闇の中をどこまで高く
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時空を超えて、感染症の恐怖とそれに対峙する人間の行動を描いた内容は、ユニーク | ||||
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複数の朝刊で取り上げられた書評を読む限り、未知のパンデミックが猛威を振るう近未来を舞台にした終末SF長編ということで、これはもう私の好きなジャンル(例えばスティーブン・キング『The Stand』や小松左京『復活の日』、ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』のような)作品ではないか、と期待満々でハードルを上げすぎたのでしょう、読後感としては「ちょっとガッカリ」 長編作品とのたてつけですが、連作短編小説の積み重ねといった構成で、中にはいくつかSF小説ならではのワクワク感あるお話(感染者の臓器移植のために遺伝子操作で豚の体内に人間の臓器を作るうち言葉をしゃべる豚が誕生する『豚息子』や地球から何光年も離れた宇宙へ人類が居住することができる惑星を探し旅する『百年のギャラリー、千年の叫び』)もありましたが、全体的になんだか暗い「喪失感」の膜が作品全体を覆っており、そこから突き抜けた感が得られません 複数の登場人物らの、埋めることができない心の中の空洞を延々と見せられているような感じ 本作に対する評価は、たぶん本作に何を期待するかによって差が出るのではないでしょうか 私のように終末SFを期待するとかなり肩透かしです 残念 | ||||
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破滅的な伝染病に襲われる未来を描いたSF作品。すぐ隣に在る死の存在や、大切な人を悼む心理描写が実にリアルです。 しかし、単なるディストピア物と一線を画しているのは、そのスケール感。読み進むにつれ、人類の誕生から進化の歴史を経た果てしなく先の未来までを思い描き、想像の翼が広がっていきます。最後の章でそれまでの伏線が繋がると、思わず初めから読み直したくなること必須。 出版がこの時期なので、パンデミック禍に書かれたのかと思いましたが、解説によれば、作者はコロナの流行前既に、作品のほとんどを書き上げていたそうです。 描写は、哀しみと恐怖の中にも煌めく美しさが感じられます。私達自身もコロナ禍以前にはもう戻れない。それでも生きていこう、生きていかねばと思える秀作。劉慈欣やケン・リュウ作品が好きな方にもオススメです。 | ||||
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本書『闇の中をどこまで高く』の 原書タイトルは、HOW HIGH WE GO IN THE DARK 闇の中では、上も下も分からないので、高い低いだってありません。 《闇の中をどこまでも高く》と、「も」を入れて一方向で記述したら間違いです。 真っ暗闇の(夢の)中ですもの。 わたしたち(残された者たち、生き残り)は一体《どこへ》行こうとしているのでしょう。 「頂上に立つと、人形つかいが人形のひもをひいているかのように、体が漆黒(しっこく)の空へ飛びあがりそうになっているのを感じる」(89頁) 頂上から漆黒の空へ飛びあがるだって! 同時にこれは、転落と死をも意味します。 頂上から転落して、水泡と伴に海の水中深く、どこまでも沈んで行くイメージも感じます。 転落の途中で、上方向に大きな光が見えたら、きっと天国の光でしょう。 「最上さちこ」さんの装画は、本書の表紙カヴァーのイメージにぴったりです。 たくさんの小さな水泡は、夜空の星のようです。 そんな星々の一つひとつが、死んだ家族の思い出となって輝いています。 本書は、14の章からなるSF長編小説と言うより、 14篇の短篇小説をひとかたまりに集めたようにも感じました。 家族をパンデミックや戦争や事故で亡くし、 残された人々の悲しみが14篇の全部の底に通奏低音のように暗く響いているからです。 未来のいつか、こんな《宇宙葬》や《安楽死》や臓器移植が実現するのかも知れません。 本書には目次がありません。 各部分には見出しが付けられていたので、順に列記します。 (第1章) 三万年前からの弔辞(3頁) (第2章) 笑いの街(34頁) (第3章) 記憶の庭を通って(69頁) (第4章) 豚息子(90頁) (第5章) エレジーホテル(113頁) (第6章) 吠(ほ)えろ、とってこい、愛してると言え(136頁) (第7章) 腐敗の歌(156頁) (第8章) 事象の地平面のある暮らし(189頁) (第9章) 百年のギャラリー、千年の叫び(202頁) (第10章) パーティーふたたび(227頁) (第11章) 東京バーチャルカフェの憂鬱(ゆううつ)な夜(236頁) 「十年以上前、東京のインターネットカフェでアイデアメモを走り書き」(307頁、謝辞より) (第12章) きみが海に溶ける前に(258頁) (第13章) 墓友(はかとも)(268頁) (第14章) 可能性スコープ(289頁) その舞台は? 地球、アメリカ 「ケプラー186f――地球から582光年」(224頁) そして地球から打ち上げられた宇宙船「米国船(USS)〈ヤマト〉」(306頁) その時代は? 「2039年」(227頁) 「打ち上げは二〇三七年}(306頁) 「わたしたちにとっての数年間が、地球では六千年以上になります」(306頁) 「飛行期間6000年」(224頁) その時代のパンデミック感染症とは? 北極病(34頁、103頁、113頁、156頁、244頁) 物語の語り手は? (第1章) 「わたし」(3頁) (第2章) 「ぼく」(34頁)。「スキップです」(37頁) (第3章) 「ぼく」(69頁) (第4章) 「わたし」(90頁) (第5章) 「おれ」(113頁)。「デニス」(132頁) 「デニスは元エレジーホテルの死別(ビリーブメント)コーディネーターです」(230頁) 「ビリーブメント・コーディネーターを街に送って、ホテルの葬儀・火葬業務について住人に説明させた」(126頁) (第6章) 「わたし」(136頁) (第7章) 「わたし」(156頁)。女性。「名前はオーブリー・リン・ナカタニ」(165頁) (第8章) 「わたし」(189頁)。テレサの夫。 (第9章) 「わたし」(202頁)。妻。 (第10章) 「わたし」(227頁)。ダン・ポール(235頁) (第11章) 「明(あきら)」(236頁)。「『大江健太(けんた)です』と明は答え」(246頁) (第12章) 「ぼく」(258頁) (第13章) 「わたし」(268頁) (第14章) 「わたし」(289頁)。娘ヌリの父親。 いろいろな登場人物がそれぞれ《自分》を一人称としてリアルに語っています。 それぞれが《自分》という、異なる視点で語っているので、すこし混乱しました。 しかし、それらが一本の未来物語にうまくつなげられていたので、 ひとつのまとまった近未来の夢物語の全体像を描いているように感じました。 | ||||
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著者は日系人だそうで、多くの日系人や日本人、近未来の日本が出てくるが特に必然性を感じなかったし、日本的な何かもあまり感じなかった。群像劇であるから、なかなか一人の人物に感情移入できなかったのが不満だった、エピソードの積み重ねによる人物像の肉付けが足りないのだと思う。ただしいろいろの人物が後半で再登場してくる。全体を通して見るとやや不満が残る読後感であったが、一部印象的で記憶に残るシーンもあったから、読み手によってはもっと高評価の方もいると思う。 | ||||
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