スペードの女王
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あらすじ
むっちりと脂肪ののった弾力をもつ股のしなやかな肉付きのゆたかさ!その女の左股の内側きわどいところすれすれにトランプのカード1枚、スペードのクイーンが彫られていた!そのヴェールで顔を隠した奇妙な女客に、俗に“彫亀”と呼ばれている彫師の坂口亀三郎は半ば拉致同然のようにして、正体不明の若い女の内股にまったく同じスペードのクイーンの刺青をほどこしてやることになった、というのだった!?この奇妙な話に興味を覚えた金田一耕助が今朝の新聞の見出し、“首なし死体のスペードの女王”に耳目をそばだてた!それは片瀬の沖に浮かんでいた!そして、次々と殺人が!?―同じ刺青をもつ二人の女がまき起こす連続殺人事件の怪。--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。(「BOOK」データベースより)
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評判
スペードの女王の評価:
6.00/10点 レビュー 2件。 D ランク
スペードの女王の総合評価:
7.76/10点 レビュー 17件。
感想一覧
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
Amazonレビュー
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「お手本の入れ墨のほうだと、麻薬密輸の大ボスの妾であり、新しく彫られた女性は、政財界の背後にいる汚職屋の愛人であるが」(P.231)と書いているのがそれ。大ボスの妾と汚職屋の愛人は同じ女である。麻薬王陳隆芳の使者スペードの女王だった神崎八百子が、一昨年の陳の死後に麻薬流通のノウハウをもとにビジネスを再開しようとして、新たなバックとして選んだのが、汚職屋こと政財界の黒幕岩永久蔵という流れになる。
一方「新たに彫られた女」は七割近くまで読み進めないと姿が見えてこないが、彼女の背景が、本書の社会派推理小説としての読み処wである。寡聞にして、オンリーさんという用語をはじめて知った。
日本がアメリカを中心とする連合国に占領されていた時期、彼らに体を売る女がパンパンと呼ばれたことは知っていたが、そういった一夜の女ではなく、現地妻として扱われた女はオンリー/オンリーさんと呼ばれたらしい。そういった女はもちろん進駐軍兵士と正式な婚姻関係を結んでいたわけではなく、兵士が帰国する際には捨てていかれた。中には、後任者への申し渡しでもあるまいに、次々と順繰りに別の兵士のオンリーさんになり続ける例もあったようなのが、悲しい歴史の断片である……。
余談になってしまうが、オンリーさんを調べるために「オンリーさん 進駐軍」なんてキーワードで検索して見つけたブログの主は、千歳での進駐軍兵士をこども時分に見聞きしていた人のようだった。
下級兵士の中には傲慢な輩も大量にいたわけで、同時代の証言は貴重なものなのだが、そのブログを読んでいると、あれっと思う箇所がちらほら。「敗戦を終戦と言い換え」とか「占領軍を進駐軍と言い換え」とかのぷんぷんした記述だ。たまにお目にかかる。
前者はともかく、後者は明らかにGHQの"指導"で、当時の日本政府に拒否できるわけもないのだから、それらをひっくるめて一切合切、「だから日本はダメなのだ」的に扱うのは間違っている。まさにレッドパージ前のGHQと、日本では逆に、大量にパージされた者の後にすべりこんできた二流サヨクたちの思想教育に見事なほど感化された書き方であるw
当時のアメリカを糾弾するのはいい。
東京大空襲をはじめとする都市部無差別爆撃と二発の原爆投下は、当時の国際法をもガン無視したまさに大虐殺だった。それに戦前日本の政治的無能と判断の間違いを糾弾するのもいい。
だがソ連やチャイナの壮大な社会実験が悲惨な間違いだったことも十分証明されつつある21世紀にもなって、反省ポイントがずれたまま、「だから日本はダメなのだ」論を続ける人はあまりにも無知すぎると言わざるを得ない。自らショッカーの手先になっているも同然なことに気付いて欲しいのだが、……まぁ今さら無理なんだろーなぁ。
閑話休題。
首のない死体に関する入れ代わり? のトリックは、著者が何度となく取りくんでいたので、このテーマに絞って各作品の比較を試みれば、随分興味深くなりそうな気がするが、あいにく日に日に記憶が零れ落ちる身としては、残念ながら手に余る。
そこ以外の感想となると、うーむ思いつかないw
数日のうちに四人の男女を殺し、金田一耕助まで狙っていた凶悪犯人だというのに、驚くほど影が薄いというのが本作の特徴か……。
「姉は昭和二年生まれですから数え年でいうとことし二十八歳でございます」(P.165)の記述があるので、昭和29年の事件だと確定できる。
つまり緑ヶ丘荘とは完全に矛盾しているわけだが、本作のベースとなった「ハートのクイン」ですら昭和33年の作品なので、すでに緑ヶ丘荘へ転居済みの時期である。現に作中何度も緑ヶ丘荘が登場するし、数十メートルを隔てて犯人と対峙するシーンすらある。
となると、前田浜子の手紙の文面が間違いってことになる。
どうやら昭和35年の再構成時に、追加されたようだ。