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クライマーズ・ハイ
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クライマーズ・ハイの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全217件 141~160 8/11ページ
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85年、夏。 あの夏は特別熱かった気がします。 中学2年だった私は、父の実家新潟へ帰省するために、荷物をこしらえ、一息ついた頃であろうか?7時のNHKニュースで日航のジャンボ機が行方不明になったことが速報で流れていた。次々へと流れてくる情報は暗澹たる物であった。その頃、関越道は全線開通されておらず、混むところが人一倍嫌いな父の運転する車は首都圏から東北道へ、そして、福島から山形新潟へ通る、今とは比べ物にならないくらい交通事情の悪さの中、深夜に向かうため、当時の人気番組「なるほど・ザ・ワールド」を見てから、眠りにつこうとした。番組には123便に搭乗していた坂本九が出ており、番組の最後には坂本九の安否を気遣うテロップが流れ、暗澹たる思いはさらに倍増し、眠れなかった。他人の生死が気になって眠れなかったことは人生の中で初めてであったろう。 本書「クライマーズ・ハイ」にはあの85年の夏を思い起こさせる。そして、事故の裏に隠された人間ドラマが凝縮されています。 。 本書読後、実家に帰り、父とあの夏の話をしました。熱かった85年夏を・・・。 | ||||
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地方新聞社とは色々あるけど、こうも若手が40代の目上に唾吐き捨てて「現場に登ってないあんたに何が判るっつんだ!?」と言えたりするの? アナーキー過ぎて、惨状の現場を踏んだ神沢の憤りは判るけど、あまりにも上司も目上もへったくれもない若手の下克上的生意気ぶりには読んでて不愉快だった。 また、悠木が仕事上の絶対的な仕方なさで罵倒したために、結果的に死んだ望月記者をめぐるトラウマのエピソードはさらに変。営利を求めるのは新聞も仕事上当たり前で、その新聞に載せる故人の生前写真を探してくるのは、確かに新人記者には遺族感情の前で葛藤するだろうけど、生業上仕方のないこと。だから、悠木が過剰なトラウマに苛まれてきたのは変。 もっと変なのは悠木が、その故望月記者の従姉妹が対面時にもってきた自身の投書を、望月への贖罪の気持ちひとつで自分とこの新聞に載らすのをその場で確約したこと。自分の私的感情と私的関係だけで、公共の新聞に自分の独断で載せるのを押し切ったのは、普通は職権濫用。 また、その従姉妹の投書内容も、やっぱ「日航機事故遺族の感情を配慮せず、自分の親族関係の命を軽視した新聞への当てつけ」以外のなにものでもない。重い命と軽い命とで結局新聞は人命の軽重を作ってるんだといわれても、やっぱ社会的大事故で失われた多くの命と、世にごまんとある交通事故で失われた命とでは、新聞は紙面積の都合と社会的役割上、前者を取り上げないわけにはいかない。 あと、この投書事件が本読んでて終盤に出てきてからは、「日航機事故で失われた多くの命も、主人公の悠木あるいは作者自身にとっては、結局他人事のでかすぎて扱いに困る“もらい事故”にすぎないの?」と疑問に思った。『クライマーズ・ハイ』の題名で我々読者に想起させるあの80年代の日航機大事故だけど、本書では単に架空の新聞社内の、組織破綻に近いその異様な上下関係・人間模様や、主人公にしてはあまりに魅力のない悠木(それでも全権)のしみったれた人間模様を、単に背景として彩るだけのいちエピソードにしか扱われてない。あの歴史的惨劇がこうまで薄っぺらく扱われてるとは一体? 最後に再度問いたいのは、作者は新聞・記者の役割をナイーブすぎるほど神格化しすぎているが、新聞社は非営利団体ではないのだ。読者の知的・感情的充足感を満足させ、営利を常に追求しないことには、ずっとは飯は食えない。公器と営利の羊頭狗肉な狭間で格闘してる。 追記になってしまうが、忘れてたことが。ハーケンで岩を登るシーンに、あまりに肉体的な汗の実感と周りの山景色の彩りが欠けている。スポーツ感がゼロで、題名倒れじゃないか? | ||||
