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(短編集)
罪悪
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罪悪の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全37件 1~20 1/2ページ
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面白い。 | ||||
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すこし前に『犯罪』と『コリーニ事件』の二作を評者が読んだ時には、現役のドイツの刑事弁護士の経験をもとにしたフィクションとはどうしても思えず興味深く読んだのです。 興味のある作家なので『犯罪』の続編ともいえる本書『罪悪』を入手して読むことにした。 この短編には後味の悪い話や、平穏に終える話もあり、喉に棘が刺さったまま終えるような不条理な話もある。 やはり刑事事件の弁護士として得た多くの犯罪からヒントを得て実際に起きた事件を脚色して創作した短編も多くあるだろうと思えてしまった。 弁護士になりたての私が集団強姦事件で弁護をした後、帰路につく折の憂鬱な気分になった描写など自身の経験としか思えないのです。 著者フェルディナント・フォン・シーラッハは、やはり判例などを参考にして創作しているから弁護士としての守秘義務を超えるすれすれのところで物語を創作していると思ってしまったのです。 一見無能なような主人公アトリスが意外な活躍でエンディングを迎える「鍵」が本書のなかで一番の秀作だろうか。 各短編それぞれなかなか面白く読ませてくれたので他の作品も読んでみようと思って本書を読み終えました。 が、フェルディナント・フォン・シーラッハは、読者によって評価が分かれるタイプの作家だろう。 | ||||
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まず、装丁装画が秀逸! 内容をこの入れ物が端的に表現しているといっても過言ではない秀逸の出来。 とてもスリム、なのに1800円の価値はまず外見にある。 まさに持って楽しむ。。。の本。 近年 加齢とともにハードカバーの持ち歩きが苦痛になり文庫、キンドルなど試してみたが この『犯罪』に関しては他のツールでは意味がないとまで思う。 読書、の醍醐味は人それぞれであって当たり前であるが、 モノによってではあるが、読書がただ活字を読む以外 にも プラスの部分を多くもつ私は この本の形状にまず感銘を受けそれは中にひろがる世界の多大なる味付け効果となった。 削ぎ落とされた構成。愚かでやりきれないどこか馬鹿げている悲哀に満ち満ちた犯罪者たち。その犠牲者たち。 外見が中身を雄弁に語る を実践している美しい一冊。 | ||||
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本書の秀逸なレビューは、絶版になった単行本の方にいっぱいあるので、まずはそちらをご覧いただきたい。あえて付け加えるとすれば、怖さや狂気のすがたは国民性によって異なり、ドイツにはドイツの、イギリスにはイギリスの薄気味悪さがあるということだ。後味の悪い話が冒頭に続くが、それらはドイツらしさを正直に反映しているにすぎない。ドイツの社会には、いまだに「本当は怖いグリム童話」の世界が生きている。人々の心の底にあるそれは、きっかけを与えられるとひょっこりと顔を出す。そればかりか、司法が法規の適用において厳格なところもドイツ的である。日本もそれに似ているが、南ヨーロッパではこうはいかない。それに加えるに外国人の存在。これらがドイツの罪悪をめぐる現代の状況をかたち作っているということがよくわかる気がする。本書の乾いた文章は、現代ドイツ文学を広く紹介している独文学者の酒寄教授による絶品の翻訳である。 | ||||
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前著『犯罪』でファンになったドイツの小説家シーラッハによる短編集。彼は弁護士でもあり、本書も『犯罪』と同じく、すべて刑事事件がらみの話である。 第一話は17歳の女性が親父たちから集団強姦された事件についてだが、被害の様子や供述などが淡々と記述される。感傷を廃した描写とは対照的に、読み手の感情はグッと引き寄せられていく。まるで精神科のケースレポートを読んでいるようだ。 | ||||
