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HHhH (プラハ、1942年)



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【この小説が収録されている参考書籍】
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年)の評価: 4.04/5点 レビュー 52件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.04pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全52件 1~20 1/3ページ
123>>
No.52:
(4pt)

ハイドリヒ暗殺を描いた貴重な小説ですが。。。

イアン・カーショー著のヒトラーの伝記を読んでハイドリヒ暗殺に感心を持ち読みました。
 当時の情景や関係者の心情が伝わってくる力作ですが、筆者の個人的な想いや体験が随所に記されていて、私が知りたいのは、ハイドリヒ暗殺に関わった人々とその時代であって、筆者の自分語りではない、と半ばウンザリしながら読みました。自己主張の好きな人たちには気にならないかもしれませんが。
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)より
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No.51:
(1pt)

これほどイライラする本は滅多にない

様々な賞を受賞し、欧米各国の著名新聞でも絶賛されている本著ですので、おそらく私のような低レベルの人間では理解が出来ないのではなかったのではないかと思います。

ただ、率直な感想を書きますが、これほどうんざりする本はありませんでした。

一応、ずいぶん昔ですが映画「暁の7人」も観てますし、世界史も興味があるので、ある程度バックグラウンドとしての知識がありますし、興味もあります。

しかし、最初の100ページ程度を進めるのに、何回ギブアップしそうになったか分かりません。
もう、著者がうじうじと内容に関係ないことを書き続けます。
仮に図書館で借りていたら、もう絶対読むのをやめていますが、それなりの価格の本なのでなんとか読み進めました。

途中は、いろいろ調べているなあと、感心する場面もありますが、やはり読んでいるとイライラ感が増します。
というのも、綿密に調査して、これまで他では書かれていたようなことを否定する反面、自分は「本当のことは僕には全く分からない」と書きつつ、想像の文を入れていたりする。支離滅裂です。

結果的に多少なりとは、これまで知らないことも書かれていましたが、全く知識としての深みになることもなく、面白みもなく、最近読んだ中で最も時間が無駄になりました。
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No.50:
(4pt)

読みごたえ充分

第二次世界大戦のヨーロッパの歴史を知らないと読むのが大変。しかし、これを上回る面白さがある。
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No.49:
(4pt)

小説とノンフィクションの狭間で

映画『ヒトラーのための虐殺会議』の補完として読む。ヴァンゼー会議の前後でハイドリヒがナチスでチェコで何をしていたのかがよく分かる。しかし文中で語られるように、この小説の主人公は決してハイドリヒではない。
この小説を楽しむには、ある程度のナチスに関する基礎知識や、文学作品への教養が必要だと感じる。
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No.48:
(5pt)

状態の良い本

本は、事前に申告されていたより、良い状態でした。
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No.47:
(5pt)

辛い経験をしている真っ最中の方に読んでほしい

ある実話の物語で、読んでいてつらくなりますが。
今現在、苦しみの中におられる方には救いになる本・物語かもしれません。
読みごたえがありました。
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No.46:
(4pt)

語ることについて語った、唯一無二の小説。

ナチの高官・ハイドリヒ暗殺作戦を描いた本作。
しかし本作は歴史小説にもノンフィクションにも属さない。

歴史小説によく見受けられる史実と創作の混同を是としない著者は、フィクションではなく史実そのものの再現を徹底する。
かと言ってノンフィクションの様に膨大な資料に基づき、事実を物語として紡いでいく訳でもない。
物語を語ることに苦悩するど語り手の「僕」の描写と当時のプラハで起こった出来事が交錯していく展開は、文学の新たな境地を切り開いたと言っても過言ではないだろう。

歴史や物語を語ることについて語った本作。
その唯一無二の語りのスタイルは、語ることの自由さを実感させると同時に語ることとは何かという問いを私たちに突き付ける。
ジャンルという垣根を軽々と飛び越え、素晴らしい作品として人々の記憶に残り続けるであろう新しくも偉大な小説だ。
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No.45:
(5pt)

歴史を語るのうえでの創作の是非

エンスラポイド作戦を題材にした本作は、同じ主題の小説や映像作品、またその他の歴史物に対する違和感を表明しつつ叙述を進めていく。その違和感の中でいちばん大きいものは、歴史的な事実と異なるまたは確認できない創作が紛れこむこと。会話や人物造形、ちょっとしたエピソードから果ては大きな歴史的事実ですら改変されることがある。明言はされていないが、おそらく著者はそれらの創作は歴史やまた実在した人物に対する冒瀆であると考えているように読める。結果として読者は、著者の偏執病的なこだわりと迷いに付き合わされることになる(この作品の魅力のひとつ)。

