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HHhH (プラハ、1942年)
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HHhH (プラハ、1942年)の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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様々な賞を受賞し、欧米各国の著名新聞でも絶賛されている本著ですので、おそらく私のような低レベルの人間では理解が出来ないのではなかったのではないかと思います。 ただ、率直な感想を書きますが、これほどうんざりする本はありませんでした。 一応、ずいぶん昔ですが映画「暁の7人」も観てますし、世界史も興味があるので、ある程度バックグラウンドとしての知識がありますし、興味もあります。 しかし、最初の100ページ程度を進めるのに、何回ギブアップしそうになったか分かりません。 もう、著者がうじうじと内容に関係ないことを書き続けます。 仮に図書館で借りていたら、もう絶対読むのをやめていますが、それなりの価格の本なのでなんとか読み進めました。 途中は、いろいろ調べているなあと、感心する場面もありますが、やはり読んでいるとイライラ感が増します。 というのも、綿密に調査して、これまで他では書かれていたようなことを否定する反面、自分は「本当のことは僕には全く分からない」と書きつつ、想像の文を入れていたりする。支離滅裂です。 結果的に多少なりとは、これまで知らないことも書かれていましたが、全く知識としての深みになることもなく、面白みもなく、最近読んだ中で最も時間が無駄になりました。 | ||||
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確かに内容の質などに評価すべきところはあるが、いかんせん著者の話が頻繁に出てきて内容に集中できない。これはあくまでラインハルトの話ではなく、著者ビネがラインハルトとその暗殺者たちの物語を書く物語と言った方が良い。海外ではそういうのも受け入れられるのかもしれないが、日本ではどうだろうか? | ||||
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この種の手法で小説を書くなら、日本の作家に学んだほうが良い。日本の歴史小説が如何にレベルが高いかこの書を読むと良く分かる。 | ||||
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僕が本書を読み始めたのは2014年なので、今日読み終えるまで4年の時間がかかっています。 大作でもない作品にこれだけ時間を要したのは、シンプルにつまらなかったからとも言えますが、 2014年当時はけっこう評判の作品で、帯にも賛辞が並んでいます。 本書は変な書名をしています。 「HHhH」とは「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」を意味するドイツ語の頭文字です。 ラインハルト・ハイドリヒはナチスの高官で、チェコの総督代理を務めた人物です。 ユダヤ人問題の最終解決を発案したのも彼だと言われています。 ハイドリヒはロンドンに亡命したチェコ政府が送り込んだ暗殺部隊によって殺されました。 本書はこの暗殺事件をクライマックスとした歴史小説なのですが、 著者自身が本書を書くプロセスをまじえて小説化しているところが、評価を受けた要因なのはまちがいありません。 M・バルガス・リョサが「傑作小説というよりは、偉大な書物と呼びたい」と賞賛しようが、 僕はこの作品が偉大だとも傑作とも思いませんでした。 その理由は、フランス人らしいポストモダン的手法で知的な演出をしているため、 知的な興味以外を引き起こさない傍観的小説でしかないからです。 結果、反ナチズムという「正義」によって助けられた小説というのが僕の印象で、 別の題材で同じことをやっても、これほどの評価は得られなかったのではないかと感じています。 (フランス人はもちろん、ユダヤ人やチェコ人の喝采を得られるよう計算されていた気がします) まず、大きな問題はこの小説が断片の集まりで構成されていることです。 通し番号で257の章段で構成されているのですが、そこに作者の創作談話と歴史記述がごちゃまぜになっています。 いわゆる歴史小説は時系列に物語が進んでいくため、読者が自身を歴史世界へと「投企」することになるのですが、 それが断片化して書き手の自意識に吸収されるため、歴史のスリリングさは体験できません。 