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有名な本なので内容をご存じの方も多いと思いますが、簡単に紹介させていただきます。 主人公は、群馬県の地元紙につとめる40歳の中堅記者。かつて部下を死なせてしまった負い目を持ち、記者としての出世街道を外れています。 暗い生い立ちが影響したのか中学生の息子とうまくいかず、ギクシャクした家庭環境から逃れるように山登りをはじめました。山登りの先輩から難しいことで有名な岩登りに誘われ、いざ出かけようとする直前、あの御巣鷹山への日航機墜落事故が発生しました。 主人公の将来を心配する報道局長は、この未曾有の事故を報道する全権デスクに彼を任命します。 降ってわいたような事故に対処するために沸き返る新聞社内。 記者を振り分け、原稿に赤を入れ、事故の大きさに向かい合ううちに、主人公には記者魂がよみがえってきました。 上司や他部門と軋轢を起しながらも、少しでもいい紙面を作ろうとする主人公。いっしょに岩登りするはずだった先輩の不可解な入院が重なり、事件のスクープと先輩の入院の謎解きを交えて、物語はクライマックスへ……。 小説家になる前、著者は群馬県の上毛新聞という地元紙の記者をしていました。事件記者としてサツ回りも担当し、御巣鷹山の日航機事故も現場取材を経験しています。 事故から20年近い歳月が流れ、著者の経験は読み応えのある小説にまとめられました。 この作品を、著者は次のように語っています。 ――記録でも記憶でもないものを書くために、18年の歳月が必要だった。 重い主題なのに、最後にはさわやかな結末が用意されています。 ネット上の読書サークルの参加者で、「ここ10年間に読んだ本の中でベスト」と評価している人もいました。 私もお薦めします。 | ||||
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1985年夏に起きた未曾有の大惨事・日航機墜落。その墜落現場となった群馬県の地方新聞社はどれほど緊迫していただろう。この作品にはその緊迫した雰囲気がぎゅーっと凝縮されています。 上司や部下との関係。夫婦、そして親子の関係。 大きな事件を軸に、登場人物たちそれぞれの人生を垣間見ることも・・・。 現実の厳しさが、びしびし伝わってきます。 最後が少しハッピーな感じだったので、救われたような気分になったのは私だけでしょうか? | ||||
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責任を負った者がそれを果たそうとするも、壁に阻まれ思い通りにならない歯痒さに共感する方が多いと思う。阻む「壁」は、時には自分自身の揺らぎであったり、組織であったり、人であったりと様々。日航機事故を巡る新聞社を描写しながら、現実に対応していく人々の生き様が描かれ、人の弱さと強さが浮き彫りにされる。 生きていれば思い通りにならないことは沢山あって、主張や妥協を経て、着地点を見つけるのも一苦労だなと思う。安西の「下りるために登るんさ」というのも、彼が目指した着地点だった。読み終えて、自分にとって、何か見出したい着地点はあるのだろうかと自問が残る。また、何かに対して「クライマーズ・ハイ」な状況になったことがあるかと鑑みるに、無い。何だかそれも哀しい・・。 ところで、読了後に新聞社の方とお話する機会がありまして。諸々の話を合わせると、おおよそ本作に出てくるような編集局、広告局、そして各部の有り方は現実なんだなあと分かりました。事前に本作で予備知識?があったために、より生生しく感じられました。 | ||||
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冒頭から、ググッと引きつけられて、次のページを繰らずにはいられない感じ。がっしりとした骨太な文章が強烈な印象を心に刻んでいきます。 最後が、ハッピーエンディング的でちょっと物足りない感じはするのですが…。 | ||||
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御巣鷹山に日航機が墜落した事故を取材する地方新聞社が舞台。 主人公の悠木は、人付き合いの下手な中間管理職。 同僚とも家族(特に息子)ともうまく付き合えない。 社長とぶつかって左遷が決まった時、悠木はやっと少しだけ妻に心の痛みを見せることができた。夫婦っていいな、と思った。 人間関係がぎすぎすしていて、怒鳴り合いやののしり合いがたくさんあり、読んでいて少々疲れた。 | ||||
