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HHhH (プラハ、1942年)
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HHhH (プラハ、1942年)の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全52件 41~52 3/3ページ
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若書きだからこそ成功する小説がある。 『HHhH』は歴史小説を書く作家の物語だ。作家の物語のなかに、暗殺者であるガブツィクとクビシュの物語、標的であるハイドリヒの物語が交錯し、やがて1942年5月27日の”運命の日”へと物語は収斂してゆく。あたかもポストモダン小説のような道具立てであるが、にもかかわらず、『HHhH』は若書きゆえの青臭い勢いを失っていない。いやむしろ、恥ずかしげもなくき出しにしている。 ディテールにこだわりぬくために、史料を執拗に追い求める主人公の作家。なぜそこまでディテールにこだわるかといえば、それは究極的には「自分がガブツィクとクビシュの物語のその場に居合わせたい」という夢を追い求めているからだ。歴史上の英雄譚の一部になりたいという、作家の叶わぬ夢は、代わりに、異常な緊迫感をもってハイドリヒ暗殺事件(”エンスラポイド作戦”)の顛末を伝える。歴史小説であるがゆえに粗筋を変えることはできないという、著者の悶えは、やがて、ガブツィクとクビシュの無念の思いにシンクロしてゆく。 しかしこのノリって、日本の幕末英雄譚とか、そういう日本人好みの物語とそっくりじゃないか! というわけで、400頁弱を苦も無く読ませる勢いのある物語。 | ||||
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私は大学生であり、日ごろからナチ関連の書物は、自身の研究に直結するため、集めている。この本もナチといったら誰もが想像するヒトラーに関してではなく、彼を支持し、同じようにユダヤ人を憎んだハイドリヒを中心として書かれている。なかなか面白い本である。 しかし、わつぃは読み進めていくうちに、あることに気が付いた。それはこの本が話を進めていくと同時に、または話の合間に筆者の感想、調査などといったようなものが入っており、読みにくいという点である。本編の話と筆者の話のどちらかなのかが、読んでいてたまに分からなくなることがしばしばあった。私が単に読解力が足らないとか、そういう理由ではないと思う。他のレビューを書いている方にも、同じようなことを述べている方がいたし、実際、私の友人でこの本を読んだ人は、「なんか読みにくいな」と言っていた。 これから購入しようとする人は、若干読みにくいということを考慮して購入した方が良い。ただ、内容はつまらないものではないので、安心してほしい。 | ||||
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最近「ローマ人の物語」という本を読んでいる。 この本と比べれば、小説というよりは歴史である。だが、面白さという点ではどこか共通する部分がある気がする。 歴史を一つのドラマとして描きつつ、事実に忠実であろうとするところが似ているのかもしれない。 資料が少ないとか、小説(フィクション)だから瑣末なことはいいんだよとか、そんな細かいことを気にしていたらエンターテイメント性が崩れるよとか、僕らは普通に思いがちではある。 だが、実は逆なのかもしれない。 瑣末なことに全勢力を傾け、歴史に忠実であろうとすることは、決して面白さに反しないのではないだろうか。 歴史とは本来人間の想像以上の出来事である。それを見ることはどんなことよりも面白いはずである(と僕は確信している)。 ただそれが出来ないのは、それを描くためには膨大な事実を知る必要があるし、細部までそれを把握しなければならないという人間業ではない技量がいるからに他ならないのではないか。 この本は、それをやってのけた数少ない小説の一つであると、僕は思う。 だから、面白い。 | ||||
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不勉強でこの事件を余り詳しく知りませんでしたが。 書評でも褒めていましたが少々疑問。 | ||||