 しかし、ならば小説という形式をとる必要はないのではないかとも考えられる。ノン・フィクションでもいいし、もっといえば研究書でもよかったわけだ。だが、彼はあえてこれらのジャンルを選ばなかった。それは、おそらく、この題材について気持ちをたっぷりと込めて書きたかったからではないかと推測する。ノン・フィクションや研究書では筆者の思いを込めにくい。「でも、小説が語り手に与えている、ほとんど無制限の自由こそ、このジャンルの最大の利点のひとつだろう」(112)。著者はフローベールの言葉を引用する。「われわれの価値はできあがった作品によってではなく、どれだけ恋い焦がれたかによって決まる」(154)。事件について、そしてそれに関わった人たちについて、溢れんばかりの思いが詰まった作品である。

 溢れすぎた結果としてなのか、著者は創作というタブーを犯す。「いつ、どこで二人は出会ったのか? ポーランド? フランス? そのあいだの旅の途中で? その後。イギリスで? 僕はそれが知りたいのだ、この出会いの場面を視覚化(つまり、でっちあげるってことだ!)することになるのかどうか、今のところはわからない。もしそうすることになったら、フィクションならなにをしてもかまわないということの決定的な証になってしまう」(92)と言いつつも、最終的に彼は「でっちあげ」をしているのだ。もちろんこれは意図的なものであり、歴史を知りまた語るときに、創作を完全に排除する必要はないというのが本作における著者の結論なのだろう。「そして、たぶん僕もそこにいる」(257)という締めの一文がいい。

 最後に、エヌメラチオの使い方のうまさにも触れておきたい。何か所かいいところはあるが、やはり白眉は第6章、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂納骨堂の展示や解説を列挙したものだろう。初読のときはよくわからない文字列が、再読の際にはそのひとつひとつについて思いがこみ上げてくる。これだけ印象深いエヌメラチオはあまり見かけないし、そしてもちろんこの本は再読を要する小説であるということでもあるのだ。
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No.44:
(5pt)

ハイドリヒ暗殺といえばこれ

なんといっても、著者のプラハでのハイドリヒ暗殺事件の追跡に対する執念に感服する。

報復にあったリディエツ村の悲劇については詳しくは触れられていないが、ハイドリヒ暗殺の一連の経緯がよくわかる。
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No.43:
(4pt)

男たちのナチズムとの闘い

ナチスNo.3の男ハイドリヒの暗殺計画は、世界でも最も美しい都市のひとつに数えられるプラハで執行された。そこに至るまでのハイドリヒのナチス内での残虐な行為の歴史と、チェコ側のレジスタンスの闘いがスリリングに描かれた長編。
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No.42:
(5pt)

残された資料だけでは歴史の「本当」は語れない、という強い思い。

著者自身の執筆過程を記した部分について、不要、うっとうしい、という意見がある。が、それこそがこの作品の心髄であり、なくては成立しえない中枢部分である。綴られている物語は、「ノンフィクション」ではない。当たり前だが、何十年も前の出来事をいま見てきたように書くことはできない。また、残っている資料だけでノンフィクションを書いたとて、彼らが息をしているように表現することはできないのだ。その解決策としてあるのが「フィクション」だ。きっとこうであったろうと綿密に調査し、想像し、書く。そのフィクションで表現したものこそが、結果として、最も真実に近いのではと、それこそが歴史の「本当」ではないか、と著者は言っているのだ。だからこそ、自身が綴る「フィクション」の“正当性”を述べるために、著者自身の創作過程を示すパートが必須なのである。そこを理解しなければ、この作品を楽しめないと思う。
それにしても、すごい小説である。本当に彼らが今ここで息をしているよう。
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No.41:
(5pt)

人間のすばらしさは勇気のすばらしさ

誰かが本書の書評で「心の震えが止まらない傑作」と書いてましたがまさにその通りです。

歴史小説であると同時に、巷の歴史小説が少なからず脚色されている、脚色せざる得ないことに対し、著者のもつ考え、悩みが綴られる構成。これが成功していて、読んでいて臨場感がすごい。

暗殺に向かった二人の勇気の前に、私が日常で抱える不安なんてカスだと思わされます。
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No.40:
(3pt)

