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残穢
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残穢の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.38pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全165件 121~140 7/9ページ
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| 怖い本が読みたくて。 小野不由美さん大好きなので信頼して購入。 期待を裏切らない内容でした。 | ||||
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| 夜は、読めません。怖くて。 読み応えがあり、やはり、安心して作者買いし続けられる方だと嬉しくなりました。 原因不明の怪異が続く前半が特に怖くて、夢中になりました。居心地の悪さを早くどうにかしてくれと、ページを繰る手が止まりませんでした。 後半、解き明かされていく因縁の深さ・呪いの強さにも恐怖と興味が尽きませんでしたが、 「分かっていく」事への安心感で、少し読むスピードが落ちました。 ‘ドキュメンタリーホラー’と銘打たれていますが、どこまでが現実でどこからが創作か分からない不安定感も、この本をより楽しむ一つの要素になっていて、本当によく作り込まれた作品だと思いました。 同時発売されたもう片方をまだ読んでいませんが、レビューで多くの方がこちらを後に読むよういわれてるので、未読の方を読んだらまた読み返したいと思います。 星➖1なのは、装丁です。 個人的好みの問題です(^_^;) | ||||
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| 小野不由美という作家は「東亰異聞」を読んでから気になっていた。その後、「屍鬼」は読みたかったが長すぎたし、「十二国記」シリーズ」は私の傾向ではなかった。そういう意味では「黒祠の島」は読むべきだったが、機会を逸してしまった。本書は山本周五郎賞を受賞したが、選考委員の石田衣良が「今まで読んだ中で一番恐ろしい小説」とコメントしていたのを読み、ここで読まないと小野不由美は再び読めないと思ったので、満を持してページを開いた。 発端は作家のもとに読者から届いた一通の手紙である。転居した賃貸マンションで妙な音が聞こえるという。調べてみるとその部屋は、短期間に頻繁に退去しているらしい。作家と読者はそこから同じマンションや、周辺の住民に聞き込みをし、退去した人まで探して調査を進めていく。 古来、死や出産などで異状な生理的事態を「穢れ」とし、特に死による穢れを「死穢」と云って重大視された。だから死者を供養し土地を浄めるのだが、あまりに強い場合、浄められずに残ってしまう事を「残穢」という。この正体がやっかいで、本書の主題となる。 話は淡々とした描写で時代を溯っていき、明治、大正年間まで突き進む。壁が膨らみ、よく見るとそれは赤ちゃんの頭で、それが次々と顔を出しては消えていく。こういった一つひとつのエピソードの繋がりが不気味な連鎖を呼ぶのだが、逆にいうと細切れになり、そこで終っている為、恐怖感が続かず、ああ、そうですかという印象しかない。 古びた田舎の因習に満ちた異常な世界のなかで生じる怪奇ではなく、都会のマンションで日常生活をおくっているなかでの怪奇を、現代から過去に溯って調査していくシチュエーションは悪くはない。ただ恐怖感というのか、悪寒がはしるというのか、そういうのを単純に期待する作品ではない。 | ||||
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| 映画化されて『残穢−住んではいけない部屋−』というタイトルが付けられ、2016年1月30日(土)より全国ロードショーが決まった。だからというわけではないのだが、内容は同じなのに文庫版『 残穢(新潮文庫) 』を買ってしまった。 小説家「私」:竹内結子 仮名「久保さん」:橋本愛 ※何故か「久保さん」は女子大生に変更された。 「畳を擦る音が聞こえる、いる筈のない赤ん坊の泣き声がする、何かが床下を這い回る気配がする。この家は何処か可笑しい。何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べる内、浮き上がってきた『土地』を巡るある因縁。