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本書を読み始めたら、とにかく緊張感にあふれた展開が続き、息もつかせない。一気呵成に読み上げて今もってその余韻に浸っている。 話の中心はドイツに併合されたチェコのプラハで1942年に起きたハイドリヒ総督暗殺事件。小説的にいえば主人公は親衛隊を通じてナチスの出世階段を駆けあがり“金髪の野獣”といわれたラインハルト・ハイドリヒと、ロンドンの亡命政府からその暗殺の指示を受け、パラシュートで祖国に舞い戻ったチェコスロバキアの若者2名、ガブチークとクビシュとなる。 まるでエンターテインメントとしてのアクション小説/映画のような設定だとみえるかもしれない。しかし著者の好奇心・熱意は興味ある題材を面白く描くというレベルでとどまってはいない。膨大な関連文献・資料を収集し・読み込み、関連現場に何度も足を運び、徹底的な事実究明を試みている。 その結果として、本書は“歴史小説”ということになっているようだが、ナチスの勃興、ハイドリヒの立身出世とその冷徹・冷酷な行動、当時の国際情勢、後に祖国の英雄となった2名の若者の足取り、彼らを支えたレジスタンスの人達の有様から、暗殺のシーンにいたるまで正確な事実の積み重ねとなっている。 一方本書の特徴として、小説にもかかわらず、本書を著述する過程での著者の“生の声・悩み”が頻繁に出てくるのだが、不思議と違和感がない。 結局ノンフィクションと言っても、創作・想像がまったく入らない形での文章化は難しいということなのだろうし、小説と言っても、興味ある真実・事実追求を極めれば一個の作品となりうるということなのだろう。 いずれにしても著者の筆力は目を見張るものがあり、とくに暗殺のシーンから、若者2名の結末に至るまで、まるで自分が現場にいて目の当たりにしているような、あるいは若者2名の鼓動を自ら感じるような錯覚に陥った。そしてナチスドイツがやったことの由々しさにあらためて心を暗くし、プラハのどことなく陰りがある街並みに想いをはせた。 | ||||
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レビューを読み、帯を読み、間違いないだろうと思って購入した。 ところが、どうしても没頭できない。 非難を承知で正直にいえば、題材的にはよいと思うが、同時進行する作者の心情などがとても邪魔で気が散って感情移入ができない。この手法がそもそも私とあっていなかったのだと言ってしまえば終りなのだが。 まるっきり直訳みたいな文章もうっとうしく訳者自体でもっと面白い本になったのではないかと思ってしまった。それに、括弧で括られた部分にはうんざりだった。場面転換も気が利いているとは思えない。むしろ、正攻法できちんとドキュメンタリー的に描いてくれた方がと思うことがしばしばあった。 たぶん、私の程度が低いということなのだろう。 でも、ふとやたらに哲学的な不条理劇を延々見せられた時のことを思い出した。 とても高尚なことはわかるが、楽しんでいるとは思えない観客のほうが多かった…。 残念だった。 | ||||
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迷いながら書く。いま突き進んでいる方向は果たしてあっているのか、 そもそも進もうとしている道そのものに意味はあるのか。 何かを書くことを仕事にしている人なら、心当たりがあるかもしれない。 生みの苦しみ。ましてやその題材がナチス・ドイツのひとりである、 ハイドリヒという実在の人物のことであるならば,もしかすると余計に。 作者のローラン・ビネ(と思われる人物)の、 この本を仕上げる作業という時間軸と、 ナチス・ドイツのなかでも「金髪の野獣」と恐れられた ラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画という時間軸。 現在と過去とが同時進行のように進んで行くこの小説は、 今までもこういった形式で書かれたものがあるとはいえ、 作者による取捨選択の過程、取捨選択してもなお残る歴史という事実、 真実が読み進む眼前に迫ってくる具合が非常にスリリングで、 まったくあきることなくページを繰ることができた。 そして最後、数ページに渡る、 罪なく亡くなっていかざるをえなかった ナチス・ドイツによる多くの犠牲者の列挙が、胸を突いた | ||||