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新聞社デスクの、ひりひりするような、日々の葛藤を、臨場感たっぷりに描いている。思わず感情移入させられ、その場で、ビジネスの、大小のさまざまな摩擦の中にいる感覚を味わえる。これらの瑣末なしかし影響度合いの大きな日常の葛藤と、大惨事、人の生死という、エポック・メイキングな出来事とを、錯綜させて、主人公の苦悩のほどを、描いている。新聞社でのキャリアを、寒村の記者として終えた主人公であるが、なんと手ごたえある、人間らしい人生だったろうか。これもまた、猪瀬直樹の「日本凡人伝」を彷彿とさせる、凡人でありながら、筋を通した人物の、ドラマである。 | ||||
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横山秀夫の本は結構読んでいるのに、 なぜかこれを読んでいなかったので今更読んだ。 率直な感想として、一気に読めておもしろかった。 元新聞記者だけあって、新聞社内部の暗闘は 生々しく伝えている。 それにしても上下関係もなく、ここまで激しくケンカが できるものなのか・・? ただ、他のレビューにもあるように最後の方が 少しあれっ、て感じがした。 クライマックス・結論のところが 「命の平等」というのが、確かに何点か伏線は 張っているとはいえ、そっちにもっていくか、 と感じた。 またエンディングが感動・感動・・・で、 著者にしてはかなりのハッピーな終わり方が、 それこそ「泣かせ」くさくてあまり好きではないかな。 でも基本はおもしろかったので、それを引いて★4つ | ||||
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傑作という評判は聞きながら読む機会がありませんでしたが、佐藤浩市氏主演でドラマ化された本作品を昨年暮れに観て原作を手に取った次第。 悠木は40歳にして訳あって部下なしのブン屋ですが、日航ジャンボ機墜落事件の専門デスクに指名されるという千載一遇のチャンスを得る。 航空機事故史上未曾有の規模の惨事を報道する地元有力紙の専権デスクという職責からくる高揚感・責任感・不安感の間を行きつ戻りつする 悠木の心情描写はその(言葉は悪いですが)ヘタレぶり、という意味においてリアリティをもって読者に迫ります。 40歳は「不惑」の年と言いますが、わたし自身もその年齢を前にして迷いっぱなし。悠木も「報道」はこうあるべしと信念はもちつつも 現実に判断を下す段になると惑いが。その悠木の惑う様を通し「仕事とは」「人生とは」「男とは」という根源的な質問が、本書のラストのラストに至るまで繰り返し繰り返し読者にぶつけられることになる。 読みながらまさに自分が「クライマーズ・ハイ」状態になって読了。傑作。 | ||||
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平成17年年末に放映されたNHKテレビドラマが印象に残っていたので,原作を読んでみた。 昭和60年8月,群馬県の地方新聞社の記者・悠木は,同じ会社の安西から衝立岩に登ろうと誘われた。約束の時間が迫り,そろそろ会社を抜け出そうとしたとき,日航ジャンボ機が行方不明になったというニュースが流れた。急遽日航全権デスクに指名された悠木は,それが世界最大の航空機事故であることを知る。県内の御巣鷹山に墜落したとの確報に,編集部は騒然となる。それから1週間,悠木は全権としてかつて経験したことのない喧騒の渦に巻き込まれる。一方,安西もまた,衝立岩登頂を果たせずにいた・・・。 編集局と販売局の対立,冷えきってしまった子供との関係・・・様々な問題が悠木を悩ませる。普段,何気なく読んでいる新聞が読者の手に届くまでに,多くの人々が活動しているのを知った。 小説の展開は手に汗握るものがあり,また,同じ中年男として,悠木の苦衷にも共感できる。すべての登場人物が,ステレオタイプな善玉・悪玉ではなく,それぞれがある種の意地と誇りと正義感を主張しており,さわやかな読後感がある。悩み多きサラリーマン諸氏にお勧めしたい小説である。 | ||||
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地方新聞記者である主人公の谷川岳の難関の岩壁登山と、数十年前の日航機墜落時の記者経験をシンクロさせながら描写しているのだが、横山秀夫自身に記者経験があるせいか表現が詳細かつ現実的である。横山秀夫の他の著書同様読ませる作品だった。 | ||||
