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四季 春



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【この小説が収録されている参考書籍】
四季・春 (講談社ノベルス)
四季 春 (講談社文庫)

四季 春の評価: 7.50/10点 レビュー 6件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.50pt

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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全3件 1~3 1/1ページ
No.3:
(7pt)

春は出逢いと別れの季節

真賀田四季。
森氏のデビュー作から登場し、常に森ワールドにおいて絶対的な天才として語られる女性。
本書はそんな謎めいた彼女の生い立ちをその名前四季に擬えて春夏秋冬の4作で語ったシリーズの第1作目に当たる。そしてこのシリーズはS&MシリーズとVシリーズに隠されたミッシングリンクを解き明かす重要なシリーズだとも云われている。

従って真賀田四季がまだ子供の頃からの話が綴られている。

3歳に彼女が父親の書斎に入って片っ端から本を読んでいるのに気付く。その中で一番面白い本は辞書だと彼女は話す。数カ月で英語とドイツ語を完全にマスタし、5歳で彼女は大学に連れていかれ、そこで日がな一日中図書館に籠り、学術書を読み耽る。
6歳になると今度はそれを作ることに興味を覚え、一流のエンジニアの知識を得たものの、電動工具や工作機械を使うにはまだ幼過ぎたため―何しろまだ6歳だ!―、父親の大学から修士課程を修了した森川須磨を助手にして電子工作に励む。しかし彼女は野心多き女性であり、おまけに容姿も良かったことから真賀田四季を介して知り合う男性と次々に関係を持って事情通となっていく。出張の多い教授である四季の両親の代わりに彼女を預かっている叔父の新藤病院院長新藤清二に彼の病院に勤める有能な若い医師浅埜たちがその対象だ。

やがて彼女は四季の物づくりの手先だけでなく、マネージャの役割を担っていく。いや寧ろ森川の技量では四季の作りたいものが作れなくなってきたことが多い。既に森川は四季にとって便利な存在から採るに足らない存在になってきていた。

そんな物語の語り手は其志雄という名の男性の一人称で語られる。

私はこの名前を見てすぐにVシリーズの最後に登場した栗本其志雄を想起した。

自分を透明人間と称する彼は真賀田四季がその頭脳を認めた唯一の存在であり、彼女と対話する機会が最も多い存在となる。しかし物語が進むにつれてこの其志雄の存在がぶれてくる。彼はある事件の後、渡米するのだが、それ以降も真賀田四季の傍にいるように描かれる。

このどこか歪な物語の構造はようやく物語の3/5辺りで判明する。

そしてVシリーズの各務亜樹良と瀬在丸紅子も登場する。最終作『赤緑黒白』で描かれた栗本其志雄との邂逅シーンの再現で。その時は其志雄のことを驚きの目で見ていた紅子の側から書かれていたが、本書では栗本其志雄の側から瀬在丸紅子が侮れない人物として描かれている。実に面白い。

真賀田四季が生まれてから13歳になるまでが描かれる。

真賀田四季を描くこの4部作において本書は彼女の成長を描いていると云えよう。

真賀田四季は自分の頭脳の中でひたすら続く思考と演算に集中するがために他者との会話も必要最低限度で、相手の度量や頭脳を見極めると早々に興味を失くし、会話をしなくなる。彼女の頭にあるテーマをどうにか生きているうちに解明することに専念するには会話することも疎ましかったのだ。常に彼女は時間を惜しみ、考えたいことがいっぱいある状態だ。

つまり四季の頭脳はまさしくコンピュータのCPUそのものなのだ。
従って彼女は周りから自分の考えていることを文字にしてノートに書き留めておく、もしくは声に出して録音しておくことを周囲に勧められるが、そんなことでは追いつかないとして一蹴する。
それはそうだろう。パソコンの演算画面で一気に数十行のプログラムが書き出される様はそのまま四季の頭の中を示しているのだから。

