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わが心臓の痛み



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わが心臓の痛みの評価: 8.33/10点 レビュー 3件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.33pt

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(10pt)

悪魔的なほどにその痛みは深く

これは誰かの死によって生を永らえた男が、その誰かを喪った人のために戦う物語。しかしその死が自分にとって重くのしかかる業にもなる苦しみの物語でもある。

コナリーのノンシリーズ第2作はクリント・イーストウッド監督・主演で映画化もされた、現時点で最も名の知られた作品となった。

何しろ導入部が凄い。コンビニ強盗で殺された女性の心臓が移植された元FBI捜査官の許にその姉が訪れ、犯人捜しの依頼をするのである。

これほどまでに因果関係の深い依頼人がこれまでの小説でいただろうか。
もうこの設定を考え付いただけで、この物語は成功していると云えよう。

心臓を移植された元FBI捜査官テリー・マッケイレブはまだ静養中の身であるため、従来の探偵役と違い、長時間労働が出来ないのが一風変わっている。定期的検査のために病院に通い、拒絶反応が出ないように朝に18錠、晩に16錠もの薬を飲まなければならない、虚弱な探偵だ。
しかし彼にはFBI捜査官時代の人脈と明敏な頭脳、そして捜査のノウハウを熟知しているというアドバンテージがあり、停滞していた同一犯と思われるコンビニ強盗・ATM強盗の捜査を一歩一歩着実に進展させる。

しかし驚くべきはコナリーのストーリーテリングの巧さである。
例えばボッシュシリーズではこれまでパイプの中で死んでいたヴェトナム帰還兵の事件、麻薬取締班の巡査部長殺害事件、ボッシュを左遷に追いやった連続殺人犯ドールメイカー事件、そして母親が殺害された過去の事件、車のトランクで見つかったマフィアの制裁を受けたような死体の裏側に潜む事件、更にノンシリーズの『ザ・ポエット』ではポオの詩を残す“詩人”と名付けられた連続殺人鬼の事件と、それぞれの事件自体が読者の胸躍らせるようセンセーショナルなテーマを孕んでいたが、本書では心臓を移植された相手を殺害した犯人を追うというこの上ないテーマを内包していながらも、その事件自体はコンビニ強盗・ATM強盗と実にありふれたものである。
日本のどこかでも起きているような変哲もない事件でさえ、コナリーは元FBI捜査官であったマッケイレブの捜査手法を通じて、地道ながらも堅実に事件の縺れた謎を一本一本解きほぐすような面白みを展開させて読者の興味を離さない。これは即ち巷間に溢れた事件でさえ、コナリーならば面白くして見せるという自負の表れであろう。

また主人公のテリー・マッケイレブの造形も全くボッシュと異なりながら、魅力的であるところも特筆すべきだろう。
ハリー・ボッシュは事件解決に対する執着が強すぎて、違法すれすれ、もしくはほとんど違法とも云える強引な捜査で自分を辞職の危機に追いやりながらも、ハングリー精神と粘り強さ、そして事件のカギを嗅ぎつける特異な直感力で解決してきた、正直に云えば野獣性を備えたアウトローな刑事である。

一方テリー・マッケイレブはFBIで捜査のノウハウを教わり、それを実に巧く活用して事件を解決に導く誠実さが備わった男である。一方で心臓移植手術のためにリタイアし、今はTシャツと短パンで父親から譲り受けた船で暮らす、自由人的な雰囲気をも兼ね備えた好人物だ。
しかしそれでも悪人に対する底なしの憤りを備えた熱血漢であり、彼にとって事件の解決は被害者に対する敵討ちを行うものとして捉えられており、従って事件が未解決に終わると無力感に苛まれる傾向が強かった。それがゆえにストレスで心臓発作を起こした経緯がある。つまり彼もまた紳士の顔をしながらも悪に対しては人一倍強い憎しみを抱く人物なのだ。

そして2人の決定的な違いは個で戦うボッシュに対し、マッケイレブは仲間の協力を借りて戦うところにある。

ボッシュには一応ジェリー・エドガーという相棒がいるものの、副業の不動産業で定時で帰る彼を放っておいて一人で捜査するのを好む。そして平気で時間に遅れ、約束は破り、勝手に人の名前を使って私有地に立ち入ると云った無頼漢で、部下にするには願い下げの男だ。

