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仏果を得ず
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仏果を得ずの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全84件 41~60 3/5ページ
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文楽(人形浄瑠璃)のお話でした。文楽を見たことがありません。ちょうど竹本住大夫さんの引退で話題になっていたので気になって読み始めました。三浦しをんさんの本は、登場人物が活き活きしていて面白い。引き込まれるように読んでしまいました。最初手にした時に、なぜこのタイトルなんだろうと?疑問に思いましたが、読み終わりまして納得しました。人間の根本のどろどろしたところを、さらりと肯定しているように感じ、少し励まされたような気になりました。 | ||||
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三浦さんがどれほど文楽を愛しているか、伝わります。 伝統文化の世界の実態はともかく、(他のレビューに指摘があるように、主人公の立居振舞いや言葉遣いなどに違和感がある部分もあります)、文楽についてまったく知らない人が読んでも、文楽が奥深く、ある意味凄まじく、そして楽しいものなんだということが伝わってくるところが凄いです。あれこれ薀蓄たれるような部分がなくて、作品としての読み応えがあることが素晴らしい。 『ブラックジャック』を読んで外科医を目指す人が出たように、『ヒカルの碁』読んで碁を打つようになった人が出たように、この作品がきっかけで文楽を観る人が増えてほしいものです。どこぞのおバカな知事のように、ろくに見ることもなく「つまらない」と言うのは、本当に悲しいことですから。 とにかく、三浦さんの傑作のひとつだと思います。同じく三浦さんの『あやつられ文楽鑑賞』もあわせて読んでみるとなお楽しいと思います。 また、余談ですが、カミ(人間以上の存在)への崇敬の念が作品の要所要所で感じられたことにも感動しました。 、 | ||||
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最初の1ページってすごく大切。 冒頭部分で、著者の世界に入れるか、入れないか、1ページで、結構勝負は決まる! これまで読んだ三浦しをんさんの本は、いずれも一気読み。 どんな世界を描いても面白いっ。 主人公は、不器用だけれども、自分の信ずる道を突き進んでいく「〇〇バカ」って感じの人が多い。 「舟を編む」の馬締さんたち辞書編纂者、「神去なあなあ日常」の勇気君やヨキたち林業従事者も、「風が強く吹いている」のハイジや走、アオタケの面々も……みんな、もちろん、肯定的な意味での「〇〇バカ」です。 「愚直の一念」という言葉があるけれども、愚かに思えるほどの真っ直ぐさに魅かれ、いつも感動してしまいます。 やはり三浦しをんさん、大好きです。 | ||||
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三浦しおんさんの作品は1冊目です。 江坂図書館の返却された本のコーナーでみかけ借りて読みました。 文楽の養成所をでた若手文楽太夫が主人公で、彼の成長して行くなか、ある女性を好きになり語りの練習にも支障をきたすことがあり、という感じの小説です。 三浦しおんさんの作品は初めて読みましたが、一気に読み進めることができました。 ストーリーのテンポがよく、先え先へと読ませてくれます。 大阪には市が支援する文楽の劇場があり、いまの大阪市長である橋下氏が、文楽への支援を打ち切ると話題になったのが昨年です。 正直、文楽には興味はなかったのですが、主人公の文楽に対する情熱と小説の中で書かれている文楽の一片を読み文楽への興味を持たせてくれました。 一度、見に行こうかなと思わせる作品です。 ストーリーは読みやすいので、あまり本を読まない方でも数日で読み通すことができると思われます。 性的、暴力的な話もなく、中高校生にもお勧めします。 いま江坂図書館で三浦しおんさんの2冊目を借りて読んでいるのですが、この本とはまったく異なるタイプの小説ですが、読ませる文章であることは本書と変わりません。 他の本も読んでみたいと思っています。 | ||||