題材も着眼点もいいのだが、手法に違和感が

この奇妙なタイトルは、「ハインリッヒ・ヒムラーの頭脳はハイドリッヒである」というドイツ語のセンテンスの各単語の頭文字を並べたものだ。

1月25日に公開された映画『ナチス第三の男』の原作でもある。

ハイドリッヒは、親衛隊に入隊してから、その残忍さと実務能力で頭角を現し、ヒムラーの片腕として親衛隊上級大将になったばかりか、チェコ総督代理に任命され、「金髪の野獣」「プラハの虐殺者」とも呼ばれるようになる。

ユダヤ人問題の最終解決、すなわち絶滅収容所を思いつくのもこの男である。

この男の暗殺を、チェコ・スロバキアの亡命政府が企てる。

数人が落下傘でプラハ郊外に降り立ち、現地のレジスタンスの支援を受けつつ準備を重ね、2人の兵士が決行する。

その決行までの物語であり、また決行後、莫大な懸賞金に目がくらんだ落下傘降下兵士の一人が、この二人をゲシュタポに売り渡して、その潜んでいる大聖堂での凄まじい攻防戦までが描かれる物語でもある。

考えてみると、ナチス中枢幹部のほとんどは自殺している。

ヒトラー、ゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングしかりだ。

このハイドリッヒだけが、抵抗勢力によって倒されたのである。

アルゼンチンでモサドによって逮捕され、裁判で死刑になったアイヒマンは、ハイドリッヒの右腕でありアウシュビッツの立役者ではあったが、ナチスの中枢幹部とまでは言えない。

それはさておき、この本は、小説であるとされている。

ノンフィクションではない。

が、想像による創作は排除されている。

なのに、なぜ小説なのか。

この本は、作者のビネが「ぼくは」と一人称で登場する場面が圧倒的に多い。

「たぶんハイドリッヒは、このとき、こう考えたのではないか」といった具合だ。

そして、想像による創作はしたくないとも吐露する。

いわば、小説を書く小説とでも言おうか。

その手法が世界的に高く評価されているのだが、ぼくとしては、最後の大聖堂の攻防のシーンでは成功しているものの、その他の部分は作者の登場がうざったく感じた。

映画は未見だが、おそらく、作者が一人称で登場する仕立てとはなっていないのではないか。

ただ、この史実としてのハイドリッヒ暗殺は、もっと知られていいと、本書を読んでそう感じた。
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No.39:
(2pt)

著者の自分語りが酷い

確かに内容の質などに評価すべきところはあるが、いかんせん著者の話が頻繁に出てきて内容に集中できない。これはあくまでラインハルトの話ではなく、著者ビネがラインハルトとその暗殺者たちの物語を書く物語と言った方が良い。海外ではそういうのも受け入れられるのかもしれないが、日本ではどうだろうか?
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No.38:
(5pt)

なぜ映画の邦題を『ナチス第三の男』としてしまったのか?

読み終わってつくづく思いましたが『HHhH』のままでいいのに、と。笑。

文学理論にくわしくないのですが「メタフィクション」の亜流でしょうか。
慣れるまでに若干時間がかかりましたが、慣れれば一気です。

有名なエンスラポイド作戦を扱った作品です。
バルバロッサ作戦が失敗して、後世から見ればナチス・ドイツの敗退が
すでに決定的になった時期ですが、当事者から見ればまだそんなことは
分かりようもなく、占領下においてはナチスの力が圧倒的な時代です。

細部は他のレビューに譲りますが、レジスタンスの英雄的な活動もさることながら、
ナチスの蛮行が公になるきっかけとなった、
暗殺の報復によるリディツェ村やレジャーキ村の虐殺事件は記憶にとどめておくべき
だと思います。

とりあえず次は『慈しみの女神たち』に挑戦してみようと思います。
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No.37:
(5pt)

これは小説?

映画「ナチス第3の男」がちょっとイマイチな出来だったので、原作を読もうと購入。
ノンフィクションというよりはドキュメンタリー的な内容で興味深い。
綿密な資料と調査に基づき、重箱の隅まで突っつくこだわり様には、当事者たちの代弁者としての正義感・責任感なのか。
筆者の個人的見解や脱線事項も多くあり、私情を絡めた盛り沢山なエピソードは若干邪魔。
しかしながら、壮絶な事実・歴史なので映画よりは断然読まれることをお勧めする。
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No.36:
(5pt)

今までにない形式の小説

この本は、小説とノンフィクションの間にあります。

作家のローラン ビネは類人猿計画(ナチスの高官であるハイドリヒの暗殺計画)について、取り憑かれたように調査をしています。読者はその進捗を見守るうちに、作家と同じようにこの暗殺計画に巻き込まれていきます。

