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無罪 INNOCENT
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無罪 INNOCENTの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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文庫サイズ上巻しかなかった。下巻も欲しい。作品内容は良い。 | ||||
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推定無罪は映画を観たので読んでいません。 この本は読んでがっかりでした。 SEX依存症の男とその男に執着したつまらない女の話だと思います。 | ||||
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推定無罪は映画を観たので読んでいません。 この本は読んでがっかりでした。 SEX依存症の男とその男に執着したつまらない女の話だと思います。 | ||||
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本作『無罪』が、スコット・トゥローの二十数年まえのベストセラー『推定無罪』の続篇ともいえる作品であることは知っていたが、かって小説でも映画でも続篇では期待外れが多く本書も読みたいとは思わなかったのである。 が、他に読みたくなるような本もなくなんとなくAmazonで入手してまった。 大昔に読んだ『推定無罪』は、本当に印象深い作品であり、ハリソン・フォード主演の映画も観たからストーリーはかなり記憶していると思ったが、本書『無罪』を読み始めたら、どうしても デティールも知りたくなり在庫のなかから『推定無罪』上・下巻を探しだして流し読みすることになってしまった。(特に下巻の後半は熟読してしまった。) 下巻の奥付を見ると1989年4月第8刷と記されているから、評者が読んでから27年という時が過ぎているから細部については当然ながら記憶していない。 特に『推定無罪』下巻の40章で主人公のラスティ・サビッチが市警殺人課刑事のダン・リップランザーとの会話を本書『無罪を』読む前に読んでおいてよかったと思う。 ネタバレになるからこのレビューで評者は詳しく書くことを避けるが、なんとなく記憶していたラスティ夫人バーバラを、この二人の会話で知っておくことで本書『無罪』を、より興味深く読むことができたからである。 リーガル・サスペンスとしてスコット・トゥローが、1987年に 『推定無罪』で世に出てから、23年後の2010年にその続編といわれるような本書『無罪』を発表したのは何故なのだろう。 対立する検察官トミー・モルトが正義に目覚めるヒーローとして書きたかったのかしらとも思え、なんだかリアリティのない結末には少々いただけないと感じたのは評者だけだろうか。 確かに本作『無罪』は、トゥローならではの作品ではあったが、『推定無罪』と肩を並べるほどの作品ではなかったようである。 | ||||
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「推定無罪」が評判となり、映画かもされた。こういう場合は続編が出るのが早いのだが、 20年後に発表されるケースは少ないと思われる。 登場人物はほぼ変わらず、今回も主人公のサビッチが的となっている。 前作での「リアルな法廷劇」を期待されている方には、物足りないと思います。 検察側の人物が「薄い」気がします。 「家族」をテーマにしているので、サスペンスというよりは純文学的要素を含む小説かと・・・ プロットは上手いのですが、流れとして残念な部分もあります。 私は、「この作者なら、この流れやスピード感、いつものどんでん返し」を考えずに読むようにしていますが、、 大ヒット作や連続物に同じモチベーションの高さを期待してしまう読者側の勝手な言い分かもしれません。 | ||||