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文楽の世界のお話。 主人公は、健。 高校の修学旅行で文楽に出会い、魅入られて、入門した研修生あがりの若き義太夫。 芸の道は厳しいけれど、文楽をこよなく愛す、健は、常に前向き、もしくは時に落ち込むけれど全てを芸の精進につなげていくけなげな若者なので、読んでいてすごく楽しい。 周りを取り巻く師匠銀太夫、兄弟子の幸太夫、相方の三味線の兎一郎兄さん、大家?の誠二他と、登場人物もいい。 文楽の作品についてもおおよその筋がわかるように書き込んでくれていて、それだけでも文楽に近づけたような気がしてくる。 三浦しをんさんの勉強ぶり、博識で、研究熱心さがよくわかるとても素晴らしい作品だと思う。 ぜひとも、文楽を見てみたくなった。 名作だと思う。 | ||||
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主人公の健が、文楽の修業に、恋愛にと奔走する毎日。 文楽修業へのひたむきさ、恋愛への不器用さが生き生きと描かれている中で、 文楽に隠された、今のわたしたちの人生ともつながる普遍的な物語の息遣いが 時を超えてオーバーラップしていく。 わたしは文楽を観たことがありませんが、この本を読んでみて、是非観に行きたい と思いました。 それから、解説を最初に読んで読もうかどうか決める人が結構いると思いますが、 解説は絶対に最初に読まないでください。かなりネタばれです。読んでしまうと 話の筋がだいたい分かってしまい、もったいないです。 | ||||
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伝統芸って何だろう。本当に自分には縁もゆかりもない世界なのだろうか。 変わった題名だなあと思って手にとって、すっかりこの世界にはまってしまった。 文楽の世界をこんな風に描く作家がいるのか。 文化そのものを嫌悪しているのかと思うくらい、理解を示さない市長のいる大阪。 苦戦している国立文楽劇場に、強い味方となる若手を育ててくれる本なのかと 伝統文化応援に書かれた本かと思ったくらい感心、感激。 青春物とは一概に言えない年齢の主人公だが、 芸の道は若くして極められるわけではないから、設定としてはこれでよし。 それにしても兎一郎の相方が月太夫って、月に兎じゃ、主人公勝てない。 健康の健のネーミング、意味深。 帝塚山と寝屋川、緑地公園や豊中の辺り、 土地勘のある人間には楽しい背景。 土地柄も人間関係も自分の身に引き寄せて考えさせられる、 仕事に打ち込む人間の横顔を、伝統芸と青春を交えて打ち上げた、 心温まるストーリー。本当に久しぶりに文楽劇場に足を運びたくなる! | ||||
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まるで漫画を読んでいるみたいに楽しく読ませていただきました。 | ||||
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初三浦しをんだったが,浄瑠璃と青春小説を上手く融合させて,その筆力に瞠目。読みながら文楽の台詞と共に三味線の音が聞こえてくるようで贅沢な仕上がりになっていて,何倍も楽しめる。今後の活躍にさらに注目。 | ||||
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歌舞伎は何度も見に行ってますが、文楽なんてしょせん人形劇。 ハイ、私はそう思っていました。 これを読んだら、文楽を見に行きたくてしょうがない。 読み終わった翌日、文楽協会のHPを開いて公演スケジュールとにらめっこしてました。そんな人がいっぱいいるに違いない(笑) 橋下知事もこれを読んでから、見に行ってほしかった。(今はもう興味ないだろうけど〜) | ||||
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学校行事で義務的に参加する講演会とか観劇会とか、寝るなといってもかなり無理なシチュエーションだけど、高校の修学旅行で強制的につれて行かれた文楽観賞会で、健(この物語の主人公)は「がーん」石をぶっつけられたみたいな衝撃を受けます。そして『グレている』『要注意の生徒』で、卒業後のことなんて真剣に考えたこともなかった健が、なんと、そのときの「がーん」が忘れられなくて文楽の研究所に入所してしまいます。そして無事卒業、「がーん」の発生元、義太夫の銀太夫の弟子入りし、大夫への道を歩み始めるんです。 お話はこのあとしばらく時間がたってから、健がそこそこ一人前に舞台を務められるようになったあたりから始まります。 ちゃらんぽらんな高校生男子を「がーん」とさせ、将来の進路を決めさせてしまう文楽ってなんでしょう。