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ブラックボックス
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ブラックボックスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 21~40 2/3ページ
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これまでの作品だったら大活躍しそうなオバチャンが途中退場だったりして、あれ?と思うも、本当に面白く一気読みでした。 小説の中のことなのに、あまりにリアルで・・・・ 食べ物への警告としては有吉佐和子の「複合汚染」と並ぶ怖さを感じた。 | ||||
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日本は沢山の食べ物が残って捨てられていく。それでいて、餓死で死んでしまう人もいる。 かたや、添加物を嫌い高価格無添加ヘルシーフードにこだわる人もいるのだ。 本書は、野菜が昔ながらの太陽や雨に左右される形から、 徹底的に科学を利用して効率化された農業にとって代わる近未来の予想図を描いている。 もともと、地に実る野菜や果物は太陽と土という自然物によって生成される、 いわば人間にとってはコントロール不能のものであった。 しかし、それをもコントロールしてしまうとき、何が起きるか…を不穏な雰囲気をひきづりながら物語が展開する。 テーマはとても面白かったが、いかんせん登場人物などの掘り下げが浅かった気がする。 あれ、この人いつそんなに仲良くなったんだっけ?など不思議な距離感が多々あった… 著者にしては、テーマにこだわりすぎて、人物の魅力度が少なかった感じがした。 | ||||
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綿密な取材を経て書かれた作品であることは明らかですが、 その先に導き出す結論が相容れず、私には合わない小説でした。 作者の略歴を見て、篠田さんが1955年生まれで今年で60歳の還暦と知り、やっぱりな、と思いました。 というのも、この小説を読んで共感を覚えたり、内容に納得しながら読めるのは、 もっと上の世代、少なくとも40代以上の方なのではないかという気がしたからです。 例えば、ゲーム脳という言葉に心配して子どもに一切テレビゲームをさせないとか、 電車の中でスマホをいじる人が増えたのを見て最近の若者は本を読まないとか感じる方たちです。 私はまだ20代ですが、この本を読むと、説教くさく感じてしまいます。 ビルの地下でトマトを育てるような最新の施設栽培のニュースには、怖さよりも圧倒的に好奇心が先に湧くし、 大量生産方式の確立や、農薬、肥料の進歩によって、アフリカを始めとした発展途上国にも毎日の食事が供給出来るようになってきていることを考えると、非効率的な有機農業や無農薬栽培をやたらと礼賛する人は、少し痛々しいと感じます。 篠田節子さんの書いた小説は、夏の災厄と本作の二冊を読んでますが、 どちらも小市民的な登場人物が自分のせせこましい暮らしを維持するために、企業や行政組織の怠慢を放置し、 事態が大きくなって自分の生活にも影響しそうなので、仕方なく重い腰をあげて事態を解決しようとする、 という筋になっています。 あくまでリアリティを追求しているのかもしれませんが、この登場人物たちの器の小ささは、行き過ぎてる感があります。 読んでいて共感できないのは、そういう部分もあるのかもしれません。 ご年配の書いた社会派小説のカテゴリでも、山崎豊子さんの作品は若い人が読んでも面白いと思います。 | ||||
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完全制御型植物工場というハイテク農場で,無農薬で新鮮,泥を洗い落としたり面倒な下処理をせずにすぐに食べられる野菜を生産する後藤アグリカルチャー。その今森社長は,無農薬で安全な野菜を提供しつつ,農家が本当に経営的に成り立ちうるようなビジネスモデルを熱心に提唱している。 ところが,その地元で,後藤アグリカルチャーが提供する野菜を日々口にしている人たちの間には,アレルギー患者や癌患者,奇形児の出産といった不気味な現象が見られる。何度検査しても,後藤アグリカルチャーが提供する野菜の中からは,規制の対象となるような危険な物質は検出されない。また,不気味な現象といっても,散発的に見られるだけであって,統計的に有意な数にはならないため,世に訴えようとしても訴えようがない。しかし,何かが変だ・・・。 また,地元の雇用創出といった美名を掲げつつ,実際にハイテク農場・野菜処理工場で働いているのは,フィリピンや中国などから派遣され,普通の日本人なら働かないような低賃金での労働を余儀なくされている「研修生」。 そうした複合的な社会問題に目を向けつつ,「食」といった生理的な部分から静かな不気味さを沸々と感じさせられた。篠田節子の他の作品同様,いわゆる「悪人」(根っから悪意を持って社会に害悪を振り回すような人)がいるわけではないのに,結果として恐ろしい事態に陥っていることに後から気付かされるという点で,文句なしの傑作だった。 | ||||
