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喜嶋先生の静かな世界
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喜嶋先生の静かな世界の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全81件 41~60 3/5ページ
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主人公が大学生から大学教授になる過程で多大なる影響を受けた喜嶋先生との物語をつづった一冊。森博嗣本人のノンフィクション的な要素が強い本らしく、ノンフィクション好きな俺としては満足度の高い一冊だった。修士課程や博士課程の学生がどのような生活を送っているのか、また、どのような世界に生きているのかが分かる本で、少なくとも理系の大学院生は主人公と皆似たりよったりの生活を送っていると思う。特に喜嶋先生の学問に対する姿勢は個人的に感動すら覚えるもので”理想の科学者”のひとつの形だと思う。人から見ればただの奇人だが。 | ||||
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学部の1-3回生は座学中心で、4回生から実験や論文を探すなど環境がガラッと変わり、テストの点だけでは乗り超えていけないということを思いしらされた頃を思い出しました。世の中に役に立つかわからないことと研究の世界に浸かりたいジレンマを抱えている主人公の気持ちがよく書かれていて、同じ理系の人にもお勧めです。 | ||||
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これも一種の青春物語 学問という,純粋な世界,素直な世界,深淵な世界の魅力に少しでも気づいたことのある人なら,きっと気に入ると思う そして喜嶋先生という,理想の研究者,もっと言えば,理想の人間とも言えるようなモデルを,教え子である主人公の目線から語られる物語 大きな転機があるわけでもないストーリィだけれども,喜嶋先生を中心として動く世界はとても綺麗に成り立ってる きっと喜嶋先生にはもっと透明な色で世界がみえてるのだろう,と想像を巡らせながら読みました 最後の方には,研究者としてのジレンマを抱える主人公に共感して,なんとも言えない,言葉にできない切なさがわいてきました この物語を読めば,成長するにつれて子供のとき持ってたようなピュアさを失っていく,そういうような経験を重ねてしまうかもしれません | ||||
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わかるよ。苦しいけど楽しい。 最後、喜嶋先生には幸せになってほしかったんだけど、研究者は幸せになるために生きているわけじゃないんだもんね。人類の限界を押し広げる、それが使命だもんね。 | ||||
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自分で決めたしたいことをする為に生きている。 勉強したい特定の分野は何もなかったが、それでも大学に入れば 何かが見つかると考えそして見つけたのが自分の内側からだった 久々の感情を想起させるという意味で珍しい種類の青春小説 | ||||
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4章の、最後の最後の、改行ばかりの見開きページ。 そこが主人公の、研究漬けで幸せだった日々への思い。 「あの頃はわからなかったけど、幸せだったんだ」って 主人公が狂おしく懐かしむ かけがえのない貴重な日々は 私には子どもの赤ちゃん時代でした。 ラストの衝撃的な一文も 大切にしたいものが違ってきてしまったふたりの 結末だったのかな?とも思って 中年真っ只中の私は、自分に置き換えて涙してしまいました。 私自身は理系の出ではありませんが 仕事で理系の方々の論文に接しています。 ある先生のおススメで、こちらを読みました。 理系の方々がどう過ごしてこられたのか 少し知れたように思います。 文章はとても小気味よく いつまでも読んでいたくなる 幸せな時間を過ごせました。 著者の本をもっと読んでみるつもりです。 若い人にも、中年のみなさんにも おススメです。 | ||||
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僕が学生のうちにこの本を読むことができて本当に良かったと思う。 今学生として過ごすこの時間が幸福であり、貴重なのだと気付かされた。 理系の学生にぜひ読んでほしい。 | ||||
