巡礼のキャラバン隊



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    初公開日(参考)1971年01月
    分類

    長編小説

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    巡礼のキャラバン隊 (1977年) (ハヤカワ文庫―NV)

    1977年10月01日 巡礼のキャラバン隊 (1977年) (ハヤカワ文庫―NV)

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    全1件 1~1 1/1ページ
    No.1:
    (7pt)

    この不透明感が馴染めないのだが

    北上次郎氏の『冒険小説論』によればマクリーンは冒険小説に謎解きの要素を加えた作家であるとのこと。
    確かにそうだが、以前から感想で述べていたようにマクリーンは読者をいきなり物語の渦中に投じ、人物背景や設定などを一切語らずにストーリーを進め、それら自体が謎となっているため、開巻してしばらくは非常にすわりの悪い読書を強いられるが、本書もまたその手法に則って書かれているおり、ジプシーのキャラバン隊の指揮者チェルダが一員のアレクサンドルを追跡の末、殺害する顛末が描かれるプロローグはこのチェルダという男がただの巡礼者でなく、ある秘密の目的を持っていることが分かるものの、いきなり彼らジプシーたちに命を狙われることになるネイル・ボーマンの逃走劇に何の前知識もないまま付き合わされることになる。

    その逃走劇自体は非常に映像的でわかりやすく、なおかつスリリングであるのだが、やはり物語の前置きがなく、状況がよく解らないままに進むため、なんとも居心地の悪い思いをしながらの読書となった。

    まず主人公のネイル・ボーマンだが登場シーンでは親が遺した数億という財産で何不自由なく生活している有閑人であると紹介されるが、滞在地に訪れたジプシーたちに接触したことでいきなりジプシーたちに命を狙われることになる。
    彼がジプシーと接触したのは暇を持て余した金持ちの余計なおせっかいにすぎないのか、それとも有閑人を隠れ蓑にした秘密組織のエージェントなのかはページに至るまで判明しない。したがって読者はそれまではボーマンを自らトラブルに首を突っ込む世間知らずの道楽息子のようにしか見えない。つまり彼が巻き込まれるトラブルは彼が行った余計なお世話で自ら招いた災いである―実際登場人物の1人セシル・デュボアのそのように揶揄する―ため、軽薄かつ軽率な男として映り、なかなか彼に共感を覚える読者はいないのではないだろうか。

    しかし読む進めるうちに彼がどこかのエージェントのようであり、そして軽口を叩きながらも正義を重んじる性格であることが解ってくる。つまり道楽者は仮初めの姿であり、キャラバン隊の指揮者チェルダが秘密裏に行っている事を探るために派遣されたようだ。

    彼が美女の相棒セシル・デュボアとこの悪徳キャラバンの企みを阻止しようとするのだが、時に彼はセシルに結婚することを仄めかしながら、その実セシルがその気になると一線を引いて自分が冷酷な人間であることを示し、距離を置こうとする。軽薄な仮面の下には卑劣な行為を断じて許さない強い芯を持った意志が潜んでいるのだ。

    そしてこの物語で最もキャラが立っているのは自称ジプシー研究家のクロワトール公爵なる人物。大食漢の巨躯と怪力を誇る偉丈夫で、ボーマンを落ちぶれたボクサー紛いの男と揶揄し、歯牙にもかけず、どんな脅しにも状況の変化にも動じない太い肝を持つ。なぜかジプシーたちに同行する彼がいったい何者なのかも物語の大きなキーだ。

    さて彼らの標的であるジプシーキャラバン隊の指揮者チェルダは秘密を守るためには命を奪う事も、若い娘の背中の皮を剥ぐことも厭わない残虐な性格の持ち主だが、物語では心底の悪人のようには見えない。

    まずは彼らのボスとして振舞っているクロワトール公爵の押しの強い性格に翻弄されて、ほとんど顎で使われているようになっていること。また秘密を守るために部下たちを連れてボーマンを亡き者にしようと執拗に追いかけるが、いつも出し抜かれ、そのたびに部下が返り討ちに遭って大怪我を負っていくことで、どこか憎めないドジな悪役のようなイメージになってしまうからだ。

    そんな彼らが人を殺めてまで守ろうとした秘密の任務はまさに冷戦時代の作品だからこその真相である。

    また本書で特徴的なのはヒロインが2人もいることだ。
    まずは旅先でボーマンと知り合った美女セシル・デュボア。彼女は美しさと機転の速さを武器にボーマンの無理難題をこなし、立派なパートナー役を務めあげる。

    もう1人はクロワトール公爵に気に入られ、彼のジプシー研究に同行する事になったリラ・デラフォントだ。
    彼女は豪胆な公爵に翻弄されながらもなぜか愛想をつかずに同行する。

    今ではマクリーンは『ナヴァロンの嵐』を最後に、作品の質は下り坂を辿り、後期の作品には読むべき物はないとされている。
    北上次郎氏は前掲の評論で自身の作風に固執して時代の流れに乗りきれなかった作家として切り捨てている。
    特に冷戦の緊張緩和、CIAのスキャンダル発覚でもはやスパイやエージェントがヒーローで無くなった時代になってもなおエージェントを描いて空回りしているのがまさにこの頃のマクリーンで、確かに本書も当時の時代背景を考えると一種お伽噺のような感がしないでもない。
    しかしそれでもなお絶壁での逃走劇に荒ぶる巨牛との闘牛シーン、さらにはボートによる海上での戦いなど随所に盛り込まれるアクションシーンの迫真性はやはりこの作家ならではのりアリティに溢れている。

    終わった作家とされていたマクリーンの以後の作品を冒険小説界に新風を巻き起こした作家としてではなく、1人の冒険小説家として今後の作品を読んでみることでその中にある宝石を探ってみたいと思う。


    ▼以下、ネタバレ感想

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