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ラブラバ
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ラブラバの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.78pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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レナードの作品の中ではこぢんまりとした小品という印象。いつも出てくる強烈な個性の悪役が今回はちと弱い。今のところ自分のレナードのベストは『キルショット』かな。 | ||||
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普通に読んだらしけた探偵小説。コアなレナードファンにとっては輝いていてもこっちにはそのありがた味がさっぱり分かりません。だいたい帯や解説にオマージュなんて言葉が出てきたらロクなことはない。 | ||||
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村上春樹訳「オンブレ」を読み、次にこれを読んでいるところですが、残念ながら翻訳のレベルに差を感じます。言葉遣いの古臭さ、リズムの悪さで気持ち良く読めないし、性的な言葉を日本語にするときのセンスの無さ(気持ち悪さ)にはうんざりさせられます。 | ||||
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レナード・タッチって人それぞれに定義が違うようだけど、不合理でも納得させてしまう寄り道ないし無駄話の描写だと思います。本書でいうと、女優の行動原理など、理屈で説明しようとすれば無理と野暮とのドッキング作になってしまいますが、通読すれば「まあ、そういうことも、あるわいな」的な理解ができ、何の不満もないどころか、これをわかる自分はなかなかのもんだ、なんていう気分にさせられます。シャーロック・ホームズやミレニアムシリーズは、第三者による続編が違和感なく書かれいますが、「ラブラバ2」はちょっと不可能でしょう。 | ||||
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エルモア・レナードは初読だったが、いわゆる「レナード・タッチ」に納得した。翻訳の田口氏による訳者あとがきにすべてが述べられていて「全体的なプロットより個別のシチュエーションの面白さに重点を置く」タッチはまさにページターナーであった。さっそく「グリッツ」を購入しようと思う。 | ||||
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2018年になってレナードの西部小説「オンブレ」が村上春樹翻訳により新潮文庫から出版されましたが、レナード再評価の機運が出てきたのでしょうか。 今回定評のある田口俊樹による新訳版「ラブラバ」は、レナード絶好調期の1980年代の作品で、レナードらしさ満載の傑作です。 レナード作品を楽しめるか否かは、物語のすじとはそれほど関係なさそうな何気ない会話のやり取り、どこか力の抜けた主人公の飄々とした態度、善玉側だけでなく悪玉側のどこか憎めない緩さのある視点による語りといった、いわゆるレナードタッチと呼ばれる文体に気持ちよく酔えるかという点にあるかと思います。 その意味ではミステリー小説というよりレナード文学という一つのジャンルを形成しているとも言え、どのページからもレナードらしさを感じさせる良い意味でのゆるい感じがレナード作品の魅力と言えるでしょう。 今回の翻訳と旧訳とを比べると、新訳版がより主人公の存在感が光り、レナードらしさを感じられ好印象を持ちました。 たとえば、旧約版では主人公は自分を「ぼく」と呼び、新訳版では「おれ」となっています。 旧約で「きみの髪はそのままのほうが好きだな、ぼくは」が 新訳では「おれは今の髪型が好きだな」といった具合に。 またラブラバがアーティストのフラニーから 「あなたって自分のしていることがちゃんとわかってる人なのね」 と言われる場面があります。 