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森博嗣先生の本を多く拝読しておりますが、森作品がお好きな方には間違いなくお勧めできる作品です。 内容としましては、裏表紙に書いてある概要のとおりで、主人公の大学での経験・思考を綴る自伝的な小説です。 小説の中に登場する喜嶋先生は理想の学者で、それを体現しているかのよう。 主人公が成長するにつれて、喜嶋先生との距離が離れていってしまうのですが、その辺り独特の切なさがあります。 結末まで読み、かなしみ、切なさ、やるせなさなど、言葉では完璧に表現できない感動に包まれました。 王道の美しさと、社会で生きるということのかなしみ。この二つが主題であるように、私は感じました。 | ||||
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自伝的とはいえ、やはりフィクションとして読みたい。淡々とした筆致は時代物に通じる。 | ||||
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一気読みしたものの,読後どうにも違和感がぬぐえなかった。 大学生くらいの年代に読んでいたら喜嶋先生や,少なくとも主人公には感情移入できたのかもしれないが,中年にさしかかる自分にはとうていそれは無理である。 特に,大学教員という職すら(すみません大学の先生方)全うできず,やっと一緒になった妻を自殺させてしまうような喜嶋先生の生き方を美しいと思うことは自分にはとうていできない。 研究者としてのみ生きられるのは,ごくごくほんの一握りのとんでもない才能と運と意志のある人間だけで,その条件に合致しているように思える現在の森博嗣ほどの人物でもそれをしていないことがその証だと言ってもいいだろう。自伝的小説と銘打っているが,これが自伝的小説ならば,なぜ現在の森博嗣が研究のみの生活に入らないのかが理解できない。 また,私たちの世界は,主人公や喜嶋先生や森博嗣も日々の糧を稼いでいた大学という一見特殊に思える場所も含めて,そこまでの才能や運に恵まれていない多くの人々の日々の「労働」によって支えられているのだ。だから喜嶋先生が助手として授業や会議に出ない間,他の教員(と事務方)がその「労働」をしているし,それによって喜嶋先生や院生が研究をしている大学という場は保たれているのだ。そしてその「労働」は,「研究」と同じように貴いものでなはいだろうか。 そのような名も無き人々(といってもそれは,喜嶋先生にとってそうなだけであって,彼らもその世界では有名な教授だったりするのだが)と彼らの「労働」への敬意がこの小説にはまったく欠けている(どころか蔑視しているように少なくとも私には感じられた)ことも,私の違和感の理由だろう。 また,この小説を読んで,学生時代(大学院を含む)を懐古する気持ちも分からないではないが,それは学生時代(や助手時代)という限定された期間だからいいのであって,ごく特殊で一瞬のユートピア的なものでしかないということを理解せずに懐かしむのは,浅薄ではないだろうか。 大学教員が雑多な事務仕事をすることなど,既に院生時代から当然と見なしている比較的若い世代からすれば,主人公(やいくつかのレビュー)がなぜそこまで単純に学生時代の研究生活を理想化して見ることができるのか不思議でならない。院生時代の研究を続けるには,ほとんどの人間は大学や研究所に入るしか無く,そうすれば多くの雑務をこなさなければならないのは分かりきっていることだ。院生時代の研究がその後やってくる雑務と切っても切れない関係にあるのは,身近で大学教員を見ている院生なら(少なくとも研究者を志す院生なら)ちょっと考えれば分かることだろう。そして繰り返すが,その膨大な雑務に支えられて,大学の研究は成り立っているのだ。それが分かっていれば,学生時代の研究生活を理想化して見ることなど到底できない。 もちろん,その後の研究者生活が雑務だらけだったからこそ理想化してしまうという気持ちもあるのだろうが,過ぎ去って二度と手に入らない過去が美化されるのはよくあることで,その安直な美化や憧憬が危険もはらんでいることくらいは少なくとも認識すべきであろう。 この小説では,その危険性を喜嶋先生の奥さんのその後が象徴しているのだろう。そういう意味では,喜嶋先生と奥さんのその後の描き方は,私にとって評価できるものだった。 | ||||
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研究をしたい人の本質が描かれている。それはとても美しい。 そんな人を愛してくれる周りの人の愛情に心が温かくなり、 でも哀しみもよくわかる。 他者に干渉すれば、得られるものもある代わりに、 自分の労力や時間を差し出さなければならなくなる。 本当に大切なことに気づき 有限の時間を受け入れざるを得ないとなったら、 静かな世界へ行くことを選ぶ気持ちがわかる。 哀しく美しい物語だ。僕は好き。 | ||||
