■スポンサードリンク


女王陛下のユリシーズ号



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

女王陛下のユリシーズ号の評価: 7.67/10点 レビュー 3件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.67pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(10pt)

耐える男たちの物語

かつて書評家諸氏より涙なくしては読めないと云われた冒険小説の傑作が本書。アリステア・マクリーンの代表作にしてデビュー作でもある。

ここにあるのは極限状態に置かれた人々の群像劇。筆舌に尽くしがたいほどの自然の猛威と狡猾なまでに船団を削り取るドイツ軍のUボートとの戦いもさながら、それによって苦渋の決断を迫られる人々の人間ドラマの集積なのだ。

総勢25名にも上る登場人物一覧表の面々についてマクリーンはそれぞれにドラマを持たせ、性格付けをしている。

故郷で待つ家族を爆撃で喪った上に、同じユリシーズ号で従業員として働いていた弟を喪った者。

社会の低層部でケチな犯罪者として生きてきた過去があり、艦長に叛乱を企てようとする不満分子。

自分の力不足に気付かず、そのプライドの高さと逸る功名心ゆえに部下の命よりも手柄を立てることを至上として部下の反感を買い、任務後に審問を掛けられ、降格を余儀なくされた者。

自分のミスで艦体のみならず乗組員を多数死なせて自責の念から自殺する者。

死と隣り合わせの場所でもはや正常な心を保つことさえ困難になり、ロボットのように索敵のために海をひたすら凝視する者。

自分の職責の重圧に耐えきれず、任務半ばで自我を喪失する者。

それら数多く語られる各登場人物の痛切なエピソードの中でとりわけ強烈な印象を残すのは一介の水雷兵ラルストンだ。

先の任務でユリシーズ号に同乗していた弟を亡くし、更には故郷に遺した母親と妹を空襲で亡くし、唯一残された父親を、自らの手で葬ることになる男。物語半ば過ぎで訪れる輸送船団の1つヴァイチュラ号の撃墜を躊躇う理由が明かされた時の衝撃は今まで読書歴の中でも胸にずっしりと圧し掛かるほど重いものだった。

また彼らの敵は当時最強と云われたUボートを率いるドイツ軍だけではない。それは自然だ。

北極海を航行する戦艦にとってその極寒の環境は生きることさえ困難であると云わざるを得ないほど過酷を極めている。

いつの間にか甲板に降り積もる氷。それは乗組員の足元を滑らせるだけでなく、戦艦たちに多大なる重量を与え、艦体にきしみを与え、航行のバランスをも崩す。除去しても除去しても上からのみならず、下方から乗り上げてくる荒波もまた氷の素となるため、乗組員は勝ち目のないレースを強いられる。

さらに風の驚異も凄まじい。氷点下の温度で空気中の水分が凍りついた海上では風は乗組員の肌を切り裂く刃と化す。そして強風は大波を起こさせ、右へ左へ薙ぎ倒すかのように揺さぶり、強固な鉄皮を軋ませ、疲労させる。もちろん中にいる人々は我々の想像を超えた船酔いの餌食となるのだ。

そんな苦難を乗り越えた乗組員を襲うのはドイツ軍の猛襲だ。コンドルという戦闘機が昼夜の境なく空爆を行い、船団はその勢力を削られていく。ユリシーズもさらに深手を負い、その船体に敵機をめり込ませた状態で航行を続ける。

そして彼らの一縷の望みを絶望に変えるのが無敵と呼ばれた当時世界最強の戦艦ティルピッツの影だ。この容赦なき敵の出陣の情報にもしかし、英国軍は援軍を送らない。
そんな四面楚歌状態で作者はユリシーズ号の属するFR77船団をどんどん過酷な状況に追い込んでいく。

とにかく過酷な状況の連続だ。
疲労困憊、満身創痍の船員たちに対し作者は徹底的なまでに嬲るかのように苦難を与える。そして惨たらしいまでの精緻極まる描写が拍車を掛ける。特に200ページ目前後で実に6ページに亘って描写される爆撃によって撃沈した空母から、流出し引火した油の混じる海へ投げ出された船員たちの死に様の凄惨さは、なんとも云いようがない苛烈さに富み、絶句するのみであった。

そして満身創痍なのは船員たちのみではない。巡洋艦ユリシーズ号もまた度重なる極寒の地の風雪に曝され、また相次ぐドイツ軍の急襲に遭い、その姿を変形させていく。
艦の姿が朽ちていくたびにまた船員たちも1人また1人と命を失くし、また五体満足ではなくなっていく。ユリシーズ号の姿はそれを操る乗組員たちの姿のメタファーとも云える。

そしてもはや航行すら危うい姿になりながらもユリシーズ号は任務を遂行せんと突き進む。出発時から既に病に侵された身でありながら任務に向かうヴァレリー船長はすなわちユリシーズ号そのものと云っていいだろう。手負いの虎の如く、最終目的地ムルマンスクに向け、突き進む。さながらそれは自分の相応しい死に場所である墓場に向かう巨象のようだ。

正直このような物語の結末は開巻した時から読者にはもう解っているようなものである。とりわけ精緻を極めた実に印象的なイラストが施された表紙画が饒舌に先行きを物語っている。しかしその来たるべき結末に至るまでの道行きが実に読み応えがあるのだ。

例えば本書に使われている単語には技術者の専門用語が多用されているのが特徴的なのだが、このマクリーン自身が巡洋艦にて勤務した経験の裏付けによるものだ。

更に過去の英国艦隊に纏わるエピソードと事実を交えることで、ユリシーズ号が、FR77艦隊がいかに不遇な状況であったのかを如実に知らせてくれる。

しかしそれらにも増して魅力的だったのはユリシーズ号、その他FR77船団の面々が見事に活写されていることだ。
上述のように極上の群像劇を実現した作者の経験に裏打ちされた乗組員の描写や性格付けは実に忘れがたい印象を残す。730名が住まうユリシーズ号という小社会にいるのは老いも若きも皆むくつけき船乗りたちであるが、その性格は十人十色。そのことについては既に上に書いているので重複を避けるが、特段煽情的な筆致でもないのにやたらと印象に残る輩が多く、彼らが1人また1人と去りゆくにつれて目頭が熱くなるのを抑えられなかった。

涙が無しでは読めぬとまではいかないまでも目頭は熱くなるであろう本書は確かに傑作であった。
海洋冒険物だから、戦争物だからと苦手意識で本書を手に取らないのではなく、昔の男どもの生き様と死に様を存分に描いたこの物語にぜひ触れてみてほしい。

Tetchy
WHOKS60S

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!