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神器-軍艦「橿原」殺人事件
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神器-軍艦「橿原」殺人事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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とりあえず上巻だけの評価です。 先に読んだ「グランドミステリー」のレビューで”「神器」の方がスケールが大きくてよかった”ということを書いていた方がいたので、期待して読み始めました。 「グランドミステリー」も同様でしたが、最初のあたりは結構忍耐がいります。 最初の260ページくらいまでは特に大きなことが起きるわけでもなく、太平洋戦争で明らかに敗戦に向かっている日本で、沖縄で撃沈されるとわかっているのに精神論だけで出航してゆく軍艦”無左志”、それに連携した作戦に参加するらしい軍艦”橿原”に乗った面々の様子が描かれます。 艦長から水兵まで海軍のむさい男どもがそれぞれの事情を抱え、不満たらたらの理不尽な軍艦生活を送る様子が延々と描かれるので、女性の自分には感情移入できる人物が誰もいなくて正直かなり退屈でした。 それでもこれまで自分の中で最高評価だった「雪の階」と「グランドミステリー」同様に期待して読み進めていくと、後半から急に話がアップテンポになり進み始めます。 上巻では、いつもの”過去と現在、未来を行き来する”とか、”死んだはずの者が現れる”とか、龍?の作用でネズミになってしまった人間たちとか、起きたのは本当に殺人事件だったかどうかも曖昧で、話がとっ散らかったままです。それでもおもしろいので止まらなくなってそのまま下巻に突入し、200ページほど読み進みましたが、いまだにこの話をどんなふうに終わらせるのかまったく先が見えません。さてどうなるのでしょうか。 「猫」「雪の階」「グランドミステリー」と読んできましたが、いまだに著者が何を意図して小説を書かれているのかわかりません。思いっきりおもしろい破天荒な娯楽小説を目指しているのか?それとも深淵な純文学を創作したいのか? 戦争や軍、皇室がらみのテーマが多いようですが、こういう雰囲気からすると「これがけしからん、こうあるべきである」という戦争批判や政治的なイデオロギーを訴える作品ではないと感じるのですが・・著者のエッセイがあるようですので、またそちらも読んでみたいと思います。 | ||||
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不思議な読後感のある作品である。 舞台は敗戦を控えた軍艦の中。 ある命令を受けて出撃するのだが、その命令とはなにかが一向に明らかにならない。 そして、その命令の正体が明らかになるにつれ、その命令がとんでもなさにある意味で引き込まれていく。 しかも、昭和20年の過去と現代が物語の中で錯綜し、作中の小説と作中の現実もまた錯綜していく。 奥泉の作品は「プラトン学園」など何作か読んでいるが、「石の来歴」もそのような錯綜が、テーマを浮き彫りにさせるための一つの表現手法となっていた。 彼のスタイルなのだろう。 殺人事件と副題にあるが、これはミステリーではない。 版元の分類によれば純文学であり、日本人論を描いた力作という。 そうだなあ、最末期の日本の軍人の精神などは、この誇張的に描かれた狂気に近いものであったに違いないと思わせ、それが誇張的にカリカチュアライズされている分だけ、純文学なのかもしれない、などと感じてしまった。 昭和20年の海軍兵士の「おれ」を主語にした語りなのだが、その口調が今風で、これも独特の読後感に寄与しているようだ。 | ||||
