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残穢
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残穢の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全160件 61~80 4/8ページ
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映画を観て面白くて原作を。兎に角、怖い。一番怖いと思ったのは、この本を読んで、どこが怖いかわからないとレビューしてる人々が居ること(笑) | ||||
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作者が昔怪談を集めていたのを覚えている。 随分前の話ではあるが、まだちらほらと届く怪談。 作者本人は「怖いものを見ないふりして」という感じで淡々と、怯えている風はない。 ないのに、気味の悪いことが続く。 点が増えていき、奇妙な符合も見つけ、線どころか塊となっていく様が、怖い。 もしかしてこの本を読んでいる自分も、その塊の端に入ってしまうのではないかと怯えてしまうのだ。 恐怖というのは、対岸と思えないから怖いのだ。 対岸のことと思える人には、もしかしたらそう怖くないのかもしれない。 けれど、自分が作中のひとりの気分で読み進めてしまったら…これは一体何なのだとのめりこんでしまったら。 こんなに怖い本はない。 この本を読み終わって、どこに置くかから考えてしまう。 「今」だからこそ怖いのだ。 光が少なく闇が暗躍できた時代の話でもなく。 ファンタジーのような遠い場所の出来事でもなく。 今、生きている誰かの生活の中、地に足のついた真っ当な生活の中に忍び込む怪異。 | ||||
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実話なのかフィクションなのか、結局グレーのまま最後までいった。 派手な怖さはないが、想像すると世の中の原理まで疑ってしまうほど怖くなる。 家とか場所で起こる怪奇現象は、あまた聞くけど、その枝葉の本流が実は一つの場所から来てるなんて思ったら怖い…。 しかも、感染して拡散するなんて。 ホラー作家の平山夢明などが登場してくるあたりはマジックリアリズムがうまく効いていて、 もはやフィクションとは思えず面白怖がりながら読んだ。 | ||||
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映画を観てからとても面白いと思って、すぐに原作を買いました。映画と原作では久保さんの設定が少し違いますが、それ以外はほぼ同じだったと思います。 普段あまりホラーらしいホラーは読みませんが、だからこそこの本が面白く感じたのかもしれません。「私」や「久保さん」と一緒に、不気味な音から始まる一連の事柄を調べて繋ぎ合わせていく感じが新鮮で、新しい事実が分かる度にドキドキしました。 もちろんその過程で怖い表現はあるのですが、ただ霊や霊障が怖いのではなく、その原因になったであろう事件や、高度経済成長から現代にかけての土地の扱い方や住民の流動性が高まったことなど、様々な問題を考えさせられる本だと思います。 ただし、他の読者の方々もおっしゃるように、決して後味のいい本ではないとは思います。手元に置いておきたくないというのも分からなくはありません。 つい「自分の部屋、家がある土地は以前どういう場所で、どんな暮らしがあったのだろう、もしかしたら不幸もあったかもしれない」と考えてしまいます。 今後もきっと「残穢」というタイトルを目にする度に内容を思い出して、隙間が怖くなったり耳をすませてしまったり、赤ちゃんの泣き声が気になったりしてしまうのでしょう。 | ||||
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■人の大量死(客観)/無残死(主観)が、地につき、モノにつき、人につく、また何らかの方法で払い落せる「(物質的)な穢れ」となるのであれば、戦国の世も、先の大空襲も、世界を殺戮した大戦の嵐の土地すべて、アウシュビッツも、広島も、カンボジアも、シリアも、付いたり、舞ったり、積もったりする灰のように、穢れきっているはずだ。なのに、産業社会の流れに身を任せて、私たちは、うわべの新しさ、美しさを装う。穢れを忘れようとしたり、隠したりする。今の平穏こそが、これらの穢れた時相/地層を覆い隠すブルーシートによるものだと気付いているのに。今回の穢れの発端も、炭鉱経営の合理/強欲から、労働者救助を足切りした資産家に端を発する、産業社会の「穢れ」から、というのもおもしろい。