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存在のすべてをの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全94件 1~20 1/5ページ
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| 前半の誘拐事件は緊張の連続で、後半は画壇の内実のどろどろも描かれ、また、それと対照的な絵画的な美しい風景の描写と、それを背景にさらに哀しく写る、本物の愛でつながっているんだけど仮初であるゆえに、、、の親子の切なさに、心がちぎれそうになりつつ、最後はあたたかくなる、とても、とても素敵な小説でした。 (終盤部分は『八日目の蝉』から学んだと著者ご本人が10月の日経新聞に書かれていて、なるほど~でした) | ||||
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| 横浜巡りのロケ地ものとして読みました。元町、港の見える丘公園、神奈川近代文学館の辺りが描かれており、本を読んでから散策するのも楽しいでしょう。 ストーリーは九州から北海道までいろいろな場所が出てきますが、アートや人情ものや多様な要素が盛り込まれていて先が読めない展開。「罪の声」など著者の他の作品も読んでみたいと思います。 | ||||
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| 推理小説…ではありません。いろんな人の視点から描かれる作品です。 途中で登場人物がわからなくなりましたが、最終的にはとても感情移入できる作品でした。 | ||||
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| 内容については蛇足になるので省く。表紙について言いたい。この帯(褌?)のついた表紙は一体、何なのか。店頭で目に付くように仮につけたものなのであろう。だとすれば、本来の表紙ではないはずだ。どうしてもこれを掲載したいのであれば、本来の表紙とは別のページに載せるべきであろう。画家が、自分の絵画の下半分が隠されて展示されているのを見たら泣くでしょうね。 | ||||
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| 傑作です | ||||
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| こどもを人質にとった誘拐事件、被害者は結局のところおらず、犯人も逮捕されず。 しかしその裏では一人の子供のその後の人生を救ったとも言える秘密があった・・・。 これを読んで私は、主人公の昭和の気概あふれる人情刑事でもなく、青春的なピュアな恋をつらぬくリホでもなく 神秘的なベールをまとう亮でもなく、母として目覚めていき愛情を与える優美でもなく 「貴彦」に注目して読むようになった。 彼は最後、失踪してからの描写がまったくなく、死んでいるか生きているかもわからないまま終わる。 美術界において派閥というものがあまりにも大きな力を帯び、実力以外のところで 努力とも言えないおべっかやお土産、おくりものに心を配らなければならない。 そんな世界に嫌気がさし、ある意味で本当に美術の世界だけに、作品制作だけに心を配る生き方を選んだ貴彦。 今でこそSNSによって名もなき埋もれた才能は人の目につきやすくなり、 派閥に属していなくても、二科展で賞をとらなくても、学会員にならなくても、 絵を売り、名前を売り、画家として生計をたてることは難しくなくなってきた。 むしろ名前があっても実力がなければ逆にファンがつかない、ある意味で公平な世の中になったと言える。 そうではなかった時代に生きた貴彦は、誘拐された子供であるリョウによって 魂を救われたとも言えるのではなかろうか。 そして、愛情がまだ芽生えないうちに子供をこのまま手元におき育てることを決意したきっかけは 絵の才能、しかも自分と同じジャンルである写実であったことが大きい。 それがなければ決断できなかったのではなかろうか。 さらに、この子を育てる際に美術の知識や考え方、技量などを叩き込んでいく。まるで自分の分身であるかのように。 息子を手放さざるを得なくなったとき、貴彦は自身の「絵を描く情熱」を失い、そのまま失踪してしまうのだ。 彼にとって描けなくなることは、生きる意味がないことでもある。 逆に妻の優美。彼女は夫とは違って愛情と社会性を教える。 子供を産んでいないけれど元々明るくポジティブで優しい彼女。それが、一緒にいるうちにどんどん母になっていく。 彼女は常に息子が社会の中で苦労せず生きられることを想像し、望み、心配する。 きっとリョウに絵の才能がなくとも、この不遇で可哀想な子供を守り一緒にいるうちに愛情が芽生えて 同じように育ての母となっていったに違いない。 そして息子を手放した後も、再会し、一緒にいることを諦めなかった。 これが父とは決定的に違う点だ。 男女の性差というよりも、情熱をもって仕事に打ち込んでいる人と、それを支え家庭を守る人の違い といったほうがいいかもしれない。 子供により執着するのが後者だ。 しかしリョウにとっては今後の人生を生きていくために必要な「才能の開花」と「社会性」を、仮の父母両方からそれぞれ得ていることになる。 