怨みを伴う『死』は新たな怪異の火種となるのか。」 一 端緒 二 今世紀 三 前世紀 四 高度成長期 五 戦後期I 六 戦後期II 七 戦前 八 明治大正期 九 残渣 怖い話を教えて欲しいという「私」の呼びかけに応えた1人、編集プロダクションに勤めるライターである30代の女性・久保さんは最初は背後の和室からの「畳を擦るような音」に悩まされたが、問題の和室を「開かずの間」にしたら今度は「ゴトンと何かを倒した音」が聞こえるようになる。最初が首を吊った着物の女性の帯が畳を擦る音で、次が首を吊る時に倒した台の音らしく、無視するなと抗議せんばかりの悪意に満ちた嫌がらせのようである。しかし、最初の怪音については久保さんには首を傾げるモノを感じた。何故、仕切りの板戸を開いたままだったのか? 本作の主人公である女性小説家「私」は同業者の夫が仕事上の都合で別の部屋に暮らして新居に転居後は同じ空間で生活することに戸惑ったり、懐疑的で淡々とした口調で何か因縁があるのではと先走りがちな久保さんの手綱を引き絞ってどうどうと窘めたりと、何処までも作者の小野不由美女史を体現している。因みに、小野女史の旦那様は綾辻行人(あやつじ ゆきと /本名は「内田直行(うちだ なおゆき)」)氏である。 冷静なようでいて「私」には軽率な一面があり、大晦日の深夜、そんな時間に掛かって来た如何にも怪しい電話にうっかり出てしまい、10代 - 20代前半の男に「今、何時ですか?」と問われ素直に答えてしまったのだ。翌日も答えてしまうが、3日目の晩から出るのをやめて一週間も続いた。久保さんには軽率な対応に密かに呆れられつつも心配されたが、かかってきたのと同様に突如としてイタズラ電話は終わった。 主人公に「音がする」と相談を持ちかけ物語の「端緒」になった久保さんは理由を問われたら「土地の歴史を調べている」と説明するという怪奇探偵の小池壮彦(こいけ たけひこ)氏の機知に倣って調査を行い、やがて実話怪談の蒐集家にして幻想小説・ノワール小説を執筆する平山夢明(ひらやま ゆめあき)氏及び福澤徹三(ふくざわ てつぞう)氏も2人の調査に関連して登場する。 調べ始めた久保さんは或る事実に遭遇する。岡谷マンションから転居した梶川亮(かじかわ あきら)さんが他のアパートで首を吊って亡くなったのだ。その直前、ドラマのように「夢から覚めても夢の中にいる」という不思議な現象を体験し、彼が末期の挨拶に訪れる夢を繰り返し見たため、大家の伊藤さんのショックは大きい。しかも彼の死から1年後に入居した住人が幽霊を目撃したが、それは梶川さんの死の原因である着物の女性の首吊りだった。事件のことは承知の上で少々強引に入居した2人だったが、自殺したのは男性で今までに女性は入居したことすら無いと言っても信じようとせずに次々に出ていってしまう。普通、その部屋で自殺したと考えるのは当然だが、実際にその女性は二駅も離れた自宅で死んだのだ。岡谷マンションに化けに行って、そこから梶川さんに付着して彼を死に追いやった後も居座っているということになる。 吉兼家に凶事が起こると禍々しい笑みに歪む女性の絵の怪と謎の風音に慄く住職の話を聞き、久保さんだけでなく「私」が背筋の凍る思いを抱くのは至極尤もだと思う。殺人と放火、地下を吹き抜けるかのような風の不気味さが怪異の謎と「穢れ」の恐怖を物語る。 そんな時、子供を産んでは殺し遺体の隠匿方法が杜撰になる程に嬰児殺しを慣れて何とも思わなくなった中村美佐緒(なかむら みさお)の事件が浮かび上がり、嘗て、家族を襲ったり放火をしでかそうとした吉兼家の三男の吉兼友三郎(よしかね・ともさぶろう)が「私宅監置」で座敷牢に入れられても当初は床下を徘徊し抜け出したりしたことが判明し、複数の赤児の泣き声や床下を這い回る気配に該当するかもしれない存在の欠片が見え、一世を風靡したJホラー『呪怨』が簡単に紹介された。 健康上の都合で久保さんが調査から外れた矢先、存在自体が怪である北九州最強の「奥山怪談」が浮上する。奥山家最後の当主の奥山義宜(おくやま よしのり)による家族を皆殺しにした挙げ句の自殺という惨劇が、その後の枝分かれし量産された怪異の震源地だった。別々の場所・別々の家や人を不幸にした怪異は、実は元を辿れば同一の原因があるとわかった時の恐怖は形に出来よう筈もない。最終的に平山氏及び福澤氏と久保さんと「私」の4名で廃墟と化した奥山家の跡地に居住し断絶した真辺家の探索を行う。ただでさえ夜に廃墟なんて不気味なのに久保さんは話に聞いていた謎の風音に内心怯えていたため、ダンプが通り過ぎた時の地響きと風に飛び上がってしまう。 住人の流動性の高さも手伝って怪異は広がる。