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「推定無罪」は本当に衝撃的な作品で、いまだに「推定無罪」を超えるリーガルサスペンスには出会ったことがありません。 そして本作は、その超傑作の主人公ラスティ・サビッチの21年後が描かれるとあって、否応なしに期待が高まります。 朝目を覚ますと、隣で寝ていた妻が死んでいることに気がついたというラスティ。 しかし、彼はその事実を23時間もの間、誰にも伝えようとしなかった。 そして物語は、それから18ヶ月前にさかのぼります。 第三裁判区州上訴裁判所首席判事で州最高裁判所判事候補となっている60歳のラスティ・サビッチ。 20数年前、不貞行為が原因で、殺人事件の犯人と疑われて起訴され、見事無罪を勝ち取った身である彼だが、上席調査官のアンナの誘惑に逆らえず、再び不貞行為に及んでしまう。 ラスティは自問する。 「こんなことを繰り返すとはいったいどういうことだ?一度は人生を棒に振りかけたのに、同じ過ちを繰り返す人間がどこにいる。」 そしてその答えはいつも同じだ。 「あのときといまの間に横たわっているもの、その間を流れていた日々は、私にとっては決して生と呼べるものでないのだ」 「なぜいますぐやめない?やめられないからだ。彼女をあきらめた日が、こういうことはもう二度と起こることはないと自ら認める日になるからだ。つまり私はその日から死にはじめるのだ」 本書はそんなラスティの煩悶の日々と検察側の現在における視点とを交互に描き、ラスティが妻殺しの罪で起訴されるまでがじっくりと描かれます。法廷での白熱した裁判が始まるに至るまでには上巻のラスト近くまで待たされます。 しかしながら、法廷シーンが始まって以降、一気にスピード感が増した印象を持ちます。 「推定無罪」でも法廷バトルにぐいぐい引きつけられたものですが、この作者法廷シーンの見せ方が実に上手いです。 陪審員制のアメリカなので、陪審員にいかに印象よく見られるかは重要なポイントです。したがって、検察側、弁護側ともどのように見られるかを計算しながら裁判を進めていく必要があります。それがゆえ、自然と裁判はショーアップされ、ドラマチックな展開になります。 つまり陪審員制の法廷でのやりとりは、小説や映画の舞台としても最適な舞台の一つになると言えるかもしれません。 「推定無罪」があまりにもレベルの高い傑作であったがため、あまりに期待が高すぎると本書の内容には多少の不満が生じるかもしれません。 それでも、人生において大切なのは過去がどうだったかではなく今をいかに生きていくか、現実的な努力によって状況は変えられる、人生の意味は自分が自分自身に与えるものだといったようなことを再認識させてくれるような、そんな内容だと受け止めました。 | ||||
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読後に唸るしかなかった。本書は『推定無罪』の続編と言うより、解決編ではないだろうか。 物語はタイトルが既に示す通りの展開を見せるのだが、意外な展開と二転三転するサビッチの運命に最後まで手に汗握りながら読み終えた。 妻を殺害した容疑で法廷に立つサビッチに待ち受けていたのは予想も出来ない新たな事実だった。そして、最後に明らかになる、あの空白の1日… もしかしたら、スコット・トゥローは『推定無罪』の結末に不満を持っていたのかも知れない。だからこそ、23年後に解決編の形で本書を書いたのかも知れない。 | ||||
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あの傑作リーガル・サスペンス『推定無罪』の20年後を描いた続編である。全体が二部構成になっており、現在と十八ヶ月前から描かれる過去が複数の登場人物の視点で描かれ、少しずつ現在と過去がオーバーラップする面白い構成になっている。 60歳になったラスティ・サビッチが再び不倫をし、今度は変死した妻バーバラ殺害の容疑をかけられる…と、簡単にあらすじを書くと前作の焼き直しのように思えるのだが、今回の物語はさらに複雑である。事件にはサビッチの息子のナットが絡み、おまけにバーバラ殺害だけでなく、前作の女性検事補キャロリン殺害容疑まで蒸し返される事になるのだ。 前作で不倫の恐ろしさを味わったはずのサビッチは元部下のアンナ・ヴォスティックという若い娘と恋に落ちる。一見、サビッチの行動は浅はかに見えるのだが、若い娘に溺れながらも、苦悩する姿がじっくりと描かれており、さもありなんと少し納得してしまう。 果たして、サビッチにかけられた殺人容疑は… | ||||
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前作に比べると、あまり良いとは言えない。退屈する方もあるだろう。少なくとも推定無罪を完読した方以外は手を出さないほうが良いでしょう。 | ||||