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大好きな篠田節子さんの作品でありながら、なぜかずっと積ん読していた本 食料の安全性と自給率、農家の生活に外国人労働者の問題まで あいかわらず取材は綿密で、いつものような膨大な分量であるにもかかわらず一日で読了してしまいました 篠田さんの描く人物にはステレオタイプな登場人物はいません みな実際にどこかにいそうなほど息吹が通っています 登場するすべての人物が、はじめは善なのか悪なのか判別がつきません 読み終わったあとでさえ判断できないのは、まさに人間そのものであるのだと思います 一見すると無駄な気がする描写も、彼らのリアリティを増すのに一役買っています 社会派小説というと人間の描写が疎かになっているイメージがありますが、 もちろんそういう小説ではありません。 その上で食料の問題を説教がましくなく提示するのですから、すごい力量です この本もまた篠田さんの代表作の一つであると私は思います | ||||
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登場人物の発言によれば,2005年以前の話である。 週刊誌での連載が2010年,出版が2013年であることを考えると,もう少し現在に近い時点の話にはできなかったのかな? いろいろと資料を活用しているようなので,執筆時で資料が出そろう5年以上前の話にしかできないのかもしれない。 | ||||
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どこか、モデルになった企業や地域があったかと思わせるぐらい(実際にはあるのかもしれませんが)、綿密な取材と膨大な資料に基づき書かれた小説だと思います。 帯にはサスペンスとありますが、あまりそのような要素はなく、当初1/3ぐらいは過酷な労働環境下で、名ばかり研修で働く外国人労働者の実態についても書かれています。 徒に食への不安を煽る訳でなく、大企業=非道で、一農家=弱小の正義という単純な構図でもなく、現状の日本における食の安全や農業の問題点が、三人の男女の人生模様も絡めながら、実力派の作者らしく語られていきます。 結末に一つのあるべき姿が示されていますが、それで事業としての農業が成功するのか、また一般の消費者を満足させる安価で手軽な食の供給に結びつくのかは分かりませんが、希望のもてるラストでした。 | ||||
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食の安全性については、よく考えさせられましたが、物語に起伏がないので、非常につまらない。 何か起こりそうな出来事を発生させといて、何も起こりません。 いつ重大事件が起きるのかと期待して読んでましたが最後に適当に終了させたのは、ちょっと。 いやリアルだったらあんな感じで終了でしょう。しかし小説であの企業の終わりは何ともつまらん。 また主人公女は、あまり好きになれませんね。 | ||||
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コンビニやスーパーに並ぶ、きれいに盛り付けられたサラダ。みずみずしく新鮮に見える野菜がいったいどういう経路を経て私たちの口に入るのか。 大量生産、コストの削減、腐らせない、そのために企業は海外から安い労働力を確保し、劣悪な環境で働かせ、従業員には知らせずに謎の液体に野菜をくぐらせる。結果、従業員はもちろん、そのお腹にできた胎児、給食を食べた子供たちの体に異変が起きる。真実を突き止めようとする主人公3人に立ちはだかる大きな壁。食の安全はどうしたら保てるのか? 様々なアレルギーも、子をなした母体がその毒素を胎児に吐き出して生まれる、との記述には愕然とした。人間の体を形成する食物は、かくも長きにわたって影響を及ぼすのか。 いずれにせよ、本書を読むと、何を食べたら安心なのか、スーパーでの買い物も熟慮するようになることは間違いない。 | ||||
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読み応え十分の力作でした。良質の社会派サスペンスを読んだという充実感でいっぱいです。 太陽光を使わない屋内型ハイテク農場、徹底的な無菌管理のサラダ工場。その周辺では原因不明のアレルギー患者が急増したり、サラダ工場勤務者の中には癌で死亡する者や、奇形児を出産する者も... そこには何がしかの因果関係があるのだろうか? 読んでいて、言い知れぬ不安を感じます。時おり、ノンフィクションを読んでいるのではないかという錯覚に陥ります。 どこに問題があるのか科学的な解明が出来なくても、自然に逆らった行いをする場合、とんでもないしっぺ返しを食らうのではないか? 人間が行って良い領域と、そうではない領域の境界線はどこまでなのだろう?と考えさせられます。 重たいテーマを扱っていますが、篠田節子さんの文章はとてもテンポが良く読みやすく、頭にもスッと入ってきます。難しそうだと敬遠している方がいるとしたら、取り越し苦労です。ぜひ読んでほしい作品です。 | ||||