時を越え場所を越えて「穢れ」が巡るかのように「私」と久保さんの調査は時を遡り、場所を移ってはアウトブレイク(爆発的感染)の果てにパンデミック(世界的大流行)を引き起こした伝染病のような「穢れ」の足跡を追う。まるで『呪怨』『リング』等々の世界のように「穢れ」は人から人へ土地から土地へと感染し、風に運ばれ、蜜蜂に付着して運ばれ他の花の雌蕊に受粉するように広まっては新たな怪異の火種と化す。但し、誰彼構わずではなく心に「負の感情」が巣食う人がそうなるらしい、その証拠に何事も無く平穏無事に暮らす人もいるのだから。しかし、何をどうする訳でもなく結局は「すべて世はことも無し」だ。怪しい事象を求めた先で怪しげな事象が転がっただけとも言える。 一度も主人公が名前で呼ばれることは無いままだが、それなのに違和感は皆無である。 | ||||
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| 夏に怖い話が読みたくて購入。 こういう小説のような形式で怖い話を読むのは初めてだったが、凄くよかった。 ほのかに香ってくる恐怖と、その恐怖へ中々近づけない絶妙な間。 そして最後も、興ざめするような事もなく、妙に納得させられた。 全体的に読んでいて、どうなるんだろうと前のめりになって読めた。 | ||||
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| とっても誠実な書き方に好感がもてます。最近は無理やり押し付けがましい恐怖談が多いですが、この本は違います。 | ||||
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| 一気に読みました 読み終わってからテレビのニュースで 不可解な事件や凶悪な事件を見るたび この本を思い出してしまいます こんなことってあるんや~って思います | ||||
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| 小野不由美「残穢」を読了。怖い物語です。主人公は作者自身。だから実話のような展開でそれも怖い。何より怖いのは、直接的な怖さではなく、間接的に怖さが染みてきます。その土地やもの、歴史によりくる怖さは、日本人の怖いというスイッチを簡単にonにします。そして、着物や畳といった日本家屋の情景が怖さに追い討ちをかけるのです。日本人だからこそ感じる怖さがここにあります。怖すぎます。 | ||||
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| まず、ファンタジーを求める小野ファンには向きません。ピンクの背表紙の悪霊シリーズ、グリーンホームなどのホワイトハートのファン向けだと思う。 技巧が高く、本格ホラーが読みたい人向け。 淡々としたレポが、淡々と引き出す底知らぬ怖さは小野さんならでは。フィクションかどうかの足元がぐらつき、不安定な曖昧さがどうしようもなく恐ろしい。 都市伝説を長年追ってきた小野さんがなにを思い、伝えたいかがわかると再読が躊躇われる。 ぱっと読み終える割りに、読後感の胸を透かさないものは、本作のタイトル通り。だが、それがいい。 | ||||
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| 怖っ!読者まで呪われそう… あるライターから、新居の寝室から変な音がする―という相談を受けた著者が関わっていく怪異の連鎖。 ドキュメンタリーとして語られていくので、余計にリアル。 著者の思考は、なんでもオカルトに結びつけないところはあるけれど、それでも偶然では済ませられないものがあり、ゾッとする。 盛り上がりはないが、淡々とした冷静な語りが、じわじわと絡め捕られるよう。 実話怪談好きには実に面白い読み物だ。 | ||||
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| 本書は日本的なホラーの怖さ満載です。 わたしが「日本的」というのは、本書の全編を通して、死者の怨念、恨み、穢れ、祟りといった「不穏な理不尽さ」とそれをもたらした「歴史」が感じられるからです。時代を遡れば見えてくるドロドロした死者の歴史。それに対してわたしたちは何の直接的な因果関係もないのに、祟りや恨みという形で、一方的に死者からコンタクトを受けてしまうという理不尽さ。それらが通奏低音のように感じられるのです。本著者の他の著作、たとえば「鬼談百景」もそうでしたし、別の著者の「ぼっけえ、きょうてえ」も「瞽女の啼く家」もそうでした。