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モリアーティ



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【この小説が収録されている参考書籍】
モリアーティ
モリアーティ (角川文庫)

モリアーティの評価: 7.67/10点 レビュー 3件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.67pt

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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全2件 1~2 1/1ページ
No.2:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

「しくじり先生」アセルニー・ジョーンズの面目躍如?

ホロヴィッツがコナン・ドイル財団からホームズ譚の正典の続編を書くことを公認された作家であることは『絹の家』の感想に述べたが、本書はそれに続く第2弾の続編に当たる。
そして大胆不敵にもホロヴィッツはホームズとワトソンを一切登場させず、脇役であり道化役でもあったスコットランド・ヤードの一警部アセルニー・ジョーンズとアメリカから来たピンカートン探偵社の調査員フレデリック・チェイスを物語の主人公に据えた。

前作『絹の家』はホームズとワトソンによる真っ当なホームズ譚であったが、本書はホームズがモリアーティ教授と格闘の末にライヘンバッハの滝に落ちた直後から始まる。
モリアーティ教授と手を組むためにアメリカからイギリスへ渡ったアメリカの犯罪組織の首領クラレンス・デヴァルーを追ってロンドンまでやってきたピンカートン探偵社の調査員フレデリック・チェイスとモリアーティ教授を追ってスイスに訪れたスコットランド・ヤードの警部アセルニー・ジョーンズがコンビを組んで、ライヘンバッハの滝から上がったモリアーティ教授の物と思われる遺体から出てきた奇妙な手紙を発端に正体不明の犯罪者デヴァルー逮捕に向けて捜査を行うといった趣向で、ホームズとワトソンは一切彼らの捜査には関わらない異色な作品になっている。

そう、本書ではホームズの世界観をバックに2人の主人公が縦横無尽に活躍する内容になっている。

とはいえ登場するのは正典に所縁のある人物ばかりで、本書で主役の1人を務めるアセルニー・ジョーンズは『四つの署名』に登場したスコットランド・ヤードの警部である。

本書では親切なことに訳者による本書で登場するスコットランド・ヤードの面々が正典のどの作品に出たか詳しいリストがついている。

このアセルニー・ジョーンズ、私自身は忘却の彼方であるのだが、実は正典では無能ぶりが強調された警部として描かれているようだが、本書では実に緻密な観察眼と推理力を持つ、おおよそ正典では存在しえない優秀な捜査官ぶりを発揮する。

私は当初彼は滝に落ちて亡くなったと見せかけたホームズが成りすました人物だと思っていた。というのもその推理振りはホームズのそれを想起させるものであり、更に足が悪くて休み休みでないと歩けないという描写があることから、怪我がまだ治り切れないホームズであると思われ、更に彼の台詞「たとえそれがどんなにありそうにないことでも、問題の本質として充分考慮しなければならない」はホームズのあの有名な台詞を彷彿とさせるからだ。

しかし彼が妻による夕食をチェイスに招待する段になってその確信が崩れてしまう。
そしてその妻エルスぺスがチェイスに語る、彼が正典で被った屈辱から徹底的にホームズを研究して彼に比肩する頭脳明晰な捜査官になろうとしていることが明かされる。

つまりは本書においてのホームズはかつてその名探偵とその助手によってコテンパンに揶揄われることに一念発起して切磋琢磨したスコットランド・ヤードの警部である。いわば彼はホームズシリーズにおける「しくじり先生」なのだ。

上記のようなことも含めてシャーロック・ホームズのパスティーシュ作品である一方で批評小説でもある。語り手をピンカートン探偵社の調査員フレデリック・チェイスにすることで部外者の視点からホームズ譚について疑問を投げかける。

例えばライヘンバッハの滝でホームズとモリアーティ教授は対決するが、わざわざ敵の首領自身がスイスくんだりまで乗り込んでホームズと対決することが解せないとチェイスは問う。
更にホームズがこの後身を隠して自分が死んだことに見せかけようとするのも理解しがたいと述べる。
加えてその後セバスチャン・モラン大佐が突如現れて崖を下るホームズに岩を次々と投げ落とすのもなぜモリアーティ教授が格闘している時に加勢しなかったのかと問い質す。

まあこれはドイルが無理矢理ホームズシリーズを終わらそうとしたが、読者の猛抗議に遭って無理矢理再開したことの弊害を指摘しているだけなのだが。

更にスコットランド・ヤードの警察官たちの中にはホームズの推理に疑問を持つ者をいることが描かれる。
曰く、筆跡から書いた者の年齢まで解るものだろうか、歩幅で身長を本当に推定できるのだろうかと云い、今になると彼の推理は何の科学的根拠もない荒唐無稽な代物だとまでこき下ろす。