この本は作者の独白(これが大半)と、フラッシュバック的に現れる事件の再現によって構成されています。

作家はひねくれ者のフランス人らしく、気に食わない作家の悪口などを堂々と書いていますし、美しくて若い恋人との仲違いを女々しく嘆いています。

読み始めは軟派でいけすかない作家だと思いましたが、話が進むにつれ、レジスタンスへの深い共感、名もないレジスタンス協力者への敬意と賞賛が文章から溢れ出るのが感じられ、感銘を受けました。

おそらく、日本人にはあまり知られていないチェコ人とスロヴァキア人の若き英雄。

歴史は変えられませんが、どうか逃げ延びて欲しい、と本を強く握りしめて祈らずにはいられませんでした。

是非とも読んで頂きたい一冊です。

追記 この本は、2019年1月から上映されているナチス第三の男(映画)の原作です。
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No.35:
(5pt)

ラインハルト・ハイドリヒ暗殺を素材に 小説のパラダイムをかえた「すごい」作品

本書は
フランスの作家
ローラン・ビネ氏(1972-)
(Larurent Binet)による
『HHhH』
(原著 2009 Grasset)
(東京創元社 2013)
副題:--プラハ、1942年
翻訳:高橋啓氏(1953-)
です。本書は2010年
ゴンクール賞の新人部門
(Prix Goncourt du Premier Roman)を
受賞しました(言うなれば最優秀新人賞です)。

ゴンクール賞(Prix Goncourt)の過去の受賞者には
たとえば次のような人たちがいます。
・アンリ・バルビュス(1873-1935)
・マルセル・プルースト(1871-1922)
・アンドレ・マルロー(1901-1976)
・アンリ・トロワイヤ(1911-2007)
・シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908-1986)
(注1)あのサルトル(1905-1980)は
トロワイヤに破れてゴンクール賞を逃しました。
(注2)ゴンクール賞はかつては大賞(本賞)だけ
でしたが今では大賞以外に5部門あります。

本書のタイトルは
ドイツ第三帝国(ナチスドイツ)について
少し知識がある方ならば
1秒でわかると存じますが
「ヒムラース・ヒルン・ハイスト・ハイドリヒ」
の頭文字です。
ドイツ語ならば
Himmlers Hirn heisst Heydrich
です。本書では
「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」
と訳しています。私はむしろ語感の点で
「ヒムラーの頭脳すなはちハイドリヒ」
という訳の方がいいと思います。
「ヒムラーの頭脳、人呼んでハイドリヒ」
という訳もあります。

ドイツ第三帝国
(ザ・サード・ライク)(英語風)
(ダス・ドリッテ・ライヒ)(独語風)
においては
ヒトラー(1889-1945)が
(Adolf Hitler)
首相+大統領=総統(ヒューラー)
という地位にありました。
国家元首にして軍最高司令官です。
公安部門のトップは
全国親衛隊長官(ライヒスヒューラーSS)
ヒムラー(1900-1945)
(Heinrich Himmler)
です。元は養鶏場の経営者でした。
ヒムラーの下で
国家保安本部(RSHA)長官だったのが
ラインハルト・ハイドリヒ
(Reinhardt Heydrich)(1904-1942)
です。公安部門に限ると
①ヒトラー ②ヒムラー ③ハイドリヒなので
ハイドリヒはナンバースリーつまり
「第三の男」になります。

しかしナチス体制はヒトラー独裁
であると同時に多頭制という
一見矛盾したシステムでした。
従ってハイドリヒより上に
複数の幹部が実在していました。
・ゲーリング(1893-1946)
(Hermann Goering)
帝国元帥(ライヒスマーシャル)。
空軍総司令官。ヒトラー存命中に
その後継指名を受けていましたが
土壇場で「裏切りもの」とみなされます。
・ゲッベルス(1897-1945)
(Joseph Goebbels)国民啓蒙・宣伝大臣。
通称「ミニスター」。ヒトラーが遺書で
後継首相に指名しましたが側近で唯一
ヒトラーに殉じて死にました。ただし
妻と6人の子供を道連れにしました。
・ボルマン(1900-1945)
(Martin Bormann)ヒトラー個人秘書から
官房長(党ナンバーツー)にのし上がりました。
・シュペーア(1905-1981)
(Albert Speer)軍需大臣。建築家。
ヒトラー唯一の「友人」でした。
・デーニッツ(1891-1980)
(Karl Doenitz)海軍総司令官。
自殺したヒトラーが遺書で後継大統領に
指名したのはデーニッツでした。