ゾクゾクとした嫌な感じのおおもとにある歴史・・いま「何か」が起きるには、かつて「何か」が起きたという物語があった・・・そう思わせるのは、「無主地」が存在しない、つまりその土地その土地ごとに長い歴史がある日本ならではのものです。 誰もが「ひょっとしたら・・・」と思ってしまう日常生活の中で感じる嫌な感じ。それは過去の死者の怨念、恨み、穢れ、祟りがもたらしているのかもしれません。それを感じる瞬間は、きっと誰にでも、そう、近代的な都市で快適に暮らしているあなたにもあるのです。自分にはまったく関係もないしどうしようもないのに、理不尽にも自分の身にふりかかってくる死者との関係。あなたには何の落ち度もないのに、死者が一方的にあなたにコンタクトしてくるんですよ。死者はあなたを求め誘ってくるんです。西欧のように神様が助けてくれはしないのです。このドロドロとした理不尽な不吉さこそ、まさに日本的ホラーの典型と言っていいでしょう。 ほら、さっきあなたの家の6畳の部屋で、畳の上を何かが擦るような音がしていませんか。ふと気づくと、それが毎日のように続いていませんか・・・あなたの身の回りに起こる怪異な現象には、それにまつわる過去の物語があるのかもしれませんよ。でも、本書の著者のように、決してその原因を探ろうなどと思ってはいけません。ふつうのひとが知らなくてもいい物語は、やはり知らないほうが身のためです。ちなみに、最近、我が家の玄関の人感センサー付きライトが無人なのに点灯することがあり、それが妙に気がかりで仕方ありません。 | ||||
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| 小野先生の待望の新作ということで、迷わず鬼談百景と一緒に購入しました。伏線があるので鬼談百景を先に読むことをオススメします。 過去の小野先生のどのホラー小説とも違う感じでしたが、私は残穢が一番怖かったように思います。 というのも、この本は「どうせ小説ってフィクションだし」という読者の安全地帯を軽々と乗り越えてくる作品だからです。 先生自身が心霊現象に懐疑的であることが、余計に怪異の説得力をあげている... 怖かった、本当に | ||||
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| 「鬼談百景」があまり怖くなかったのでこちらは文庫まで待とうかなと思ってたのですが、待てずに買ってしまいました。いやぁ〜怖かった〜!この厚さですから読了に1週間はかかるかなと思ってましたが2日で終わりました。早く読み終わりたかったからに尽きます。 加門七海さんの「祝山」に通じる怖さを感じたのですが、レビューを読むと同様の言及をされてる方がいらっしゃいましたね。あの本も怖かったので、祝山が好きな方なら楽しめると思います。 筆者はホラー作家でありながらオカルト現象には非常に懐疑的なのが不思議だったのですが、ご実家がお寺だと知り得心しました。知人にお寺の娘さんだった方がいるのですが、「幽霊とかオバケなんて見たことも無いし信じてない。寺の娘がいちいち仏様(この場合はご遺体)なんか怖がってなんていられないわよ。家はお墓に囲まれてるんだし」と語っていたのを思い出しました。 蛇足ですが、昔、息子が2歳少し前に、主人の実家に帰省した折、二人で近所を散歩していたら、ブロック塀に囲まれて門扉は戸板で隙間無く庭も見えない空家の前に差し掛かったとき「ばあちゃん」と息子が言いまして、確かに、当時主人の実家には85歳になる主人の祖母がおりましたが、転ぶと危ないので外出は絶対しませんでした。なので「どこ?」と訊くと、その空家を指しますので「ばあちゃん?いないよ?どこにいるの?」と訊くと私の手を引き、何も無い門柱と門扉の間を指して「ここ」と言うのですが、私には見えません。「おかあさんには見えないや。帰ろうか」と言って立ち去りましたが、息子には何が見えていたのでしょうか?帰宅すると祖母は家でお茶を飲んでおりました。 数年後にその空家が空家になる前に、そこで老女が縊死していたことを知り今でも思い出すとぞっとします。果たして息子の目にはどういう姿の「ばあちゃん」が見えていたのか・・・勿論その時には息子はすっかり忘れておりましたので確認のしようもありませんが、幼児が泣き出さないような姿だったのだろうと推測するだけです。 自分が見えない人間であったことの幸せをこれほど感じたことはありませんでした。 そんな昔の、どちらかというと思い出したくない出来事を思い出させてくれたこの本、持ってていいのかな〜と微妙な気持ちにさせられます。筆者の実力に圧倒させられる内容でした。「不可解な現実」にすっきりした「正解」は求めても無駄なのですから。 特別ゲストのH氏とF氏の登場もシンクロしている内容も興味深く読ませていただきました。 | ||||