電通過労死も、原発労働者も、同じ「産業社会的穢れ」として、同じ文脈と言えなくもない。とても現代的なホラー作品です。 ■この小説は、たまたま、その一枚をはいで、深掘りしたに過ぎない。それでも、おびただしい怪異の小話のオンパレードである死。怖いモノ見たさの連鎖反応に、登場人物の多くは、自戒、自嘲しつつも、その欲望の赴くままに、自らの読みたい物語を自己編集していく。自己編集しているという前傾な気持ちがないと、影響されてしまうという自虐的な恐怖と裏腹な好奇と勇気。集団行動による冒険が生み出すちょっぴりの友情。こんな物語は、どこにでもある。と思う。 ■炭鉱事故の死者をゾンビのように扱ってもよいものか。中絶に葛藤する母と娘、嬰児を次々と殺すことに慣れた女の境涯をどう見るか。たいそううすっぺらな現代社会の幸福からは離れただけで、怪異に翻弄され、自壊し死を選ぶ、犯罪に流される人は少なくない。このような、身近な穢れの現実を見ないようにしてきた読者に、一泡吹かせたいと思い書かれたのが、「残穢」ではないかと思う。 ■今ここの「見たいものだけ」しか見ない、体感しない/できない人はぜひ。そのまま生まれて死んだら、もったいないよ。ブルーシートをはがす方法を教えてあげるよ。多少の想像力と知識は必要だけれど、間違いなく豊かな日本の時相/地層を、きっと安全にエンタメできるだけのコンテンツ/リソースが、まだまだ日本にあるよ。「世界遺産/産業遺産/記憶遺産」のハードよりもいいけれど、ホラーの名を借りた平成の柳田国男にいざなわれ、当たり前の「穢れ」ツアーを楽しむのもよいのではないかと思います。そのような物語としては、上質です。方法もテーマも素晴らしい。 ■「残穢」というおみやげもついてくるし、読んだ後は、マンションの上の階のいつもの騒音も、サッシから漏れる風の音も、妙に「穢れ」じみてきて、切なくなってしまう。近く、おじさんの墓仕舞いを考えていたこともあり、若くして亡くなった叔父さん夫婦のことや、顏も知らない祖先の事を思いながら読み進む時間を良しとする自分が、なんともなく意地らしい。そんな体験のできる一冊って、そんなにないと思います。ぜひ、自分のこれまでしてきた、「穢れ」が漬け込みそうな自分の悪行を振り返ったり、思い出したり、再自覚したりしながら、ぜひ読んでほしいと思います。願わくば、自らの「残穢」の念を、日記の如く拾いながら、自分の物語を補完するのも一興です。 | ||||
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酷評のレビューも多く、あまり期待せずに読みましたがとても面白かったです。ただ、襲い来るおばけに右往左往するタイプのホラーではなく怪異についての調査結果をまとめた報告書のような感じなので、パニックホラー系を期待して読むとかなり退屈に感じるかと思います。まずおばけはあんまり出てきません。その上怪奇現象のほぼ全てが伝聞形式なのでリアルタイムで追い詰められている緊迫感のようなものもなく、現象自体も音が聞こえたとか何か見えた気がするとかそんなのばっかりで地味です。しかし読み進め、少しずつ謎が明らかになるにつれじわじわと湧き上がる怖さがあります。派手なおばけが出てこないからこその絶妙な「ありそう感」がなんとも不気味です。また全てをおばけの仕業で片付けるのではなく人間自身が持つ闇のようなものも見え隠れするのが良いですね。少々ネタバレになりますが、あえて原因はこれ、と明確に決着をつけず想像の余地を残すことで不気味さリアルさが際立って余韻を残すいい作品だったと思います。奥山家はなんで地獄に繋がってるんだとかそもそもどうしてそんなにえげつない祟りを背負ってるんだとか、読者として知りたい部分は解明されないまま多く残りましたがお笑い芸人がネタを解説するとつまらなくなるように、わからないから不気味で怖いんでしょうね。それが不満な人も多いようですが私はとても楽しめました。謎が全て解明されることより雰囲気を楽しめる人におすすめです。 | ||||
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「小説」として評価するならこれは失敗作、あるいは実験作といえるかも知れない。ある種、読み手を選ぶ作品だろう。全編通して取材インタビューとモノローグが続き、特に大きな事件も盛り上がりも無く淡々と進んで行くから、「小説」を期待していた人は肩すかしを喰らった気分になるだろう。しかし、ここは少し我慢して丁寧に読んで行くと、作者や登場人物が感じている違和感や怖さ、忌まわしさに読み手も同調して行く。なんとなく読んでいる文字の後ろにはなにかがいて、行間からこちらを伺っている気すらする。 この感覚は一見無駄にも感じる細かな描写の積み重ねが生み出すのかもしれない。ラノベやファンタジー系ではストーリーテラーとしてうまさを見せつけているのだから、意図的にこういう手法を選んでいのだろう。 ただ、やはり読み手を選ぶ。文字を読むこと自体が好きな活字中毒者や、小野不由美 ファンであり実話系怪談が好きな人(私も)にはたまらないものがあるが、普通に小説としての面白さだけを期待している人にはおすすめしにくい。 この本を気に入った方には 「日本怪奇幻想紀行 奇っ怪建築見聞 6巻」に収録されている霜島ケイ氏の実体験談「三角屋敷」をおすすめします。 これは短くて怖くて忌まわしくていいですよ。 | ||||
