきているので、これで八国の状態がわかりました。国境を越えると明らかに国力に格差があるとか、十二国で生きることが、立体的にわかってきました。 解説の金原端人が、『ナルニア物語』『指輪物語』を例示してこのシリーズの最後を示唆しています。つまり、世の名のある英雄物語は『英雄の帰還』だけでは終わらない。英雄の『死』によって終わるのです(例えばヤマトタケルは白鳥になって去っていった)。もちろん、この時点で金原も私も、最後を知らない。「物語の運命」という見方で最後を予想するのは、ファンタジーの一つの愉しみです。シリーズが折り返し地点を過ぎた今、だんだん見えてきたような気がします。 ここまでわかった年表を訂正加筆して載せます。 1467年 六太1歳応仁の乱で罹災する。 1470年 六太4歳延麒となる。 1479年 瀬戸内海賊村上氏により海辺領主小松氏滅亡 (大化元年) 雁国延王尚隆が登極 1500年(大化21年)元州の乱 斡由誅殺 X元年 泰麒 胎果として日本に流される X4年 才国采王黄姑が登極 X9年末 慶国予王が登極 X10年 泰麒 2月蓬山に戻る 戴国泰王驍宗が登極 X11年 泰麒 4月日本に戻る X 12年 芳国峯王仲韃崩御、娘の祥瓊の仙籍剥奪 X 13年 芳国の麒麟の卵果触により流される X14年 5月慶国予王崩御。 X15年(1992年?)1月?陽子日本より来たる 10月慶国景王陽子が登極 X 16年 慶国で和州の乱 鈴と祥瓊は王宮へ 陽子伏礼を廃す X17年 泰麒 9月戴国に戻る | ||||
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| 何度読んでも | ||||
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| 十二国記は大好きで何度も読んでいます。文庫本で読むのは辛い年齢になってきました。 ぜひkindleで出していただきたいと思います。 | ||||
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| 小野さんの小説は上巻は苦難の連続ですが下巻の巻き返しが圧巻です。 月の影上下、風の万里上下まで読んだら十二国記のファンになるのではないでしょうか。 | ||||
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| 12国記を読んでいて感じることは哲学のような感じを受ける。 陽子や祥瓊や鈴が人生に艱難辛苦の結果それぞれの道を探し出す。 こんなにも12国記が人気があるのはそこではないのかな、読者が登場人物に人生を重ね合わせ共感しやすい。 ファンタジーの世界なんだけども現実に生きている我々にも生きる道を教えてくれるそんな作品です。 | ||||
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| 天帝が、国の王たる人物を見極める。麒麟が天帝の意思を受け、王になる人物にそれを告げる。つまり王は麒麟なしでは王になれない。また、王が道を踏み外せば、彼を選んだ麒麟は死ぬ。麒麟が死ねば王は王として存在し得ず、国も衰亡していき、王なき国には妖魔が跋扈するようになる。この前提で無傷でいられるのは、天帝だけ。国の衰亡は、天帝に何か影響を与えるのだろうか? 自らの善き世界の崩壊は、天帝の苦痛となるのだろうか? このシリーズを読んでいて、ずっと不思議に思っていたこと。王と麒麟がお互いに縛られているのは理解した。だが、天帝は? 全く登場しないので、いまいち分からない。各国の国民は、天、麒麟、国王に、ひたすら左右され続ける。有能な人間は、官吏となって国王に仕える道があるのが救いだが、それも多くはない。国民の中から国王が選ばれるので、それはそれでいいのか? ひとつの世界を描くには、その世界の「普通」「成り立ち」を設定する必要がある。子供が、親からではなく木から生まれる国。親子の関係も、現実世界とは異なる。それによって結婚の制度も、税の取り立ても、全く違う意味を持つ。それでも共通する善と悪の感覚を描こうとするこのシリーズは、ストーリーを追うだけではなく、どうしてこういった設定なのかを考えても面白い。 | ||||
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