一方テリー・マッケイレブはFBIの分析官という職業柄、規則や手順を重視し、それを逸脱することに抵抗を感じる男だ。そしてFBI時代のその堅実な仕事ぶりとその人柄から周囲の信頼も得て、退職後も彼の頼みを快く聞いてくれる仲間がいる。ロサンジェルス・カウンティ保安官事務所刑事のジェイ・ウィンストン、FBI捜査官のヴァーノン・カルターズ。更に退職後の船上生活の“隣人”バディ・ロックリッジもまた彼の人柄に魅かれて親しくなった男である。

この対照的なキャラクターを設定しつつ、またその双方を魅力的に描くコナリーの筆もまた素晴らしいと云わざるを得ないだろう。

やがて事件はただの行きずりの強盗殺人事件からマッケイレブの細かい観察によってそして不特定多数の犠牲者と思われたグロリア・トーレスとジェイムズ・コーデルに犯人がある意図を持っていたことが判明する。

更にコーデルの事件で回収された銃弾をマッケイレブの根回しでFBI独自の検索システムに掛けたことでその銃弾が重詐欺罪で有罪となった元銀行頭取ドナルド・ケニヨン殺害に使われた銃弾と一致したことが判明する。

行きずりの強盗殺人事件が、被害者に対する異常な執着心による犯罪へ、そしてそれがまた詐欺師を殺害したヒットマンと思しき人物の犯行へと繋がっていく。しかも水道会社の技師、新聞の印刷会社社員、そして多くの人の財産を奪った貯蓄貸付銀行の元頭取の殺害を結ぶ線とはいったい何なのかと俄然興味が増してくる。
このミッシング・リンクにコナリーは驚くべき答えを用意している。

さてノンシリーズと云いながらもコナリーの作品はそれまでの作品とのリンクが張られているのは周知のとおりで、本書も例外ではない。

まず出てくるのは先のノンシリーズ『ザ・ポエット』でも登場したロサンジェルス・タイムズの記者ケイシャ・ラッセルだ。彼女はマッケイレブがFBI捜査官時代に良好な関係を保ち、その縁で彼が心臓発作で倒れ、手術後の引退生活を描いたコラムを書いた間柄でもある。

さらにやはり元FBI捜査官だっただけに『ザ・ポエット』に登場した女性FBI捜査官のレイチェル・ウォリングとも一緒に仕事をしたことがあることも触れられている。その事件、オーブリー=リンという少女を含むフロリダ旅行に行ったショーウィッツ家族が惨殺される事件は彼の未解決事件の1つだ。

また評判の弁護士としてマイケル・ヘイラー・ジュニアの名前が出てくる。その父親の名前が伝説の名弁護士ミッキー・ヘイラーと紹介されるが、これは後のリンカーン弁護士ミッキー・ハラーのことだろう。
かつてボッシュシリーズの『ブラック・ハート』でもこのハラーがボッシュの父親であったことを明かされるエピソードがあったが、このノンシリーズでもその名が出てきていたとは。しかし自分で手掛けた『ブラック・ハート』ではきちんと「ハラー」と書いているのに、なぜ本書では「ヘイラー」と誤読したのか、首を傾げざるを得ない。

そしてテリー・マッケイレブが分析官として手掛けた事件の1つが『ザ・ポエット』の事件であったことも明かされる。しかし私の記憶では彼の名前はこの作品には登場しなかったように思うのだがなぁ。

それ以外にもマッケイレブが現役時代に担当していた事件名は他に「コード」、「ゾディアック」、「フルムーン」、「ブレマー」と4つある。解決・未解決を問わずにそれらの資料のコピーを持ち出したとあり、しかも本書でそのうちの1つの事件が解決する。そのことには後に触れるが、その他の事件についても今後のコナリー作品で登場するのかもしれない。記憶に留めておこう。

