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トーマの心臓 Lost heart for Thoma
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【この小説が収録されている参考書籍】
トーマの心臓 Lost heart for Thomaの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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先人のアドバイス、というコトバが宙に向けて飛び立ち、消えていきます。 このリライトは、精密に成功したのだと確信しました。 原作は、10代のころ読み、別篇2話も読んで、作品全体に対するイメージは、かなり早い時期に決まっていたと思います。「御手は あまりに 遠い」に愕然としてから、いったいどれだけ過ぎたのでしょうか。 あとは、p.314です。 | ||||
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最近、森氏のエッセイにはまっていて、まだ作品のほうは読んでいないのだが (なにしろ膨大な量があるので、どこから読んだものか見当がつかなかった・・)、 名作『トーマの心臓』のノベライズである本書を読めば、純粋に小説家としての 技量がわかるのではないかと思い、ためしに手に取ってみた。 感想はというと、読みようによっては素っ気なく感じられるほど抽象度が高い森氏の文体と、 原作の作品世界がなかなかうまく合っているし、一つの解釈としては全然ありだと思うが、 描かれなかった部分への物足りなさも若干残るというところだろうか。 本書による「解釈」の最大の特徴は、原作をオスカーの一人称小説として書き直したところにある。 このため、冒頭部でユーリがトーマの死に懊悩したり、エーリクに対して攻撃的な態度を取るところが すべてオスカーの視点だけから描かれることになり、この部分は確かに成功していると思うのだが (エーリクの良い意味でのナイーブさが、オスカーの視点から描かれるところも新鮮)、その一方で、 後半になってユーリが進路の大幅な変更を決意するまでの内面が全く描かれず、結末にかけて 若干の物足りなさを残したことも否定できない。 一人称で視点人物を固定すると、必然的に上記の限界が出てくることになるが、おそらく本書に 三人称での描き方はそぐわないものと思われる。最良の解決法は、オスカー以外にユーリ、エーリク にも視点人物を割り振り、一人称の話者が順番に交代する方法を取ることではなかったかと思うが、 これだと構成が非常に複雑になり、作品の規模も数倍になったことだろう。本書が一つの「解釈」 としてはありだと思う所以である。 | ||||
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森博嗣。 彼について想像してきたのは、無機的な人間だと思ってた。 でもこれを読んで、彼はとても人間が大好きな人なのではないかと思った。 しかも、根底から人間を信じていて、可能性を諦めてなくて、人に対してとても優しい人なんだと思う。 そう感じられる、本作です。 | ||||
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漫画は読んだことあります。この話を男性が書いたらどうなるのだろうと興味があり読んでみました。 原作の雰囲気を壊すことなく、安心して読み進められました。 文章も美しく、心地よかったです。 原作にあった恋愛要素は抑え気味ですが、これはこれで素敵なお話でした。 びっくりしたのは、登場人物が日本人だったことです。 でも、あまり違和感なく読めたと思います。 | ||||
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同名の漫画がありますが、私は先にこちらを読んでしまいました。 無駄のない、美しい言葉のリズム。 あとがきに、この小説を読むと原作の漫画も読みたくなってしまうことを狙ったとありますが、 思惑通り、漫画も読みたくなり、買ってしまいました。 どちらもよい作品だと思います。 | ||||
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- オスカーの母は日独混血だし、 実家の酒屋から焼酎が送られてくる先輩はいるし、 駅まで見送りに来てくれた弁護士夫人は着物姿という、 日本を舞台にしたもう一つの『トーマの心臓』、 或いは大学生になった彼らの「XXXX年の冬休み」。 - 「人間に考えられないものなんて、なにひとつない。 考えられない、わからないものがあるとしたら、それは考えようとしないだけの話だ。 わかろうとしないだけのことだ。」 というワーグナ教授の言葉をここに書き留めておきたくなったのは、 (今更ではあるが)「1988年の夏休み」に較べて私が大人になったから、ということであろうか。 - | ||||