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不思議な読後感のある作品である。 舞台は敗戦を控えた軍艦の中。 ある命令を受けて出撃するのだが、その命令とはなにかが一向に明らかにならない。 そして、その命令の正体が明らかになるにつれ、その命令がとんでもなさにある意味で引き込まれていく。 しかも、昭和20年の過去と現代が物語の中で錯綜し、作中の小説と作中の現実もまた錯綜していく。 奥泉の作品は「プラトン学園」など何作か読んでいるが、「石の来歴」もそのような錯綜が、テーマを浮き彫りにさせるための一つの表現手法となっていた。 彼のスタイルなのだろう。 殺人事件と副題にあるが、これはミステリーではない。 版元の分類によれば純文学であり、日本人論を描いた力作という。 そうだなあ、最末期の日本の軍人の精神などは、この誇張的に描かれた狂気に近いものであったに違いないと思わせ、それが誇張的にカリカチュアライズされている分だけ、純文学なのかもしれない、などと感じてしまった。 昭和20年の海軍兵士の「おれ」を主語にした語りなのだが、その口調が今風で、これも独特の読後感に寄与しているようだ。 | ||||
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読み応え抜群で、重厚なテーマを扱いながらスラスラと読ませる漱石ばりの文章力に感謝。又、渡部直巳氏の解説は素人では気付き憎い、過去の文学作品との関係について述べられ、とても参考になった。この大作を読み終えた素人の感想としては、まずひたすら面白くエンタメ度は最高だと思う。ミステリとかSFとか戦争文学とか、ジャンルにこだわらず読むと良いのではないか。 そして、あえてタブーに挑んだ問題作であるのも見逃せない。日本人にとって最大のタブーと思われる天皇制を始め、軍部における男色、暴力、思想警察など、読むに耐えないような描写もあり、万人向けとはとても思えない。が、それ故に魅力的なのは確かで、現時点での作者の最高傑作に推したい。 | ||||
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作者を意識したからだろうか、夏目漱石を彷彿とさせる軽妙洒脱な文章が素晴らしく、凡百のエンタメ小説の域を超えている。すぐに引き込まれて、妖しい幻想的軍事ミステリーを堪能した。太平洋戦争末期の敗色濃厚な軍部と言う、男だけの不条理と狂気に支配された世界を見事に表現しており、死出の旅路の前に男娼?に溺れる心理など、通常避けたくなる事象にも踏み込んだ作者の本気度に拍手である。 印象的なキャラも多いが、艦長として死ぬため現役に復帰した飲んだくれの長澤艦長や、辛い海軍生活から逃れる願いが叶って鼠に転身した福金上水など、「残念な」人たちの描写が冴えており、重苦しいストーリーなのに何度も笑いを誘われた。下巻にも期待である。 | ||||
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2009年作品を今頃になって読んだのには訳がある。①今上天皇の退位に伴う剣璽等承継の儀が「国事行為」になったという報道に触発されたこと ②NHK「100分で名著」で松本清張の『神々の乱心』が取り上げられ、清張最後の未完小説が神器を扱う話であると知ったこと。③番組解説者の原武史氏がこの本を薦めていたこと、である。 芥川賞作家・奥泉光氏の作品を読むのは初めてだが、とにかく面白かった。虚実つき交ぜた荒唐無稽な話の運びながら、それぞれの主張には筋が通っている。もちろん筋は一本ではない。 物語の背景は昭和20年4月と明記される太平洋戦争の断末期である。戦艦「矢魔斗」(大和ではない)が沖縄特攻に向かう。合理的な作戦によるものではない。瀬戸内海に空しく浮かぶ巨大戦艦に死に場所を与えてやろうとのロマン派的発想。それだけでなく、日本必勝の神風を呼ぶためには神にささげる生贄がまだまだ足りない。それには艦だけでなく3千名を超える搭乗員の生き血も必要だという神懸り的発想もある。我が主人公石目上水が登場する軽巡洋艦「橿原」もこれに紛れて乗員420名を乗せて密かに出航する。 