両親は揃っていた方がいい、という詭弁もあながち嘘ではないと思わされた。 刑事には刑事の、時代の辛さ。真摯に打ち込んでも社会からはそう見られない苦しみがあり、 画廊には画廊の百貨店との軋轢や派閥、美術への理想と厳しい現実のギャップなど、これまた苦しみがあり、 若い女性には「女」というだけで性的な扱いをうける苦しみがあり、 子供には「育つ環境」という自分ではどうしようもない格差の苦しみがある。 才能が芽生えるには環境も必要だが リョウの「物事をそのまま見つめるあまりにも現実的な写実力」は、虐待されていたがゆえに芽吹いた才能かもしれない。 しかしそれを絵画として完成させ、社会で活躍できるようにする下地は、それなりの環境と知識が揃っている大人によって花開くということも前提になる。 もちろん健やかに育つためには愛情も必要になる。 ついでに言うと、SNSで騒がれ乙女にも恋してもらうには、イケメンに生まれる必要もある。 貴彦と、美術界の派閥でおべっかに走り回っていた先生以外は幸せに終わっているこの物語。 みんな苦しみを背負っているが、「何かにのめり込み人生を賭けること」の罪深さも感じてしまう。 なかなかの闇じゃなかろうか。 | ||||
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| 著者は、グリコ森永事件を題材にした『罪の声』の作者である。 凄い作家だという印象が残っている。 映画にもなったが、ぼくは基本的に感銘を受けた小説が映画化されたものは観ないことにしている。だから、『罪の声』の映画も、『宝島』の映画も観ないのである。 それはさておき、本作を読もうと思ったのは、1カ月ほど前の日経新聞の文化欄に、著者のエッセイが掲載されていて本作に触れられていたからである。「これは読まねば」と思わされたのだ。 で、本作だが、圧倒的だった。 終盤のところでは、声をあげて泣けてしまった。 もちろん、そうなった背景には、ぼく自身の側に泣いてしまいたいような事情があったからなのだが、なかなか実生活では泣きたくても泣けない。溜まったものを抱えながら過ごすしかない。それが、小説をきっかけに堰が切れることがある。 東日本大震災の後、原発爆発の恐怖におびえながら、京都のリーガロイヤルホテルに3週間避難していた時も、ある小説を読みながら、声をあげて泣いたことがあった。 その感情の堰を壊して揺さぶる迫力が、本作にはあったのである。 本作は連続誘拐事件で始まる。 1つはおとりの事件であり、もう1つが犯人にとっての狙いである。 が、犯人たちは身代金の奪取に失敗する。 そして、おとり誘拐事件の少年は帰ってきたが、本番と思われた方の幼児は帰ってこなかった。 誰もが、その幼児はすでに殺されたと思った。 ところが、事件から2年有余を経て、その子は突然に祖父母の元に帰ってきたのである。 だが、どこで誰に育てられていたのかは、祖父母も幼児も語らない。 その謎を追う刑事たち、時効によって刑事たちの思いを託された新聞記者が舞台回しを演じる。 もう1つのテーマは美術界である。 実際のドロドロとした美術界の醜さがこれでもかと描かれる。 それに耐えきれず、原点に戻って写実画を描こうとする画家が登場する。それを支えようとする画商も。 その美術をめぐる描写が何とも厚みがある。 さらに、戻ってきた幼児は絵の特異な才能を発揮しながら成長していくが、同級生となる画商の娘との青春譚にもなっていく。 この部分の描写は、まるで自分の初恋の頃を再体験するような瑞々しさだ。 だが、何よりも、幼児が帰ってこなかった2年間の描写に圧倒される。 実の家族以上に「家族」になっていく、その愛情が切ない。これが、本作の重心となっている。 これだけ凄ければ、ディテールの矛盾はどうでもいいように思えるが、やはり、そこは指摘しておきたい。 まず、犯人は幼児と一緒に1ボックスの車を置いていく。 幼児を預かった夫婦は、その車を使って岐阜県に住み、その後、北海道に移り住むのである。 だが、車には毎年、税金がかかり、2年に1度は車検もある。 犯人が置いていった車を使い続けるというのは、無理があり過ぎる。 夫婦が貧しいながらも車を持っていたことにすべきだった。 そして、逃避行の先の岐阜県で妻は英検1級の英語力を活かして英語塾に勤める。 偽名で、である。北海道では自分で英語塾を開くが、これも偽名でである。 ここで偽名にする必然性はまったくないし、英検1級の証明書の提示が求められれば、そんな嘘はすぐに破綻してしまう。 逃避行といっても、名前がばれて追われているわけではない。 偽名にする必然性が全くないのである。 さらに、おとりの誘拐事件の被害者である少年は、大人になってから犯人たちの一味と別の犯罪に手を染めた疑いが出てくる。 これは、何か後の伏線かと思って読んでいくのだが、その後にはまったく登場しなくなる。あれは一体なんだったのか。 しかし、こうしたディテールへの疑問はありつつも、本作は圧倒的であり、その価値は減じられていない。 素晴らしい読書体験であった。 | ||||
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| 人生の1冊です。 内容は星100個でも足りないくらい感動しました | ||||