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20数年前に話題になった法廷ミステリー「推定無罪」のまさに続編である。丁度同じ20数年ほど歳を取った、元検事、今は裁判官をしているラス ティ・サビッチとその家族の物語である。この仕掛けも一級の法廷ものとしての要素を十分備えているが、やはりこれは60歳を過ぎ、老いを身に もって感じる年代になったサビッチと妻、そして長男のまぎれもない家族の抱える問題を描いたストーリーである。妻バーバラはやはり20数年前の 事件以来、躁鬱を繰り返し精神的に安定しない。 サビッチはその職業柄決してそうなってはいけないはずの不倫を再び繰り返すことになる。しかも毒殺で告訴されている被告にその判決結果を 教えるという飛んでもないミスも犯す。60歳を過ぎた男のある意味不安定な精神状態がうまく描かれている。前後するが、この妻バーバラが 変死することでこの作品は幕を開ける。 すぐに彼女の死を警察に届けず24時間待ったがゆえに、20年前と同じくサビッチの犯罪が疑われることになる。ここで登場するのが地方検事 のトミー・モルトだ。だが、彼は20年前にサビッチを訴追して敗れた後に、晩婚だが幸せな家庭を気づいており、今回もサビッチを起訴すべきかどうか 大いに悩む。ここらへん、モルトの性格描写は非常に鮮やかで、彼がこの作品の主役だと言っても違和感がない。不倫をしたり、被告に判決結 果をリークしたりするサビッチよりも、ある意味正義という骨格にぶれがない。 最終、この事件の背景が、サビッチの口から息子のナットに語られるが、サビッチは自分の不倫相手が今のナットの恋人であるアンナであることだけは 誰にも言うことはなく息子を守る。推理謎ときという要素はふんだんにあるが、一方、家族の問題を正面から描いた作品という要素の方が自 分には大きいように思えた。 | ||||
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スコット・トゥローのベストセラー小説というより、 1990年公開の映画「推定無罪」の続編といったほうがわかりやすいでしょう。 法廷ミステリー映画としてはおそらく名作「情婦」につぐ傑作映画でした。 主人公ラスティ・サビッチをハリソン・フォードが演じ、とくに高額弁護士サンディ・スターン(ラウル・ジュリア)の颯爽とした登場には当時の日本映画ファンは唖然としたものでした。 万事金次第のアメリカ法曹界の内幕をこれほど鮮やかに、かつ肯定的に描いた映画はありません。 さらにヒット作だけにラストシーンが倫理的にどうなのかと話題になりました。 原作者スコット・トゥローへの関心はこの映画からはじまりましたが、その後「立証責任」「有罪答弁」と重厚な法廷ミステリーを連発し「死刑判決」まで、あの読書家児玉清さん絶賛のシリーズとなりました。 ただ「推定無罪」のラストは法律家スコット・トゥローにすればつねに胸のうちに引っかかっていたのでしょう。 あれでいいのか、サビッチ夫妻はその後の人生を無事に送れるのだろうか?そのわだかまりは読者にも、映画ファンにも重く残っていたのです。 そしてなんと23年後、続編「無罪」が出版されました。 なつかしい主人公たち、ラスティ・サビッチ、バーバラ・サビッチ、弁護士サンディ・スターン、執念のようにラスティを追うトミー・モルト検事たちが出揃います。 物語は冒頭バーバラ・サビッチの死からはじまります・・・ いま、ミステリー小説「無罪」を読もうとされる人は、23年前の「推定無罪」を読まれるか、映画をDVDで観られてからにしましょう。 長くスコット・トゥローファンの人は、23年前自分は何をしていたか、当時社会はどんなだったかを懐かしみ、 そして20数年後に続編に出会えた今日の幸福に感謝しましょう。 ありがとう、スコット・トゥロー、なるほどの結末でした。 | ||||