更には今までさんざんバカにされてきたことに腹を立てたりもする。

つまりホームズに頼ってきたスコットランド・ヤードの警部が物語の中心になることで警官たちのこれまでホームズという奇人に対して募ってきた本音が描かれるのである。

更に毎度同じことばかり云って恐縮だが、ホロヴィッツは読み度に実に器用な作家だなと思わされる。

例えば作中に大文字と小文字の入り混じった手紙が登場するが、それは大方の予想通り暗号なのだが、それを読み解くプロセスは正典の暗号小説「踊る人形」を彷彿とさせるのだ。

また正典の「赤毛組合」で登場した犯罪者ジョン・クレイとダンカン・ロスが本書に登場し、デヴァルー一味の逮捕に一役買う。しかし彼らの末路は何とも哀しいのだが。

しかしつい先月読んだ島田氏の『新しい十五匹のネズミのフライ』でも正典の「赤毛組合」が下敷きになっており、何とも奇妙な偶然に見えざる手による導きを感じざるを得ない。

物語はその後意外な展開を見せる。

それまでスコットランド・ヤードの警部とピンカートン探偵社の調査員の物語だったのが最後になって題名となっているモリアーティの意味が立ち上ってくるのである。

そう、これは緻密な頭脳を持つ犯罪者モリアーティの恐ろしさを知らしめる物語である。

最後に付されたホームズのパスティーシュ短編「三つのヴィクトリア女王像」には再びホームズと共に長屋に住む年輩の夫婦が侵入した泥棒を殺害したことを発端にそこに住む3軒からそれぞれヴィクトリア像が盗まれる奇妙な謎を追うアセルニー・ジョーンズの話が添えられる。
そこに登場するジョーンズは他のホームズ譚同様にホームズの明晰な推理によって事件の解決がなされ、白旗を挙げる典型的なスコットランド・ヤードの警部像があるだけだ。そこにはチェイスが幾たびも感心したジョーンズの姿はない。しかしそれでも彼がホームズに憧れる契機となった若き肖像が写し出されている。

これは全くの私見だが、シャーロッキアン達を筆頭にするホームズ作品の愛好家たちが好むホームズのパスティーシュ作品は正典で名のみさえ出ながらも語られなかった事件や正典の中で触れられた出来事に由来する物語、即ち正典の隙間を埋める作品が好まれ、更にそれらをもう作者の筆によって読めなくなったホームズとワトスンの活躍を再現しているような作品が高く評価されているように思える。

従って本書のようにホームズの世界観をベースに置きながら主人公は別のコンビであるような作品は、例えその一方が正典に登場するスコットランド・ヤードの警部であっても評価が高くならないのではないか。
彼ら読者にとってやはり読みたいのは本家のホームズとワトスンによる新たな活躍なのではないだろうか。

そう思うのは先月に読んだホロヴィッツの『絹の家』や島田荘司氏の『新しい十五匹のネズミのフライ』どちらもホームズとワトソンが主人公になったパスティーシュでどちらも『このミス』でランクインしているからだ。

そして本書の後、ホロヴィッツはホームズのパスティーシュ作品を2020年現在書いていない。それは本書の出来栄えにコナン・ドイル財団がお気に召さなかったのか、それともホロヴィッツ自身の意志によるものなのかは解らない。

本書はホロヴィッツが一ミステリ作家としてのオリジナリティを発揮することを試みた野心的な作品であることは想像に難くない。しかしそれは実にチャレンジングな内容であった。
この結末の遣る瀬無さを世の中のシャーロッキアンやホームズ読者がどのように捉えたのか。それが今なお彼が次のパスティーシュ作品を書いていない(書けてない?)答えのように思えてならない。


▼以下、ネタバレ感想

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Tetchy
WHOKS60S
No.1:2人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

ファン必読の作品

ドイル財団公認作品。残念ながら、今回はホームズは出てきません。しかし、前半の暗号解読が見事だったり、レストレードやグレグスンなどホームズ作品でお馴染みの刑事たちがホームズについて語る場面など、ファンにはニタリとする場面が盛りだくさん。そこに気をとられていると、最後に見事にやられます。なかなかの作品でした。

タッキー
KURC2DIQ

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