ハイドリヒが長官を務めた
国家保安本部(RSHA)は
巨大な組織でありその下に
・ゲシュタポ(国家秘密警察)
・SD(親衛隊保安部)
・クリポ(刑事警察)
・国外諜報部
などがありました。
ユダヤ人の虐殺(ホロコースト)に従事したのは
ゲシュタポのセクション B-4課であり
課長は戦後の誘拐 → 裁判で有名になった
アイヒマン(1906-1962)
(Adolf Eichmann)でした。

本書「訳者あとがき」で訳者は
ハイドリヒを
「悪名高きゲシュタポ長官」(p.386)
と書いていますが、ハイドリヒは
プロイセン州のゲシュタポ長官を
2年余り勤めたことはあるものの
全国(ライヒ)レベルでは
ゲシュタポ長官を勤めたことはないと思います。
最も有名なゲシュタポ長官といえば
「ゲシュタポ・ミュラー」こと
ハインリヒ・ミュラーです。
(Heinrich Muller)(1900-1945?? 未確認)
ハイドリヒは
ミュラーの「才能」?を見抜いて
ゲシュタポ長官に抜擢しました。
なお
ハイドリヒは
SD長官なら勤めたことがあります。
手塚治虫(1928-1989)の
劇画『アドルフに告ぐ』の主人公が
SDの職員として
ユダヤ人狩りに従事します。

国家保安本部(RSHA)は
旧ソ連のKGBに匹敵あるいはそれ以上の
巨大組織ですから
その権力を一人の人間に任せるというのは
第三帝国内でも懸念はあったようです。
ハイドリヒが
「第三帝国で最も危険な男」
と呼ばれた理由はそこにあります。

ハイドリヒが暗殺されたとき
いちばんホッとしたのは上司の
ヒムラーだったという説さえあります。
もっとも
「ハイドリヒ襲撃さる」と聞いたとき
ヒムラーは呆然自失だった由です。
ハイドリヒの方が優秀であり
野心的でもあったので
ヒトラー亡きあと第三帝国をつぐのは
ハイドリヒだろうとうわさされました。
ドイツ市民はそのあたりの力関係を
よく知っていて
「ヒムラーよりハイドリヒが恐いぞ」という意味で
「ヒムラース・ヒルン・ハイスト・ハイドリヒ」
と言ったのです。ただしその通りに発音したら
密告されゲシュタポに逮捕されますから
"HHhH"
と頭文字で会話したわけです。もっとも
最初に "HHhH" と気のきいた表現をしたのは
ゲーリングがヒムラーを評して
そう言ったときという説もあります。

ちなみに
ゲシュタポは
「秘密国家警察」を意味するドイツ語
Geheime Staatspolizei
(ゲハイメ・シュターツ・ポリツァイ)のうち
GEheime STAatsPOlizei
という一部だけを変則的に取り出して
GESTAPO
となりました。もともとは
郵便物の配達のために
郵便局が便宜上に使った略語です。
ドイツ語では
「ゲスターポ」と発音しますが
「ゲシュタポ」があまりに有名(悪名)に
なってしまったので
一般にはゲシュタポと呼ばれます。

本書によりますと(p.118)
著者は本のタイトルを
「類人猿(エンスラポイド)作戦」と
名付けたかったそうです。從って
"HHhH" というタイトルにしたのは
編集者の判断です。
知る人ぞ知る "HHhH" にしたのは
結果として成功しました。

本書の6割ないし7割は
ハイドリヒの人生について書かれています。
しかしハイドリヒが主人公ではないと
著者は述べています。
「エンスラポイド作戦」とは
英国政府とチェコスロバキア駐英亡命政府による
ハイドリヒ暗殺作戦のコードネームです。
エンスラポイドとは類人猿のことです。
ドイツ第三帝国は
千年続くと豪語していましたが
実際には12年しか続きませんでした。
その12年間で連合軍側が暗殺した
ナチの高官はハイドリヒただ一人です。
北アフリカで英国軍のコマンドウが
ロンメル将軍(1891-1944)の暗殺
ないし拉致を試みましたが失敗しました。
ロンメルが当日不在だったからです。

ではなぜ
連合軍側は
ハイドリヒを狙ったのでしょうか?
それは単にヒトラーのあとを継ぐであろう
有力者だからではありません。
ハイドリヒは
国家保安本部(RSHA)長官を兼任したまま
ボヘミア・モラヴィア
(ベーメン・メーレン)保護領の
副総督(総督代理)に就任したからです。
ボヘミア・モラヴィア保護領とは
おおむね現在のチェコに相当します。
工業が盛んで第三帝国の兵器・武器の
少なからぬ割合を生産していました。