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本作品は、「推定無罪」の続編として、2010年発表、2012年邦訳となったもの。 この正編の「推定無罪」は、1987年に本国アメリカで発表され、1988年に邦訳されたもので、じつに20年以上の時を経て発表された続編になります。 20年という長い歳月を経ての続編というのも珍しいのですが、作品の舞台設定も作品発表と同様、20年の歳月を経ており、主人公のラスティ・サビッチも正編では40歳でしたが、本作品では、満60歳の誕生日を迎えます。 本作品を読みたい、と感じるのは、1980年代後半の「推定無罪」のベストセラーぶりを知っている方が多いのではないかと思います。 当時はハリソン・フォード主演で映画化もされ、ヒット作品となっていたと記憶しています。 本作品、2012年中のベスト・ミステリとして、出版社の主催するランキングでも上位に掲げられているのは知っていましたが、何しろ20年ぶりの続編なので、「推定無罪」の内容がうろ覚えになっており、私は、この「推定無罪」をまず再読してみました。 すると、さすが当時のベストセラーだけあって、再読に値する秀作。 レビューは既に掲載させていただきました。 そして、本作品の感想ですが── まず、冒頭はとても興味深い。 前作でも登場した妻、バーバラが自宅で死亡、その死を知った前作の主人公、ラスティ・サビッチは、まる1日、警察に通報もせず、妻の死体に寄り添っていたというもの。 前作では、同僚の女性検事補の殺害容疑で起訴されたラスティは、今度は、妻の殺人容疑で起訴されてしまう。 せっかく登りつめた首席判事という職を失うかもしれないという危機に直面します。 作品的には、前作よりミステリ色は薄めですが、やはり前作を楽しんだ方は、主人公及び彼を取り巻く人物達の20年後の姿が描かれているというだけで、興味を持って読むことができると思います。 私は、本作品は、前作を読んでいることを前提に書かれている、というか、前作は必読と考えています。 本作品の真相を知った今、前作とは、正・続というつながりではなく、前作から続く「長大なひとつの物語」として読むことができると考えているからです。 本作品の「真相」は、評価するかどうか、議論が分かれるところではないかと感じています。 でも、「法廷を舞台にした人間ドラマ」としての、読み応えは十分で、「推定無罪」を楽しめた方なら、多くのことを考えさせられる作品に仕上がっていることは間違いありません。 | ||||
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立て続けに重い裁判物を二冊も読むと疲れるよ。前作「推定無罪」と同じタッチだけに、ちとしんどかった。 | ||||
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Kindle版を購入。名作「推定無罪」から30年、主要登場人物は、年齢を重ね、過去の蹉跌の記憶を引きずりつつ、表面上は公私ともに人生の最善のときを迎えている。という中で起きる、ラスティ・サヴィッチの妻が死んだ! 本書は、前作「推定無罪」を読んでいないと、興味が半減する。というのも、「推定無罪」の読者は、登場人物の一部しか(生きている者では、ラスティのみ)知らない、前作の結末を知っていて、それを知らないラスティ以外の登場人物が迷うのを、「違うんだけどなあ」と神の視点で眺める優越感を味わえるからである。 ストーリーは、ジェットコースターのように、二転三転する(まあ、「それはないだろう」というものもあるが)が、前作のような大きなカタルシスはなく、小さな驚きで締めくくられる。 それにしても、登場人物は社会的な成功者ばかりであるのに、誰もが小市民的な悩みを持ち、自分の欲望に応じて、こそこそ行動しているのは微笑ましい限りで、トゥローの人物造詣には交換がもてる。それにしても、サヴィッチの登場シーンでは、映画版のハリソン・フォードのにやけた顔が浮かんでしょうがなかった。映画化されるだろうが、ハリソンで決まりだろう。 訳文は、ややワンパターンの文章形が多いが、読みやすいもの。Kindle版だと、前のほうの伏線をあとから検索できて便利。 | ||||
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前作の推定無罪と合わせて読むと興味は深まる。一読後、再読したくなる面白さです。 | ||||