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第二次世界大戦(日本史的にいえば『大東亜戦争または太平洋戦争』)中、枢軸国が犯した数々の戦争犯罪については、知られない部分が多い。戦争の悲惨さが次第に風化されていく今、悲惨な事実を免罪することなく語り継がなければならないと、この偶然手にした文学書が改めて小生に認識させてくれた。敗戦時、サハリン(旧名樺太)から日本国民が避難する際、コルサコフ港(大泊港)から出航した三船が留萌・増毛の沖で攻撃された。その中で多くの級友を失った体験を小生は持つ。ドイツでは現在もナチスの戦争犯罪を風化させることなく戦争犯罪者を追い続けている。だが日本人は戦争犯罪者たちを極めて寛大に遇している。二度と戦争を引き起こさないためにも、戦争体験者は生きている限り事実を語り継ぐべきだと考える。「HHhH」は是非多くの皆さんに読んでいただきたい書物である。 | ||||
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冷酷な残忍さ故に若くして侵略地チェコの総督となった人物像と業績を本書で読むと、 民族浄化の恐ろしさが良く判る。強制収容所の書物や映像などよりもその残虐さが一層具体的に理解できる。 ユダヤ系アメリカ人の秘書が度々欧州旅行をしていたがドイツへは絶対行かなかった気持ちがわかる。 町を見物していると、いきなり首っ玉を掴まれて収容所送りとなるようなトラウマの襲われそうなところは避けたわけだ。 決死隊としてチェコに降下したメンバーの一人が賞金に目が眩んで同志を売り渡したとは驚きである。この人物は愛国心というよりは、冒険に憧れて降下メンバーとなったような人物と著者は記述しているが心理学的に興味ある行動である。「冒険家」の行動には要注意。 異常政治家に支配された異常国家の実態が良く判る。今後の参考にもなる | ||||
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ナチス・ドイツの侵略を受けた、チェコスロバキアが舞台。保護領にされたチェコスロバキアには、親衛隊のハイドリヒが副総督として君臨する。 イギリスに亡命したチェコスロバキア政府と英軍から、特命を受けた若者二人が、ハイドリヒを暗殺するまでの物語。 ”物語”と言っても、作者はなるべく虚構を避けるための工夫がされている。文中では、執筆に当たっての苦悩や、恋人との日々、資料収集にかかるコストや、取材、インタビューなどが、そのまま書かれている。 つまり。ナチス占領下のチェコスロバキアと、本作品を執筆中の作者が過ごしている”今”との間を行き来しながら、作者と一緒に、ハイドリヒ暗殺の瞬間へと突き進んでいく感覚である。作者にあおられるような感じで、ドキドキしてくる。 この時代を詳細に描いた小説で、リテルの『慈しみの女神たち』を読んだ。『慈しみの女神たち』は、あたかも主人公と一緒に、どっぷりと浸ることができた。(この作品でも、ハイドリヒ像を記述するにあたり言及されている。) 人物描写に於いて、かなり抑制されており、ドキュメンタリーのような冷めた視線で、暗殺の瞬間を迎えることになる。 暗殺ののち、レジスタンスが追い詰められていくまでと、冤罪で消滅した村の悲劇(悲惨である!)のほか、作者のその後が書かれている。 | ||||
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この奇妙な題名はドイツ語のHimmlers Hirn heisst Heydrich ( ヒムラーの頭脳はハイドリヒとよばれる) で原書はフランス語の小説である。副題のプラハと1942とハイドリヒから、あの史上最悪の殺戮と拷問の元締めのナチ高官の暗殺とそれに続く二人の青年実行者の死、多数の協力者の逮捕、拷問、死刑と報復そして無関係の数百人の村人の虐殺とその村の根絶が脳裏に浮かび暗い気持ちでページを捲る事になろうと覚悟した。然しこの1972年生まれのフランス人作家は並のノンフィクションやナチもの小説の概念を吹っ飛ばしてしまった。「虎は死して皮を残し、ヒトラーは死して数兆円のナチ物ビジネスを残した」と、したり顔で言う事を憚れるナチ物小説の金字塔である。 この作家がパリ大学の後兵役でスロバキアへ語学教師として赴任した事が大きく影響している。チェコとスロバキアに心底惚れたのであろうし、それだけに母国フランスのヴィーシー政権へのフランス人だからこその怒髪天をつく怒りが有ったのであろう。