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無罪 INNOCENT
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無罪 INNOCENTの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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「推定無罪」が評判となり、映画かもされた。こういう場合は続編が出るのが早いのだが、 20年後に発表されるケースは少ないと思われる。 登場人物はほぼ変わらず、今回も主人公のサビッチが的となっている。 前作での「リアルな法廷劇」を期待されている方には、物足りないと思います。 検察側の人物が「薄い」気がします。 「家族」をテーマにしているので、サスペンスというよりは純文学的要素を含む小説かと・・・ プロットは上手いのですが、流れとして残念な部分もあります。 私は、「この作者なら、この流れやスピード感、いつものどんでん返し」を考えずに読むようにしていますが、、 大ヒット作や連続物に同じモチベーションの高さを期待してしまう読者側の勝手な言い分かもしれません。 | ||||
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立て続けに重い裁判物を二冊も読むと疲れるよ。前作「推定無罪」と同じタッチだけに、ちとしんどかった。 | ||||
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「推定無罪」のような,大がかりな叙述トリックはない。物語の最初に,謎の24時間という伏線はあるが,それが結末で大きな意味を持つものでもない。したがって,「推定無罪」のような大向こうをうならせるようなプロットを期待して読むと,本作は期待外れに終わるだろう。 一方で,「推定無罪」とかなりの数が共通の登場人物たちの心理はよく描き分けられ,特にトミー・モルトについてはその心の襞がくっきりと描写される。 思えば著者は,「推定無罪」の登場人物に何らかの思い入れがあったのではないだろうか。本作品「無罪」は,著者が新たなミステリ作品を書いたというより,登場人物への思いに区切りをつけるために「推定無罪」の後日談を30年ぶりに小説の形で著し,著者の中で自分なりの決着を付けたのだと想像する。 | ||||
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トゥローは文彩の巧者です。本書にはトルストイやキルケゴールが引かれていますが、流用可能なかれじしんの箴言が文章中にいくつもある。「わたしはひとりになると、あいかわらず自己省察にふける」、「罪悪感というのは特殊部隊に似ている。こっそりやってきて、すべてを破壊していく。」とか「誰かとつきあうようになっても、相手の不可解な性癖を知るまでは、本当の関係になったとはいえない。」あるいは「人を愛すると、その人があなたの命になる。存在の第一原理だ。」という具合です。もっと下世話なのをみれば離婚は「古女房を下取りにだす安直な手」だし、「自分のホットドックを不適切なパンに押し込む」とは男の不倫のこと。ほかにもセックスがらみでいいのがありますがやめておきます。最後に「ひとつ不正をすればすべてに不正をしたことになる」という法曹家流の厳格なる格言をあげておきましょう。むろんこれらはすべて、『無罪』という物語の枢要な歯車になっている。 不倫となる。愛がもとめられる。本当の関係が問われる。そこで根をはる罪悪が告げられる。この顛末にある主人公サビッチの妻のとある死は、一見、裁判での証言の訊問と反対訊問の、物証の各検証の弁証の形式で紛糾されはするのですが、有罪、無罪の結句たる判決ではけしてすくいとれない。法の名のもとには裁きようがないものがあると、そう予感される。この愛の関係のなかで生じた死の真相はいったいどんなものなのか。 さて以降についてはネタバレでゆきますのでご容赦を。 物語はサビッチに妻の死の法的責任を問い、その処遇や如何とみせかけるわけですが、とある司法取引で肩透かしをくらわします。あるいみアメリカの司法習慣のリアルな展開といえますが、あえてその選択をしたサビッチはなにを心に秘めているのか。それが物語の焦点です。それは妻がなにを秘めて死にいたったのかと裏腹である。二十四時間を死体とともに過ごしたサビッチがなにを考え、なにをなしたのか。それが核なのです。法の形式のしがらみではあえて秘さざるをえなかったそれが、どんなかたちで明らかとなるのか。どんなクライマックスでそれが開示されるのか。 しかしながらわたしが焦眉したそこで、真に肩透かしをくらう。真情なる吐露が家族の絆のなかで静かにおこなわれる。父は息子を聴聞役にして告白をするのです。サビッチは法律家としてはぎりぎりに誠意をもって、個人(父、夫)としても深く思慮しての二十四時間だったという。そこでさいちいさな不正をしてしまった。それを司法取引で自己懲罰的にただした。そうして事の次第を明かす。すなわち妻の死は突発的な事態であった。法的にも無罪としかいうほかなく、なす術ない致し方なきものであったと。 だがこのサビッチの二十四時間の自己省察、茫然自失とも艱難辛苦のともいえるその判断ははたして正しいといえるでしょうか。かれの誠実な内奥での呻吟は事態をくまなく省察しえたといえるのか。