詳しい人って少ないと思うんです。難しそうって敬遠したくなる感じもありますよね。 でもね、文楽の太夫として芸を極めたい! 健が情熱と努力を傾ける先が、たまたまなじみの薄い伝統芸能だっただけで、イチローやダルビッシュにあこがれて、将来大リーガーになる、決意を固めるのとちっとも変わらない、要はきっかけの問題なんだなと、健の懸命さに実感します。 こういうふうに書くと、芸道一直線のお堅い物語みたいな印象ですが、三浦しおんさんのそこはかとないユーモアが、しっかりとまぶされているし、どことなく田中啓文さんの『笑酔亭梅寿謎解噺』に似た師弟関係にも笑えます(あそこまでかっとんでませんけどね) たとえば恋愛は自主規制したはずなのに、ひとめぼれをしちゃって悶々としたり、師匠の夫婦喧嘩の板挟みで冷や汗をかいたり、健、がんばれ!!! ついつい応援したくなってしまうし、もちろん芸に対する真摯な苦悩もありで、読み進めるうちに、すっかりストーリーに取り込まれてしまいます。 それと最後にもうひとつ、文楽に関して、さりげなくも丁寧な説明解説が織り込まれているので、文楽なんて知らないし興味ないでもだいじょうぶ。読み終わる頃には一回ぐらい文楽ってものを見てみようかなという気持ちになる(と思います) なんだか興味あるけど敷居が高いかな、そういう方には、ぜひぜひおすすめ。ご一読を。 仏果を得ず (双葉文庫) | ||||
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文楽の世界を中心にした作品です。が、文楽入門というよりは 文楽に青春を賭ける人々のお話といった方がいいのかと思います。 主人公・健が文楽の世界に、研究生いわばしろうとから踏み込んでいきます。 この作品では文楽の世界がわからなくても 十分に感情移入できるように、 あくまでも健のプロになろうとすることへの苦しみやもがきを土台に描かれています。 健が乗り越えていこうとする課題と文楽の演目がうまく絡めてあって 人間関係も織り込みながら、健の心の成長や葛藤が暗くなりすぎません。 また、まわりの重鎮たちや健とコンビを組む兎一郎も個性的なキャラで読んでいて楽しく 声を出して笑えるようなところも有りました。 文楽に詳しい方にとっては、また違う見方があるのかもしれませんが 知らなくても知らないなりに楽しめて、 何かに夢中になることは、苦しいけど幸せも感じられるという そんな青春を感じられる読み物です。 | ||||
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とっても面白く読みました。文楽について、あ、こういう見方があるのか、と感嘆したところも多かったです。例えば「女殺油地獄」の与兵衛の解釈、下級士族を母に持ち、油屋の次男として生まれた与兵衛が魂の自由に憧れれば憧れるほど抱くやり場のない閉塞感、から、成り行きで親切な近所の主婦を殺してしまった悲劇を描くことによって、「あらかじめ定められた生への疑問」を近松が与兵衛に托したという解釈には、なるほど!と納得しました。私は「油地獄」が好きになれなかったのですが、是非もう一度鑑賞したい、と今は思います。この作品のすごいところは、この本を読んだ多くの人に「一度文楽が見てみたい」とか「あの作品がもう一度見たい」とかと思わせるところだと思います。 しかし、文楽に関してではなく、登場人物に関して不満に思う点が二点あります。 一つは、「油地獄」で初めて出会い、健が一目惚れする真智が、この時点ではそれほど魅力的には描かれていないために、私は健の恋心に寄り沿うことができなかったということです。文楽の主人公もそうだったように健が一目で真智に惚れたことに理屈はない、と言われても納得しがたかったです。なぜなら、文楽では人形の美しさや、義太夫と三味線の切なさが、主人公の一目惚れを観客の心に訴えますが、小説であるからには筆で真智の魅力を描写していただかないと、読者は恋に落ちた健に共感できないからです。真智は後にはそれなりに魅力のある人としても描かれるわけですが、初対面の場面では健に一目で惚れさせてしまった具体的な魅力には乏しいです。むしろ「疎開物の映画に教師役として出てきそう」な藤根先生の方が、『瀬戸内少年野球団』の夏目雅子を連想させることから、その魅力が彷彿とします。 不満の他の一つは、健の師匠に対する態度です。p.143の「ちょうどよかった。師匠、師匠」健は手招きし、窓辺に座るようにうながした、という箇所ですが、師匠を手招きしたりしてもいいのでしょうか??私には長上を手招きするなんてできないなあ、と強い違和感を抱きました。加えて、弟子が師匠と話すとき、自分を「俺」なんて言ってもいいのでしょうか。