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とても深く調べられたんだろうなということが伺える内容で、かつそれだけでなく読み物として非常に面白いです。 先を読みたくてたまらなくなる一冊。最後まで飽きさせません。 出てくる登場人物も、薄っぺらな人物像でなく、したたかで貪欲でパワフルで愛くるしい。 読み応えがあり、読後に元気が出る一冊です。 とにかく読んでみてほしい! | ||||
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食の安全を問う、ミステリ仕立ての社会派サスペンス。 従業員にも、住民にも、次々と体調の不良になるものが出てくる。 原因はなにか。 さぐっていっても、なかなか明確な犯人が出てこない。 ミステリ仕立てで、ページをめくる手を止めさせません。 いやあ、うまい。 それと、私が感じたのは、著者の文章が、決して美文ではないということです。 乾いた、事務的な文章です。 個人的に、最近、文章自体に魅力のある小説をいくつか読んでいましたので、こういう文章は、むしろ新鮮でした。 こんな情緒のない文でも小説は書けるのだ、ということは、特別な文才はないけれど小説を書きたい、と思う人にとって、希望になるのではないでしょうか。 | ||||
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深夜の野菜工場と劣悪な環境の外国人研修生、現代社会の日の浴びていない実像を小説にしている。コンビニに並ぶカット野菜、コーヒーショップにあるおしゃれな種類豊富できれいな盛り付けのサラダ、切り口が痛むことなくケースに並べられている。季節知らず、規格通り、不自然な野菜に慣れてしまっている。フィクションなのに、街のあちこちで見かける風景の謎が解けるようだ。そして、人の考えやものの見方が、その人の置かれている立場・状況により変わり生き方が変わる。親世代の農業では道が開けないと、新しい農業を目指すが、大手企業の試験モデルとして踏み台にされる三浦剛、IT関連の会社の不祥事で故郷に帰った栄実、小学校の栄養士の聖子の三人を中心に話は進む。安全安心に強迫観念のようなものを持ちながら、現実には便利な暮らしをする現代人。生活に追われ、介護、育児、仕事で、疲れ切っているため、割高のカット野菜を購入するような矛盾が繰り返される。昔ながらの方法で育成した露地野菜を栄実が切るとき、野菜についた虫にあわてる場面は象徴的である。善悪を問うことなく、問題を提起しながら、サスペンスのように流れる小説は読みごたえがある。 | ||||
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いやー、しびれた。 まだ今年1ヶ月しかたってないけど、今年のナンバー1、きたかも(笑) 食の安全・安心と日本の農業にスポットライトを当てたられた小説。 「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるけど、 「小説は事実よりリアル」。 そう感じてしまうほどリアル感がハンパでない。 登場人物の1人、剛の設定はこうだ。 ・農地は相続で六分の一に。残った道路に面している所は近隣の工場とパチンコ屋に貸し出されている。 ・百姓が農業でなく、アパート経営で暮らしをたてるなんておかしいと感じている。 ・大学農学部で学び、その後埼玉県の有機農家で3年研修。 地元に戻り、閉鎖的な農村システムの中で同年代の農家の長男を組織して、食える農業を目指し、農業生産法人を立ち上げる。 ある時、地元の有力企業の傘下にある資材屋に「完全管理施設農法」を勧められる。 ボクならこういう題名にするかも。 「もし農家がオーガニック植物工場を建ててスタバで販売したら」 途中つい、自分と見識が違うところがあると、「それは違うだろう」と重箱の隅をつつきたくなってしまう。 小説という事を忘れて、ドキュメンタリーを読んでいる錯覚に陥ってしまったのだ。 本の中で登場する単語を抜き出してみよう。 ”地産地消、相続、耕作放棄地、農業委員会、補助金、植物工場、硝酸態窒素、ニトロアミン、食物アレルギー、モンサント、BASF、遺伝子組み換え作物、外国人研修生、中華料理症候群、マクロビ、ロウフード、自然農法、農民連” 食の安全や農業に興味ある者なら気になる事案がこれでもかと襲ってきて、取材に多くの時間を費やしたのが容易に想像できる。 著者は語っている。 「社長や政治家、行政のトップが出席する研究会などに出席する機会があります。そこでは大局的見地から国や産業の未来が語られる。けれど、その未来では幸せになれないと思うことが多い。この乖離(かいり)をどこかで出したかった」 http://mainichi.jp/feature/news/20130127ddm015070048000c.html いつもノンフィクションばかりで、久しぶりに小説読んだらクラクラきてしまった。 | ||||
