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忠臣蔵元禄十五年の反逆
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忠臣蔵元禄十五年の反逆の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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井沢元彦氏は、古文書の読めない歴史ライターとして有名な?人だ。従って、この人が書く本は元ネタがある。 本書の場合、大石慎三郎という歴史学者の研究がそれである。 大石慎三郎説は、当初こそ話題になったが、その後、学者としては致命傷といっても良い誤りが指摘され大石慎三郎氏の評価を著しく下げた。 本書は、大石慎三郎説そのままと言ってもいい。それに加えて、前段で浅野内匠頭は殿中抜刀の罪によって裁かれたと主張しながら、後段では幕府は乱心を喧嘩として裁いたと主張するという論理のすり替えも行われている。 新潮社が最近、井沢氏に執筆依頼をしないのと、この本が絶版になっている原因はここらあたりにあるのではないかと思う。 大石慎三郎説は、刃傷が起きたのは松の廊下ではない、赤穂浪士の討ち入りは評判にも話題にもなってない、など通説にチャレンジする過激な主張が満載で、発表当時、大きな話題になった。 しかし、刃傷が起きたのは松の廊下ではないというのは大石氏の誤認であることは、すぐ証明された。 大石氏は、当時、赤穂浪士の討ち入りは評判にも話題にもなってない、その証拠に『鸚鵡篭中記』には赤穂浪士の討ち入りのことが全く記載されてないと主張した。 『鸚鵡篭中記』は『元禄御畳奉行の日記 』(中公新書)で有名になった尾張藩士朝日文左衛門の日記である。 朝日文左衛門は恐ろしく筆まめな人で当時の実に下らない事件から身辺のこまごましたことまで書いた日記を残している。それが『鸚鵡篭中記』である。 厳密には、2行程度、触れられているのだが、これだけなら大石氏の主張を引っくり返すことは出来ない。ところが、赤穂浪士の討ち入りは別冊になっているのだ。この別冊で、赤穂浪士の討ち入りは、詳細に記述され、朝日文左衛門の関心の高さ、当時の評判の大きさを窺うことが出来る。 大石慎三郎氏は、さらに、浅野内匠頭・馬鹿殿説を唱えその根拠を『土芥寇讎記』(どかい こうしゅうき)に求めた。 『土芥寇讎記』は、元禄時代に書かれた思われる、各藩の藩主の政治や私事について記した本である。 大石氏はこの史料を使い、『将軍と側用人の政治』という本のなかで、浅野内匠頭を「面白いことに、事件の起きる十年ほど前に幕府によって作られた『土芥寇讎記』(幕府隠密を使って全国の大名の素行と領地の実態を調査したもの)を見ても赤穂藩の浅野長矩の評価は最も低い部類に属する。無類の女好きで政治に興味を示さず、いい女を紹介すれば必ず出世させてくれる殿様という、惨憺たる評価を幕府の隠密から受けているのである」と断罪している。 これは『土芥寇讎記』の「ことのほか女色を好む。このため、よこしまなへつらい者が、主君の好にあった、色よき婦人を捜して御側に出す。このような輩(やから)が、立身出世する。いわんや、長矩の目にとまった女の縁者などは、時を得て、禄をむさぼり、金銀にまみれる者が多い。長矩は、昼夜、女とたわむれ、政道は幼少の時より成長の今に至るまで、家老任せきりである。」という記述が根拠である。 しかし『土芥寇讎記』はこの直前で、 「長矩は智があって利発である。家臣領民の政治もよろしい、故に、士も百姓も豊かである。」と書いている、問題の文章はこの後に続くのである。 前半と後半の記述が矛盾しているし、事実とも異なる。 浅野内匠頭には、子供がいないにもかかわらず側室もいないのである。跡継ぎとして弟の浅野大学を養子にしている。作家なら正室との仲がよほど良かったのではないかと推察するところだ。 『土芥寇讎記』は厳密には作者不詳である。幕府隠密が書いたのではないかというのは、あくまで一つの説だ。内容の面白さで評判になった本でどちらかというと奇書の類である。 いずれにしてもこういうミスは調べるにあたって予断があり、しかも原典に当たらず孫引きで済ましたこと以外考えられない。 | ||||
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