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実際の御巣鷹山日航機墜落事故をめぐって、地元「北関新聞」の熱き記者達が繰り広げる熱きプロジェクトX的ストーリー。 本作品の登場人物はとにかくすぐブチキレる。上司にたてつくなんてぇのは日常茶飯事で、記事を載せる載せないで 激アツバトルが繰り広げられます。上司と部下の諍いはもちろん、派閥や他部署の利権争いも加わって、 「北関新聞」は戦争状態。こんなんで会社がもつんかと心配になられる読者の皆さんも多いはず。 何の戦略ももたない裸の王様的上司と、それを神のように扱うゴマスリ系バカしかいない会社に勤めている 私にとっては、うらやましい限り。悠木のように上司の胸ぐらつかんで「てめぇアホか」と一回言ってみてぇ〜。 最初の頃は読んでいて気持ちよかったのですが、途中で「何でみんなこんなに怒ってんの?」と 逆に覚めてしまったのも事実。上毛新聞に勤めていたという横山さん、まさか上司と喧嘩して会社辞めた わけじゃないですよね。書いてるうちにイヤな思い出がこみ上げてきて、怒りがおさまらなくなったとか。 <横山秀夫の自伝的小説>と勝手に解釈して読んでみるのも面白いですよ。 | ||||
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見切り発車でスクープのリスクをおかすか、確実な裏がとれるまで待ってからにするか、新聞記者は葛藤する。日航機墜落事故の現場臨場感は素晴らしいと思う。面白く読めた。 しかし、警察機構、検察の内情表現などと比べると新聞社内の抗争は迫力で劣る。 また、タイトルとなった登山の描写は貧弱だ。描けていない。現実と回想が交互に出てくる手法も何だか邪魔くさい。これは登山の描写がうそ臭いからだと思う。 | ||||
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群馬の地方新聞社の記者が主人公。御巣鷹山日航機墜落事故の取材、報道を通して、上司と部下、親と子、生と死の関係を描いた作品です。読んでいて、言葉に出来ないけど漠然とした重さが体に来ました。親子って、命って、自分の人生って、生きるって・・と、考えがまとまらないまま、読み終わってからもしばらくは、ふと気づくとこの事を考えていました。大切だけど、直視するのが怖かったり、あらためて考えようとしない問題が、この本の中にはたくさん投げかけられていて、今全部受け止める事は難しいけど、自分の生き方を考えるいいきっかけになりました。 | ||||
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1985年新聞記者悠木は、友人安西と谷川岳登山を約束するが、おりしも日航ジャンボ機墜落という世界最大の航空機の悲劇に遭遇することになる。このスクープに忙殺されることに。一緒に登れなかったことを悔やむが、安西も谷川岳には行くことなく病院に運ばれていた。時はたち念願の谷川岳登山の果てに見たものは…。もっとこの墜落という衝撃の中で日航関係者や被害者のことを書いているのかと思いました。予想に反して、事故のことは舞台が新聞社だけに淡々と書かれていますが、新聞社ゆえのことです。この事故への怒りや、見てきたものにしかわからない現場の雰囲気が伝わってきます。また横山さんの持ち味、「組織の中の個人の葛藤」がこの新聞社の中で、いかんなく描かれています。新聞は売れればいいのか?新聞社のモラルとは?スクープとは?真実とは?次から次にと読者に投げかけられてきます。日本中が悲劇に哀しみ、生存者に涙し、日本航空への怒りが渦巻いた、暑い、熱い1週間の新聞社の内部をノンフィクションと間違うぐらいに熱く語られています。そして、横糸がジャンボ機墜落なら、縦糸は友人安西の死。「なぜ山に登るのか」「下りるために上るのさ」この会話が最後まで投げかけられています。そう意味ではれっきとしたミステリー小説。それぞれの人物が過去を持ち、過去を乗り越えるため、山を越えていく。人生には山を越えるときがある。そして、上り切ったら、まさにクライマーズ・ハイ。極限状態を通り越して陶酔の境地になるという。そして次の高みへ。主人公の行いについて、賛否が分かれると思います。「組織の中でどうなのか」わたしはそれでも主人公の一途といっていいわがままを支持します。過去から未来へ前を向くための手段だったのです。お薦めします。違う側面から日航ジャンボ機墜落を扱ったこの小説。読みきったときまさにクライマーズ・ハイの境地。まれに見る傑作です。 | ||||