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「推定無罪」のような,大がかりな叙述トリックはない。物語の最初に,謎の24時間という伏線はあるが,それが結末で大きな意味を持つものでもない。したがって,「推定無罪」のような大向こうをうならせるようなプロットを期待して読むと,本作は期待外れに終わるだろう。 一方で,「推定無罪」とかなりの数が共通の登場人物たちの心理はよく描き分けられ,特にトミー・モルトについてはその心の襞がくっきりと描写される。 思えば著者は,「推定無罪」の登場人物に何らかの思い入れがあったのではないだろうか。本作品「無罪」は,著者が新たなミステリ作品を書いたというより,登場人物への思いに区切りをつけるために「推定無罪」の後日談を30年ぶりに小説の形で著し,著者の中で自分なりの決着を付けたのだと想像する。 | ||||
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名作「推定無罪」の20年振りの続編。作者も登場人物達も20年の歳月を経ている。新聞の書評には「前作の真相を明かさずに本物語を構成する手腕が凄い」とあったが、前作抜きで本作を読むと面白さと理解度は半減以下となるであろう。何しろ、主人公サビッチの妻バーバラの死を題材としているのだから。本作の説明だけでは夫妻の関係に関して隔靴掻痒の感が否めない。ただし、サビッチの愛人が深く関わっている点は前作同様で、二番煎じを防ぐための作者の手腕が焦点の1つである。第一部では冒頭でのバーバラの死の提示と時間軸を行きつ戻りつしながらのサビッチ、宿敵モルト、愛人、サビッチの息子ナット各々の視点からの事件及びその背景の説明がなされ、第二部では同一の複数視点からの公判の状況説明と結末の提示がなされるという二部構成となっている。 まず、作品のサスペンス性、ミステリ的意外性という点では前作よりかなり見劣りがする。前作の結末のツイストには驚かされたが、本作の真相は見え透いていて物足りない。もっとも、作者の意図は別にあった様だ。物語の意味付けとしてナットの存在が重要な位置を占める(ただし、その一人称の章は甘ったる過ぎる)のだが、親子・夫婦関係を軸とした家族の絆の追求・考察、そして共に60歳近くになったサビッチとモルトの心象描写を通した「人生とは何か」、言い換えれば「人生にとって重要なものは何か」という問い掛けがテーマとなっている様に映った。こちらの方は成功していると言え、この点で読み応えがある。 私が一番驚いたのはモルトの変貌振りである。20年の時を経て老成し、温和かつ冷静となっており、何より善良・清廉な人物として描かれているのだ。サビッチとの対比で、モルトの「人生」は花開き、読者に清涼感と希望を与えている。サビッチの「人生」との二重奏ではモルトに軍配を上げる方が多いのではないか。原題の「Innocent」は無論「無罪」の意味だが、モルトの邪心のない純真さを示唆していると思わせる位である。そして、これは作者自身の老成と無縁ではあるまい。法廷サスペンスとしてはややスリルに欠けるが、作者の円熟味を堪能出来る秀作と言って良いのではないか。 | ||||
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「推定無罪」を再読してから読みました。 20年たっても結構、覚えているものなのですね。 もちろん傑作だったから、というのが一番の理由だとは思うのですが、案外細部まで記憶しいる自分に驚きました。 さて本編。 面白かった。 タッチも内容もかなり暗いお話しではあるのですが。 中盤、息子が再登場するところから物語のギアが一段アップ。 昼ドラもびっくりのドロドロの展開にドキドキ。 サビッチ家のみなさんって、一体……。 ミステリを読みなれている読者の方なら、中盤でほぼ「ネタの半分」は読み切るでしょう。 が、本作はそれが本当のオチではないのですね。 本作品だけでも十分楽しめるかとは思いますが、可能な限り、事前に「推定無罪」のご一読をお勧めします。 内容の重さかかなり変わるはずです。 前作と併せて、大傑作。 | ||||
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トゥローは文彩の巧者です。本書にはトルストイやキルケゴールが引かれていますが、流用可能なかれじしんの箴言が文章中にいくつもある。「わたしはひとりになると、あいかわらず自己省察にふける」、「罪悪感というのは特殊部隊に似ている。こっそりやってきて、すべてを破壊していく。」とか「誰かとつきあうようになっても、相手の不可解な性癖を知るまでは、本当の関係になったとはいえない。」あるいは「人を愛すると、その人があなたの命になる。存在の第一原理だ。」という具合です。もっと下世話なのをみれば離婚は「古女房を下取りにだす安直な手」だし、「自分のホットドックを不適切なパンに押し込む」とは男の不倫のこと。