その「橿原」であるが、香取型練習巡洋艦といって<K>を頭文字に持つ神社名(香取神宮、鹿島神宮、香椎宮、橿原神宮)に由来する4隻の1艦だが、実際には建造されなかった幻の軍艦である。このことだけからもこれがリアリズム小説でないことが明白である。 文学理論では「マジックリアリズム」(魔術的現実主義)というそうだ。日常と非日常とが融合した作品に対して使われる芸術表現技法で、シュルリアリズム(超現実主義)と違う点は精神分析や無意識といった部分には入らずに、伝承や神話、非合理などといったあくまで非現実的なものとの融合を取っている手法であるとされる。こう言われればこの小説はまさに「マジックリアリズム」の本質を備えている。 出航前「橿原」は既に絶滅した「第一艦隊」を拝命するがたった一艦のみである。海軍や陸軍に所属するのではなく大日本帝国直属になると言われる。行く先や目的は明らかにされない。各地の軍港を出入りしながら、あり得ないことに、丹後の宮津で陸軍将官を同乗させる。その中に黒衣と黒頭巾で全身を覆った者が2名いる。横須賀に回航せよとの司令部の命令に背いて東に進み、鳥羽沖に投錨する。そこで伊勢神社の「八咫鏡」を積み込んだとの噂が広がる。三種の神器の中で一番格式が高いのは鏡だと清張も記している。先の黒衣の人物は昭和天皇とお付きの女官だとも。 ここまで進むと「橿原」は神国日本を体現しているように感じられる。「神器」が置かれたこの船だけが建国神話を正統とする神聖日本であると。アメリカに降伏しようとしている近代化した昭和天皇と偽日本人など消滅しても構わない。こういう思想が乗員にも強要される。 死力を尽くすことと「死ぬ」こととは違う、と老艦長が全員を集めた前で切腹して見せる。陸軍将校の一人も追い腹を切る。その一方で奇妙な安堵感も広がる。神器を積んだ船は沈むわけがない。これがある限り日本は勝てないといえども決して負けないのだ。洗脳された若い乗員たちは、何処からか配られた服装違反の「日の丸」の鉢巻きを頭に巻き付けて上官の命令に逆らい始める。 そんな上甲板部の矯風運動とは別に艦底部には別の騒動がある。まず開かずの五番倉庫、これに絡んで連続殺人事件が起こる。なかに何があるのかわからない呪いの倉庫だ。 鼠の大発生。五番倉庫に隠されているらしいロンギヌスの槍から「七色光線」が発せられ、食料がなくとも増殖する。鼠同士の無秩序で熾烈な殺戮合戦が繰り広げられる。鼠は人間を示し、人間のDNAに埋め込まれた「虐殺」本能のメタファーであると考えられる。 そのほかに戦死者の亡霊も死んだ状態のままで艦内に溢れ来て、「俺たちをどうしてくれるんだ」と恨みがましく叫ぶ。 物語は時空を超える。艦内で死亡した乗員が鼠になって戦後の靖国神社に行ってみると、境内に戦死者は一人もいない。靖国界隈はえらく繁栄していて、戦争の影などはどこにも見つからない。靖国神社は敗者を祀らないので敗残兵は神国「橿原」に集まるほかないのである。 訪問鼠は艦に戻る時、平成生まれの貧困青年を連れ込んでしまう。映画以外に戦争を知らず、「貧困から抜け出せるなら戦争も良いなあ」と信じる青年である。彼とのかみ合わない会話が実におかしい。 やがて五番倉庫が開かれる。神殿になっていて、「八咫鏡」が祭られている。どこかに存在する「天岩戸」から再び日本を作ろうという祈りの集会が聞かれる。「樫原」は祈りの船になった。儀式は白熱して踊りに変わり、天岩戸の予行演習さながら、神殿の前で男らが乱交するどんちゃん騒ぎの猥雑さになる。 だがそんな「お家の事情」は米軍には関係ない。単独航行の無謀さに驚く米軍だが、潜水艦が尾行し、偵察機がしきりに飛来する。そして明け方…… このように話の運びは荒唐無稽だが、語られていることそれぞれに一定の論理が貫かれていると感じる。今も隠然と日本国民を支配する「神器」を通して、末期的状況の中「自己陶酔」を深め、ひたすら狂って行った戦時期日本と、戦争や戦死者たちが存在しなかった如く、繁栄に狂う現在日本を相対化し、日本人の相変わらずの内向き自尊主義とその対極にある自傷主義をともに嗤う内容をひめていると思う。パロディーと言えども侮れない。 | ||||