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短編にも満たないショートショートの寄せ集め。一貫して胸糞悪く、どれも起承転結の形を成してない。?と思い商品紹介を読んで納得。実在の事件をモデルにした短編集だったんですね。 小説を求めていた私にとってはハズレもハズレ大ハズレでしたがそもそもノンフィクション物としてもクオリティが低いように感じました。本作は翻訳を通しているのでその影響もあるかもしれませんが、全体的に文章が学生の作文じみていてお金を出して買った本を読んでいるという感じがしない。内容的にもペラペラです。悲惨で、陰惨で、無駄に気分が悪くなるだけ。全編通して「だからなに?」という感想しか出てきませんでした。 正直これより中身が厚く、読みごたえがあり、その場の空気を感じるようなノンフィクション本は腐るほどあると思います。あえてこれをおすすめする理由が見当たらなかったため☆1とします。 | ||||
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購入前のレビューに騙されたような気がします。もう少し、読み進める予定です(;'Д`A | ||||
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刑事事件専門の弁護士が実際の事件に題材を得て描く犯罪者と、巻き込まれた人々の短編集その2です。 その1と形式は同じですが、 変更点①各話の文章量が減った分、作品数が増えました。 変更点②犯行内容と刑期・刑罰とが釣り合っていないと思われる後味悪い事件の割合が増えました 変更点③その1は犯人に同情する事件が多かったですが、本作品の犯人は肩入れし難い方々が多いです。 後者②③に関しては、緊張感の無い毎日を送る自分(恵まれていると言えます)にとっては社会勉強になってよかったです(すみません)。 ほっこりする犯罪(その1の「エチオピア」)は無いですが、感心する犯罪(その1の「犯罪一家の末弟」)は1編(「犬に鍵を飲まれた男」)あった印象です。 その1に比べて、重い話が多いです。 | ||||
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シーラッハって面白いなっておもいました。 その名を知ったのは新聞で。文庫本での「ふるさと祭り」紹介。 文庫本苦手。検索してみると「罪悪」より先に「犯罪」あり。 先に短編集「犯罪」を読むことになりました。 こちら「罪悪」には「ふるさと祭り」「遺伝子」「イルミナティ」 「子どもたち」「解剖学」「間男」「アタッシュケース」「欲求」 「雪」「鍵」「寂しさ」「司法当局」「清算」「家族」「秘密」の 15編が収められておりました。 シーラッハの何が面白いって、その乾いたタッチかなぁ。そうして ただそれだけではない、その底に流れる人間的なあたたかみかなぁ。 バッサリ切り取るんではなくて、深みがあって冷静沈着、時にユーモアもありで 訳もいいんだろうけど読みやすかった。ただ「ふるさと祭り」の裁判の行方は 日本の司法とはかなり違うような。17歳の娘に対する8人(1人は通報者?)の 白塗りの厚化粧とかつらの楽団員の暴行事件の描写は淡々と描かれていることで その残虐さや残酷さを際立たせてる。結局娘は厚化粧とかつらのせいで犯人を 特定出来ず被疑者たちは釈放され家族のもとへ、いつもの生活に戻っていく。 弁護士として学友と出発したばかりの主人公は「~私たちは、自分たちが罪なき身では なくなったこと、そしてそうなったからといってなにも変わらないことを実感した。 ~私たちは大人になったのだ。列車を降りたとき、この先、二度と物事を簡単には 済ませられないだろうなと自覚した。」拘留審査が終わったあと、駅でこう思い、 ここで終わっている。(続きは後程。追加する時☆の数変えないと記載されないので とりあえず☆☆☆から。) 「間男」も面白かった。こういう夫婦って上流階級に案外多い気もして。裁判の結果と いうか成り行きも独特。犯罪やっても。ちゃんと収まって。更に「清算」となると 「被告人の行いは正当防衛だった」となり、「それを規定するのは、じつは微妙」そう、 完全犯罪風だった。ついよかったねって本に呟きたくもなった。「これは今回だけの特例, 例外であり・・・」ドイツの司法って考えられない程温情あるというか、犯罪ってナンダロウって これもつい感想したくなるような。ビョーインの待ち時間がやたら長くて、ながくて・・・ 短編集ってこういう時いいなとしみじみ思いながら読みました。短編中の短編「解剖学」のように 3ページというか40行というのもあったし。次もシーラッハの短編でいきましょう。 「カールの降誕祭」注文してみました。3冊とも表紙のカバー素敵。毎回中古ながら新刊同然が 届くんでおおいに気に入ってます。 | ||||
