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(短編集)
その日のまえに
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その日のまえにの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全309件 61~80 4/16ページ
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その日とは自分が、あるいは自分にとって大切な人が死を迎える日。自分が迎えるその日、気がかりは自分がいなくなった後の家族のこと。大切な人が迎えるその日、それは自分がその日を迎えるより100倍も哀しく切ない。その人が自分の命のことより、残された家族の無事を思いやっているのが判るだけに切ないのだ。来る日も来る日も思い悩み、人知れず涙を流し、その涙の数だけ体が衰弱し透明になっていく。そしてその日がくる。生きたしるしは日常の中でどんどん薄れていくが、想いは残された者の心にいつまでも残る。それこそが生きた証。 | ||||
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この本を読了してから、1ヶ月ほど経ってこの本のレビューを今書いている。 じわじわ私の中でこの本が生きているのではないかと思う。 この本を読んでから、健康に気を使うようになったし、人に前よりも少し優しくできるようになった気がする。 「ようになった気がする」という所がすごい点である。 読み終わって「よーし、変わるぞ」と鼓舞した訳ではなく、「その日」を意識するようになり少しづつ自分の意識が変わった気がする。 (勿論、今までも「その日」を意識してなかった訳では決してない。) 血肉となる本は、人それぞれ違うだろうが私にとってこれは間違いなく血肉になる本であった。 「何か変わりたい」「このままで人生良いのだろうか」と自問している人には、 なかなか良いジョブになる本だと思う。 是非、読むか迷っている人は買って読んでみると良い。 珍しく、感情のまま文章を書いたので日本語がややおかしい部分あるかと思いますが、 レビューを読んでいただきありがとうございました。 | ||||
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と思って読み始めましたが、内容は、さすがでした。大人らしい配慮がありました。 重くなりすぎず、つらくなりすぎません。 誰でもいつかは病になったり老いたり死が訪れます。避けられない現実が必ず来るのです。 その日のために、今できることをきちんと精一杯したい、良き人生だったと思えるのには何をして何をしないようにすればよいのか、等々考えさせられる作品集です。難しくなりすぎず、しかし深刻な気持ちにはなります。 人との別離は避けられないものですが、別離あってこそ、人との出会いの偶然や価値を感じられ、思い出は、消えない素敵な確かなものになるのだとあらためて教えられます。 別れにより、人が生きていく意味を知り、お互いの価値を感じられるのだ、と。 不思議なもので、別離は、人生への安堵と示唆と豊かさを残すような気さえしてくるのです。 大事なお身内の方との別離を経験された方ならだれもがそう感じられることでしょう。 時間の経過や日常の風景によってどんなにつらい人も必ず救われる、ということにも読者は救われます。 タイトルで不安になったかたも、ご心配なくお読みいただける本です。 | ||||
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愛する人の死を経験することで、それまでとは少し変わる世界観を感じることができました。タイムリミットが決められた人生を生きることの恐ろしさと、どうしても死から逃れることはできない諦め、残された時間を過ごす中での優しさに涙します。 | ||||
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重松さんの小説はのめり込んで読んでしまいます。いろんな作品を読んでみたいと思います。 | ||||
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自分が 恋人が 家族が 友人が 知り合いが 死と向き合う人の心。 悲しいけれど暖かい作品でした | ||||
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あまり、感動の期待はしない方がいいと思う 自分的にハードルを上げすぎてしまった まっさらな気持ちで読んでほしい | ||||
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読みながら涙が止まりませんでした。面白いのでつい読んでしまうが電車で読むと恥ずかしい。 | ||||
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中高年の男女が最高に泣ける小説として話題になったのが昨年秋。すぐに買ったのですが、今まで怖くて読めなかった。で、読後。これは確かに傑作です、掛け値なしの。 本作は7つの短編から成る大人の小説集なのですが、3作目の「潮騒」あたりからもういけません。しかも読んでいたのは電車の中。突然ウルウル来たのですが、何とかその話だけは泪を流さずに読み終えました。 しかし、5作目の表題作「その日のまえに」はもう言葉にならない。ただただ涙です。子供を持つ中高年男女は、この話、特にたまらないでしょう。私は単に泣くだけでなく、嗚咽すら漏らしました、恥ずかしながら。 6作目の「その日で、私の顔はさらに悲惨に。もうひたすら滂沱の涙。嗚咽の嵐。耐え切れず、途中で已む無く本を閉じました。翌日、意を決して再び読み始め、最後まで一気に読み終えました。はーぁ。いい本だった。ただその一言。 | ||||