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『神風を呼ぶには犠牲がいる』(上巻、265ページ) この世には、というより戦後辺りにはしょっちゅう戦争小説とやらが書かれていたわけで。 しかしながら『戦争小説』とはその名の示すとおり、戦争を『経験』したものが書いている媒体なわけであって。 故に見解は、結論は、賛成に傾くわけがなく、悲惨さや陰惨さ、反省と愚考への述懐だったりにとどまってしまうわけである(あるいはティム・オブライエン的な、僕がPTSDになったわけ、だったり) その点を戦争参加者(死亡者)の呪詛に的をしぼり、直裁に描いたのが同作者による『浪漫的な行軍の記録』だったわけだが、今作も同じ傾向であるものの、どうもエンターテイメイントの体裁をとりながら、細部と結末がいまひとつ分かりにくいところがある。それにより星一つ足りない。 しかしながら補って余りある魅力、ことに下巻に移ってからの物語の集約とそれを上回る混沌と猥雑、なんちゃってメタ・フィクション、飛躍し鋭く切り込んでくる日本人論がもう堪らない。 戯曲のようなコマ割りの元、死者と海兵隊員、迷い込んだ現代の若者によるセリフの応酬は見事。『今の』目線があるからこそ、死んだものの滑稽さと空回りする必死さ(もう死んでるんだけど)、惨めさと恨みの深さがまさに海底よりドドドと伝わってくる。 キーワードは、鼠、日本人、ロンギヌス物質。 | ||||
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いったい、この物語はどこにいくのか? 上巻を読み終えても全く分からない。 そして下巻に入っても着地点が見えてこない。 昭和初期の探偵小説風な文体も面白く、ずんずんと読み進められた。 後半の戦争についての思弁的な対話など、これは今読むべき本。 娯楽小説としても、反戦(過去の戦争の悲惨さと、戦争の実体を知らず勇ましい言辞を弄している人々へのメッセージ)の思いが込められている。 ラストの唐突さはもったいなく感じたので☆4つとした。 | ||||
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面白い:キャラクター、せりふ、エピソードとどれも文句無く面白い。さりげない文章の素晴らしさがその面白さを後押ししている。躁状態のクリストファー・プリーストといった感じだ。 深い:いろいろ考えさせられる。戦争とは、日本人とは、そして現実とはといろいろなことを考えさせられる。 文学している:虚構とリアルの差異と同一性を長いけれど読みやすいストーリーの中で実感させてくれる。加えて夏目漱石、小栗虫太郎、メルヴィル等のパロディの登場は小説マニアにはたまらない。 傑作だと思う。しかし村上春樹の1Q84の売れ行きとこれほどまでに差のつく理由は何なのだろう?文章とペダントリーで奥泉氏のほうが優る。詩心と美しいイメージと恋愛ストーリーの欠如の点で村上春樹に劣るからか? | ||||
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結論から言ってしまうと、この小説がら明確な主題を見出そうとしても仕方がない。しかしだからこそなのだがこの小説は「解釈しよう」という意思(愚行かな?)を捨てて普通に読むと物凄く面白い。語り手は複数になるのだが『俺』と称する男のエピソードは爆笑できるし、奥泉氏の技術に舌を巻くばかりだ。著者の作品を読んだ(といっても去年)のは初めてなのだが、これだけの小説巧者だとは思わなかった。その実力は作品内の時代を異なる人物の交錯やドッペルゲンガー現象的不条理にも満ち溢れた様々な仕掛けに十二分に発揮されている。 この作品を読んだ後、著者のエッセイ『虚構まみれ』青土社を読んだのだが、所謂旧来の純文学的制度とは距離を置き、新たな小説を創ろうとする発言があった。その主張を雑駁に説明すれば、<俗情>からの回避だ。そのスタンスによって新たな面白い純文学を書いてやろうとする試みは本作で見事に成功している。似たような立場で新たな小説を創ろうとして、耐えがたい程退屈な小説を書く保坂和志氏と著者では成果が比較にならない。奥泉光氏の作品は本作以外未読なため、これから読みあさるのが楽しみで仕方がない。 | ||||