私自身は、実は教師なのですが、学生が私に向かって自分を「俺」と言ったら、注意しますね。「私はあなたと話す時『私』と言っているのですから、あなたも『俺』と言わないで下さい」と、言います。私は学生が「僕」というのは許容しますが、私の先生は学生が「僕」と言うと、「相対的に『君』と言われているような不快感を相手に与えるから、『僕』と言わないほうがいい」と注意なさっていました。銀師匠は自身を「俺」と言っていますが、たとい銀師匠が「俺」と言っても、弟子の健が「俺」というのはいかがなものでしょうか?…それとも文楽のお弟子さん方は「俺」と言っているのでしょうか?些細なことですが、p.129の「しばらく修業に打ちこんでいるうちに、中学生みたいな恋しかできなくなったみたいだ」という文は雑駁です。 文楽への造詣の深さで☆4にするか、小説としての荒さで☆3にするか、迷うところですが、全体として楽しめましたし、「お迎え」も近づいた今、意地悪するのも後生が気遣われますので☆4です。 | ||||
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この本を読んでの感想は皆様がお書きになっているので、ちょっと違う視点から書き込んでみたいと思います。 「仏果を得ず」を読んで、文楽というものについての認識がガラリと変わりました。 文楽が全盛期であったころを現代として生きた人々にとって、文楽とは我々の世代におけるラップのようなものだったのかなと思いました。 歌うのではなく語りであること。三味線との掛け合いであること。人形浄瑠璃はラップと同時に上映されるPVかな?(笑) 文楽の描く世界観は、現在に生きる私たちとって理解しがたいし共感しがたい。しかし人生はいつの世にも不条理で、理不尽なことばかり。 だからこそ健は、八重垣姫の狂気を、身勝手な治平の最後の誠意を、堪平の無念を、我が身に引き寄せて謳い上げる。それが多くの人々の感動を呼ぶ。 畳み掛けるような語り、弾けるような三味線の音、盛り上げて盛り上げて、山場の後にやってくる虚しいほどの静寂。おそらく三百年後の人々にも同じ感動が共有されるであろうと、それが可能であると、信じられる。文楽ってスゴイなあ。 最終章を読みながら、ずっとラップが頭の中で鳴り響いていました。普段ラップなんて聞いたこともないのに(笑) このような解釈が成り立つと教えてくださった作者に、心から感謝して、これからじっくり文楽を学んでみたいと思います。 | ||||
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まずは人形浄瑠璃についてふれておきます。 なんやかんやで人形劇です。人形は三人で操ります。これを人形遣い。 効果音を担当するのは三味線。 台詞を言う者を大夫(たゆう)と言います。 この話は、大夫の道を極めようとする健(たける)の物語。 一話一話は短編で、浄瑠璃の題目と健の葛藤がリンクするオシャレな作り。 笑いもふんだんに盛り込まれています。 阿呆な比喩もちょこちょこ。 終章(八章)仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)では、人形が演じる主人公と健が一体化する。 「うわ〜」と鳥肌ものでした。惜しむらくは、健と周りの人との関係のその後が蛇足でした。親切な説明も善し悪しですね。 大阪に土地勘があれば、別の楽しみ方もできます。 谷町筋、千日前、寺町、黒門市場などなど、私には懐かしい響きでした。 | ||||
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生活の全てを捧げて一生懸命に取り組んでいる人は魅力的です。 たとえそれが、文楽人形浄瑠璃の世界であってもそれは同じことでしょう。 活躍の舞台は数あれど、「風が強く吹いている」では駅伝、「神去なあなあ日常」では林業と いわゆるメジャーどころとは一歩離れた舞台を描き、そしてみごとにその世界を書き上げ、読者を引きこませる三浦さん、さすがです。 今回の「仏果を得ず」も、ご自身が大の日本芸能好きということで執筆にあたり念入りな取材とインタビューとあふれんばかりの愛が込められており、 浄瑠璃なんて一度もみたことは無い私でも、面白くてグングン読めたのはそういった裏打ちがあったからこそではないでしょうか、と思います。 浄瑠璃とか、あんまり興味ないな。良く知らないし…と思って敬遠してる方、ぜひぜひ一度読んでみて下さいませ。 序盤から引っ張られてあれよあれよと終盤まで読んでしまいます。 文楽の古典は知らなくても、主人公の健はじめとする相方や師匠のキャラの濃さと魅力だけでも十分読めます。保証します。 そして、この一冊で浄瑠璃のお話に興味をもった方、もう一冊「あやつられ文楽鑑賞」もあわせて読まれると ああ、あれってこういう話だったのね!と納得するかと思います。 先に読むのが一番だったと思うのですが… 個人的に三浦さんの作品で一番好きなのがこの「仏果を得ず」です。繰り返しくどいようですが、本当にオススメですのでぜひ。 | ||||