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読んだあと真夜中の物音等がとても気になったりトイレに行くのも怖くなりました。一人暮らしの人は読まないほうがいいかもしれませんね。 | ||||
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いわゆるホラー小説の怖さは、無い。最後の最後まで、無い。定型的なホラーとは、恐怖を感じる脳の部分が別なのでしょう。考えると怖くなりそうなので、これ以上考えないことにします。 | ||||
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8時間ほどで読めた気がします。 鬼談百景の100話目が本作品なのではないでしょうか。 ドキュメンタリー・ホラーでして、主人公の作家がマンションの怪異について調べていくことで、 ある歴史と事件が判明していくのですが、 途中でこの話がフィクションなのかノンフィクションなのかわからなくなってきます。 本作品の主人公のモデルは作者自身であることが読み進めるとわかってくるので、 100%フィクションではないのではないかと思わせるので、 読んでいて恐怖を募らせます。 呪いの伝播を穢れとして、 広まっていく様を描いています。 この夏ぜひ。 | ||||
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怨霊や霊を語るときに地縛霊といった語り口がありますが この物語で語られる因縁はさらに深く謎めいて深くあいた穴を覗き込んでいるような その穴の淵に立っている眩暈のような物語でした。 | ||||
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誰かのレビューに、「読み手を選ぶ」というような表現があったのだが、読んでみて、「なるほどな」と感じた。確かに、映画化されるというニュースや煽情的なデザインのカバー(←本来のカバーの上にかぶせているだけなので、下は普通の表紙)、黒地に赤字で記されたショッキングな文字からは、あたかもこの作品がエンターテイメントホラーのような印象を受けてしまう。しかし、少し読み進めればすぐに、この作品がそういった方向性ではないことが分かる。 そもそもは調査記録である。調査記録であるから、どこか淡々として事実の羅列が続くような場面が多く、スピード感とか分かりやすいホラー性とは無縁である。ただ、その淡々としたところが、逆に怖いのだ。ゆっくりと、しかし着実に、怪異のもとを辿っていく。そして、「虚妄だと言われればそうかもしれいが、しかし、どう考えてもただの偶然が重なった結果とは思えない」というところに着地してしまう。その結論に達するまでのフィールドワークの過程を知っているだけに、言葉に詰まるというか、これだけの事実を重ねてそれでもなお気のせいだと言い張ることは寧ろ愚かな行為だと自覚してしまう。 過去を探っていく構成であるから、当然、初めの頃に記されている色んな場面や状況描写、誰かの言葉などは、全て「点」である。その「点」が単体で存在しているように思っていると、それがどんどん「線」になっていく。未解決事件を探偵が改めて調査し、追いかけていく様に似ている。 古典的、というか学術的、というか素朴、というか、とにかく、手法としては決して斬新とかアヴァンギャルドとかではないのだが、どうにも新しいタイプのホラーだったように思う。いや、ホラーというカテゴリに括った言い方が適しているかも良く分からない。でも、これだけ怖くて、奇妙で、恐ろしくて、しかし実話と言い切るのも憚られる作品は、暫定的にホラーと言っておくしかないだろう。 個人的に気になったのは、先日読んだ怪談小説『花嫁の家』のなかで著者の郷内氏が「我々拝み屋の仕事というのは、基本的に地味である。