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題名の「クライマーズ・ハイ」は、レビュアー諸氏の言にもあるように、仕事が山場にさしかかかっている時の妙な高揚感をもさしているのであろう。いや、むしろそれは自分を奮い立たせるための言葉であるのかもしれない。自分を変えるために谷川岳という「死の山」に挑もうとした「山屋」が、そして自分を見つめ直すために日航機墜落という未曾有の事故に挑んでいく事件記者が、自分の目の前に立ちはだかっているものの大きさに押しつぶされないための。そして、山とは自分が乗り越えなければならないものの象徴でもある。しかし、納得できたのは題名だけであった。仕事終了後、5時過ぎから読み始めて9時に読了。まさに食事の時間も惜しむようにして、一気に読み終えた作品ではあったが、読み終えた後の私に残ったのは、もどかしさと戸惑いであった。作者はこの小説を通して何を言いたかったのか。はっきりいえば、それが伝わって来なかったのである。(いや、人生の契機にどう動くのか、どう動くべきか、を書きたかったんだろうとは思うのですが)私は横山氏の作品に今回初めてふれた。したがって、この作品だけで作者に対する評価を下すのは早計かとも思うのだが、「初の長篇」であることを意識し過ぎ、いろいろな要素を詰め込み過ぎて、かえって焦点がぼやけしまったように感じた。日航機墜落事故、新聞社内の抗争や上司との軋轢の中で自分を貫こうとする主人公や若き新聞記者たちの熱気、といった企業小説的な視点、また新聞記者であることと人間であることとの狭間での葛藤、人間の命の軽重、「山屋」、そして謎の言葉を残して倒れた同僚の真意を繙こうとする推理小説的な視点…。これらは一つ、あるいは二つでも十分に素晴らしい作品が書ける内容であると思う。しかし、それらがぎゅうぎゅうと一つの作品の中に詰め込まれていれば、焦点がぼやけてしまうのも当然なのではないか。だから最後の投書の重みも感じられず、嫌みな感じばかりが残ってしまったし、登山の場面にも緊迫感、臨場感がなく、山の自然の美しさ、厳しさ、清々しさといったものが感じられなかった。特に「山屋」安西の言葉には説得力がなく、作者の「職業作家」としての「作り」の部分で書いているような感じすらしてしまった。初めて「現場」を見た神沢の狂気を孕んだような瞳や暮坂の「記者」であることに取り憑かれたかのような姿を「老犬」の姿とともに描いた場面など、秀逸であっただけに残念である。 | ||||
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読み始めると、途中で読み止めることができず、最後まで一気に読んだ。心を鷲づかみにされた。ある地方新聞記者の話だ。彼が御巣鷹山の日本航空の事故の際の記事のデスクに任命された。その記事をつくる際のいろいろな障害。社内の複雑な人間関係、政治家の関係彼の過去の苦い経験とその清算友人の事故などが臨場感豊かに書かれてある。彼の葛藤が明確に目に浮かぶいい文章だ。この本は一気に読むべきだ。そうすれば、この意味がわかる。 | ||||
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クラーマーズ・ハイは硬派の警察小説や社会派ミステリーの分野で当代一と名を馳せている横山秀夫の改作。しかし、内容はそれらとかけ離れいる。 仕事に掛ける四十路男、数少ない朋友との約束、すれ違いで上手く倅共とコミュニケーションとれない。多くのサラリーマンが置かれている実態であり、小生も例外ではない。 朋友の倅を利用し、我が子と接点を持とうとした悠木の行動は、あえて否定しない。結果、命を救ったのは、倅の配慮であったことには、感動した。 生涯一記者で過ごす悠木、不器用な彼の生き様に天晴れであった。 | ||||
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職場とはまさに戦場だ。そして、そこで働く男たちはすべて戦士だ。死ぬか生きるか、男たちの日常にはそれしかない。「報道」は単なる仕事ではない。使命でもある。時には涙し、時には怒り、そして時には苦悩する。その中から生み出される新聞。活字にはなり得なかったたくさんの原稿。一日が嵐のように過ぎていく。その描写は読む人を圧倒する。乗り越えなければならない山とはいったい何か?それは自分自身が自分の心の中に作ってしまった「限界点」という山かもしれない。「クライマーズ・ハイ」。この山を乗り越えた時、この言葉の持つ真の意味が見えてくるような気がする。 | ||||
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