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三島『英霊の聲』の、平成アミューズメントパーク版。あれ、1行書いただけで、もう言い尽くしちゃった感じ!気を取り直して…大戦末期、洋上を行く軽巡洋艦「橿原」が舞台。ほぼ(ほぼだよ)、ずっと艦上が舞台。でも乗組員420名だから、群像劇の趣。登場人物多し。最初は1人称で進むが、アレレいつの間にか三人称の神の視点。で、また1人称。こういうの、いまや小説としては珍しくないけど、あれもしかして、これは、奥泉氏のことだからと思ったら、やはり最後に来て想像通りのことが語られる。でも秘密にしておくね。三島の英霊は、天皇の人間宣言を憤るが、奥泉の英霊(まだなる前だけど)は、さっさと宗旨替えして、自分たちが独自に定めた目的地(死に処ですね)へまっしぐら。果たして艦船橿原が向う先はどこか。これも秘密にしておくね。艦内は時間の経過とともに、エントロピーが増大し、収拾がつかなくなります。そして、死へと至る生(性)の高揚。バタイユですねェ。旧日本軍の、組織としての薄気味悪さは、私も以前から感じていました。明確な指揮系統があるようでない、理性では掴みきれない気味悪さです。海軍は、陸軍とは違って悪者にされなかったけど、疑惑が多いしね。大戦中を描いて、悪ふざけが過ぎる、とご批判もあるでしょうが(どこから?)ここまでやってこそ、見えてくるものもあるのでしょう。奥泉さん、この調子で明治維新もやっつけて!暗躍するグラバー、伊藤博文の操り人形大室の寅ちゃん、奥泉氏の豪腕にかかったら、面白くなること請け合い!サービス精神旺盛な奥泉氏のこと、寿命縮めていいから、やってくんなさいませ。 | ||||
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三島『英霊の聲』の、平成アミューズメントパーク版。 あれ、1行書いただけで、もう言い尽くしちゃった感じ! 気を取り直して… 大戦末期、洋上を行く軽巡洋艦「橿原」が舞台。ほぼ(ほぼだよ)、ずっと艦上が舞台。 でも乗組員420名だから、群像劇の趣。登場人物多し。 最初は1人称で進むが、アレレいつの間にか三人称の神の視点。で、また1人称。 こういうの、いまや小説としては珍しくないけど、あれもしかして、これは、奥泉氏のことだから と思ったら、やはり最後に来て想像通りのことが語られる。でも秘密にしておくね。 三島の英霊は、天皇の人間宣言を憤るが、 奥泉の英霊(まだなる前だけど)は、さっさと宗旨替えして、自分たちが独自に定めた 目的地(死に処ですね)へまっしぐら。 果たして艦船橿原が向う先はどこか。これも秘密にしておくね。 艦内は時間の経過とともに、エントロピーが増大し、収拾がつかなくなります。 そして、死へと至る生(性)の高揚。バタイユですねェ。 旧日本軍の、組織としての薄気味悪さは、私も以前から感じていました。 明確な指揮系統があるようでない、理性では掴みきれない気味悪さです。 海軍は、陸軍とは違って悪者にされなかったけど、疑惑が多いしね。 大戦中を描いて、悪ふざけが過ぎる、とご批判もあるでしょうが(どこから?) ここまでやってこそ、見えてくるものもあるのでしょう。 奥泉さん、この調子で明治維新もやっつけて! 暗躍するグラバー、伊藤博文の操り人形大室の寅ちゃん、 男と手を取り合って入水する西郷隆盛、 奥泉氏の豪腕にかかったら、面白くなること請け合い! サービス精神旺盛な奥泉氏のこと、寿命縮めていいから、やってくんなさいませ。 | ||||