ほかにもセックスがらみでいいのがありますがやめておきます。最後に「ひとつ不正をすればすべてに不正をしたことになる」という法曹家流の厳格なる格言をあげておきましょう。むろんこれらはすべて、『無罪』という物語の枢要な歯車になっている。 不倫となる。愛がもとめられる。本当の関係が問われる。そこで根をはる罪悪が告げられる。この顛末にある主人公サビッチの妻のとある死は、一見、裁判での証言の訊問と反対訊問の、物証の各検証の弁証の形式で紛糾されはするのですが、有罪、無罪の結句たる判決ではけしてすくいとれない。法の名のもとには裁きようがないものがあると、そう予感される。この愛の関係のなかで生じた死の真相はいったいどんなものなのか。 さて以降についてはネタバレでゆきますのでご容赦を。 物語はサビッチに妻の死の法的責任を問い、その処遇や如何とみせかけるわけですが、とある司法取引で肩透かしをくらわします。あるいみアメリカの司法習慣のリアルな展開といえますが、あえてその選択をしたサビッチはなにを心に秘めているのか。それが物語の焦点です。それは妻がなにを秘めて死にいたったのかと裏腹である。二十四時間を死体とともに過ごしたサビッチがなにを考え、なにをなしたのか。それが核なのです。法の形式のしがらみではあえて秘さざるをえなかったそれが、どんなかたちで明らかとなるのか。どんなクライマックスでそれが開示されるのか。 しかしながらわたしが焦眉したそこで、真に肩透かしをくらう。真情なる吐露が家族の絆のなかで静かにおこなわれる。父は息子を聴聞役にして告白をするのです。サビッチは法律家としてはぎりぎりに誠意をもって、個人(父、夫)としても深く思慮しての二十四時間だったという。そこでさいちいさな不正をしてしまった。それを司法取引で自己懲罰的にただした。そうして事の次第を明かす。すなわち妻の死は突発的な事態であった。法的にも無罪としかいうほかなく、なす術ない致し方なきものであったと。 だがこのサビッチの二十四時間の自己省察、茫然自失とも艱難辛苦のともいえるその判断ははたして正しいといえるでしょうか。かれの誠実な内奥での呻吟は事態をくまなく省察しえたといえるのか。どこかに欺瞞があれば、この告白はクライマックスたる資格をうしなう、わたしはそう断じます。それほどにサビッチは誠実なる良心に重きをおいた、疚しさにさいなまれた男と造形されているからです。 たしかに妻は夫を殺そうとした。息子のつきあう女が夫の不倫相手であったと知って、ふたたび裏切られた妻としての憤激と、息子にそれを知られぬようにする母親の深謀とで、夫を自殺に偽装して殺そうとした。だが巧みにしくんだそれを夫が察知するにおよんで、静謐に凝固した怒りの矛先をあざやかにじぶんに転じる。 妻は夫婦げんかの激昂の果てに、夫の大切なものをサディスティックに破壊するのをつねとしていました。夫はそれを甘受するのが儀式であった。これは本当の関係にやどった性癖というものです。このときもそうであった。じつのところ、そこで妻は無意識な賭けに挑んだといえるのです。妻はじぶんの大切なものとして夫を破壊しようとし、転じて衝動的に、夫の一番大切なものとしてのじぶんを破壊する行為にはしった、この事態はそう解ける。まさに「人を愛すると、その人があなたの命になる。存在の第一原理だ」というように。どうじにその関係下においては、夫もそのことを無意識に触知したはずです。それにおもいいたらなかったと呻くのはどこか自己欺瞞であり、真実は無意識に妻を見捨ててしまったというべきものではないのか。寝込んだ妻に危惧して医者を呼ぶことだってできたはずです。法的にかすかに不作為の作為とでもいえそうな、いやそうとはもはや罰しようもないような(関係としての)冷酷な罪悪が、そこにうごめいたといえばそういえるのではないか。 そんなどう結句しようもない、とめどない自己省察の二十四時間ではなかったでしょうか。事態を誠実にみつめた底に、妻の全身を賭けた深謀遠慮の闇を、根源的なおのれの不実さをみ、正当化のしようのなさに打ちのめされたのではなかったか。でなかったとしたら、死の賭けに挑んだ妻という謎に達しえなかった、それを黙殺したといわれてもしかたあるまい。クライマックスの息子をまえにしての告白で「無罪」とするなら欺瞞であると、わたしはおうもう。かれ個人の誠実な認識は、裁判では嘘を証言しなかったというものと地続きな、あくまでプラグマティック(法的、現実的)なものにとどまる。