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森博嗣ファンの方なら凄く楽しめると思います。 逆に言うと、「森博嗣?だれそれ?」って方はやめておいたほうが良いです。 「全てがFになる」からどうぞ。 | ||||
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(私の好きな本です。細部が改稿されてるのかもしれないのですが、文庫化されたこともあり 単行本発売時にAmazonへ投稿したレビューもご参考までここに貼らせていただきます。 単行本レビューとのリンクがされていないのですが、他の方々のレビューも概ね高評価ですので 一度そちらをご覧になることをお勧めします) =============================================== この数年で読んだ小説の中で最高の評価を与えたい。 はるか昔の狂おしいまでの個人的な経験・記憶がそのまま小説になって現れた感じがした。 読んでいる途中でそれに気付きながら、最後まで一気に読んだ。 読むのに時間をかけていられないほどの切ない感情がどんどん胸の奥底から湧きあがって止まらなかった。 文字を追いながら表紙を伏せ、数秒深呼吸してはまた本文に戻るという作業を何十回も繰り返した。 胸の奥深くに残っていた昔の記憶が強烈にえぐられていくのがはっきりとわかった。 結論から言うと本書の結末は、やや意外な展開と余韻で終わる。 理系大学の学部・院という、社会から見れば特殊な異空間にも人生ドラマは存在する。 学内や海外の学界での評価基準は一様ではないのに、いちいち一喜一憂せざるをえない不安な道だ。 その体験を回避しつつ留学などで要領よく生きていった先輩たちへの羨望もあった。 しかしその苦しい生活自体が今思えば幸福だったし、実際に日常の小さな喜びもあった。 それでもそんな小さく複雑な時間ですら当時の自分には抱えきれていなかった。 時間が過ぎて場所も変わった今でもなお、自分はそんな迷いを続けているのかもしれない。 時代の変遷は怖い。過去に気付かなかった幸福を今の自分なら感知できたりする。 そして当時感じていた幸福が残酷な結末を招く例も、今日の自分はいくつも見聞きしてしまっていたりもする。 自分の幸福・不幸センサーが今も昔も精度が悪い事実を再確認しろと、この本は私に迫ってきた。 そんな感覚が混然一体となり、過去とは違う新鮮なほろ苦さが読後の頭に重く残った。 読了してからしばらくたった今ですら、レビューをここに書くための適切な言葉を思いつけないでいる。 私にはこれを森博嗣が書いたことが衝撃だった。 たしかに本書は作者の人生を通り過ぎた死屍累々の理系人への鎮魂歌なのかもしれない。 スプートニクの落とし子たち ←この本の著者が書いたのなら理解できたのだが。 やはり森博嗣はあの世界で生きる人たちの心のかすり傷や、そこにある闇の深さを分かっているのだ。 不十分なレビューで申し訳ないが私は数年してから再読すると決めた。 しばらくはこの本に接するのがつらすぎて、本棚の裏に隠して置いてもきっと数年は手を出せないだろう。 なお、私が一番感情移入した登場人物は主人公だった(喜嶋先生を含む周囲の人たちではない)。 私の周囲にも似た人々が多すぎたのか、場面をリアルに想像しすぎて記憶の走馬灯が脳内を止まらなくなってしまう。 小説は若い頃に読めとはよく言ったものだが、こういう意味も含まれていたのだろうか。 どうやら私はこんなに年月がたったのに、自分の学生時代を総括できていないらしい。 そんなことだけはこの本ではっきりと思い知らされた。 文学的評価はわからないが、小説が読者(私個人)に及ぼす力としては文句なしの出来だった。 ただし、理系大学を経験していない他の読者にとって、この本の評価は未知数であることも申し添えたい。 | ||||
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本を読むのが好きなのですが、普段は「はやく先が知りたい、はやく読み終えたい」という、言い過ぎかもしれないですが強迫観念の様なものに取り付かれてます。しかしこの本でを読んでいるときは、「終わらないでほしい、いつまでも続いてほしい」という不思議な感覚でした。 今までに体験したことのない読後感です。 zuccheroさんが言うように、幸せな読書時間でした。これ以上の形容は自分には無理です。笑 最高の時間をありがとうございました。 | ||||