この自意識を書き手が歴史と誠実に向き合う葛藤だと感じられれば、賛辞も寄せられるでしょうが、 残念ながら僕にはそのような「誠実さ」はそれほど感じませんでした。 むしろ、前述したようにポストモダン的な手法を用いたために、非歴史性が表面化した内容になっています。 具体的に言えば、ハイドリヒという人物は「金髪の野獣」と恐れられた人物のはずなのですが、 書き手の興味は、生きた人間ハイドリヒではなく、断片化したハイドリヒというキャラへのオタク的関心であるため、 読者はハイドリヒや彼の引き起こした歴史的事実の恐ろしさをあまり感じることがありません。 つまり、著者であるビネは恐ろしい歴史と安全な距離を確保したまま、 傍観者の立場を明確にした人間不在の小説を書いているようにも見えてくるのです。 この小説に登場する歴史人物はみんな自分とは無関係な遠い人に思えます。 だから、彼らが死んでも特に胸が疼いたりはしませんでした。 本書のような傍観的な立ち位置だと、クライマックスの暗殺場面は臨場感を失ってしまいます。 どうするのかと思ったら、その場面になったら断片化を捨てて普通に歴史小説的な記述を始めるのです。 そんな「おいしいとこだけ歴史小説」みたいなつまみ食いで騙されるかよ、と思いました。 暗殺者たちの最期も語り手が読者を置いてきぼりにして自ら感傷的な語りを始めるので、 こちらはシラけてしまいます。 利口ぶった「歴史小説を書くとはどういうことか」などという自己言及的な問題は、 本来、歴史小説そのものの中に居場所を持つべきではありません。 すぐれた歴史小説は作者はもちろん読者をも当事者にしてしまうものです。 自己言及がメインになって歴史のただ中に踏み込めない小説など、力量のない筆者の陳腐な小手先の芸でしかないと思うのですが、 この程度のものが評価されてしまうのは、逆説的ですがナチスの悪の力あってのことだと感じます。 断片的であるために、細切れに読み進めて4年かけて読むことができたわけですが、 他人の知的な興味にいたずらに付き合わされたような読後感でした。 歴史を題材とした知的な小説であることは認めても構いませんが、 歴史小説としては駄作と言えると思います。 | ||||
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主題を描きながら同時に執筆時の自分の状況を挿入する形なんですがそれが一体何の意味があるのか理解出来ません。 その度物語から引き剝がされるので没入出来ません。 肝心の主題も物語として上手く描けているのか疑問です。 | ||||
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実行部隊以外の歴史の闇に埋もれた人々の事を掘り起こしている点は評価に値するが 他者が著した同事件への文献や映像作品に対する個人的な見解と 作者自身の生活や思い入れによる関係のない比喩的な文章の挿入が非常に鬱陶しい 完全なドキュメンタリーにした方が史実として伝わり読み易かったのでは。 | ||||
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新人賞をとり、海外部門第1位の小説という触れ込みで、読んだのだが全くもって期待外れの作品だった。これが、どうして秀作なのか?私には理解できない。新しい形の歴史小説というが、書き手が恋人に振られたとか、読み手にはどうでもいい話が続く。 国の英雄の話をここまでつまらない話に仕上げてしまうのか。他の作家が書いた小説でこれらの英雄の物語を読んでみたかった。 メディアや広告に騙されて買った私が悪かったのか~これからは、こういうものに乗っかって購入するのはやめようと反省した。 | ||||
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ストーリーだけでいいのに、本文の大半が作者自身の創作に至る経緯だとか苦労話やら、知識(情報)のひけらかしがあまりにも多くて鼻に付く。文章自体は学生向けの参考書のように説明的で読み易すぎるし全く文学的でない。バルガス・リョサの『密林の語り部』はまだストーリーに創作性があったし構成も巧みだった。作者はただ単に歴史的な事実に関する情報を集めて書き起こしただけなのに、完全にインテリ作家ぶったナルシストだと思う。フローベールやクンデラの作品を上から目線で論じるなんぞ身の程知らずにも程がある。 | ||||
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