そもそもは
1938年9月のミュンヘン会議まで
さかのぼります。ヒトラーが
「ドイツ人がたくさん住んでいる」からと
言いがかりのような理屈で
チェコスロバキアのズデーテン地方の
割譲を要求します。
英・チェンバレン(1869-1940)
仏・ダラディエ(1884-1970)
独・ヒトラー
伊・ムソリーニ(1883-1945)
伊・チアーノ(1903-1944)(ムソリーニの娘婿)
の4カ国の首脳が集まって
当事者のチェコスロバキア抜きに
ヒトラーの要求を認めてしまいました。
当時は戦争が回避されたと
ほっとした人々も少なくありませんでした。
欧州は第一次世界大戦で地獄を見たからです。
しかし結果としてヒトラーによる害悪を
拡大してしまいました。
ヒトラーは戦争しないで
チェコのズデーテン地方を
を手に入れます。

その後
ヒトラーはチェコスロバキアを解体。
残りのチェコ=ボヘミア+モラヴィア
(ボヘミア=ベーメン)
(モラヴィア=メーレン)を
ボヘミア・モラヴィア保護領とし、まず
フォン・ノイラート男爵(1873-1956)を
初代総督として派遣します。しかし
チェコの人々の抵抗にあい
工業(軍需産業)の生産がガクッと落ちます。
これは第三帝国にとっては
戦争継続のための死活問題です。

フォン・ノイラート男爵は
辞任を申し入れますが
怒ったヒトラーは辞任を許さず
病気休職扱いにして
副総督(総督代理)として
国家保安本部長官のハイドリヒを
送り込みます。総督はいませんから
現実的には副総督が総督です。
このため階級も親衛隊(SS)中将から
親衛隊(SS)大将に昇進させました。
ハイドリヒは
徹底した「アメとムチ」政策をとります。
サボタージュの指導者などを
かたっぱしから逮捕、処刑した反面
労働者には待遇をあつくして
結果として工業(軍需産業)生産は
ぐっと回復します。
これを見て「まずいぞ」と思ったのが
連合国側です。
このままではチェコはハイドリヒによって
骨抜きにされてしまうと危惧しました。
ドミノ理論ではありませんが
ドイツ占領下の国が次々にチェコのように
なってしまえばたいへんな脅威です。
一方
ハイドリヒもチェコ・プラハで大成功したので
次はフランス・パリに栄転かという話もありました
(諸説あります。ただしパリに
1週間出張したのは事実です)。
連合国側はハイドリヒがチェコにいる間に
暗殺してしまおうと決意します。
そして計画立案されたのが
「エンスラポイド作戦」です。

このあたりの事情は米国の
プロパガンダ映画『カサブランカ』
(1942年11月26日 公開)
にも反映されています。
ヴィシー政権下の仏領モロッコの
カサブランカでバーを経営する
リック(ハンフリー・ボガート)のもとに
亡命を希望してあらわれたのは
「チェコスロバキア」
の対独抵抗運動の指導者
ラズロ(ポール・ヘンリード)でした。
ラズロが同伴していた妻が
イルザ(イングリッド・バーグマン)です。
かつて陥落する寸前のパリで
リックとイルザは恋人どうしでした。
基本この映画はプロパガンダ映画ですが
男女の三角関係も描いています。
イルザ(バーグマン)の
"Play it,Sam."
"Play "As Time Goes By"".
というセリフはシンプルかつ有名です。
ラズロがあらわれる前に
挿入話として亡命を希望する若い夫婦も
「チェコスロバキア」
出身という設定だったと思います。
もちろんハイドリヒの名前は出ませんが
(公開されるときには死んでいましたし)
それくらい「チェコスロバキア」は重要で
それくらいハイドリヒは連合軍側にとって
脅威であったと申せましょう。

「エンスラポイド作戦」
の必要性や意義を理解するためには
ハイドリヒの第三帝国での立ち位置を
理解しなくてはなりません。
ここまで説明して
ようやく本書の文学的内容について
述べることが可能となります。

本書は
①ハイドリヒその人
②ハイドリヒの暗殺
つまりエンスラポイド作戦
という2つの要素を描いています。
しかし
戦争小説でもなければ
スパイ小説でもなければ
歴史小説でもなければ
ノンフィクションでもなければ
ドキュメンタリーでもありません。
もし
本書をそのいずれかと誤解して読むと
失望を味わうことでしょう。
本書は純文学です。
しかも小説の新しい形態を提示しました。
小説のパラダイムをかえるかもしれない
たいへん独創的な作品です。