この「自分のしていることがちゃんと分かってる」人物というのがまさに主人公ラブラバの人となりを象徴する表現であり、他の場面でもラブラバが感心する女性を「自分のしていることがちゃんとわかっている、若くてきれいな女」と表現するなど、レナードが一目置く人物像として大切なキーワードだと思われるのですが、これが旧約だと「あなた仕事に自信があるでしょ」とごく普通の表現となっています。 このような翻訳の違いからも今回の新訳は、本来のレナードらしさが溢れる良い翻訳だと感じます。 レナードは2013年に亡くなってしまいましたが、西部小説にはまだまだ未翻訳のものが多く残されています。 過去の作品のほとんどは中古本でしか手に入らない現状ですが、本書のように良い作品を新訳で出してもらえるのはレナードファンとしてとてもうれしい限りです。 | ||||
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主人公のカメラマンの元に昔女優をしていた女が現れ・・・というお話。 いつもと変わらずレナード・タッチを満喫できる小説。主人公が元シークレット・サービスでそこに往年の名女優が絡み、更にワルそうな登場人物が現れ、犯罪事件が勃発し・・・という展開はレナード節全開で楽しめること請け合い。解説によると全編が往年のフィルム・ノワールを意識して書かれたらしいですが、確かにそういう雰囲気が横溢しております。MWA賞受賞も納得の作品 個人的にはこの人の著作を大体読んだ感想でいうとどれもあまり変わらず、類型的な感じもしますが、読んでいる間はそのようなことはどうでもよく、気軽に読めて、楽しい時間を過ごすことができて暇つぶしにこれ以上はないと思います。私的には一番虚心坦懐に楽しめる作家の一人です。 もう高齢で執筆量も減っているようですが、末永く活躍してしてもらいたい人です。機会があったらどうぞ。 上記のレビューは旧訳で読んだ際の感想ですが、今回新訳で読んでもあまり変わらず、逆に前より面白かったので、☆を増やしました。この人とジョン・Dはアングロサクソン的過ぎたのか、イマイチ人口に膾炙しなかった憾みがありますが、単純に面白いのでいずれ再評価されるでしょう。因みに昔日本のTVでアメフトを売り出そうとして失敗したそうですが、やはり国民性、民族性が違うとあまり流行らない物もある様ですね。 村上春樹、瀬戸川猛資といった目利きに愛される著者の最高傑作の一作。是非ご一読を | ||||
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頼んである本が届くまで時間つぶしに在庫のミステリから適当に選んだのが、本書エルモア・レナード『ラブラバ』(原題 La BRAVA 1983年)である。 この本の奥付を見ると昭和63年(1988年)4月30日発行と記してあるから評者がこの本を読んでから28年も時が過ぎたのである。 著者エルモア・レナードの著作を他にも読んだはずだがあまり記憶に残ってないし在庫にも見付けることができなかった。 が、著者の作品が多く映画化されたものを何作か観た記憶はある。 始めて映画化された『決断の3時10分」』の主演が『暴力教室』のグレン・フォード、助演男優が『シェーン』に出演していたヴァン・ヘフリンである。 同じタイトル『3時10分決断のとき』として2007年にリメイクされた時の主演がラッセル・クロウであったのは記憶に新しい。 著者の作品が多く映画化された経歴からか本作『ラブラバ』のなかにも映画に関わる話題が豊富に盛り込まれていて映画好きな評者などストーリー展開より気になり始めてしまった。 この物語のヒロインともいえる引退した映画女優のジーン・ショウは、映画に多くかかわってきたエルモアならきっと実在している女優の誰かをイメージしているはずに違いないと思い始めたらページを繰る合間につい調べ始めてしまったのである。 本作に登場する元女優のジーン・ショーは、実在の人物ではないが、ロバート・ミッチァムと多く共演したり、リチャード・ウィドマークとも共演したことのある女優とこの物語で書かれていたから、そのような女優をあれこれ探偵しはじめてしまった。 『過去を逃れて』(1947年)と『仮面の報酬』(1949年)という映画でロバート・ミッチァムと共演し、『太陽に向って走れ』(1956年)という映画でリチャード・ウィドマークと共演したジェーン・グリア(Jane Greer)が浮かび上がったから、著者がイメージした女優が、ロバート・ミッチァムとリチャード・ウィドマークと共演していた映画女優はそんなに多くないと考えると、やはりジェーン・グリアではないかと想像してしまったのですが・・・。 