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トーマの心臓 Lost heart for Thoma
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【この小説が収録されている参考書籍】
トーマの心臓 Lost heart for Thomaの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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原作のきらびやかな感じが良い意味で抑えられ、より透明で、より詩的な作品になっている。舞台が日本であったり、少年たちのお互いへの気持ちが愛情より友情に近かったりと、そういった原作との相違も成功している。文章にも無駄がない。 ただ、無駄がなさすぎると言うか……。ユーリとエーリクの関係の変化や、ユーリがトラウマを克服した経緯や、オスカーのワーグナ教授に対する感情や、トーマの死の真相を、もう少し書いてほしかった。冷たい水のような文章なので、そういった箇所の熱が伝わって来にくい。原作が熱い物語なので余計にそう思う。 途中までは透明感の際立つ美しい作品だったけれど、最後の方でそういった物足りなさを感じたので、☆3つとさせていただきます。 | ||||
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うーん、萩尾望都さんも森博嗣さんも好きですが、この作品はやっぱり萩尾望都作品の方がワタシにとってはベストです。 | ||||
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レビューを寄せている方々の読後感にいちいちうなずいておりました。 原作を深く愛する者として、「おぉ、こういうことになるのかぁ」と一種不思議な感慨を持って読みました。男性作家の手によると、オスカーもユーリもより男性らしくなるのだなぁ、と。エーリクはかわいいけど。 戦前の、大正くらい?日本の全寮制男子校、しかも一貫校で大学院まであるのかなぁ…というような設定、どういう学校なんだろう…?疑問 森版『トーマ…』では、ユーリはなぜ心を閉ざし、トーマはなぜ死なねばならなかったのか、ということよりは、語り部であるオスカーの成長の物語としての側面が強いと感じました。 サイフリートは単なるボンボンのワルだし。(その思想において悪魔的で、邪悪な天才ではないよなぁ) だから、これを最初に読んだ若い読者の皆様は、オスカーを主人公だって思って読めば、それはそれとして「腑に落ちる」部分もあるのかなぁ。 だってオスカーの生い立ち自体とても刺激的。オスカーにとってユーリもエーリクも大切な友人。そうです、そうです。 私は原作でも断然オスカー派なんですが。(彼は待っていたんですよ!ずっと。) トーマの死も、エーリクの母の死も、オスカーの母の死でさえも、過ぎ去っていくもの、生きている側はそれを乗り越えて前へ進むものであり…いや、それはそうなんだけど。 ストーリーの後半とはいえ、わりと早目な部分でユーリが自分の将来をあっさり語ってしまうっていうのに対しては、原作派としてはネタばれ感があり、少々残念。 もともと原作はキリスト教的な罪の意識とかがベースにあるから、日本に移しかえると無理が生じるよなぁ、と感じていました。 私は、深い絶望と苦しみの果てに、再び光を見出し、飛翔して、神とひとり向き合うユーリに、キルケゴール的な哲学、いわゆる倫理の授業でいうところの「宗教的実存」を生きる、ってこういうこと?なぁーんて思っていたものだから。 ユーリが主人公、というのが原作、なんだと思います。 「登場人物の名前が同じ、まったく違う物語なのだ」と理解しました。これはこれで良いのです。 だからこそ、是非原作も読んで比較して、楽しんでいただきたい。 (くどいようですが、原作のためにはユーリの告白は早すぎるんだって) | ||||
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言わずと知れた萩尾望都の名作マンガの小説化作品。 原作と違い、大正か昭和初期の日本を舞台にした作品で、登場人物たちはそれぞれあだ名で「ユーリ」「エーリク」と原作の名前で呼ばれている。(オスカーだけはハーフという設定で本名) 原作とは別の作品と割り切って読んでみたが、主人公たちの設定が大学生のはずなのにどうしても高校生にしか見えず、物語にのめり込むことができなかった。 ただ、その内容は萩尾ファンとしては受入れがたいが、本書の出版は森ファンに萩尾名作を紹介したということで大いに意義があると思う。 原作者の萩尾望都は常に新しい試み・新しい作品を求めるあまり、過去の作品にあまり執着していない。そのため、若い世代に過去の名作が読み継がれていっていない。 例えば『ポーの一族』は「CREA」1992年9月号のアンケートで少女マンガ第1位だったのが、2008年9月号のアンケートでは24位と大きくダウン、さらに『トーマの心臓』に至っては前回10位から85位へと大暴落である。 それは、同時代の池田理代子『ベルサイユのばら』が前回3位に対し今回13位とあまり大きくは落ちていないことと比較すれば分かることで、作者が過去の作品について、新しく特集やイラスト集、新しい作品などの出版を通じてアピールしているかいないかの差であることは明らかである。 そして、このままでは未来に託されるべき文化遺産であるはずの萩尾作品が、若い世代に読み継がれないまま、いずれは消滅してしまうだろうとの危惧を抱いている。 願わくば、本書を読んだ新しい読者が、これを機に萩尾原作を読んでもらえればと思っている。 | ||||