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文楽青春小説というひじょうにユニークな作品です。YA文学の雰囲気で軽妙に進んでゆきますが、頑固で偏屈な太夫、三味線、それぞれの芸に賭ける壮絶な生き様がうかがえるのがひとつの醍醐味、そしてもうひとつの醍醐味は、若い主人公が、「古典芸能」である文楽と、自分の人生がクロスして火花を散らすのを体験し、芸に目覚める天啓の瞬間です。 後者は、師匠にうながされて、師匠の妹の通夜の席で祭壇に向かって『ひらかな盛衰記』の「神崎揚屋の段」を語る場面と、『忠臣蔵』六段目に抜擢されて、勘平の腹切りを語る場面によくあらわれています。そこでは、古典の物語が音曲の力で、現実の人生にぶつかり、重ね合わさって発火します。 ことにラストの『勘平腹切り』の段。母子家庭の小学生の女の子に惚れられ、お母さんと深い仲になってしまっている主人公は、女の子の行方不明という事件のさなか、必死に初の「勘平」を舞台で語るうち、勘平の苦悩に乗り移られ、神がかりのような瞬間を体験します。 「脳髄が冴えわたり、魂が首筋から抜けでて頭のうしろで浮遊する感覚がする」 このクライマックスの描写は圧巻です。 一生のコンビとなる三味線の兎一郎との物語が、これから始まるという予感もあり、文楽の真髄にせまった作品です。 ただ、主人公の輪郭がいまひとつはっきりしない憾みもあります。 どちらかといえば勉強の苦手な不良高校生だった主人公が、文楽の太夫の絶叫エネルギーに打たれて、その道を目指すわけですが、たとえば、その彼が、別の太夫に稽古をつけてもらうよう師匠に命じられたとき、そんなところへ行っても、けんもほろろに追い返されるだけだから、どうせ「深草の少将」か「カノッサの屈辱」になる可能性が高い、とつぶやく場面があります。この言葉など、何か彼のキャラクターに合わない、スマートな洒落で、微妙に違和感を感じました。 ともあれ物語と健自身の人生が重なって織りなしてゆく文楽人生、ぜひ続巻を(特に兎一郎に光をあてて)書いてもらいたいと思います。 | ||||
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浄瑠璃・文楽という事を扱っているけど、最近の風潮のトリビアルな解説風文章がまったく無いのが立派です。 しかも物語として十分その世界の雰囲気がわかり、文楽の魅力も伝わるというところに作者の力量を感じます。 ただ物語に恋愛を混ぜるのはどうなんだろうなー、しかも相手の女性の素性もまったくわからないし、その魅力もわからない。 単に、師匠の「いきなり渋いところねろうたな」(正確な引用ではありません)というせりふを言わせたいがためのような気もする。 全体的に、いろんな要素を混ぜ込んだけど、うまく消化しきれていない部分もありますね。一人ひとりのキャラクターも輪郭はわかりますし、魅力も感じる輪郭ではありますが、生きる場面が少ない。逆に言えばシチュエーションコメディでのキャラクター造詣という感じも残ります。 頭でっかちな青年の苦悩、という青春ストーリーの王道でしょう。 | ||||
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三浦しをんさんの個人的現在の一押しは、「風が強く吹いている」で次に「まほろ軒」ではあります。 そちらは問答無用でオススメしてしまうんですが、こちらはオススメですけどそこまでではないという感じ。 でも面白いですよ。 文章がとても読みやすく、登場人物がわかりやすいので、文楽に興味のない方でもスラスラと読めてしまうはず。そのあたりはさすが上手い作家さんです。 | ||||
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勝田文さんのイラストが気になって手に取った。 最後の最後までタイトルの意味は明かされない。 ひっぱってぴっぱって、最後に大納得。 これまで文楽を観たことはなかったが、それでもグイグイと読み手をその世界に連れていってくれる著者の筆力に脱帽です。 | ||||
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