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| 主人公の名前は最後まで出てこず、読み進めていくとこれは作者本人なのではと思い至る。 ということは作者が体験した実話なのでは?という疑いが消えませんでした。 驚くような描写や、ゾクゾクずるような展開があるわけではないです。 それでも読んでいる時はもちろん、本を手に取ってない時まで頭から離れない本の内容。 『私の部屋にある和室は大丈夫だろうか?今した音はなんの音?実話だとしたら読んでも大丈夫なの?』 普段なら気にならないことが、まるで怪奇のように感じる。そう思ってしまう。 これが作中でいうところの『伝染する』ということなのだろうか。 私は面白くて ではなく、早く決着をつけてくれという気持ちで読み進めました。 しかし現実世界のように、ハッキリとした答えのないまま終わります。 そこがまた怖いです。 正直、この本は家に置いておきたくないです(褒め言葉です) | ||||
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| あれこの話知ってるぞ?っていうような感じで進んで行き。やがては・・というかんじで生活になんだか密接してるじわじわとした怖さでした。本から残穢を受けたような読後感ありです。 | ||||
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| とにかく、読んでいるといや〜な空気を感じて何度も後ろを振り返るハメになります。 実話なのかそうでないのか、それも分からないような感じが不安定でビクビクが止まりませんでした。 その上、恐怖の場面が後日何度も思い出されたし、、、。 活字でこの怖さはさすがだなと思います。 他の方のレビューを見ると、「鬼談百景」が物語内に含まれているのですね。 こっちは未読なので、ぜひ読みたいと思います。 | ||||
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| 怖かったです。「鬼談」はふんふんという調子で読みましたが、こちらは底なし沼に足を引っ張られる感じです。これ1冊でも楽しめますが、ぜひ「鬼談」と続けて読むと怖さ倍増です。しかし、出版社が違うのに(メディアファクトリー・新潮社)ブックデザイナーが同じなので装丁がリンクしてます・・・。ブランコです・・・(しかも夜光る!)・・この本を読んでから我が家の2Fの音が気になって仕方ありません。 | ||||
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| 1つの怪について語った話から出発する。 その怪はどこから始まったのか、さかのぼってたどっていく。 そのプロセスで、今世紀から90年代、高度成長期、戦後、戦前、明治大正期の時代の風土が語られていく。 ある時期から大きく報道された事件の数々は、私も記憶にしっかりとある。 作者が織り成す怪異の様相も、どこかで聞いた事件を彷彿とするようなものだ。 怖かったーっ。 作者の空白の9年間を埋めるような物語運び。 しかも、そこに実在の人物が出てくる。現実の地名が出てくる。実際の事件が出てくる。既知の作品が出てくる。 さもありそうな舞台仕掛けである上に、小野さんならではの、夜中にトイレに行くのが怖くなるような、きわめて身近なところでじっとりとまとわりつくような、ぞぞっと背筋をかけのぼってくるような、寒気のような怖さ。 怖くて、途中で休みつつ、でも、途中でやめることはできなかった。 こういう本は中身に触れては面白くないので、ひやりと怖かったことだけ強調しておく。 | ||||
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| 小野氏の体験談・実話風の怪談です。 読了した方には、お分かりだと思いますが、終盤に語られるある怪異が、ツボにはいって、震え上がった私、読了後、習慣にてうっかりカバーを外して「うおっ!?」と放り投げそうになりました。 とはいえ、万人が総毛立つようなインパクトのある物語ではなく、作者名から期待してしまうファンタジックなエンターテイメントでもなく、物足りない方も多いのではないか、と思います。 しかし現代風の身近な怪談を、少し古風に・和風に・風流に楽しみたい、という、大人の(あるいは大人びた)読者には、おすすめです。 