■スポンサードリンク
喜嶋先生の静かな世界
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
喜嶋先生の静かな世界の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.63pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分には合わなかった。 話の6割はただの自慢に思えた。「まいっちゃうよなぁ、学校の授業は僕が賢すぎるからアホらしくて聞いてられないし、さほど努力せずとも大学にも大学院にもよゆーで入れちゃったし、しかも知らないうちに女の子に惚れられちゃってさ、何より、あの喜嶋先生になぜか認められちゃってるんだよね、僕…」と延々聞かされた気分。作者の自伝的小説だという触れ込みだったから、なおさら自慢が鼻についた。 終盤、だいぶ自分や仕事を省みるような描写があって読み応えは出た。でも、喜嶋先生は奥さんを自殺させてるし、主人公も家庭を築いてはいるけど「あなたが好きなのは自分だけ」タイプの人に感じられて、最後まで好感は持てなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
森博嗣の小説はいくつか読んだけど,研究や研究者を美化しすぎていて気持ち悪い. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
このストーリーのどこが感動的なのか… ラストがひどい。 配偶者を自殺に追いやるような先生を美化して描く感覚が理解できませんでした。 主人公も、その配偶者を愛しているようにはみえない。 自分は特に相手を愛していないのにもかかわらず、相手が愛してくれるのを一方的に享受していることについて、この主人公はなんにも感じていない。 好意の返報性の理論がまったく通用しない相手との恋愛経験を思い出して辛くなった。 お前らそんなに世の中の雑事がわずらわしいなら出家でも失踪でもして山奥にこもって一生数式とだけ暮らしてろ。 異性や他者との触れ合いを求めるならそれ相応の心理的対価を負担する必要があるんだよ覚えとけバーカ。とおもいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一気読みしたものの,読後どうにも違和感がぬぐえなかった。 大学生くらいの年代に読んでいたら喜嶋先生や,少なくとも主人公には感情移入できたのかもしれないが,中年にさしかかる自分にはとうていそれは無理である。 特に,大学教員という職すら(すみません大学の先生方)全うできず,やっと一緒になった妻を自殺させてしまうような喜嶋先生の生き方を美しいと思うことは自分にはとうていできない。 研究者としてのみ生きられるのは,ごくごくほんの一握りのとんでもない才能と運と意志のある人間だけで,その条件に合致しているように思える現在の森博嗣ほどの人物でもそれをしていないことがその証だと言ってもいいだろう。自伝的小説と銘打っているが,これが自伝的小説ならば,なぜ現在の森博嗣が研究のみの生活に入らないのかが理解できない。 また,私たちの世界は,主人公や喜嶋先生や森博嗣も日々の糧を稼いでいた大学という一見特殊に思える場所も含めて,そこまでの才能や運に恵まれていない多くの人々の日々の「労働」によって支えられているのだ。だから喜嶋先生が助手として授業や会議に出ない間,他の教員(と事務方)がその「労働」をしているし,それによって喜嶋先生や院生が研究をしている大学という場は保たれているのだ。そしてその「労働」は,「研究」と同じように貴いものでなはいだろうか。 そのような名も無き人々(といってもそれは,喜嶋先生にとってそうなだけであって,彼らもその世界では有名な教授だったりするのだが)と彼らの「労働」への敬意がこの小説にはまったく欠けている(どころか蔑視しているように少なくとも私には感じられた)ことも,私の違和感の理由だろう。 また,この小説を読んで,学生時代(大学院を含む)を懐古する気持ちも分からないではないが,それは学生時代(や助手時代)という限定された期間だからいいのであって,ごく特殊で一瞬のユートピア的なものでしかないということを理解せずに懐かしむのは,浅薄ではないだろうか。 大学教員が雑多な事務仕事をすることなど,既に院生時代から当然と見なしている比較的若い世代からすれば,主人公(やいくつかのレビュー)がなぜそこまで単純に学生時代の研究生活を理想化して見ることができるのか不思議でならない。院生時代の研究を続けるには,ほとんどの人間は大学や研究所に入るしか無く,そうすれば多くの雑務をこなさなければならないのは分かりきっていることだ。院生時代の研究がその後やってくる雑務と切っても切れない関係にあるのは,身近で大学教員を見ている院生なら(少なくとも研究者を志す院生なら)ちょっと考えれば分かることだろう。そして繰り返すが,その膨大な雑務に支えられて,大学の研究は成り立っているのだ。それが分かっていれば,学生時代の研究生活を理想化して見ることなど到底できない。 もちろん,その後の研究者生活が雑務だらけだったからこそ理想化してしまうという気持ちもあるのだろうが,過ぎ去って二度と手に入らない過去が美化されるのはよくあることで,その安直な美化や憧憬が危険もはらんでいることくらいは少なくとも認識すべきであろう。 この小説では,その危険性を喜嶋先生の奥さんのその後が象徴しているのだろう。そういう意味では,喜嶋先生と奥さんのその後の描き方は,私にとって評価できるものだった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!