文明交錯
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以前ビネの作風を冗談まじりに「伝奇小説」と形容したことがある(拙ブログ『新・鯨飲馬読記』「鳥獣の王」2020.12.14)。新作を読んで、もう少しこれに注が必要と思った。 前言撤回というのではない。どころか、今回も話の結構は奔放を極め、というか荒唐無稽の域に達している。なにせ、あのインカ、ピサロなるごろつきによってあえなく征服されたまぼろしの帝国の皇帝アタワルパが、いいですか、こともあろうに(と言いたくなる)スペイン、当時の区分でいうところの神聖ローマ帝国をのっとってしまう(!)という筋書なのだから。そう、これはつまり十六世紀版ローラン・ビネ版の『高い城の男』なのである。 だから荒唐無稽。我が江戸の読本・合巻(の出来の悪いヤツ)や今なら異世界転生モノ(の出来の悪いヤツ)とは、しかし一線を画しているのは、げんなりするような出鱈目さや俗っぽいご都合主義のあの臭みがないからだ。 いやここらが微妙なところで、ちゃらんぽらんの具合やあきれるくらいの話の運び方が、にも関わらずある《軽み》のトーンで細心に整えられているから、読後莫迦莫迦しさを感じさせないというべきか。つまりは作者の意識がそれだけ精緻で尖鋭ということである。ローラン・ビネなのです。そうこなくてはならない。 分量からもまず明らかだろう。ノルマン人の一部族が新大陸をさすらい、あげく定住にいたる足取りを描いた神話的な、というかほぼ神話のパロディとなっている第一部(史実に照らせば十世紀ごろ)から、セルバンテスとエル・グレコが新大陸(ここではアメリカ大陸のことです)に渡る第四部のあいだに、アタワルパの「新大陸」(むろんインカ帝国の皇帝から見ての)上陸、神聖ローマ帝国皇帝カール五世との駆け引きと対決、宗教改革、神聖ローマの帝位獲得、社会体制の変革と侵略・反乱を叙述して四百頁に収めるというのは、強靱な意志なしにできることではない。 植民地政策や進歩史観、その根底にある西欧中心主義が厳しく断罪される現在だからこそ、地と図をひっくり返すというだけの思いつきは愚鈍(で軽薄な)な告発にとどまる。となればいっそ、歴史そのものを黒い笑いのなかに差し出すほか手はない、とユダヤ人虐殺や言語の夢魔的側面をかつて取り上げたビネは判断したのであろう。アタワルパの兄の執拗さ、メキシコ・イングランド連合(!)の残忍さ、スペイン異端審問所およびルターの頑迷不霊を見よ。 まあ、いかにもフランスの小説家らしく、ユーモアの側面にはいささか食い足りないところはあるけれども。ただ、カール五世の登場場面では少しばかり薄味ながら、この捉えどころのない「大」君主の肖像を辛辣に描き出している。 でもその分、やはりフランスらしく、あの懐かしいヴォルテールやディドロたちの哲学的コントの瀟洒で潑剌たる味わいは確実に見て取れる。アタワルパを南から来たカンディード(それともパングロス?)と見立てることはできないだろうか。 最後に思いつきひとつ。第三部のプレストの終わり方や、世界の不合理にあくまで晴朗に立ち向かう主人公の姿勢に、遠く十八世紀にまで遡らずとも、ウンベルト・エーコの『バウドリーノ』にビネはなにか得るところなかったかしらん(エーコのあの快作もまた哲学的コントの骨格をもった、「歴史改変」小説である)。 | ||||
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複雑な交流によって、生み出される新しい技術です。 | ||||
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歴史の逆転ー南米の人々がヨーロッパを征服するという発想は面白いです。但し、起こった出来事を叙述していく事を優先するがためか、各登場人物の心象などがきちんと書き込まれていないように感じました。 | ||||
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. 遥か昔、ヨーロッパ大陸から海を隔てた西の地に移り住んだヴァイキングたちがいた。彼らは現地に北方の神話を持ち込む。 時代は下って大航海時代。コロンブスは西回りでアジアへ達することを目指し、大型帆船でまだ見ぬ大陸に到達する。その大陸の住民たちはやがてその帆船を使って見知らぬ男たちが出立した〈新大陸〉に向けて東へと舵を切る……。 --------------------- スペインのピサロ軍が皇帝アタワルパを捉えてインカ帝国の征服を成し遂げたという史実を逆転させ、アタワルパ率いる軍隊がイベリア半島に上陸し、ハプスブルク家のカール5世皇帝が統べる神聖ローマ帝国を襲うという歴史改変小説です。SFとは謳っていませんが、これはフィリップ・K・ディック『 高い城の男 』やロバート・ハリス『 ファーザーランド 』といった小説と同じく、れっきとしたSF小説でしょう。 この小説のヒントとなったジャレド・ダイアモンド『 銃・病原菌・鉄 』によれば、南米大陸には馬はいなかったのですが、『文明交錯』ではその馬がいたという設定のもと、インカの民による欧州大陸制覇の物語が進みます。 