ある仕掛けのため、同時刊行された『鬼談百景』との併読がおすすめ、というお話ですが、本書だけ単独で読んでも、充分涼しくなります。 できれば深夜、お一人で、マンションの一室、和室にて、布団のなかで、枕許の読書灯のみで、ゆっくりとお読みになることを、おすすめいたします。 そうして終盤、私と同じく恐怖のツボにはまられた方。特に想像力の豊かな方。 どうかカバーはそのままに・・・。 ストーリーは単純です。 作家である主人公のもとに、ある怪異の体験談がよせられます。主人公は、恐怖物語を書いているものの、幽霊を信じてはいませんが、職業的な好奇心から、掘り下げて調査していくうち、別の怪異と繋がって、深みにはまって、主人公、元読者、その他の関係者らは、時代をさかのぼり、土地を移動し、調査をすすめていくのですが・・・ 目次を見ると、時代別になっていたりして意味深ですが、さほど入り組んだ物語ではなく、文章も端正なので、あっという間に読了してしまいます。 個人的な感想としては、語られる怪談・怪異より、もうこれ小野氏としか思えない主人公の、リアリティが、ある意味で酷くおそろしく、「お、小野さん、大丈夫ですかっ!?」と本に向かって、話しかけたくなってしまい。 余談ですが、『数寄です! 』の山下和美さん、『ケサラン・パサラン』山岸凉子さん、最終的にこういう漫画になったらどうしようかと、あり得ない想像までしてしまい。 あと、これは個人的にすぎる妄想ですが、途中で語られる「穢れ」についての仮説、某政策により着実に日本中にばらばかれている某物質のことを彷彿させ。 ・・・たしかに恐怖物語は、飛び火いたしますね、色んな意味で。 とても上質な怪談です。装丁も大人向け、渋くてとても素敵だと思います。 個人的に水をかぶったかのように怖かった、カバーを外したら、の「おまけ」も上品で粋な仕掛けだと思いますよ。・・・二度と見ませんが。 | ||||
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| 最初の数ページで過去の「屍鬼」と全く異なる、 疑似ノンフィクションであることがわかりました。 映画ではよくある疑似ドキュメンタリーのスタイルと同じです。 登場人物は実名で、実際のノンフィクションライターや 編集者、怪談作家が登場しています。 著者である「わたし」と、共に「残穢」を調査する「久保さん」の、 時に我に帰ったような、怪異の存在自体を疑うような冷めた意識が時々差し挟まれていて、 そこが現実感を増す道具立てになるというより、 むしろ散漫なノイズが差し挟まれるような読後感だった。 もし仮にこの疑似ノンフィクションが実際の体験を元にしたものであるなら、こういう「わたし」の感じ方は普通なのだろうと思う。 小野不由美さんの「屍鬼」とか、「東京異聞」とか、 これらの僕の印象は、全く現実離れした世界になぜかリアリティーを感じてずるずると引き込まれていくような感触でした。 あまり文体とか小説作法についてはよくわかりませんが、 熱心なファンの人達はやはりこういう小説を読むと「引き込まれる」のだろうと想像します。 「残穢」は、やはり同じ著者であるので、ところどころ、 皮膚感覚を感じるところもありますが、 疑似ノンフィクションである形式が却って怪異に距離を感じさせたのか、実はあまり濃密な「現実感」はありませんでした。 たぶん、本文にも書かれているとおり、怪談のリアリティーは、 物質的な実証とは別の怪談としての形そのものにあるので、 架空の怪談自体に何か恐怖というリアリティーの芯があるのかもしれません。 「残穢」という言葉は著者の造語かと思います。 俗な言葉で言うところの呪いとか祟りとか、 そういうものが怪異が起きるその現場と人においては 直接的な因果関係を持たず、 過去の残像のそのまた残像として伝搬するという、 怪談というかたちの素描です。 怪談の実在というのは、 「りんご」を「りんご」という日本語や「apple」という英語で覚えるのと同じような、 捉える仕組みを受け取ること自体なのだとすると、 こういうことなのかもしれません。 切れた因果関係の先を、怪異の元となった実際の事件の発生をたどるという形でどんどん辿っていくこの小説は、 因果関係を求めてまた別の因果関係の分岐にぶつかる編み目になっています。 物語の終末が元の因果関係まで辿ってぷっつりと自然消滅するように感じられるのも、 実際に生きている普通の人間の理性が「怪談」を見下ろして2重写しになっていることから来ることと思います。 | ||||
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