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作家の篠田さんがちかしい関係なので読んでみましたが、まあまあでした。 | ||||
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社会派の問題提起を孕みながら、サスペンスとしても 続々するほどの面白さを持つ長編です。 文章に全くムダがなく、 張られている伏線も見事であり、 全てのエピソードが有機的に結び付けられ 結末まで一気に読んでしまいます。 今回のテーマは「食の安全」。 そこに“転落した人生を歩む”若くない女と、 昔からの土地を切り売りした男の生き方を絡め、 時には東南アジアや他国からの労働者問題を挟み込みながら、 少しずつ真相に迫っていくやり方は見事の一言です。 ここに書かれていることは、フィクションの風を装ってはいますが、 恐らく、多くの人が感じていることであり、 危機感を抱かずにはおられないことであり、 半ばあきらめにも似た気持ちを抱いていることでもあります。 読了後、「じゃあ、どうしたらいいのか?」と問われても すぐには答えが出ないかもしれませんが、 普段の意識に一石を投じる物語であることは間違いありません。 | ||||
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農家が読んで、冷や汗がでる。 ノンフィクションかとも思った。 ただ、若干気になる点があった。 読んで欲しい本です。 | ||||
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無農薬・無菌状態のハイテク農場の周囲でなぜ体調不良者や癌患者が増えているのか?訳ありで故郷に戻った中学の同窓生3人が謎に挑みます。ミステリー仕立てで面白いですが、日本の農業の現状、近年の食物アレルギーの子供やO−157患者の増加の原因、外国人労働者の実態(含セクハラ)などにも触れられており、考えさせられる内容です。しばらくカット野菜は食べられそうもありません。映画にしたら面白そうですが、食品会社がスポンサーになってくれないかもしれませんね。 | ||||
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最近の食料や農業を知るには有益な一書である。農業 を取り扱った作品には、良心的ではあるが、不正確な知 識に基づくエコ礼賛のようなものが多く、辟易すること もある。しかし本書は、農業や植物工場、外国人研修生 などの問題点の綿密な取材と正確な知識に基づいて描か れていると感じた。最近のTPP加盟問題をめぐって、 農業や食料自給に関心を持ちはじめた方も多いであろ う。本書は、食料に関心のある人にとって、非常に興味 深い作品になっている。 | ||||
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農業を営む三浦剛は、大手肥料メーカーの開発したハイテク農法を導入し、成功していた。一方、勤めていた会社の不祥事で故郷に逃げ帰り深夜のサラダ工場で働く栄美。ところが工場の外国人従業員たちが次々と体調不良を訴える。過酷な労働環境の所為なのか、それとも・・・栄美は不審を抱き原因を追究しだす・・・。話は、サラダ工場の労働環境〜食の安全とは何かという問題にまで進んでゆく。ハイテク工場で工業製品のように生産される野菜、児童に多発するアレルギー。工場で、農場で、学校で、同時多発的に起きる諸種の問題・・・それが複雑に絡み合ったひとつの問題であることが次第に見えてくる。栄美がひどいと感じた外国従業員の労働環境は、彼女らにとっては必要である。農家の剛はハイテク農場で作物を管理することに違和感を覚えているが、通常の農業では食べてはいけない現実がある。まさにブラックボックスである工程には不安であるが・・・仕事、育児、介護などに追われるものにとっては、そのようなカット野菜は、便利で必要なものとなっている。加工野菜の怖さや露地物の確かな美味しさよりも、日々の現実的な便利さを選んでいる。栄美が泥つき野菜を料理する場面が印象的である。読むものもどのようなにするのが人間にとって最善であるかは知ってはいるが・・・。本書は、各界の利権、安全安心強迫観念が絡む食の崩壊連鎖に、著者は、”善“か”悪“のような単純・容易な結論は出しはしない。それは、読者が”考え、選ぶこと“である。現在において、本書の内容は、我々の多くに、そのようなブラックボックス的食品に多く依存せざるを得ないということを再認識させるであろう。お薦め。 | ||||
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