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黒澤明監督の「生きる」という映画をご存じですか? 事なかれ主義、毎日平々凡々と過ごす役場の課長「勘治」が主人公。やる気なく、仕事が回ってくれば他の課に押し付け、ひたすら判を押し続ける毎日。そんな勘治が、ある日癌に冒されます。 何をしても気が晴れないが、若い事務員の溌剌とした姿を見て目覚めます。心機一転、市民のために一心不乱に仕事に取り組み最期を迎えます。葬儀の席、彼の姿を見た職員たちは、一様に明日から仕事に必死に取り組む決意をしますが‥‥。 明けて翌日のシーンになると、皆、昨日の決意は何処へやら、またまた平々凡々の毎日の中に埋没していくのです。 人は「死」を意識して初めて、「生きる」とはどういうことなのかを必死に模索するのでしょうが、それは元気な人にはわからない。人生はマラソンの様なものだから、ずっとトップスピードで走り続けることはできません。 ◇ 「その日のまえに」の「その日」とは死を迎える日という意味です。 全7編は、「ひこうき雲」、「朝日のあたる家」、「潮騒」、「ヒア・カムズ・ザ・サン」、「その日のまえに」、「その日」、「その日のあとで」です。題名からわかりますが、最後の3編は一つのストーリーのつながりです。 一編をは自身の死ですが、他は全て死を迎える人を外からの視点で見つめます。子どもの頃のクラスメイトの死、夫の死、母の死、妻の死。 重松清さん得意の淡々と平易な言葉で「死」というものを見つめ描き出していく筆致は見事というほかありません。 「頭からシャワーを浴びて、手探りでリンスのボトルを取ったとき、なにか、はるか彼方にいる大きなものに叱られているような気がした。おまえは妻が死ぬ日にも髪を洗い、リンスまでする男なのか-叱られたかったのかもしれない。」 ◇ マラソンダッシュの出来ない我が身は、せいぜいこの様な本を定期的に読んで、少しは「生きる」ことの意味を考えなくては‥‥。 と言いながら、明日からまた怠惰な時間を過ごすのだろうなあ。「生きる」という映画の、勘治の周囲の人々の様に‥‥。 | ||||
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重松さんのをいろいろ探してレビューを見て購入しました。切ないけど、初めから最後まで感動しながら読みました。読んで良かったです! | ||||
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普段全く考えないテーマ(意識の外に追いやっているテーマ)に、ほんの少しだけ向き合うことが出来た。 そんな自分にとって、考え続けることという言葉が印象的だった。 「考えることが答えなんだと、わたしは思ってます。死んでいくひとにとっても、あとにのこされるひとにとっても」 | ||||
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生きること、死ぬることについて考えさせられました。元気出せ!一生懸命生きて頑張ろう!と思わせます。 | ||||
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ヒアカムズザサンを出先で読んでいて、柄にもなく涙が堪えられなくなりそうで本を閉じました。ドングリみたいな体型の母親が、自分の癌を息子に話せずに普通に振る舞おうとするが、息子に悟られてしまう。母親と息子ともに根の純真さが、裏腹な言動の端に滲み出て辛い。こんな親子は、予定外に死に別れさせてはいけない。家に帰ってから続きを読んでいて号泣しました(笑) | ||||
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お風呂につかりながら読もうと中古で購入。自分だったら、旦那だったら、と想像するたびに 目を真っ赤にしてお風呂から上がっていました。 着替えの時間でしばし余韻に浸り、リビングでひっくり返ってテレビを見ている家族の姿を見て 「今日も元気だった」と1日が終わる。幸せな自分に今は気がつかないまま。 | ||||
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この本は、人前で読んではいけません。電車とかカフェとか、人目があるところで読んだら大変。 私は子供たちの前ですら読まなかったです。 人の死に関する話なんて、別に今更目新しいテーマでもないし、これまでたくさん読んできました。でも、こんなに涙が溢れて止まらなかった作品は初めてでした。 直接人が死ぬ話ばかりでなく、癌で余命を宣告されたり、検査で癌が見つかって、というまだなくなる手前で終わる話もあるのですが、これほどまでに大事な人がいる日常の大切さを思い起こさせてくれた作品は他になかったと思います。 身近な人が亡くなったら悲しいに決まってる。それでも残された人は生きていかないといけない。人の死は、同時に自分のこれからの人生とも向き合っていかないといけない問題なんだなと改めて思いました。 私だったらどうするだろう。 夫が余命を3ヶ月といわれたら。逆に、自分が余命3ヶ月といわれたら。 どうやって生きていくだろうか。 死という問題を前にすると、本当に毎日の瑣末な出来事などとるに足らないことなんだなと。あしたのことは誰にもわからないと言いますが、私はそれを本当の意味でわかっていなかった。 自分だけは別、こういう話は人ごと、どこか違う世界の話だと心の底では思っているんだということに気がつきました。 そういう意味で、命の大切さとか、平凡な毎日が続くことのありがたさとか、そういったことをちゃんと噛み締めていなかったんじゃないかと思ったんです。 夫や子供が元気でいること。喧嘩もするし、不満もあるけど、そういう相手がいるありきたりな毎日のありがたさ。それを噛みしめる1冊になりました。 | ||||
