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ブレイクショットの軌跡
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ブレイクショットの軌跡の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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「ブレイクショット」とは、SUV車の車種名(架空?)とビリヤードの玉を突く初手の二重の意味を含意している。 プロローグは自動車組立工場の期間工がブレイクショットのボルトが1本落下したのを目撃する話で、それが「軌跡」として展開していくのかと思ったら、場面転換していきなり中央アフリカの反政府勢力に引き込まれた少年の話になる。 さらに、第1章は投資ファンドの話、第2章は町工場の板金工の話、第3章はサッカー少年の話と場面が変わり、あたかもオムニバスの連作小説かと思わせるのだが、やがて物語は投資の儲け話の裏側をうごめく特殊詐欺グループとその背後の反社会勢力の登場で、俄然緊迫感が高まってくる。 それにしても、本書の描く特殊詐欺は実に巧みである。表看板は合法的な投資セミナーで、講師たちは善意で受講者に安全な投資方法と詐欺にかからない注意をしているが、その裏で受講者の個人情報や弱点を面接を通じて収集し、その名簿情報を高額で詐欺グループに売却する。講師たちは知らない間に個人情報の収集に協力させられるが、どこかの時点で共犯者として抜けられなくなってしまう。合法の看板を掲げた「闇バイト」のようなものだ。 こうした詐欺グループが繰り返し刷り込む思想は、「世の中に不満があるからといって、世の中を変えようとしても無駄」というもので、ひたすら勝ち組になることだけをめざす。洗脳された者はやがてカモにされるわけである。 格差社会の落とし穴が生々しく描かれていて、背筋が寒くなる。 もちろん、著者はこうした詐欺グループの思想に対し、主人公たちの生き方として、「善良に生きること」、「ルールの中で正々堂々と戦いながら勝利をめざすこと」を対置している。 小説としては、短編連作のような形式を取りつつ、視点と話者を変えたポリフォニックな話法で構成されており、最後にはプロローグの「ブレイクショット」のどんでん返し(あるいは肩透かし)と、意外な人物の種明かしまで用意されており、楽しめた。 | ||||
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間違いなく2025年最高傑作。時間をかけて読むことをおすすめする | ||||
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投資詐欺、インデックスファンド、NISA、youtube、LGBTといった昨今何かと話題になっている言葉が飛び交う世界で織り成される人間模様。国産SUVブレイクショットが糸のように物語の中に控えめに時には大きめに絡んできます。 読了後、何となくドストエフスキーの長編を読み終えたときに近い、心の底から沸き上がってくるある種の高揚感のようなものを感じました。(著者のお姉さんがロシア文学者ということから連想したのかも知れませんが) 映像化するならラストシーンはブレイクショットで決まりってとこですが(読んだ方ならわかると思います)、そのままだと絵的にはスコシージ監督の某作品のラストと似たイメージなので、どう工夫するか、演出家の腕の見せ所ですね。 | ||||
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評価は仮。 第1章でタワマンをあの世のようだと言ったのは、宮苑ではなく霧山の妻ではなかったか? | ||||
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読み終わるのが勿体無くて丁寧に読み進めた。 現代社会を生々しく描いているので、「今」読むことで面白さが増すと思う。 買って後悔の無い名作。 あと、ツイッタラーにはブッ刺さる。 | ||||
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ビリヤードの初手、ブレイクショットの名を冠したクルマ、 それに絡めた幾つもの人間模様を描いた群像劇。 「少女同志よ、敵を撃て」「歌われなかった海賊へ」で 第二次大戦を描いた著者が描く現代劇と言うことで 期待して読みましたが、 こちらの期待を何段も超える凄まじい作品でした。 自分ではどうしようも無い運命に翻弄され、 時には希望を見失いそうになりながらも、 諦めず道を切り開こうとする登場人物たち。 マネーゲーム、地域紛争、特殊詐欺、反社組織、 SNSの功罪からLGBTQや差別意識に至るまで、 世の中にあるどうしようも無い理不尽や悪を 一体どれほど取材すればそこまで描けるの? と思うほどに精緻に描きながらも、 幾重にも張られた糸が最後に1つに撚り合わされていく 作者の構成力が圧巻です。 その一方で絶望や諦念には留まらず、 根底では人間の善性を信じる作者の視点が 希望の光となって全体を照らしてくれていて、 物語の点と点が繋がって線となる快感と共に 最後にとても救われた気持ちになれる、 最高の読後感を与えてくれました。 傑作だと思います。 | ||||
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久々に面白い物語を読んで大満足です。 | ||||