どこかに欺瞞があれば、この告白はクライマックスたる資格をうしなう、わたしはそう断じます。それほどにサビッチは誠実なる良心に重きをおいた、疚しさにさいなまれた男と造形されているからです。 たしかに妻は夫を殺そうとした。息子のつきあう女が夫の不倫相手であったと知って、ふたたび裏切られた妻としての憤激と、息子にそれを知られぬようにする母親の深謀とで、夫を自殺に偽装して殺そうとした。だが巧みにしくんだそれを夫が察知するにおよんで、静謐に凝固した怒りの矛先をあざやかにじぶんに転じる。 妻は夫婦げんかの激昂の果てに、夫の大切なものをサディスティックに破壊するのをつねとしていました。夫はそれを甘受するのが儀式であった。これは本当の関係にやどった性癖というものです。このときもそうであった。じつのところ、そこで妻は無意識な賭けに挑んだといえるのです。妻はじぶんの大切なものとして夫を破壊しようとし、転じて衝動的に、夫の一番大切なものとしてのじぶんを破壊する行為にはしった、この事態はそう解ける。まさに「人を愛すると、その人があなたの命になる。存在の第一原理だ」というように。どうじにその関係下においては、夫もそのことを無意識に触知したはずです。それにおもいいたらなかったと呻くのはどこか自己欺瞞であり、真実は無意識に妻を見捨ててしまったというべきものではないのか。寝込んだ妻に危惧して医者を呼ぶことだってできたはずです。法的にかすかに不作為の作為とでもいえそうな、いやそうとはもはや罰しようもないような(関係としての)冷酷な罪悪が、そこにうごめいたといえばそういえるのではないか。 そんなどう結句しようもない、とめどない自己省察の二十四時間ではなかったでしょうか。事態を誠実にみつめた底に、妻の全身を賭けた深謀遠慮の闇を、根源的なおのれの不実さをみ、正当化のしようのなさに打ちのめされたのではなかったか。でなかったとしたら、死の賭けに挑んだ妻という謎に達しえなかった、それを黙殺したといわれてもしかたあるまい。クライマックスの息子をまえにしての告白で「無罪」とするなら欺瞞であると、わたしはおうもう。かれ個人の誠実な認識は、裁判では嘘を証言しなかったというものと地続きな、あくまでプラグマティック(法的、現実的)なものにとどまる。だがその一線をこえたところにあって弾劾してくる、関係としての罪悪がそこでは問われているのです。その渦中ではサビッチは高みにあって中立的な裁くものたりえない。そこへ踏みこめぬ二十四時間の自己省察など、欺瞞をはりつかせた甘ったれのものでしかない。それは聴聞役の息子の一人称の、「わたし」ではない「ぼく」の語りが濃厚にたもっているもの、無垢(イノセント=無罪)と同質であることは、なにがしかを告げているでしょう。 であるならば答えは、「推定無罪」の推定という躊躇をとっぱらった有罪を、みずからをもってみずからに宣告するものでなければならない。その「立証責任」も「有罪答弁」もあるいみ(法律家としての)「死刑判決」もわがものとして、全身全霊で裁く=裁かれる一体のものでなければならない。 そもそもサビッチは前作で法律家としては決定的な不正(犯人隠避)をおこなったのです。本書ではそれに蓋をして法曹界の高みをめざした。罪悪感はまさしく救いがたく破壊的にはたらく。その不正のうえにあるかぎりかれはあらゆる不正に陥るしかない。これはかれの箴言どおり。そのいみで本書は『無罪』ではなくたんてきに『有罪』とタイトルすべき物語です。かの告白は取引ぬきの有罪答弁とならざるをえない。(神のまえにおける)誠実なる魂においては、そのようにしてしか新生(復活)はありえない。そういう裁判形式をはるかにこえた裁きの可能性が問われていたはずです。であるというのに。 本書はわたしのわがままな趣味でいえばそう裁きたくなるわけですが、さらにその美学で裁断をつづければ、三者の一人称と三人称における一者という、視点を交錯させた語りの趣向が必然性をうみだしておらず、技巧の閾をでていないのが致命的とおもわれます。なにより一人称のものたちがやたらと泣き、性交をする。まあ後者はべつに気にはなりませんが、前者にはああまたかとうんざりしてしまう。泣くことは個人の真情を明かすでしょうが、それは関係(無意識)においては欺瞞でもあることに、トゥローの視点を交錯させた筆致はゆきとどいていない。関係を編んで貫いていないのです。冒頭でかかげた箴言がひるがえって上滑りしてみえてしまうのもそのせいです。またわがお気に入りの、いまや死にそうなサンディがまったく影が薄いのも残念です。だがモルト検事へ投げかけた反則技がかれらしく卑怯でよい。 トゥロー作品としては『囮弁護士』ぐらいの読みごたえはあるとかんじますが(妻という女の造形の謎めいた硬さ、深さ)、『推定無罪』『有罪答弁』『立証責任』といった初期の大傑作とくらべると格段におちます。三人称のトミー・モルト検事のあるいみ凡庸な視点だけが、法的にも信条(宗教)的に誠実でありとおせたということが、じつのところなにかを語っているのかもしれません。そういういみでは、サビッチは、モルトの眼前で告白をするというのが、その手ごわい反対訊問にさらされて真相にいたるというのが、物語の正しきクライマックスではなかったかとおもいます。あるいは『立証責任』で妻の死の謎に直面したサンディ弁護士ならその役目は果たせたでしょう。今回モルト検事は、その役をひきうけられるくらい立派でした。 | ||||
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