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すべていい話だったけど、特にヒア・カムズ・ザ・サンは凄く感情移入して後半から一気に涙が出ました。 親をもっと大事にしないといけないと気づかせてくれた作品でした。 | ||||
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本当は長い長い前ふりを書こうと思っていた。例によって、本の内容とは直接関係ないことで、私の経験のことを書こうと思っていた。 けれども、書こうとして書けなくなった。覚えていないということではない。もう2年半前になるけど、はっきりとあのときの会話や気持や風景は覚えていて、決して忘れない10分間ほどの時間だった。きっちり書けば軽く制限の文字を越える。書くことで、この本の本質も伝えることが出来るかもしれないし、私にも防備録になるし、父親が生きていた証にもなるかもしれない‥‥‥。父から病気のことを教えてもらったときのことである。 でも書けなくなった。不遜だと思った。馬鹿なことを考えていたと後悔した。 よってこの本のこの一節を書き写して、この本の紹介としたい。この本は、ガンで死んでいく人々のことを扱った連作短編集である。 精密検査の結果が出るまでの一週間で、最悪の事態の想像は、塗り絵を仕上げるようにあらかた済ませていた。毎晩、会社帰りに一人でカラオケボックスに入った。マイクがハウリングを起こすほどの大声で叫び、ソファーのクッションを壁に何度もぶつけ、タンバリンで頭をめちゃくちゃに叩いた。運命としか名づけられないものにありったけの罵詈雑言を浴びせたあと、子供のように泣きじゃくった夜もある。自ら望んだ告知も断ろうかと携帯電話を何度も開いたが、そのたびに、妻に重荷を背負わせるのはずるいだろうと思いなおした。自分が死んでしまうことよりも、父親を喪ってしまう子供たちの悲しみのほうが胸に迫る。子供たちの寝顔を見た後はトイレに入って涙ぐみ、朝になって「おはよう」の挨拶を交わしたあとは洗面所で顔を洗いながら、やはり涙ぐんだ。 そんな一週間を過ごしたせいか、実際に告知を受けてみると、自分でも驚くほど感情は平坦だった。冷静に事態を理解して受け止めているというより、感情のどこに爪立てればいいのかわからない。「胸にぽっかりと穴が開く」と言うのは、ただ言葉だけのものではないのだと初めて知った。 例えば、「潮騒」の主人公の男はこのように反応した。ひとりひとりに不幸は違う色でやってくる。小説だからこそ書けることがある。重松清以上に私にそのことが表現できるはずもない。不遜だったというのはそのことだ。 「電車のかなでは決して読んではいけない小説」と言うことで、テレビで紹介されたらしい。その通りだと思う。それに付け足していう。イオンショッピングセンターのフードコーナーのような人前では決して読んではいけない本である。 2008年10月読了 | ||||
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ひこうき雲、潮騒、ヒア・カムズ・ザ・サンが好きでした。子供達のしぐさや心情の描写に涙しました。1話ずつ完結しており、最後のはなしでそれぞれの話が交錯していくのも良かった。出てくる病気が癌で亡くなる話ばかりなのでそこにひっかかってしまう方もいらっしゃると思うのですが、あとがきに書かれているようにご自身の体験からおそらく別れや後悔に焦点をあてたかったのかなと考えながら読了後に振り返りました。本のタイトルにもなっている「その日のまえに」ですが、その夫婦がちょっと悲劇のヒロイン・ヒーローぽく自分に酔っている感じがあり個人的に抵抗がありました。子供達の様子はとても愛おしくて涙しました。死生観の違い、価値観の違いと言ってしまえばそこまでですが。食後の箸に口付けるのはひいてしまいました。いくら思い出があるからって、見ず知らずの人のポストに手紙など入れては迷惑。そして「神様は意地悪だ」というようなセリフが出てきますが、40代でどうにもならない理不尽さに神様を持ち出すというのはあまりに幼くて少し冷めました…人に平等に与えられているものは1日が24時間だということくらいでしょうから。 私は自分が死んだり大切な人を亡くしたら、全て消えてなくなってしまうと思っていました。届くDMを喜ぶ大輔君を見ていて、確かにそこに存在していた事を噛み締めたっていいんだと思えました。 | ||||
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一文一文がとても重い。こんなに重いものなのかと思う。 たった数文字に胸が詰まって、涙で文字が見えなくなる。 大切な人の道が区切られたと知らされた瞬間から、見えるものが、感じることが、気づくことが、散りばめられている。 「その日」を突きつけられた、残していくものと残していかれるものの思いが、散りばめられている。 味わったことがある人間にしかわからないありとあらゆる気づきが綴られている。 どれほどの別れを経験したら、こんなすごい本が書けるのか。 一見ごく当たり前の、なんの変哲のない文章がある。 たくさんある。でもそれは前後の文章によってひどい悲しみの具現だと気づく。 計算されているのか、いないのか、どうでもいいと思わせるほど痛い。 これは、本当に大切な人を亡くしたことのない人にはわからない領域だと思う。 『あと何日かすれば「ただいま」を言わずに我が家に帰ってくる』 これがどういうことか、本当にどういうことか、その日を知らないものにはただの言葉なんだ。 類稀なる名作だと断言する。 だが失ったことのない人にとっては、ただのちょっとさみしい本なんだろう。 いつかわかる時が来るまで、大切にとっておくといいと、と、そう思う。 こんなに泣かされる本に初めて会った。 | ||||
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