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HHhH (プラハ、1942年)
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HHhH (プラハ、1942年)の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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この奇妙なタイトルは、「ハインリッヒ・ヒムラーの頭脳はハイドリッヒである」というドイツ語のセンテンスの各単語の頭文字を並べたものだ。 1月25日に公開された映画『ナチス第三の男』の原作でもある。 ハイドリッヒは、親衛隊に入隊してから、その残忍さと実務能力で頭角を現し、ヒムラーの片腕として親衛隊上級大将になったばかりか、チェコ総督代理に任命され、「金髪の野獣」「プラハの虐殺者」とも呼ばれるようになる。 ユダヤ人問題の最終解決、すなわち絶滅収容所を思いつくのもこの男である。 この男の暗殺を、チェコ・スロバキアの亡命政府が企てる。 数人が落下傘でプラハ郊外に降り立ち、現地のレジスタンスの支援を受けつつ準備を重ね、2人の兵士が決行する。 その決行までの物語であり、また決行後、莫大な懸賞金に目がくらんだ落下傘降下兵士の一人が、この二人をゲシュタポに売り渡して、その潜んでいる大聖堂での凄まじい攻防戦までが描かれる物語でもある。 考えてみると、ナチス中枢幹部のほとんどは自殺している。 ヒトラー、ゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングしかりだ。 このハイドリッヒだけが、抵抗勢力によって倒されたのである。 アルゼンチンでモサドによって逮捕され、裁判で死刑になったアイヒマンは、ハイドリッヒの右腕でありアウシュビッツの立役者ではあったが、ナチスの中枢幹部とまでは言えない。 それはさておき、この本は、小説であるとされている。 ノンフィクションではない。 が、想像による創作は排除されている。 なのに、なぜ小説なのか。 この本は、作者のビネが「ぼくは」と一人称で登場する場面が圧倒的に多い。 「たぶんハイドリッヒは、このとき、こう考えたのではないか」といった具合だ。 そして、想像による創作はしたくないとも吐露する。 いわば、小説を書く小説とでも言おうか。 その手法が世界的に高く評価されているのだが、ぼくとしては、最後の大聖堂の攻防のシーンでは成功しているものの、その他の部分は作者の登場がうざったく感じた。 映画は未見だが、おそらく、作者が一人称で登場する仕立てとはなっていないのではないか。 ただ、この史実としてのハイドリッヒ暗殺は、もっと知られていいと、本書を読んでそう感じた。 | ||||
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ハッキリいってジャケ買いしてしまいました。史実としては 興味深いので、個人的には面白く読みましたが、この 小説は途中で投げ出してしまう人も多いかもしれず、 こういった小説を本屋大賞に選んでしまうと、本屋は さらに衰退してしまうのではないかと思いました。 | ||||
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この小説、各所でたいへん絶賛されていますが、本当にそれほどのものでしょうか? まず第一に、小説でありながら作者が登場するという構成の斬新さが強調されているが、 はっきりいってこんな構成はもはやありきたりであり、それこそ作者が作中で苦言を呈している ミラン・クンデラの作品ではおなじみの手法です。 それから、これに付随して作者は、小説で架空の人物を登場させることを疑問視し、 『僕の考えでは、クンデラはもっと遠くまで行けたはずだ。そもそも、架空の人物を登場させることほど俗っぽいことがあるだろうか?』 とまで言っていますが、私の考えでは、歴史上の人物(とくに本書のように戦争の犠牲者)を小説の主人公に据えておきながら、 作者である自分がしゃしゃり出て、書いてる途中でこんなことがあったよ(女に振られたとか)などと書き連ねるほうが よっぽど俗っぽいことなのではないかと思われるのですが とはいえ、その構成ゆえに、まるでひとつの小説作品がだんだんと完成されていく瞬間に立ち会うような感触を覚えながら 読み進めることができたのはおもしろかった。 また、作者の自分語りではない小説部分は、ドラマティックでスピーディな展開が続き読み応えがありました。 ですので、絶賛されるほどの作品ではないにしろ、佳作ではあるといえるのではないでしょうか? | ||||
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著者が歴史にどう向き合うか自伝的な内容が入った新しいスタイル。 そうしたスタイルが面白いと感じるかどうかで評価が二分される。 前半は著者自身の話が多い感じでなかなか歴史に入り込めないが、後半はテンポがよくなる。 私はどうも著者自身が歴史に入り込むという感覚が受け付けないので後半だけで十分ではないかと思う。 後半の記述は悪くないので星3つ。 | ||||
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ナチスの金髪の野獣ことハイドリヒ暗殺までの本筋と並行して語られる、著者のものと思われる人物の思索は、この部分が評価されているのだとは思うものの、読みづらくしているのも事実。 自分のような凡人には少々ハードルが高かったようです。 ナチスやハイドリヒの行った非道な蛮行は弾劾されて当然だし、命を賭して暗殺を決行する二人の青年の勇気は称賛されて然るべきで、ここに異論はありません。 でも、事実以外書きたくないと言いながら著者は、ナチスに対しては憎んでも憎みきれない絶対悪、二人の青年に対しては憧れのヒーローというような感情を持っているので、内容にも多少偏りがあるような印象を受けました。(著者は1972年生まれで、ナチスの被害を直接にも間接にも受けていません) 被害国の作家が書いた作品なので当然かもしれないけど、つまり、史実と言いつつも勧善懲悪の色がやや強いのかな、と。 | ||||
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レビューを読み、帯を読み、間違いないだろうと思って購入した。 ところが、どうしても没頭できない。 非難を承知で正直にいえば、題材的にはよいと思うが、同時進行する作者の心情などがとても邪魔で気が散って感情移入ができない。この手法がそもそも私とあっていなかったのだと言ってしまえば終りなのだが。 まるっきり直訳みたいな文章もうっとうしく訳者自体でもっと面白い本になったのではないかと思ってしまった。それに、括弧で括られた部分にはうんざりだった。場面転換も気が利いているとは思えない。むしろ、正攻法できちんとドキュメンタリー的に描いてくれた方がと思うことがしばしばあった。 たぶん、私の程度が低いということなのだろう。 でも、ふとやたらに哲学的な不条理劇を延々見せられた時のことを思い出した。 とても高尚なことはわかるが、楽しんでいるとは思えない観客のほうが多かった…。 残念だった。 | ||||
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