だがその一線をこえたところにあって弾劾してくる、関係としての罪悪がそこでは問われているのです。その渦中ではサビッチは高みにあって中立的な裁くものたりえない。そこへ踏みこめぬ二十四時間の自己省察など、欺瞞をはりつかせた甘ったれのものでしかない。それは聴聞役の息子の一人称の、「わたし」ではない「ぼく」の語りが濃厚にたもっているもの、無垢(イノセント=無罪)と同質であることは、なにがしかを告げているでしょう。 であるならば答えは、「推定無罪」の推定という躊躇をとっぱらった有罪を、みずからをもってみずからに宣告するものでなければならない。その「立証責任」も「有罪答弁」もあるいみ(法律家としての)「死刑判決」もわがものとして、全身全霊で裁く=裁かれる一体のものでなければならない。 そもそもサビッチは前作で法律家としては決定的な不正(犯人隠避)をおこなったのです。本書ではそれに蓋をして法曹界の高みをめざした。罪悪感はまさしく救いがたく破壊的にはたらく。その不正のうえにあるかぎりかれはあらゆる不正に陥るしかない。これはかれの箴言どおり。そのいみで本書は『無罪』ではなくたんてきに『有罪』とタイトルすべき物語です。かの告白は取引ぬきの有罪答弁とならざるをえない。(神のまえにおける)誠実なる魂においては、そのようにしてしか新生(復活)はありえない。そういう裁判形式をはるかにこえた裁きの可能性が問われていたはずです。であるというのに。 本書はわたしのわがままな趣味でいえばそう裁きたくなるわけですが、さらにその美学で裁断をつづければ、三者の一人称と三人称における一者という、視点を交錯させた語りの趣向が必然性をうみだしておらず、技巧の閾をでていないのが致命的とおもわれます。なにより一人称のものたちがやたらと泣き、性交をする。まあ後者はべつに気にはなりませんが、前者にはああまたかとうんざりしてしまう。泣くことは個人の真情を明かすでしょうが、それは関係(無意識)においては欺瞞でもあることに、トゥローの視点を交錯させた筆致はゆきとどいていない。関係を編んで貫いていないのです。冒頭でかかげた箴言がひるがえって上滑りしてみえてしまうのもそのせいです。またわがお気に入りの、いまや死にそうなサンディがまったく影が薄いのも残念です。だがモルト検事へ投げかけた反則技がかれらしく卑怯でよい。 トゥロー作品としては『囮弁護士』ぐらいの読みごたえはあるとかんじますが(妻という女の造形の謎めいた硬さ、深さ)、『推定無罪』『有罪答弁』『立証責任』といった初期の大傑作とくらべると格段におちます。三人称のトミー・モルト検事のあるいみ凡庸な視点だけが、法的にも信条(宗教)的に誠実でありとおせたということが、じつのところなにかを語っているのかもしれません。そういういみでは、サビッチは、モルトの眼前で告白をするというのが、その手ごわい反対訊問にさらされて真相にいたるというのが、物語の正しきクライマックスではなかったかとおもいます。あるいは『立証責任』で妻の死の謎に直面したサンディ弁護士ならその役目は果たせたでしょう。今回モルト検事は、その役をひきうけられるくらい立派でした。 | ||||
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判事の妻が死んだ。 検視では心不全と診断されたが、届け出までの24時間の空白に検察官が疑問を抱き捜査が始まる。 やがて判事の不倫が突き止められ状況証拠が揃い、判事は殺人罪で起訴される。 こうして被告になったラスティと検事モルトは因縁の法廷対決へ。 1988年に日本語版が出た「推定無罪」の続編です。 スコット・トゥローはこの作品で「法定ミステリー」の分野を確立しました。 かつてあまりの面白さに私はクルマを運転中に信号待ちの時間まで惜しんで読みふけっだのでした。 本作も骨太の構成とリアルで精緻な描写の積み重ねで重厚なミステリーに仕上がっていて、面白さでは前作を上回る出来栄えです。 とりわけ必然性のあるプロットの構築、白熱の法廷シーン、登場人物のリアルな性格描写は素晴らしいものです。 判事ラスティと検察官モルトの人生を対比して描いてストーリーに深みを与えています。 最後に明かされる意外な真相に読者は息を呑むことでしょう。 人間の愛と憎悪の深さに感嘆するばかりです。 「歴史に残るミステリーの傑作」との出版社の宣伝文句に私は異存ありません。 | ||||
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