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森博嗣のミステリーがあまり好みではないので、最初は躊躇したのだが、 読み始めると一気呵成だった。みずみずしく、とても感動的な作品だった。 読んで良かった、と心から思っている。 『トーマの心臓』という漫画を単にトレースした芸のないノベライズなどではなく、 その世界観を敷衍する形で新しいクリエーションをものしている。 パラレルワールドのような、いい意味で原作とは「似て非なるもの」だ。 戦前の日本が舞台であることがファンの間で大いに意見が分かれるようだが、 僕はあの頑ななまでのユーリのストイシズムを成り立たせるための ひとつの試みとして「あり」だったと思う。 そうした、息が詰まるようなユーリの描写にあって、 エーリクの天使性には真実ホッとさせられる。 オスカーを実質的な主人公にしたのも成功だったろう。 生きていくとは、靴ひもを毎日結ぶことである。 例え、結んでくれる人などいなくても。 軍国主義に傾斜していく時代の足音のなか、 少年たちの痛々しさが際立って胸に迫る。 その鮮やかな手腕を職人技と言わずして何と言おう。 森博嗣、いい仕事をしている。 | ||||
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確かに原作と設定が違うというところはあるのですが、(特に舞台が日本だという点とか)森さんの小説を通して萩尾望都さんが『トーマの心臓』で何を伝えたかったのかが、なんとなくですが わかったような気がしました。 他人と向き合うことを通して自分と向き合い、 自分は何者で、 どこからやって来て、 どこへ向かうのか、 どこへ行きたいのか を探し求める。 原作のイメージを壊したくないからまだ読んでないって方にもおすすめです。新しい角度から『トーマの心臓』をもう一度読むことができると思います(^^) | ||||
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原作を読んだのはもう10年以上も前。しかしそのときの感覚が蘇る。 小説でも映画でも、原作を知っているものはどこか違和感があるものだが、 この『トーマの心臓』は原作と同じ世界が描かれていると感じた。 (後でamazonのレビューを読んで驚いた) ユーリの上品な立ち振る舞いも、秀才が集まる学校の雰囲気も、 オスカーの葛藤も全て森先生の文章で原作同様に美しく再現される。 原作と違うのは登場人物の存在感と臨場感。 言葉で表現されるオスカーの心には、ふれることができそうなくらい近くに感じる。 原作も是非読んでほしい。 両方とも傑作だと思う。 | ||||
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なぜ小説を書いたのか。 この作品を読み終えた時、一番初めに思った疑問だ。 森氏は萩尾望都を尊敬していることは誰もが知っているし、彼が漫画家になることを諦めたのも萩尾望都がいたからだと言っても過言ではないはず。それほど森氏は「トーマの心臓」という作品を愛していたはずで、そのような作品を小説として別の形にしてしまうことに、戸惑いはなかったのだろうか。森氏ではなくとも、「トーマの心臓」をという完璧な作品を小説にすることは、誰だって戸惑うのではないだろうか。 上記の疑問は、作品の内容とは関係ないかもしれない。 だが、森氏がなぜ「トーマの心臓」を小説にしたのかを考えることで、見えてくるものがあるかもしれない。 それは「形」と「美」と「時間」。 この3つの言葉を思い浮かべたとき、私は「猫の建築家」という森氏の作品を思い出した。 「猫の建築家」の中で、以下のような文がある。 自分が造ろうとするものは、こうした残るべき「形」であってほしい。 生まれ変わったときにも、それが「形」のままで存在していてほしい。 その「孤独な継続」こそ、「猫」が待ち望んでいるものだ。 萩尾望都の「トーマの心臓」は現在も読者を選ばずに残り続けている作品であり、この後どんなに時がたっても、このまま残る形であるだろう。それは、森氏自身が信じているところであり、望んでいるところでもあるのではないか。だからこそ、森氏が小説という形にすることができたのだろうとも思う。 ただ、それだけでは森氏が小説を書くということはできないだろう。原作が素晴らしいから、恐れることなく小説に変化させることができるという理由だけで小説を書くようなことは、萩尾ファンとして絶対にしない行為だろう。小説を書くには、もっと絶対的な理由がなければかけないのではないだろうか。 だから私は森氏が小説を書いた理由は、「トーマの心臓」の中で「美」を見つけていたからだと思う。 「猫の建築家」の中に以下のような文章がある。 それらの時間と、我々の時間の違いを、考慮してさえも、 やはり、ちっぽけな理由を見つけようとしている自分があった。 理由もなく存在するものが、もしかして、あるのだろうか。 もしかして、それが「美」だろうか。 あるかもしれない。 一瞬でも、あるかもしれない。 森氏の「トーマの心臓」はオスカーの視点から語られる。 舞台も、ユーリの視点も、トーマの愛も、別の形に変えられいる。 それでも、そこには同じ世界があり、おなじ「少年の時としての愛」が存在している。 「人間を信じられた無邪気な子供には、もう絶対に戻れない。」が、それでもオスカーは「僕に頼れるもの」を見つける。 これを、小説として描くことができるからこそ、森氏は小説を書いたのだろうと思う。 | ||||