この人のこの本でフランスも勿論チェコとスロバキアの無数の死者(殺されたと言うべき人達)も浮かばれる事だろう。 それにしても奇妙な小説である、ノンフィクションをベースにして、作家の想像力、推理力を縦横無尽に振り回し、フィクションをちりばめる。感情移入が頂点に達すると作家自身が出しゃばってくるのだ。読む方はこれで引くかと思うとさに有らず、作家よりも数歩前に立ってしまうのだ。史実小説のこんな書き方が有ったのか、と眼に鱗だった。これなら史実や些細な点にいちゃもんをつける学者や評論家のジャブを軽くかわす事だろう。著者に個人的に質問したいのは2点:1)密告者の心の闇、パルチザンに死刑にされるまでの経緯。これで一冊書けるはずと思うのだが。唾棄すべき人物として歯牙にもかける価値もないとして著者の激怒する心の安定を保っているのか、それなら遠慮しよう。この種の人間にはそれがふさわしいのかも。2)ハイドリヒの暗殺をナチエリート達はほっとして心に納めたのではないか。ヒトラーは追い抜かれない、寝首をかかれない自信が有ったのであろうがその他の者は彼の更なる台頭と自分にも何時かは襲いかかるであろう残虐さを心底怖れていたのではないか、ヒムラーすら。本書にこの記述はあるが、何故ベルリンから近いと言えるプラハの病院にドイツから医者団を送らずぐずぐずと死ぬのを待つように時間を浪費したのか。意図的か?それにしてもハイドリヒの死因への自分の治療の正当性を作る為にその後収容所で生体実験をしたドイツ人教授の話が出てくる。つらい史実だ。確かにこの話には終わりがないのだ。巻末の訳者によるあとがきは秀逸である。 | ||||
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これはすごい作品です。何度も戦慄を覚え、興奮し、深い感銘の中で読み終えました。新しい形式で書かれたノンフィクション・ノベル、あるいは歴史小説です。いや、そうした枠では収まらない途方もなく独創的な作品です。2010年ゴンクール最優秀新人賞受賞作。いま欧米各紙で絶賛を浴びているそうです。 HHhHとはHimmlers Hirn hei't Heydrich「ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる」の略。ナチスの高官でその残忍さから「金髪の野獣」と恐れられたラインハルト・ハイドリッヒの暗殺計画がロンドンのチェコ亡命政府によって企てられ、実行役としてチェコ人とスロヴァキア人が選ばれます。1942年、プラハ郊外にパラシュートで降下した二人は幾多の障害に遭遇しながらもレジスタンスの協力を得てハイドリッヒに接近していきます。 この有名な史実をローラン・ビネは小説として再現しようと試みます。しかし「死者を操り人形のように動かすことはしまい」との彼の信念により徹底的に資料を読み込み、同じテーマの他の作品を渉猟して信憑性の高い事実のみを記述する手法を採用することで多角的な視点で事実を照らし出し、精緻な記述を可能にします。その結果、ナチス・ドイツと各国のせめぎあいやハイドリッヒを含むナチス内部の権力争い、亡命チェコ政府の思惑、ユダヤ人抹殺計画の進捗など当時の状況が克明に描き出されます。また、まるで現場に立ち会っているように人物も場面もリアルに迫真感に満ちて再現されます。それだけにハイドリッヒによるユダヤ人や反対者に対する殺戮の描写は読むのが辛く、ページを閉じたくなるほどでした。 驚いたことに、ローラン・ビネは自身の思索の過程をそのまま公開しています。つまり、彼が抱く表現上の逡巡や試行錯誤や登場人物への評価や心情までも書きこむのです。彼にとってはこの暗殺事件が自分に与えた影響に興味を抱き、自己の内面の変化を記録に残そうと考えたのでしょう。そのために読者は、ハイドリッヒ暗殺計画の一部始終とローラン・ビネの創作活動を同時進行で読むことになりますが、終盤にさしかかるとこの2つの流れが合流し、手に汗握る緊迫感に包まれます。 そして、暗殺計画は実行に移されクライマックスを迎えますが、もはや否定しようもない史実の前に小説家は悲嘆に暮れて、打ちひしがれてしまいます。ハイドリッヒ、およびナチスによって生命を断たれた人、犠牲的な精神で抵抗した名も無き人へのローラン・ビネの敬意がほとばしります。事件を追体験する中で歴史の陰で倒れていった人々への作者の深い思いに私は心を揺さぶられました。 | ||||
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