まぁ、憶測だけで著者のイメージした本作に登場したジーン・ショーかどうかは定かではないが、本作がアメリカ探偵作家クラブ賞受賞作と期待して読み始めたが、ストーリー展開に興趣が湧くこともなく、主人公のラブラバにも感情移入することも出来ないから映画の方により興味を惹かれてしまったのでこんなことを始めてしまったのかも知れない。 本作の舞台となっているフロリダのマイアミ・ビーチで撮影された『波も涙も暖かい』という実在した映画のオーデションを、この物語に登場するジーン・ショーが受けたが、彼女が若すぎてエリノア・パーカーに役が振り当てられてしまったと記述されていた。 この映画は、フランク・シナトラ やエドワード・G・ロビンソンが出演していて、もちろんエリノア・パーカーも名を連ねているフランク・キャプラ監督の1959年の映画である。(評者はこの映画を観ていませんが、映画としての出来はあまり良くなかったようです。) 実在した俳優や映画をこの物語に登場させリアル感を読者に与えながら架空の映画なども多く登場させて読者を煙に巻くのが著者の手練手管だと感じながら読み進んでしまった。 ネタバレのレビューなどここで書くことを控えるが、最期のページを読み終えてミステリとしてのカタルシスなど感じるような余韻んを楽しむことはできなかった。 まぁ、ミステリというより映画の脚本を読むように読めば楽しめるかも知れない。 が、もし映画化するならかなりのテクニシャン(たとえばアルフレッド・ヒッチコックのような監督)でないとB級映画に仕上がってしまうだろうと思いながら本書を読み終えたのです。 読後、原田真人氏の解説を読みはじめ、あ~そうか!と、評者は膝をたたいて納得してしまった。 氏の解説の冒頭を下の・・・内に転載したい。 ・・・エルモア・レナード二十二番目の長編『ラブラバ』は《ニューズウィーク》の書評でもふれられている通り、’40年代のフィルム・ノアールへのオマージュである。ただし作家の姿勢は同じオマージュでも多少パロデイの緯度を強くした、一芸を極めたもののしたたかな遊び感覚に満ちている。・・・ などと書きはじめ評者など足元にも及ばないハリウッド映画に精通した氏の知識を披歴していた。 氏の解説のなかでやはりジーン・ショウについて誰かを推測していてたから下の・・・内にその下りを転載したい。 ・・・さて、『ラブラバ』の犯罪的なバックボーンだが、この部分は作品のときめきの中心として直結している。パトリシア・ニールを思わせるというジーン・ショーの存在とキャリアは、違うスペルで同じ発音のジーン・ティアニー、ジーン・クレインから始まり、ジェーン・グリア、ヴェロニカ・レイク、グロリア・デヘイヴン、メアリー・アスター等々、フィルム・ノアールを彩った女優たちの「総集編」なのである。ジーン・ショーに憧れるラブラバの血のさわぎは、『過去を逃れて」』のジェーン・グリアに魅せられた私の血のさわぎだし、・・・<後文略>・・・ などと氏が語っていたから、評者が探偵したジェーン・グリアも当たらずといえ遠からず、と思いながら小説の面白さよりこんなことに興味を持って読後レビューを書いてしまいました。 | ||||
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主人公のカメラマンの元に昔女優をしていた女が現れ・・・というお話。 いつもと変わらずレナード・タッチを満喫できる小説。主人公が元シークレット・サービスでそこに往年の名女優が絡み、更にワルそうな登場人物が現れ、犯罪事件が勃発し・・・という展開はレナード節全開で楽しめること請け合い。解説によると全編が往年のフィルム・ノワールを意識して書かれたらしいですが、確かにそういう雰囲気が横溢しております。MWA賞受賞も納得の作品 個人的にはこの人の著作を大体読んだ感想でいうとどれもあまり変わらず、類型的な感じもしますが、読んでいる間はそのようなことはどうでもよく、気軽に読めて、楽しい時間を過ごすことができて暇つぶしにこれ以上はないと思います。私的には一番虚心坦懐に楽しめる作家の一人です。 もう高齢で執筆量も減っているようですが、末永く活躍してしてもらいたい人です。機会があったらどうぞ。 | ||||
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