単にハイドリヒの暗殺を描いた小説ならば
ローラン・ビネ氏よりも前にいくつもあります。
例えば
英国の空軍パイロットで作家の
アラン・バージェス(1915-1998)
(Alan Burgess) による
ノンフィクション
"Seven Men at Daybreak"
(『暁の七人』)(原著 1966)
があります。
ローラン・ビネ氏はそれから引用して
「これは僕の書きたい本ではない」
と述べています(p.205)。
確かに
バージェスの本と
ローラン・ビネ氏の本書を比べると
文体も異なるし
全体の記述の方法も異なります。
ノンフィクションと小説の違いです。
ちなみに
バージェスの本は映画化されて
"Operation Daybreak"(1975 米国)
(『暁の七人』)となりました。

また仮想の話ですが
もし司馬遼太郎(1923-1996)に
ハイドリヒとエンスラポイド作戦の材料を提供して
小説を書いてもらったならば
まったく別の歴史小説になったことでしょう。
あるいはまた
英国のミステリー作家
フォーサイス氏(1938-)に
同様のことをお願いしたら
さらにまた別の結果になることでしょう。
歴史小説でもスパイ小説でもないとは
そういう意味です。

ローラン・ビネ氏は
歴史的な信憑性について
ウラのとれないデータについては
独断で決めることをせずに
両論併記という客観性を保っています。
つまり個々のデータについては
すべて事実を描いています。
しかしノンフィクションでも
ドキュメンタリーでもない
あくまで「文学」を書きました。

ローラン・ビネ氏の文学上の先達を
3人挙げることができます。

①ミラン・クンデラ氏(1929-)
‥ローラン・ビネ氏もクンデラ氏に
自分で言及しています。
『存在の耐えられない軽さ』を
私は読みました。

②ロラン・バルト(1915-1980)
‥本書の末尾のほう(p.382)で
ロラン・バルトに言及があります。
この断章形式は明らかにバルトの
模倣と言ってよいでしょう。
『明るい部屋』(みすず)
『彼自身によるバルト』(みすず)
『恋愛のディスクール・断章』(みすず)
のスタイルを見て取ることできます。

③プルースト(1871-1922)
‥直接プルーストへの言及はありません。
しかし現代フランスの作家で
プルーストの影響を受けていない人が
いるでしょうか(いやいないです)。
「意識の流れ」「記憶」などの描写は
あきらかにプルーストの影響があります。
ローラン・ビネ氏は
フローベール(1821-1880)の名前を出して
論じていますが私には
フローベールの影響はよく分かりません。

ローラン・ビネ氏は
自分で自分の小説を
フランス語で
「アンフラ・ロマン」
"infra roman" と呼んでいます(p.284)。
"infra" アンフラは「下に」を意味する接頭語です。
"roman" ロマンは「小説」です。
"infra" を英語読みすると「インフラ」です。
日本人には「インフラ」ならば
なじみがあるのではないでしょうか。
下部構造・社会基盤・基本施設など
いわゆる「インフラ整備」というときの
「インフラ」です。
「インフラストラクチャー」の略語です。
でも「インフラ小説」と言われても
何のことやらと思ってしまいます。
訳者は「基礎小説」と訳していますが‥。

ローラン・ビネ氏は
"infra roman" アンフラ・ロマン
の定義を与えていません。
具体例として本書を提示し
「本書のような小説だよ」
と言いたいのでしょう。
あくまでシンボリックな解釈ですが
「エンスラポイド作戦」の最後は
教会の地下室が舞台です。
「地下室」と"infra" は
どこかイメージで
つながっているのかもしれません。

ドイツ第三帝国に興味がある方
ハイドリヒに一定の知識がある方
そして文学に関心がある方に
本書をお勧めいたします。

最後に
ローラン・ビネ氏が
両論併記したトピックについて
私見を述べます。
①ハイドリヒの出自について
‥ハイドリヒは少なくとも部分的に
ユダヤ人であったと
条件付きで私は考えています。
条件付きというのは
定義によって変わるからです。
何分の一かはわかりませんが
おそらく母方の家系にユダヤ人が
いたであろうと思います。
それが事実であったかどうかよりも
ハイドリヒが
そういう疑いがあることを
必死で隠そうとしたことのほうが
アイデンティティーの形成には
大きく影響したことでしょう。