というのもマッケイレブの捜査に協力する保安官事務所の刑事ジェイ・ウィンストンが彼と親しくなったエピソードに彼らがチームとなって解決した連続殺人犯「墓場男」が紹介されているが、6ページで語るには非常に惜しい内容なのだ。
こういう1編の長編になり得るネタをサラッと書くと云うことはコナリーは恐らく記者時代やもしくはその時から懇意にしている警察関係者やFBI関係者からもっと面白い、長編のネタになり得る話を多く得ているように推察される。

そのことを裏付けるように元FBI捜査官であるマッケイレブの捜査内容は実に詳細に書かれている。FBIが独自で編み出した検索システムやそれぞれの捜査方法の意義と手法、例えば銃弾のデータベース、ドラッグファイアシステムや地理的交差照合と云った地図を使った犯人の絞り込み、催眠術を駆使した証言の引き出し方などが実に論理的かつ詳細に語られる―しかもそれらの描写の中に真犯人への手掛かりが隠されているというミステリ通を唸らせる演出!―。それも本当にここまで書いていいのかというぐらいに。
もしくはこれらの手法がコナリーによって詳らかにされる以上に既にFBIの捜査方法はさらに進歩して先に行っているからこそ許されているのかもしれない。

またテリー・マッケイレブを取り巻く人物たちもノンシリーズと思えないほど強烈な個性を放つ。

まずはマッケイレブの担当医ボニー・フォックス。彼の捜査復帰に反対し、自分の忠告を聞かないマッケイレブの担当を外れることを忠告する、医師としての立場を貫く強い意志の持ち主ながらも、彼の捜査の協力に一肌脱ぐ気風の良さを示す女性だ。登場回数は少ないながらも、印象に残るキャラクターだ。

手術後まもないために車を運転できないマッケイレブが運転手を依頼する、同じマリーナに停泊する「隣人」バディ・ロックリッジもなかなか面白い。
ミステリ小説好きで元FBI捜査官だったマッケイレブの過去の捜査の話が大好きな年老いたサーファーで、事あるごとに捜査のことを聞きたがる疎ましい存在ながら、要所要所でマッケイレブを助けるなど、見事なバイプレイヤーぶりを発揮する。
余談だが彼がマッケイレブを待っている際に読むのが英訳版の松本清張の『砂の器』であることに驚いた。この作品がアメリカで読まれていることが驚きだし、またそれをコナリーが知っているのもまたそうだ。そして英訳版のタイトルが『今西刑事捜査す』となんとも普通で、全然興味をそそられないのが残念。やはり邦題通り“The Vessel of Sand”とすべきだろう。

また事件の依頼者グラシエラ・リヴァーズも鮮烈な印象を残す。コナリー作品の常として主人公と関わる美女は恋に落ちるというのが定番だが、このグラシエラも例に洩れない。しかし30代前半の魅力的な女性として描かれる彼女の職業は看護婦。この男の妄想を具現化したようなヒロインはまた時にマッケイレブを出し抜くほど大胆な行動に出て、病院のシステムに入り込んで貴重な患者のデータを提供する、なかなかに心臓の太い女性でもある。

そして彼女の妹グロリアの遺児レイモンド。彼の行動でそれまで父親との思い出がないまま、優しい母親と暮らしてきた彼の境遇は、マッケイレブでなくとも守ってやりたいという気にさせられる。

またマッケイレブの良き協力者となる保安官事務所刑事のジェイ・ウィンストンと彼女と対照的に尊大で無能な刑事として描かれるエディ・アランゴもある意味忘れ難い存在だ。この2人の捜査資料の内容で刑事としての熱意をマッケイレブは読み取る。たとえ行きずりのATM強盗事件でも被害者のことを思って犯人逮捕にこぎつけようと手を尽くす前者とただの行きずりのコンビニ強盗として形だけの捜査を行う後者の資料の厚みによって。
こんな細部がそれぞれのキャラクターに血肉を与えている。

本書の原題は“Blood Work”と実にシンプルだが、これほど確信を突いている題名もないだろう。
本来血液検査を表すこの単語、作中ではFBI捜査官のうち、仕事として割り切れぬ怒りを伴う連続殺人担当部門の任務のことを「血の任務」と呼ぶことに由来を見出せるが、本質的にはマッケイレブの体内を流れる依頼人グラシエラの妹グロリアの血が促す任務と云う風に取るのが最も的確だろう。映画の題名も『ブラッド・ワーク』とこちらを採用している。