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(長い小説だったので、下記の感想もかなり細かい内容に触れます。ネタバレになるかもしれません)。 国産SUV「ブレイクショット」。 最初のうちは、この車の所有者が立て続けに不幸に見舞われる傾向があったため、「不幸を呼ぶ指輪」みたいな話がメインなのかと思っていましたが、違いました。 登場人物は多いですが、やはり中心は、サッカーのユースチームで親交を深めた晴斗と修悟。 どちらも「ブレイクショット」の所有者だった父を持ち、その後、家庭内の不幸に振り回された2人は、若くして目の前で大きな夢を打ち砕かれます。 年代を問わず分かり切った辛辣な事実―——人生の夢を叶えるには、やはりお金が必要。 特に、晴斗の経時的変化は見ものです。 本のタイトルからもSUVが軸なんだとは思いますが、全般的にTOBや不動産売買、資産形成セミナー等お金が絡む話が多いため、「ブレイクショット」自体の影は薄く、どちらかというと「お金をめぐる人間関係の悲劇」が目立ったように思います。 途中からは、コロナ禍もまた障壁となります。時代ですね。 しっかし出るわ出るわ、心理的に巧妙に仕組まれた投資のワナ、マルチの勧誘、保険金を狙った自作自演の窃盗詐欺、そして裏で操る反社の存在。 ある意味、一見詐欺とは見抜けない悪質商法の複雑なスキームを知るには適した小説かも。 反社がVTuberやアバター、AIを利用している構図も、また時代なのでしょうね。 「ブレイクショット」がビリヤードの言葉でもあることを知ったのは、本書の後半にて。 しかも終盤でよい締めくくりとしても出現。上手いなぁと思いました。 そしてアッコこと、門崎亜子のキャラが好きでした。 長いエピローグで明かされた彼女の正体!最後のビックリ!でした。 | ||||
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(ネタバレあり) 「正直な生き方」その難しさを描いた短編集で構成されている。 昴ー自然体の正直者、天然系。 宮苑ー真の成功者メンタル 心の中と外に嘘がない。 修吾の父ー宮苑の影響を受けるが、それは本当の望みか? 晴斗ー大切な人のため嘘をまとって頑張る、それは間違いか? 志気ー自分の本当の姿に気づく Aは、かつての出来事から「正直に生きよう」としている。誰かの言葉に従うのではなく、自分自身の言葉で生きようと。それは修吾の父と同じように、背伸びをしてでも「正直さ」にこだわる姿勢だった。だから自然体で正直な昴に惹かれた。AはSNSを「誰かの言葉」が洪水のように流れてくる場だと嫌悪しており「ツイッターにいる人みたいだね」と、昴に悲しげな眼差しを向けたこともあった。ある日、とあるラッパーが「愛を知らないヤツに生きる資格はねぇ!」と発言。これに対してAは「世の中には愛を知らない人もいる。あなたの言葉は差別だ」と糾弾し、そのラッパーを活動自粛に追い込む。 だがラッパーは「言葉のバトル」のパフォーマーだ。彼に「人を傷つけるな」と言うのは、まるで格闘家に「暴力をふるうな」と言うようなもの。それはAが忌避してる「ツイッターにいる人みたいだね」そのもので滑稽ですらある。しかしAは、自分が“世直し”を果たしたと悦に入り、多様性が旗にかかげる虹色の歌、カラフルなビリヤード玉にブレイクショットでハッピーエンドになる。そのクドさには、むしろ意図的な皮肉すら感じる。 昨今では、多様性という言葉の欺瞞があちこちで指摘され、本場アメリカでも世論の分断を招いている。劇中には「巧みな言葉」でSNSの空気を操り、自己利益を最大化するヤマ師が登場する。「みんなが儲かる!」という言葉には疑いの目を向けるのに「誰も傷つかない世界」「誰もが正直に生きられる社会」といった美辞麗句には、なぜか多くの人が無防備に信じてしまう。昔からイデオロギーによって人々の怒りを煽り、自己の利益を拡大してきたのが政治家や、その周囲に群がるこの手のヤマ師だ。「耳障りのいい言葉」が急に社会を席巻しはじめたら、その裏には扇動して利益を得たい誰かが必ずいる。今のSNSも、まさにその「イデオロギー闘争の戦場」となっている。怒れ!怒れ!断罪しろ!もっと票を、バズを、金を!邪魔なアイツを社会から排除しろ!言葉の奔流が渦巻く。Aは「自分の言葉で生きたい」と願っているはずなのに、自分の怒りでさえ「ムカついた」ではなく「私達を”アッチ側”に分類したからであり差別で悪いことだから」と言い換えてラッパーを「優しくない人達」に分類する。それらはもうイデオロギー闘争の“分断の言葉”になっている。そこに「正直な言葉」はどこにもない。。イデオロギーの話を何も知らない昴に驚いて「色々と言葉を教えてあげよう」とAは言うが、それが誰のためになるかは謎だ。 「さあ怒れ!」という扇動が渦巻く社会でアンガー中毒者が増えて、SNSでの公開処刑が現代の娯楽と化している。 中世の処刑が庶民の娯楽であったように。怒りは快楽の面を持つため人は簡単に飲みこまれる。 劇中には善良な人物、友彦が出てくる。彼は怒りを戒める言葉をモットーに、善良であろうといきてきた。それはある意味で、理性という嘘でもある。だが前頭葉を損傷し、理性で自分を抑えられない正直100%になった彼は、家族を傷つけ死を望むほどに自責の念にさいなまれる。しかし彼は、それをも克服し「自戒」を取り戻す。その崇高な姿勢は現代社会への助言にも見てとれる。理性という嘘、自戒。怒りを抑える嘘。 善良とは正直と嘘のバランスの上に成り立つ。 | ||||
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