従ってコンピュータの発明によって四季はようやく自分の処理能力と同等の速さを誇る機械が得られたことに喜ぶ。そういう意味では真賀田四季は恵まれた天才だったのかもしれない。遠い昔にもしかしたら真賀田四季と同じような頭脳を持った天才がいてコンピュータがないことで自分が解き明かしたい命題を1/10程度、いやもしくはそれ以下の成果しか挙げられてなかった偉人もいたかもしれないのだから。

真賀田四季という不世出の天才が登場したのは本書刊行までではS&Mシリーズの『すべてがFになる』と『有限と微小のパン』のみ。後はVシリーズの『赤緑黒白』にカメオ出演した程度だが、それは四季としてではなかった。正直たったこれだけの作品の出演では真賀田四季の天才性については断片的にしか描かれず、私の中ではさも天才であるかのように描かれているという認識でしかなかった。

しかしこの4部作で森氏が彼女の本当の天才性を描くことをテーマにしたことで彼女が真の天才であることが徐々に解ってきた。

そうはいっても上に書いたような3歳で辞書を読み、数カ月で英語とドイツ語を完全にマスタし、5歳で大学の学術書を読み耽り、6歳で物を作り出すといったエピソードで彼女が天才であると思ったわけではない。
そんなものは言葉であるからどうとでも書けるのだ。
例えば仏陀なんかは生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を差し、左手で地を差して「天上天下唯我独尊」と叫んだと云われているから、こちらの方がよほど天才だ。つまりこれもまた仏陀が天才であったと誇張するエピソードに過ぎなく、これもまた想像力を働かせばどうとでも強調できるのだ。

では真賀田四季が天才であると感じるのはやはり彼女の思考のミステリアスな部分とそれから想起させられる頭の回転の速さを見事に森氏が描いているからだ。常に感情を乱さず、もう1人の人格を他者に会話させながら、書物を読み、そして相手もしたりするところやそれらの台詞が示す洞察力の深さなどが彼女を天才であると認識させる。
こういったことを書ける森氏の発想が凄いのである。

天才を書けるのは天才を真に知る者とすれば、森氏の周りにそのような天才がいるのか、もしくは森氏自身が天才なのか。
これまでの森作品と今に至ってなお新作で森ファンを驚喜させるの壮大な構想力を考えるとやはり後者であると思わざるにはいられない。

最後、四季は外の空気の冷たさを感じ、まだ蕾も付けていない桜の木を見ながら春を思って物語が閉じられる。つまりそれは常に内側に興味と思考を向けていた四季が外に向けて感覚を開かせ、自分以外のものに思考を巡らせたのだ。

春は出逢いと別れの季節である。
真賀田四季は2人の其志雄と別れ、そして瀬在丸紅子と西之園萌絵と出逢った。いやそれ以外の人物ともまた。
続く季節は夏。夏はどんな季節であろうか。それを真賀田四季は気付かせてくれるに違いない。

さて残りの季節で四季はどのような変化を見せ、更にどのような天才性を見せてくれるのか。
全く以て今は想像がつかない。『すべてがFになる』の舞台になった妃真加島への道行とそれから『有限と微小のパン』までの行動とそれ以降の行く末もまた描かれるのだろうか。

ともかく森氏の描く天才を愉しみにすることにしよう。


▼以下、ネタバレ感想

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Tetchy
WHOKS60S
No.2:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

四季 春の感想

四季の子供時代を書いた作品。天才の表面的な描写を書いた作品はいろいろ見てきたが、これほど天才の内面が書かれた作品は初めてでした。既にこの頃から天才で、いろいろ超越してるのですが、S&Mの四季と比べると、子供らしさや、あどけなさが感じられ、これからどう他のシリーズと関わりながら、真賀田四季へとなって行くのか楽しみです

ほっと
2XKXV6EI
No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

四季 春の感想

四季シリーズ第1作!小説というか詩的な表現が多くて、ほぼ一気読みできた!天才「真賀田四季」の思考はやはり凄い!大人が子供に負けっぱなしです(笑)

ジャム
RXFFIEA1

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