そして物語が進むにつれて、この血の繋がりが一層色濃くなっていく。

例えば手掛かりの少ない強盗殺人犯を突き止めるために、敢えて次の犯行を待つという手段があるが、それを本書では「あらたな血を必要としていた」と述べている。

そして今回全く関係のない被害者を結ぶミッシング・リンクもまた血の繋がりこそが答えなのだ。

話は変わるが、マッケイレブが父親から譲り受けた船の名前の由来について事件の依頼人のグラシエラから訊かれ、答える場面がある。この<ザ・フォローイング・シー>号という一風変わった名前は<追い波>という意味で追い波は船の背後から迫り、やがて追いつくと船にぶつかり船を沈没させてしまう。つまりそうならないために船は追い波より速く進まなければならないのだ。沈没しないようにいつも背後に気を付けろ、それがその名の由来なのだが、まさにマッケイレブはいつの間にかこの容疑者という追い波に捕まってしまう。

“Blood Work”という原題が指し示すように、まさに本書は血の物語だ。血は水よりも濃いと云われるが、これほど濃度の高い人の繋がりを知らされる物語もない。
同じ血液型という縛りでごく普通の生活をしていた人たちが突然その命を奪われる。

こんなミステリは読んだことがない!私はこの瞬間コナリーのキャラクター設定、そしてプロット作りの凄さを思い知らされた。

なんという罪深き救済だろう。今までこれほどまでに業の深い主人公がいただろうか?
我々の幸せの裏には誰かの犠牲が伴っていると云われる。しかし間接的であれ臓器移植ほど、密接に他者の不幸で成立する幸せはないのではなかろうか。

そして本書が1998年に書かれたことを私は忘れていた。それはつまり世紀末に書かれた作品であると云うことだ。
その時期に多く書かれていたのはサイコパス。世紀末と云うどこか不安を誘うこの時期にミステリ界に横行していたのが狂える殺人者による犯罪の物語。極上の捜査小説を描きながらも当時流行のサイコパス小説へと導く。

繰り返しになるが、いやはやなんとも凄い物語だった。コナリーはまたもや我々の想像を超える物語を紡いでくれた。そして何よりも凄いのは犯人へ繋がる手掛かりがきちんと提示されていることだ。
元FBI分析官だったマッケイレブは捜査に行き詰ると最初に戻り、証拠を一から検証する。そしてその過程で気付いた違和感を見つけ、新たな手掛かりとするのだが、それらが意図的に隠されているわけでもなく、読者にも明示されているのである。
つまり読者はマッケイレブと同じものを見ながら、新たな手掛かりに気付く彼の明敏さに気付くのだ。特に真犯人にマッケイレブが気付く大きな手掛かりは明らさまに提示されているのに、驚かされた。コナリー、やはり只のミステリ作家ではない。

わが心臓の痛み。数々の残酷な事件で分析官としてプロファイリングに明け暮れた彼が最初に感じた痛みは激務と人間の残虐さに耐え切れなくなって疲弊した心臓が起こした心臓発作だった。
そして術後60日しか経っていないことからあまり長く動けないマッケイレブが抱える身体的な痛みとなり、やがて愛してしまった人の妹の命を奪い、生き長らえたことを知らされた深き悲痛へと変わった。
しかしその抱えた業を振り払い、残された人生を前に進めるためにマッケイレブは犯人を自ら粛清した。そして最後に彼が感じた心臓の痛みはグラシエラとレイモンドという最愛の人たちの笑顔を見て心臓が収縮する幸せのそれへと変えた。

最後にマッケイレブがその最愛の者たちと共に向かったのは自分の生まれ故郷。そこから始める彼らの新しい生活はまた同時にテリー・マッケイレブという男の生き様の新たな船出であると期待しよう。
既に私は知っている。この深き業を抱えながらも再生した素晴らしい男と一連のコナリー・ワールドで再会できることを。

まずはそれまでマッケイレブとグラシエラに安息の日々が続くことを願ってやまない。


▼以下、ネタバレ感想

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