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| 未解決の誘拐事件。現在と過去、取材者と様々な視点で書かれる事実を少しずつ繋げていき少しずつ真実に近付いていく展開に引き込まれたました。そしてこの先の展開が既にわかっているので、わかるからこそ切なく泣けました。 ただ、話しを広げすぎて宙ぶらりんのまま終わってしまった内容もありすっきりしません。囮誘拐についてはあまり触れられなかったが、その後家庭崩壊してるなら少しは触れてほしかったし、囮誘拐として解決させてすっきりする手もあったと思う。 | ||||
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| 泣けます。いろいろ書いてしまうと、なにか本作の魅力を減殺してしまいそうで、、、、。 この一言にします。 | ||||
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| 終わりが唐突すぎる、もう少し回収してほしかった でも、描写は素晴らしい | ||||
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| とてもおもしろい。登場人物が多いことや、時代が現在から何年も前にいったりきたりするので、内容を把握するのが難しいが、写実画に興味がある自分にとっては、後半8章ぐらいからはとても感動した。 | ||||
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| 前半は事件にかかわる小さな「点」を少しづつ繋げていくストーリー展開で、この辺は人気作家ならではの巧みさを感じました。 ただ、状況説明が繰り返し出てくるのでなんでかなあ、と思ったらこの話は書下ろしじゃなくて週刊誌に連載していたのですね。単行本で一気読みするにはちょっと丁寧すぎる感じがしました。 後半は「親子」の絆にグッとくる展開 大変良い作品です | ||||
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| 誘拐事件から始まる物語ですが、登場人物それぞれの生き方を通して人の存在意味を語っていく題名に相応しい出来栄えと感じました。 | ||||
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| 没入して読み切ってしまいました。物語の展開や関係する人たちの細かな描写。久しぶりに良書に巡り会えました。 「誘拐」と聞くと、卑劣な犯罪でしかないですが、実はその背景にはさまざまな人の想いがある。表にでているだけが全てではなく、あくまで第三者がかいたものでしかないということ。 幸せの形はさまざまで、何が幸せかを決めるのはやはり本人でしかないということ。 それを支える周りの人たちとのつながり。 さまざまなことに考えを巡らせずにはいられない作品でした。 | ||||
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| 泣けるミステリーである。私は本でも映画でもほとんど泣かない人間だが、この作品では泣いた。サスペンスとミステリーと純文学の要素があって、種類の異なる食材が組み合わさって絶妙な食感を生み出す料理のようだった。最初はひりひりする緊迫感ただよう誘拐事件の場面から30年後に話は飛ぶ。その後の地道なジャーナリストの取材の話。そして過去の種明かし的な話。ミステリーの要素は秘められた心情と切なさを生み出す舞台装置となっていて、それが読者を泣かせる。女性の心理描写がうまい。 著者はおそらく写実絵画が好きなのだろうと思う。そして写実絵画の精神とストーリーを絡めようとしたのだと思うが、かならずしもうまく噛み合っていない。むしろ地道に真実を追求するジャーナリズムのあり方と写実絵画のリアリズムの姿勢に相通じるものを感じた。 おそらく本書をとおして写実絵画に関心をもつ人が多いのではないか?実際私は日本の写実絵画の代表者野田弘志の画集を買ってしまった。本書の表紙絵も野田弘志のリアリズム作品。一本の張られたロープを描いたものだが味わい深い。存在の深みを感じる。 | ||||
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| 出だしの数十ページを読んで面白そうだったので読みましたがものの見事に裏切られました^^; 出だしの面白さは次の章からがらっと変わり、途端つまらなくなります。それが延々と400ページくらい続きます(T^T)途中何度、「もう勘弁して」と言ったことか。本筋に関係ない細かい描写が多く、絵の写実主義を小説に適用してるのでしょうか…。そのおかげで400ページ読むのに2週間かかり、そこにある伏線やら登場人物は忘れてしまいます^^;最後の20ページくらいで収束にはいるので、途中止めたくなった方は会話だけばらっと読まれて最後まで進まれれば良いと思います。まあとはいえそれほどのではないので止めてもよいかも^^; | ||||