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以下は少し内容を抜粋します。 『…つまり、理由を言葉で聞いても、結局はその意味するところは抽象化できない。抽象化できないものは、つまり理解できないものなんだ。言葉を聞いても、理解したことにはならないんだ』 『じゃあ、理解するっていうのはどういうこと?』 『…その理解によって、なにか手が打てるということだよ。…』 好奇心を社会に生かせることは幸せだと思う。信念に従って生きるには犠牲も伴うだろうけど、覚悟を決めれば得るものも計り知れない。それが研究の受ける恩恵なのかなとも思う。 問題を知る人は問題を解く鍵を持つ。 難しい論理を理解してくれる仲間が居ても居なくても、何年経っても何処に居ても、ずっと研究者であり続けることの崇高さが感慨深く、だからこそ最後の静かな孤独が余韻に残る。 | ||||
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パーフェクトであると思いつつ、 もし読んでいない人に「どういうところがオススメ?」と聞かれたら、 何と答えたらいいのか分からない、そんな作品でした。 繊細で、ピュアで、この装丁のように美しく静かな世界があり、 自分の口から説明してしまうと、 それが一気にガチャガチャしたうるさい世界になってしまいそうです。 ただ読んで、ひとりでその世界観に浸ってほしいと思う一冊です。 ラストは充足感と喪失感とが一緒にくるような、何ともいえない余韻が残ります。 リアリティのある日本の大学生活、研究生活を描いているはずなのに、 どこかほんのりファンタジィすら感じる作品。 (と思うのは、自分が有名大卒でも理系でも研究者でもないからかもしれません) 森先生の文章は、つるつるときれいで完璧なコンクリートのようで、 じんわり温かい何かがしみ込んでくるような、何とも不思議な感覚になります。 | ||||
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主人公の僕が大学に入って喜嶋先生の研究室に入り 日々研究しながら、周囲の個性的(でも逆にリアル)な人々と 交流を深めつつ自分自身の進路が決まっていく・・・ といった内容です。 研究や大学の現実がわかりやすく語られると同時に 学生の僕の青春物語でもあり、とても読みやすい小説です。 なんといったらいいのか・・・ 明るい空の下を軽い足取りで駆けて行くような素直さや 地味なのにふわっとした明るさに満ちた小説です。 主人公の僕の大学生活が身近に感じられます。 わかりにくい感想(笑)ですが とにかく読後感もとても良い小説だと思います。 私自身は大学に行ったことがなかったのですが この本を読んで体感することができました。 中学時代とかに読んでいたら、もしかしたら 自分の人生の進路が変わっていたかもしれません。 | ||||
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大学院で働く風変わりな助手と大学院生の話、といえばいいのでしょうか。 どんな話でどこが面白いという説明をするのも野暮なほど、 本当にすばらしいです。 この小説が森博嗣先生の世界をもっともよく体感できると思います。 | ||||
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主人公の生活と思考があまりにもリアル(小説内)なので、自伝なのかと感じた。この物語の主人公と、喜嶋先生が至った境地には、なかなか、多くの人は辿り着けないだろう。辿り着くには才能と努力と運が必要だ。才能だけあっても遊ばせていたら無駄だし、努力だけでは世界に通用する新たな着想なんかは得られない。運が良くても持続力がなければ意味がない。 この作品は、非常に幸福な人間が描かれている。こんなに純粋に生きている人がいるんだな、と感動する。とともに、己の不明を恥じた。私も、十数年間、同じことに打ち込んでいて、とてもこの作品の主人公の領域まで行けたわけではないが、「高く山を登ったら他の山が見えてくる」という部分は共感できた。 才能がなくても、十年間、なにかを懸命にやってみよう。そうしたら、喜嶋先生の世界に、少しは触れられるかもしれない。 素晴らしい小説でした。 | ||||
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十代の僕には影響が強すぎる。 率直な感想として、そう言える。 この作品は、森博嗣さんの研究に対する熱いモノが凄く伝わってきました。 僕も、これから大学を目指す者として、非常に大きな影響を受けました。 そして、非常に羨ましく思えました。 先生の感性や考え方が、今の僕には無い物であって、本当に羨ましく思います。 この作品が1番、森博嗣さん、そして登場人物に憧れを抱き、僕の人生の目標を創ってくれたと思います。 オーバーな表現かもしれないですが、そこまで僕は、この作品で変われた気がしたから。 変わって生きたいと思えたから。 大切な本です。 この本に出会えて光栄です。 | ||||
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