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こりゃ面白い。体裁は軍記もの、内容はミステリ、設定はSF。もしかして、さらには純文学の匂いもする。上下巻でかなり長い小説、この上巻では、最初の半分ぐらいまで、戦艦「橿原」やそれに乗り組む搭乗員たちの紹介で、謎らしい謎は起きない。しかし、後半に入ると、不可思議な乗組員の殺害、失踪といった事件が次々と起こる。橿原自体の任務についても、ようやく明らかにされるが、物語が進むにつれ、謎は深まるばかり。上巻だけではなんとも評価しづらいけど、私はこういうジャンルをクロスオーバーしているのは好きだ。 | ||||
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今、読み終えて、ただ、ひたすらに良かった...。 現在に生きる「ニホンジン」として向けられたこの鋭い眼差しをこんなにも一級のエンターテイメント性をもって一気に読ませる本作品は近年の文学界において傑出した完成度だとおもいます。 作品の性格上ネタバレは厳禁でしょうから、多くを語りません。 ああ、おもしろかった。 | ||||
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今、読み終えて、ただ、ひたすらに良かった...。 現在に生きる「ニホンジン」として向けられたこの鋭い眼差しをこんなにも一級のエンターテイメント性をもって一気に読ませる本作品は近年の文学界において傑出した完成度だとおもいます。 作品の性格上ネタバレは厳禁でしょうから、多くを語りません。 ああ、おもしろかった。 | ||||
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待ち望んでいた最新長編。 読み始めると最後まで一気に読んでしまうのはほかの奥泉作品と同じ。 文章の力だと思う。 奥泉作品に慣れている身としてはラストは十分に消化できる。でも… SFチックな仕掛けが、この作品を生かすことになったのか、ちょっと疑問に 感じたのも事実。 ほかのレビュアーの方も指摘されている通り、奥泉作品は「このジャンル」と 規定するのがすごく難しくて、人に勧めても「それミステリ?純文学?」と聞かれて 「うーん、純文学の要素もあるしミステリーも入ってるけど、時々SFも…」 なんて言ってるうちに尻すぼみになってしまうのが常なのである。 すごくおすすめなのにもどかしい。 ご本人は面白くなければ小説ではない、という立場のようだし、 ジャンル分けは無意味とは思うけれど。 個人的には福金豊が好きでした。 次の新作が読めるのはいつだろうか。 | ||||
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ミステリーファンから見ればミステリーでなく(かつては「葦と百合」とかいい作品があったのに)、純文学ファンからすれば純文学でなく(芥川賞当時は期待させたのに)、難解すぎてエンターテインメントとしても成立していない(「鳥類学者のファンタジア」とかもうちょっと軽くて面白かったのに)。 小説という「ジャンル」に関する著者の認識が、一般読者とは乖離しているのではなかろうか。著者の考える「小説」は自由度の高い表現手段で、それは著者の好きなジャズにも共通するものかもしれない。クラシックやフォークその他様々な音楽を自由に取り入れ発展したジャズは、一般聴衆の支持を失い、コアなファンのみのものとなった。著者はジャズと同じ規模の読者マーケットを獲得できればいいと思っているかもしれないが、ジャズの中でもかなり非主流派。これでは友達にも家族にも薦められない。。 著者は以前の作品でも捏造された過去をめぐっての物語を描いてきたが、本作では、これまでのような私的な物語でなく、太平洋戦争と戦後日本といった大テーマを持ち込んできた。いかにも本当らしく書かれた多くの歴史小説の欺瞞に比べれば、捏造された過去をめぐっての捏造された物語だ、ということが明快で、いかにも誠実な書きぶりではあろうが、多くの読者は違和感を覚えたまま、この物語に没入できることなく終わるのであろう。 | ||||