しかし、一万分の一、あるいは十万分の一の確率で、『例外』にぶち当たることがあり、それは本当に気をつけなければいけないケースである」と「怪異」について語っていた内容と、今回この作品内で何度か出てくる「聞いても伝えても祟るというような、『その存在自体が怪』である事例には本当に気をつけないといけない」といった表記とに、どうにも共通する何かを感じざるを得ない点。妙にリアリティを感じてぞっとした。なんというか、我々が楽しみ半分で取り扱っていても大丈夫なものがたくさんあることに紛れて、所謂「ホンモノ」が隠れている場合があるのではないか、そしてその「ホンモノ」は、新型のウィルスのように、普段は目に見えない形で存在し、ひとたび人間がそのウィルスに感染するや否や、じわじわとその身体を蝕み、形式としては「死」へと導くのではないか、そういったことをあれこれ考えてしまった。 そう、ここで出てくる「穢れ」と「ウィルス」は似ている。風邪だってそうだが、そのウィルスは普段、我々の肉眼で見えているわけではない(特殊な能力…高性能の顕微鏡とか、感染しているかどうかを調べられるキットとかを保持していれば別だろうけど)。そして、そのウィルスと接触のあった者が必ずしも発症するわけではない。キャリアにはなっていても死ぬまで発症しない人だっているし、触れた翌日には発症する人だっている。自然と治ってしまう場合もあれば、何かをきっかけにぶり返すこともある。そういう意味では、インフルエンザで学級閉鎖が実施されるのと同じように、ある程度隔離することが穢れを滅ぼす有効手段なのかもしれない。 読み応えのある、そして、民俗学を研究していた自分としてはたいへん興味深いレポートだった。難点は、事実の羅列であるがために登場人物や場所、時代背景がコロコロ変わり、相関図というか、簡単な家系図というか、何かしら見やすくまとめられた図のようなものがほしかったかな、という点。まぁ自分で作ればいいだけの話なのだけど(そしてたぶんその作業もきっと面白い、この手の話が好きな人にとっては)、読み始める時にはまさかそんな段階を踏む構成だとは思わないので、つい小説を読むような気持ちで読み進めてしまうのだ。で、気づいた時には既に手遅れというか、今から立ち返ってあれこれ読み直しをして関係図を作成するよりは、先に進んでしまいたい気持ちが勝ってしまう。 上記の一点を除けば、とにかくゾワゾワと怖い、下手な怪談よりよっぽど鳥肌の立つ名作。 | ||||
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目の前で派手な出来事が起きるわけではなく、取り立てて幽霊が出るわけではありません。 ただ淡々と、連綿と、取材を続けた成果をレポートとして発表した、という感じの小説です。 普通のホラー小説が、読み終わった後怖くても、まぁ理性的に考えてありえないよなと思ったり、 怖いけど作り話だから、と思って忘れていくことができるのに対して、 この残穢は、「ああ、そうだったのか」という納得を残していきました。 それはこの本に書いてあることだけでなく、理屈で考えて変、辻褄が合わない、おかしいでしょ、と思っていた他の怪談たちにまで及ぶ、 ああ、そういうことだったのか、それならばそれらは全て現実かもしれない、という納得です。 この小説はフィクションとしても、この感覚は穢れの様に残る気がしています。 | ||||
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怖いのに続きが気になってページを繰る手を止められない。そんな本。 実話ルポ形式というか、実際話の大部分は実話のようです。 犠牲者多数、作者本人にも身体的危険(原因不明の体調悪化)が起こっているのに、作者が最初から最後まで客観的に 妄想やこじつけを念頭に置きながら淡々と語っているので、読んでいる最中は明るい日差しの中で怪談話を聞いているような不思議な安心感があります。 であるのに、読後、じわじわと恐怖感が浸透してきます。他人事であるのに他人事ではない、防御不可能な呪い。 | ||||
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小野不由美さんの本は読んだ事はなく、レビューに誘われて本を購入しました。怖ければ怖いほど読みすすめます。期待しています。 | ||||
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土地がいろんなことに関係してくるというのは、 昔から言われていたことでもある。 小説は最後まで、読めます。読みやすいです。 怖い話を集めている小説家が、気になる話を調べていくという 設定もすごくよかったです。 年寄りにこの小説の話をすると、土地もそうだが人間も同じで、 血筋とかも実際は同じようなもので大事であるという話であった。 土地のこととか血筋とか、核家族となり、つながりを大事にしてない 現代人は、ちゃんと調べないといけないことがあることを 忘れないようにした方がよいなと改めて思えた作品です。 | ||||