そして16世紀前半当時のヨーロッパ大陸は、新旧キリスト教の宗教対立、フランスと神聖ローマ帝国の覇権争い、そしてオスマン朝と欧州との東西対立の真っ只中にあります。そこに新たな宗教勢力および軍事勢力としてアタワルパ軍が加わるのですから、混迷の度合いはいや増します。頭の中におさめていた史実と、この架空の歴史とを行ったり来たりしながらその改変ぶりを大いに楽しみました。 印象的だったのは、アタワルパが宗教に対する寛容政策を推し進める点です。スペインではイスラム勢力を半島から排除(レコンキスタ)した後、ユダヤ教徒に対しても過酷な追放令が出されましたが、アタワルパはそうした異教徒排斥政策はとりません。自らの太陽神信仰をヨーロッパに導入しつつも、新旧のキリスト教やユダヤ教徒にそれを押し付けることはせず、「セビーリャの勅令」なるものを発して宗教選択の自由を実践していきます。 歴史を振り返れば、異民族に苛烈な政策を取ったアッシリアや秦王朝が短命に終わった一方、その後を襲ったアケメネス朝や漢王朝が比較的長期に渡って命脈を保つことができたのも、先住異民族の文化や伝統に対する寛容の精神が生かされた結果でした。史実では16世紀ヨーロッパには宗教対立が苛烈に長く続きましたが、そのことへのアンチテーゼとしてアタワルパらインディオが登場しているわけで、そこに読者が見るべきものは多いといえるでしょう。 物語は16世紀後半、エル・グレコとセルバンテスの登場までたどり着きます。二人の芸術家がどのように物語に彩りを添えるのかは、読んでのお楽しみ。 二人の旅路の行方を想像しながら書を閉じました。 ------------------- 翻訳担当は橘明美氏。ピエール・ルメートルの<カミーユ・ヴェルーベン警部シリーズ>3部作『 その女アレックス 』『 悲しみのイレーヌ 』『 傷だらけのカミーユ 』を読んだときにも橘氏の訳文にはほれぼれしたものですが、バタ臭さが一切感じられないその日本語文に今回も助けられ、あっという間に読み通すことができました。 また、訳注の徹底詳細ぶりにも感嘆しました。 私からひとつ書き足すとすれば、以下のとおりです。 *118頁:「裁いているのは審問官というじつに陰険な連中で、いずれも身を売って暮らしていた女の息子だ」とありますが、「身を売って暮らしていた女の息子」とはスペイン語で「hijo de puta」と言います。その文字通りの意味はまさに「娼婦の息子」ですが、実際には「クソ野郎」という程度の侮蔑表現です。ですから審問官たちが実際に娼婦の息子かどうかとは無関係に、「気に入らないとんでもない奴らだ」と非難していると捉えるべきところでしょう。侮蔑表現が貧しい日本語では「お前の母さんデベソ」と言いますが、実際に相手の母親が出べそかどうかは関係なく使うのと似ています。ですが、スペイン語がまだよくわかっていないヒゲナモタが若者の上記の説明を一字一句分解して「身を売って暮らしていた女の息子」と逐語訳してアタワルパに伝えている点が滑稽さを醸し出していると私は解釈しました。 -------------- 以下のとおり校正・校閲漏れがありました。いずれ東京創元文庫に収められることでしょうから、そのときに正されることを期待しています。 *133頁:助詞の誤り ✘「せっせを金を払った」 ○「せっせと金を払った」 *168頁:第19章の章末の訳注7に表記の誤り ✘「ハプルブルク家」 ○「ハプスブルク家」 *261頁:「伯父=父母の兄」ではなく「叔父=父母の弟」 フッガー家の親戚関係を記したくだりで、「アントンの伯父の大金持ちヤーコプ・フッガー」とありますが、これは間違い。正しくは「アントンの叔父の大金持ちヤーコプ」です。というのも、「アントン・フッガー」の父であるゲオルク・フッガーの生年は1453年、一方、ヤーコプ・フッガーの生年は1459年ですから、ゲオルクのほうが兄となります。したがって「大金持ちヤーコプ・フッガー(Jakob „dem Reichen“)」は、アントンの父の弟=アントンの叔父となります。 *405頁:「れ」の字が欠けています(脱字) ✘「勧めらた」 ◯「勧められた」 -------------- この『文明交錯』は史実を知っているほどそのパロディぶりがより深く味わえるでしょう。そのために以下の書を紹介しておきます。 ◆江村 洋『 カール五世: ハプスブルク栄光の日々 』(河出文庫) :アタワルパが対峙した相手がこの神聖ローマ帝国皇帝カール五世です。歴史絵巻を紐解くかのような思いとともに読める評伝です。 . | ||||
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作者の執筆のきっかけは相変わらず単純。しかし、そこからの勉強と構築の精密さが素晴らしい。本作もそんな作者の典型的作品といえる。ストーリーを説明すると日本のラノベなのだが、そこに文学性をあえていれていないところがかえって良い。「パヴァーヌ」みたいな架空歴史にしていないひらかれた物語に、現代のフランス文学の凄さを感じる。ローラン・ビネの入門としても最適だと思う。 | ||||
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