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前作の『犯罪』と同じ系統の15編の短編を収録。 短編と言うよりも掌編小説と言った方が良いような小品もあり、前作に続き、不思議な魅力を感じた。全ての短編が創作なのだろうか。極めて淡々と冷めた視点で様々な市井の人びとの罪を描いた短編ばかりたのだが、救いのある短編もあれば、喪失感だけが残る短編、ミステリーの要素を感じる短編が混じる。 短編に描かれる数々の人びとのの罪は現実に起こりうるものばかりだ。もしかしたら、短編に描かれる登場人物の名前は単なる記号に過ぎず、主人公は人間ではなく、人間の犯す罪なのかも知れない。これは、最後の作品の『秘密』に著者の名前が出たのを見ると、あながち的はずれではないように思った。 | ||||
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ニュースの報告的な文体で、短編形式で、色々な事件について書かれています。 事件としてのむごさというよりも、話としての面白さ、ユニークさを感じました。 慣れてしまっているというか、そういう風に感じとってしまうことの怖さを思いました。 | ||||
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「犯罪」に続く第二短編集。今回も語り手は弁護士であるが、本作の前に第一長編「コリーニ事件」を読んだせいか、「コリーニ事件」における新米弁護士ライネンの成長後(これが作者自身かも知れないが)の述懐との感を覚えた。テーマも「犯罪」と同一の様でいて、やや趣きが異なる。「犯罪」が文字通り、様々な「犯罪」と対峙し、その"生々しさ"を活写して衝撃を与えたのに対し、本作中の諸短篇は人間の悲哀あるいは人間模様の機微・奇縁を感じさせるものが多い。ガルシア=マルケス「予告された殺人の記録」を意識している節もあり、「犯罪」中でも見られた文学性の更なる深化を意図した作品との印象を受けた。滋味を感じるのである。 「コリーニ事件」を読んで感じたのは、作者が「人間は人生において常に<gray zone>を歩んでいる」と考えているらしい事である。本作中の諸短篇で「犯罪」を犯す人物(及びその関係者)は、どちらかと言えば、「一歩踏み外して」、<gray zone>から<black zone>へと落ちてしまったという印象が強い。このためか、元々、簡潔な文体が作者の特長であるのだが、本作には全体的に枯淡とした雰囲気が漂っている(各短編の構成は巧みになっている)。作者は敢えてそうした状況を創った上で、それでも「人間の『罪』」を問えるのかという問題を提起している様に映った。作中の所謂"犯人"の多くが(幾ら弁護士側から見た物語とは言え)無罪(あるいは迷宮入り)になるのもこれと無縁ではあるまい。 最後に、作者が第二長編「禁忌」(これは高踏的過ぎる文学)の日本版に寄せた良寛の次の俳句を紹介したい。 「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」 これが、本作や「禁忌」の解題だとしたら、「人生における人間の真実や『罪と罰』」は表裏一体(なので簡単には決められない)という事であろうか。どこまで深化するか分らない作者の思惟が披歴されるであろう今後の作品も期待したい。 | ||||
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ドイツの作家は日頃慣れ親しんでいないのと、本屋大賞の事もあって、期待して読みました。 読みましたとは、なんとクールな表現だろうか?失礼ではないのか・・・ 良くできているのは分かりましたが、短編であるからか、かなり説明的で、行間にある余韻が感じれれませんでした。 駄菓子を食べながら、醸し出される余韻に浸れる時空を味わえたかは、私にとっての最大の評価項目です。 要再読の棚には残りませんでした。 | ||||
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日本ではタブーとされている事件……レイプや乱交、老人の性等……が題材にされている。 もっとも、弁護士の関わるような事象にはかなりの割合で性の問題が含まれるものなので、ごく自然といえば自然である。 このような扱い難いテーマを持ち出すわけだが、必要最低限の描写(言葉)を選んで完結に、淡々と述べていく語り口が良。 | ||||
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前作の「犯罪」が面白かったので購入しました。えっ!って感じの話やそれで終わり?って感じは否めませんが、ノンフィクションなので仕方ありませんね。色々考えさせられる話もあったりで、自分的には気に入ってます。 | ||||