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手許に置いておきたくなくなる本、とのことで読んでみました。 手許に置いておきたくないとまでは言いませんが、気持ちの良いものでもありません。 ある意味ずっと怖がらせる概念みたいな考えを植え付ける本です。 気にしない人にとっては何てこともない本です、 例えるなら厄年に厄払いして無かったからあんな事が不幸が起きた… 考え方なのでしょうが、自分の今座っている場所や寝床や風呂場は本当に安全安心安寧の保証なんて誰もわからないのです。 物語自体は報告書の様な程なので活字だけだと難解です、登場人物も多いのだけど、大事なのはそこじゃないので100%理解は不要です 新しい概念の対価に評して星5! っとさせていただきます。 あと、誰かにあげるなら嫌いな人に新築祝いであげたいと思います。 | ||||
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Twitterで「死ぬ程怖い」と言われていたので期待しましたが、身構えてしまっただけにそれ程でも無かったように感じました。 恐らくサスペンス・ホラー小説好きの方々はこれよりドロドロとした地獄のような本を知っているかと思われます。 ただもちろんこの本もホラー耐性のない人が読んだら深夜に悪夢で跳ね起きるくらいの威力は持っているのでオススメは出来ますし、耐性のある方に対しても情景描写が実に気持ち悪い(褒め言葉)本なので一読の価値はあります。 | ||||
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各種レビュー、特にネットレビューで評価が真っ二つに分かれる作品。 すでに多く言及されている通り、ヤバい霊現象「かもしれない」体験や伝聞情報の連なりで物語が進行する形式が、読者を選んでしまうのだろう。たとえば実話オカルト考察で、決定打を欠く状況証拠の積み重ねみたいな話が出てきたときにイラッとくるタイプの人は、本書を読みながらストレスを感じてしまうのだろうと思う。 個人的にこの作品は、怖いと同時に根っこが「厭な話」、つまりミステリでいうところの「イヤミス」と同系のコンセプトで成立している作品のように思う。作中、日常と怪奇の境界上っぽい事象に直面したときの主人公の気持ち。あまり騒ぎ立てるのもなんだけど自分の中に溜め込むのもイヤ、という感触の描写が絶品だ。 イヤミスと違い「イヤホラー」はジャンルとして確立していないので、評価軸が無いのだけど、そういうジャンルが明確化した際には、本書は古典的傑作として名声を博すのではないかと思う。 ちなみに映画版は、端的なビジュアル勝負が求められる&尺の問題もあり、原作の「奥ゆかしい厭らしさ」と正反対の演出にならざるを得なかった感があって残念。ただし和服おばさんの熱演には賞賛を送りたい。 | ||||
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読み終わった後、軽く鳥肌がたって、暫く治りませんでした。 本を読んだだけで、自分も残穢に触れてしまった感覚です。 ドキュメンタリーホラーということで、読んでいる最中、どこまでがリアルでどこからがフィクションなのかが、気になって仕方ありませんでした。 特に、聞くだけでヤバイという話の所は、これ以上読みたくない気持ちと、続きが気になって気になって仕方がないという気持ちがせめぎ合い、何回もインターネットで、この本がノンフィクションでないことを確かめました。(残念ながら、フィクションとも書いてありませんが。) 後ろの解説にありましたが、小野不由美先生は、どこまでがリアルでどこからがフィクションなのかということは、明言されていないそうですね。 全部フィクションかもしれないし、ほとんど実話なのかもしれない。 実話ならば、そのまま書くわけがないから、元の話はどんな風だったのか。 なんてことを考えながら読むと、怖さが倍増します。 登場人物が多すぎて分からなくなると仰っている方が多いようですが、最後の方を抜かして他は、名前が出てきた次の行あたりにほとんどはきちんと説明がありましたので、私は大丈夫でした。 私には、もう一度読む気になれないくらい怖い本ですが、想像力豊かな、刺激を求めている方々には、自信を持ってオススメできる本です。 | ||||
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