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| 二児同時誘拐の被害者の一人である内藤亮。彼は誘拐されてから三年後に祖父母の元に帰ってくる。その空白の三年間であるが、きちんと育てられ絵の才能も開花していた。誘拐という犯罪の裏にある親子(偽りかもしれないが)の絵でつながるストーリーがしびれる。亮の家族で暮らしたいという望みは、一部で実現したが貴彦の行方が気になる。同級生の里穂との関係も気になるところであり、続編を読みたくなってくる。でも、芸術は永遠に未完成であり、家族がどう存在する(させる)のかも永遠に未完成(成長させる)で、決着しないのがいいのかもしれない。 | ||||
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| うんざりするほど退屈で、何度も断念しそうになったが 「最後まで読む価値がある」というレビューを信じて読み続け 結果、騙されたというのが率直な感想。 これから読もうとしている人や、今まさに読んでいて退屈さに苦しんでいる人がいるなら、 途中部分をすべてスキップして、最初と最後だけ読むことを強くおすすめする。 この小説は大きく事件、捜査、真相の3部構成になっているので、捜査の部分を飛ばして読んだほうが良い。 なぜならその部分は退屈で長すぎるだけでなく、そもそも読まなくても問題ないからだ。 要点を知りたいなら、ネタバレサイトなどであらすじを読むので問題ない。 これは「タイムパフォーマンス」の話というよりは、むしろつまらない部分を読むことで読書体験が損なわれるという理由からである。 この小説が『砂の器』を元ネタにしているのは明らかである。 パロディやオマージュというよりは翻案や本歌取りというほうが適切だろうか。 大まかな構造をそのまま模倣し、細かい設定などを換骨奪胎しているのだが 真似るべきでない部分を真似て、変えた部分に変なアレンジが混ざっている。 例えば、題材を時効で未解決になった誘拐事件にしている点。 犯人は捕まっていないが、身代金は奪われておらず、人質も無事で、死人が出たりしたわけでもない。 率直に言って小説の題材としてインパクトが弱すぎる。 また、捜査する人間も警察ではなく新聞記者で、重大な手がかりを持っているわけでも、個人的な事情を抱えているわけでもなく、何故この人物が主人公なのかよくわからないし、感情移入する余地がない。 作者自身もその点は認識しているのか、記者自身が「なぜ自分はこんな捜査をしているのか」と自問するシーンが何度も出てくる。 しかしその度に「記者とは」「事件とは」「真実とは」のような観念的な話に終止し、読んでいて全く響かない。 説明しているというよりむしろ言い訳、設定の破綻を作者が必死で言い繕っているように見える。 あるいは逆に、実はこの観念的な話こそが真に作者の描きたかったテーマという可能性もあるが、 そうだとすれば残念なことに私の心には一ミリも響かなかった。 ひょっとすると作者自身にとっては実体験から来る実感のこもったテーマだったかもしれないが、 私には一切伝わってこなかった。キーワードであるはずの「写実」が描かれているとは思えなかった。 ともかく、このように捜査パートは退屈な上にうんざりするほど長いわけだが、 肝心の真相については真相パートに入ったら関係者の回想で全部説明されるので、捜査パートは読む意味が特にない。 何故そんな変な構造なのか、理由は先程述べたとおり『砂の器』を形だけ模倣しているからである。 というか『砂の器』というのはそもそも構成の見本にして良いような作品ではない。 映画化にあたって監督と脚本家が「映像化するに耐える内容が無い」と判断して、原作に登場しないオリジナルのシーンをクライマックス用に創作したという逸話がある。 「親子の旅」と呼ばれるそのシーンは実際素晴らしいものだが、内容自体はそれまでの話の流れとは一切関係ない犯人の幼少期の回想シーンで 最後に感動的なショートフィルムを壮大な映像・音楽とともに挿入することで、まるで作品全体が物凄い傑作だったかのような錯覚を観客に植え付けるという「成立していないものを成立しているかのように見せかける」力技で傑作と評価された作品なのである。 そんな作品を形だけ真似て成立するはずがない。 つまりこの『存在のすべてを』はいわば失敗作品の失敗リメイクなのである。 『存在のすべてを』のクライマックスに据えられた「親子の絆」シーンは、単独で見れば感動する話ではある。 だが退屈な捜査パートを我慢してまで読むほどの価値は無い。 だが、幸いなことにこの「親子の絆」シーンも元ネタと同じくように、それまでの話の流れと関係ない独立した内容として読めるものとして作られている。 だからそこだけ読めば良いのであって、退屈なパートをわざわざ「我慢して読む」必要などない。 捜査パートが面白かったと感じる人を否定はしないが、「つまらなかったけど我慢して全部読んだほうが良い」と主張している人は是非とも考えを改めて欲しい。 | ||||
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| 読後感としては、ぐるぐる巻きになった謎を紐解いて行った先に、そこには何もなかったって感じ。たくさんのキャラクターが出てくるが人物描写がどれも薄くて、その誰1人にも感情移入することができなかったのがとても残念。全体の構成としてはいろんな出来事が作者のご都合主義で連なってる感じがして、私にはピンとこなかった。感想としては説得力のないストーリー展開だったな、という感じ。最後の方が雑。 | ||||
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