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本書を読む前、再度、原作を読んでみた。しかしやはりわかったとは言えなかった。いや子どもから大人、少年から青年へ成長する時期を切り取った魅力にあふれる叙情的な作品であること否定するつもりはない。ただぼくには多くの人が語るようには「理解(わか)った」と言い切れない。 基本的にノベライズ(小説化)作品はあまり読まない。もととなったオリジナルの作品、映画やマンガ、TVドラマを、敢えて小説に落とし込む意義をあまり見出さない。今回、本書を手に取ったのは「敢えて」である。「あの名作」だから手にとったのではない。あの名作をなぜ少女マンガのファンであった作家が敢えてノベライズ(小説化)に挑んだのか気になったからだ。おそらくどんな書き方をしても熱狂的なファンには受け入れられない。そのことを作家は、同じ少女マンガのファンとして知っている。それなのになぜ敢えて書いたのか。それがわかればと思った。そしてまたぼくがわからなかった原作の真の魅力を理解するためのきっかけになるかもしれないと思った。 しかし、残念ながら本書はぼくの期待に応えてはくれなかった。ユーリの同室のオスカーを語り手に選び、モノローグの形式で書かれた小説は、マニアでもないぼくにとっては決して原作の雰囲気を壊しはしない作品であった。そしてまたぼくの知る森博嗣という作家の作品でもあった。ただ残念なのは、決して原作を越えるものでもなく、また森博嗣という作家のオリジナルの作品にもなりえていない。原作があっても、そこに森博嗣という作家のオリジナルの作品になりえているならばまた評価のしようもあるだろう。しかし本書は森博嗣の文体で、森博嗣の作品であることは間違いないのに、そこまでで終わってしまった。原作を大きく逸脱することもない代わりに、原作をなぞるだけで終わってしまった。もし原作がなく、単体の小説として存在したなら本書は心を打たれる作品なのかもしれない。しかし本書は明らかに原作のノベライズであり、ノベライズに過ぎない。 マニアからすればあのシーンやあのセリフがないとかなぜ日本を舞台(!)にしたのかとか、自分の大事な作品を穢されたような想いを抱くのかもしれない。そういうファン心理を当時からの少女マンガファンであったこの作家が気づかないはずはない。 シーンやセリフの選択はともかく、なぜヨーロッパであるはずのギムナジウムを舞台にしないで、「日本」を舞台にしたのだろう。しかも登場人物たちを日本人の名前に変えるのでもなく、本書では原作どおりのカタカナの名前を呼び名として使い続けながら。 舞台設定を日本にしたということは、作中で説明されるのでわかるのだが物語の流れからしても決して舞台が日本である必要もない。また作中で説明がなければ、日本が舞台であることも意識されない。 そのことに呼応するのだろうか、本書では「国家のために」という言葉が使われていることがとても気になった。違和感。原作にはない「国」という存在を控えめに強調すること。それは本書にとってどういう意味があったのだろうか。 原作ファンでなく原作を知る者として本書は、決して悪いものではなかった。しかしそれ以上のものもない。原作発表当時のものではない、原作漫画家による数点の挿画は美しいものの、そこにまた何かを読み取ることもできない。原作を知っている人間は読んでみてもよい一冊かもしれない。ただ原作を知らない人間なら、わざわざこの小説を読むなら、わざわざ原作を読むことを勧めたい。 | ||||
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原作の『トーマの心臓』デビューがごく最近で、 まだまだ美しい物語が鮮明に脳に焼き付いたまま、森氏のノベライズ本を読みました。 大筋は『トーマの心臓』であっても、萩尾氏の描くものとは違った印象を持ちました。 少年達の‥というか、オスカーの揺れ動き悩む心情がとても綺麗に表現されています。 これはもう森氏の想いが綴られた「オスカー本」と言っても過言ではないでしょう。 オスカー目線や設定の違いはさておき、原作との違いは゛伝えたい事の違い゛と言ったところでしょうか。 原作の根幹は「アガペーとしての愛」、ノベライズ本では「友愛」に力が注がれているように思います。 原作ファンの私としては、全く同じモノとして説明過多で表現されるよりは、新しい楽しみ方が出来ました。 こちらの『トーマの心臓』も清々しく美しい余韻が残る物語で良かったです。 余談になりますが、花の24年組の方々の作品は本当に素晴らしいですね! 彼女達ほどのスキルを持った漫画家は現在見当たらないです。たぶん。 絵が古いってだけで敬遠するのはモッタイナイです。現に、現在の漫画に慣れた私がどはまりしました。 原作『トーマの心臓』は美しく儚く清らかで、蠱惑的な作品なので 未読の方は是非手にとって読んで頂きたいものです。 | ||||
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森さんは小学館文庫の「あぶない丘の家」の解説・エッセイとして「萩尾望都は日本が生んだ二十世紀最高の作家である」だとか 「森(自分)はミステリィとかSFを書いているのではなく、今も萩尾望都の真似をしているにすぎないのだ」ととても熱く書かれています。 しかし、この作品はそのような思いが、やや空回りしているように思います。 原作は、ユリスモール、エーリク、オスカーの各々の視点から揺れ動くように描かれているのですが 森さんはオスカーの一人称で書いているため、少年たちのデリケートな心の変化が見えてこないように思います。 名場面、名台詞も書き換えられているのが残念。やはり著作権の関係なのでしょうか? あまりに原作が良いとノベライズは難しいようです。もっと知られていない佳作を小説にしてくれたらと思いました。 モー様信者であれば、あの名作を・・と心配されていると思いますが、その心配は当たっているようです。 ただ、森さんのお熱は本物ですので、森さんの他の作品を読んでみたくなりました。そういう意味で星は三つです。 | ||||
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