②ハイドリヒの死因
‥襲撃されて負傷したのが
5月27日の午前10時過ぎです。
6月4日午前4時30分死亡します。
この間 7日~8日です。
負傷直後は自分でピストルを撃って
襲撃犯に反撃しています。
最後は敗血症を起こして亡くなりました。
ベンツのシートに馬の毛が使用されており
手投げ弾が爆発したとき
馬の毛が体内(脾臓などの血管)に入ったのが
感染 → 敗血症
の原因という説が有力です。
しかし
爆弾の中に毒物(例えばボツリヌス菌など)が
仕込まれていたという説もあります。

ハイドリヒの暗殺について
チャーチルが知らないはずがないと思い
チャーチル(1874-1965)の
(Winston Chruchill)
"The Second World War"
(原著6巻本)をひっくりかえして
調べてみたのですが
Heydrich
に関する言及じたいが見つかりません。
膨大な本なので
見落としているかもしれません。
あるいは知っていて
口をつぐんだ可能性もあります。
ハイドリヒを暗殺したことで
結果として
「リディツェ」村が
地球上から消えたので
その責任を追及されたくなかったのかも
しれません(いちばん悪いのはナチですが)。

【補遺】
書き忘れたので追加しておきます。
国家保安本部(RSHA)長官だった
ハイドリヒは
1941年9月27日
ボヘミア・モラヴィア保護領副総督に任命され
翌日 プラハに赴任します
年が明けると
1942年1月20日
ベルリン郊外ヴァン湖(ヴァンゼー)のほとりで
ヴァンゼー会議を招集しました。いわゆる
「ファイナル・ソリューション」
(ユダヤ人問題の最終的解決)
を話し合うためです。
この時点で
第三帝国はおおむね欧州全体を占領し
東部戦線ではモスクワに迫っていました。
ヴァンゼー会議には
ゲシュタポ・ミュラーや
アイヒマンが出席します。
600万人とも言われる
ユダヤ人やシンティ・ロマの
大量虐殺(ホロコースト)は
ここで実務が決定されました。
ローラン・ビネ氏は
「2時間くらいの会議で
どこまで決めることができたのか」
やや懐疑的にと述べています。
意思確認だったのかもしれませんし
「やるぞ」という上意下達の
命令伝達だったのかもしれません。

ヴァンゼー会議については
①1984年 ドイツのテレビ映画
"Die WannseeKonferenz"
(The Wannsee conference)
②2001年 米英のテレビ映画
"Conspiracy"
(謀議の意)
などで描かれました。戦後の
イスラエルによるアイヒマン裁判でも
ヴァンゼー会議終了後
ハイドリヒとコニャックを飲んだとき
アイヒマンが「任務達成して満足に感じた」
という証言を引き出し
「お前は決して組織の歯車ではなく
個人の意志としてホロコーストに
積極的に関与したのだ」
という有罪立証をしています。
死刑が執行されました。

ローラン・ビネ氏は
ナチがハイドリヒの霊に払った
もっとも正当な敬意は(中略)
1947年7月から始まった
ポーランドの全ユダヤ人絶滅作戦
のほうだろうと述べています。
「この作戦の暗号名は
〈ラインハルト作戦〉という」(p.379)
と皮肉をこめて書いています。
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)より
4488016553
No.34:
(5pt)

作家とともに1942年のプラハを生きるような読書体験

買うかどうか迷った人は訳者あとがきを読むといいと思う。この小説の非凡さ、愛おしさを、余すことなく書きつけてくれている。その文学的新しさや、歴史小説としての厳密さ、詳ささ、といった小説としての比類ない価値とともに、一般読者の感想としては、ローラン・ビネのparanoidぶりに苦笑と愛情を禁じ得ず、現在と歴史を縦横に泳ぎ回るその語り口に惹きつけられ、夢中になること間違いなし、の傑作であった!
合わせて…ハイドリヒその人の狂気、ナチという装置の空前絶後の恐ろしさ、クビシュやガブチーク、彼らを助けて散っていった無数の生命、数えきれない踏みにじられた尊厳と生命…何を言っても空疎だが、二次大戦の戦禍をまざまざと感じ、本当にありきたりだけど、同じ人類がまた同じ過ちを犯すことのないようにと祈るばかりである。
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)より
4488016553
No.33:
(2pt)

子供の作文みたいな文章で呆れた

この種の手法で小説を書くなら、日本の作家に学んだほうが良い。日本の歴史小説が如何にレベルが高いかこの書を読むと良く分かる。
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)より
4488016553

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