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綺麗で、切なく、儚い。私は原作を未読なので、この本がすべてなのですが、森博嗣氏らしく、緻密で、抑制された文章。とても引き込まれました。人間はどんなに儚くとも、消えることは出来ないのだと、そう思えてなりません。 この本は、覚悟を決めて読むべきだと思います。私は原作を読んだことはありませんが、過不足なく読むことが出来ました。 | ||||
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森博嗣がこの萩尾望都の名作コミックを小説化することは、モリログアカデミーで読んで知っていた。それ以来、まだかまだかと待っていたが、ようやく出版され、すぐに読み終えてしまった。 コミックを読んだのは、もう何十年も前なので、細かいところは覚えていないが、原作の雰囲気を壊さず、なおかつ森博嗣らしさも出ていて、いい作品になっていると思う。単なるノヴェライズではない。 特に、この静寂な抑制された文章は、スカイクロラのシリーズを思い出させる。あのシリーズを好きな自分は、この作品も気に入った。後期(絶筆宣言したので、こういってもいいかな)森博嗣作品の代表作になるのではないか。 表紙をはじめとした萩尾望都の描き下ろしイラストも多数収録され、とても美しい本になったと思う。 初版購入特典として、応募者全員に萩尾望都の描き下ろしイラスト入りのポストカードがプレゼントされるというのもファンにはうれしい。 | ||||
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原作を知っていて豪華本まで買った過去のある私としては、ほとんど衝動買い(?)でも、作者はあの「スカイ・クロラ」の森博嗣だし、そこそこの期待を持って、そして萩尾望都のオビにあったコメント「読み終わるのが惜しくなるような澄んだ美しい物語でした」を見て買ったのだから衝動買いと言わないことにした。森氏が「トーマの心臓」の美しさの本質を再現したかったとのことだが、なぜか舞台は日本。しかもわざわざ渾名を付けるのが習慣となっているという理工系の全寮制学校でオスカー、ユーリ、エーリクは全部渾名と設定している。なぜ、わざわざそんなしち面倒くさい設定にしたのかよく解からない。ユーリもエーリクも日本人だし唯一母がドイツ人のハーフであるオスカーが存在するのだが、実はこのオスカーの視点からすべて書かれている。文章は非常に美しく、どう考えてもドイツにいて言葉を解きほぐすように語られているのが印象深い。しかしながら原作でも奥の深い少年達の心理を読み取るのは難しいところもあるのに、結局ユーリは何にそんなに怯えていたのか、はっきりと記されていない。その点に関して言うならばまさに「読み終わるのが惜しくなる物語」である。逆にオスカーの事情ははっきりと原作通りに書かれているものの、エーリクの存在がどれだけトーマと重なったことでユーリが苦しんだのか、またエーリクの心の闇にも遂に奥深く描かれずに終っている。これは敢えて「原作を読んだことのある人へ」という文句を付け足さなければならないだろう。そうであれば本当にもっと読みたい作品である。 | ||||
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ついつい手に取っちまいました。 「トーマの心臓」ハードカバー。小説化。しかも森博嗣。 え、なにそれ。今年は記念年かなにかかな? だって近頃のメディアミックスに大きな夢は持てないんだもの。疑って疑って慎重にならざるを得ないんだもの。特にエンタメ系は。 しかし!!! いま現代のコミックやらなにやらに慣れた眼で、いくら金字塔を立てたとはいえわざわざ昔の絵柄を読みたいか、となると「いやあ無理」とかなっちゃいませんか。 ドラマ化されて本屋に山積みされるコミック(有閑倶楽部とか)もあるけど、あのメディア狙いはキャストだし。 ……と考えついて、活字で読んだらいいんじゃない?と。自己完結。だって森博嗣。 「トーマの心臓」の小説化!というよりかは、森博嗣の作品!という勢いで読めると思いますよ。それで中身がおもろければコミックへGo! 花の24年組+現代エンタメ実力作家、という形のコラボ計画がつぎつぎ出されても食傷気味ですが。広告でなく中身勝負。おもろければありかな。 余談。 「風と木の詩」はまあまあという感想でしたが。今でこそジャンル主流のBL元祖と言われてるコミックですけれども。活字にしたらおそらく、少年達の悶々とした感情がもっと深く表現できるんじゃないかな。会話がうまい有川浩に頼んだらどんな話になるんでしょ。 | ||||
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