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なんとなく、「犯罪」が予想外に評判がよくて、がんばって二作目を書いたら力みすぎちゃった、といった印象です。 第一作にあった余韻や、淡いおぼろな翳のような雰囲気が薄れたのはちょっと残念。他の方も書かれていたけど、後味のよくない話も多いかも。 司法制度とはなんだろう、と考えさせられた「ふるさと祭り」「司法当局」、推理小説のような「精算」が印象に残りました。 | ||||
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前作は、最後にカタルシスがあったため、本作よりも印象が強いが。 今作も、無駄の無い文章、カルテの様。 善も悪も何も語ってない、読み手が考える作品。 犯罪は、利己的な動機や、反社会的人格などが多くを占めるが。 ふと目の前にある小石につまづき、ドミノ倒しの様に回りも自分の人生も倒れていく。 そんな不条理な事もある。 前作と本作は、贅肉の無いソリッドな文藻で、私の大事な小説である。 | ||||
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前作(処女作)の『犯罪』に続く、第二短篇集。美術でいうトルソー(Torso、胴像)又は素描を思わせるシンプルだがしかし確かな描写力で紡ぎ出された15篇が収録されており、前作同様読みふけってしまいました。(特に「アタッシュケース」や「秘密」などは、サスペンス映画等の冒頭(ツカミの部分)にそのまま転用できそうな冴えを示していますね。)前作が衝撃のデビュー作であっただけに本作はややぬるいようにも見えましたが、手練さ・巧緻さどれをとってもやはり見事な一書だと思います。 「殺傷行為を中断し、被害者を死に至らしめなければ、傷害事件で裁かれはしても、殺人未遂にはあたらないからだ。どちらに転ぶかは犯人次第となる。すんでのところで気が変わり、被害者を生かしたなら、ドイツ刑法はその犯人に好意を示す。法学教授はこれを“黄金の架け橋”と呼ぶ」(86頁)。 「だが正当防衛が認められれば罰せられない。問題はただひとつ、眠っている者は攻撃ができないという点だ。・・・ 裁判長はいった。「これは今回だけの特例。例外であり、この事件だけに認められるものである。夫が目を覚ますのを、アレクサンドラは待っているわけにはいかなかった。彼女は娘の身を守ろうとしたわけで、この行為は許される。彼女自身、身の危険を感じていた」 ・・・ 裁判長はそのあと、上告を断念するよう検察官を説得した」(193頁)。 本作でも3篇を選ぶとすれば、評者的には「間男」「鍵」「清算」でしょうか。(次点は「家族」です。)乞う第三短篇集。 | ||||
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「犯罪」の面白さを期待して読みはじめたけれど、どこまで読んでも面白くならない。こっちが期待し過ぎなんだよね、きっと。 前作に満ちていた静謐な緊張感がしぼんじゃって、ただ静かで平凡って感じになっちゃったみたいだなぁ。読んでも読んでも前作と違って物語に入り込めないんだよね。何のせいかなぁ。「私」が前面に出てきちゃったからかな。物語の中にいる感じより、「私」の横で「私」の話を聞いてるみたいなんだよね。その「私」がまた結構淡白な感じなもんで、つまんないの。 期待されるのも大変だよね…。 | ||||
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事実は小説より奇なりという言葉にふさわしい、15編の奇妙でそれでいて異様な物語が語られる。犯罪が日常生活の中でおきるとき、何らかの動機がありそれが解明されたとき驚くべき人間性が暴かれることがある。 「自宅で自殺したくなかったのだ。二か月前、壁を塗りかえたばかりだった。」 「彼は初の写真展をベルリンで開催した。すべて、顔のないヌード写真だった。」 「・・・握りかえすだろう。自分の夫を殺した手を。」 「頭に重大な欠陥があるようなのです。」 すべて最後の一行である。ロアルド・ダールのような「奇妙な味」もあれば、サイコパスの物語が一転ブラックユーモアな結末をむかえる話など、どれもセンテンスの短い文章で綴られた傑作短編集である。 中でも特に好きな一編は「鍵」。重要な意味をもつ鍵を犬が飲み込んでしまう黒いドタバタ喜劇で、これだけで長編の傑作ノワールが書かれてしまいそうな面白さだ。 十五編の物語はすべて長編小説を凝縮したような、濃密なミステリである。 面白い短編小説を読んだ。 | ||||
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