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ミステリーファンから見ればミステリーでなく(かつては「葦と百合」とかいい作品があったのに)、純文学ファンからすれば純文学でなく(芥川賞当時は期待させたのに)、難解すぎてエンターテインメントとしても成立していない(「鳥類学者のファンタジア」とかもうちょっと軽くて面白かったのに)。 小説という「ジャンル」に関する著者の認識が、一般読者とは乖離しているのではなかろうか。著者の考える「小説」は自由度の高い表現手段で、それは著者の好きなジャズにも共通するものかもしれない。クラシックやフォークその他様々な音楽を自由に取り入れ発展したジャズは、一般聴衆の支持を失い、コアなファンのみのものとなった。著者はジャズと同じ規模の読者マーケットを獲得できればいいと思っているかもしれないが、ジャズの中でもかなり非主流派。これでは友達にも家族にも薦められない。。 著者は以前の作品でも捏造された過去をめぐっての物語を描いてきたが、本作では、これまでのような私的な物語でなく、太平洋戦争と戦後日本といった大テーマを持ち込んできた。いかにも本当らしく書かれた多くの歴史小説の欺瞞に比べれば、捏造された過去をめぐっての捏造された物語だ、ということが明快で、いかにも誠実な書きぶりではあろうが、多くの読者は違和感を覚えたまま、この物語に没入できることなく終わるのであろう。 | ||||
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予想通り、各紙誌の書評では碌なものが出ていない。幾つかのものでは、プロの書評家でも、戸惑ったようなものが多い。褒めているのか、あるいは実はよくわからないのかというものもある。一般読者にとっては、これはミステリじゃあない、純文学にしてはSF過ぎるといったコテコテ「古典的」な感想が大半であろう。 奥泉光が『石の来歴』で登場したとき、この人こそ文学の希望の星だと思ったものだ。その後、『ノヴァーリスの引用』を読んでさらに確信した(こちらのほうが『石の来歴』より早い作品)。『ノヴァーリス』は、瞠目反・文学賞(選者は島田雅彦だったと思う)という輝かしい(?)栄誉を担ったものだった。 希望の星は、その後、漱石の『猫』や『坊ちゃん』のパロディのようなミステリを書いているが、評者の視界からは外れ(単に他のを読んでいたのです)、『モーダルな事象』『バナールな現象』でまた視界に捉える(厳密には発表順に非ず)。『鳥類学者のファンタジア』は途中で放り出したが、『浪漫的な・・』で接近し、本書『神器』で最接近するところとなった。 本作品は、これぞ小説であり、小説でしか出来ないことを追究した稀なる成果である。 もっと「お話」を作ることが巧みなエンタメ作家であれば面白かったのになどという評言は、このチャレンジングな作品には妥当しない。読むことの危機、物語ることの危機、ジャンル自体の危機。それはハッキリと文学の危機であるが、それをあくまで軽妙なタッチで引き受けているのは、この小説家以外に一体誰がいるというのか? コアな読者に受けるように奮闘する上手い作家は幾らもいるが、生が形式との桎梏のうちに喘いでいる事態を、全的に描き得るのは小説でしかあり得ない。このジャンルの危機こそ、我々の生の危機そのものなのであると言うことを改めて想起させてくれる作家が一体どれだけいるのか? レビューの数を見ても、大して売れないだろう本作の読者は、それだけロイヤルティの高いコアな読者と言えるかも知れないが、彼らも戸惑っているのであろう。その事態は、所謂コアな読者と人気作家の構図とは異なるのである。 こんなレビューごときで喋々できる作品は、どだい大したものではないことは明らかであるが。 | ||||
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