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矢の家
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矢の家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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ずっと読みたかった作品です。状態もすごく綺麗でした。思ったよりも速く届いて、対応に感謝します。気持ちよくお買い物できました。ありがとうございました。 | ||||
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<ネタバレ注意> 著者は探偵小説専業の作家ではないとのことで、1910年にアノー探偵ものの第一作を出版しており、その14年後に本作を上梓したらしい。 英国人作家が外国人を探偵に抜擢した例として、なんと云ってもアガサ・クリスティの創造したエルキュール・ポワロが有名だが、彼女が大戦中に『スタイルズ荘の怪事件』を書いた際に、アノー探偵が念頭にあったのかは不明。逆にメースンが本作を書いた際には、クリスティは最初の二長篇に加えて、ポワロものの短篇を鋭意量産中で、逆にメースンに刺激を与えた可能性も……。 中島河太郎の解説には、同じ英国人作家が外国人探偵として描いたアノーとポワロとの類似に触れた後、彼はポワロほどの嫌味がない代わりに魅力に乏しいなんて書かれているのだが、どうしてどうして、なかなか魅力的ではないか。 主役探偵の比較はともかく、クリスティ作品と較べるならば、むしろヘイスティングスとフロビッシャーの類似を挙げるべきだろう。年齢や外見はともかく、フロビッシャーはヘイスティングスを越えるレベルのバカで善人で間抜けであるw 中島河太郎も書いているように、本書のおもしろさは探偵と犯人の心理対決であって、フーダニットとしては弱々だから、余計にフロビッシャーの間抜けが際立っている。【注1】 フーダニットとしては弱いとは言え、二人の魅力的な若い女性のどちらが、あるいは両人が犯人である可能性は、中盤までは考慮してしまったし、<ネタばれ反転>犯人一味といったものが構築されていたのはなかなかサプライズだった。【注2】 というわけで概ね満足な一品で、仮にクリスティ作品のひとつだったとしても十分成立できる佳作だと思うが、結果的に犯人を手玉に取った有能なアノーが、薬屋の存在が表面化してから彼への捜査までがルーズだったというのはやや気になった。 「だって人間だもの」でミスするのは当然とは言え、重要参考人であることが明白な薬屋を早々に抑えるのは、当然の捜査の段取りだろう。クロらしき容疑者に罠を仕掛ける手腕とは別のレベルだと思う。 【注1】犯人が確保された後も、それがなにかの間違いである理由を捜そうとするくらいであるw 【注2】犯人候補から外れた時点でアンも相当な間抜けの仲間入りである。 | ||||
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クィーンが「すばらしく頭のいい手がかり」とコメントした(「フランス白粉」解説)その手がかりは、のちに「Yの悲劇」で使われることになったと思いますが、どう頭がいいのかはいまだにわかっていません。 ところで、探偵が仕掛ける罠と犯人の応答を、後から読み直して確認するという本作の書き方は後世に伝わってもよかったと思うのですが、そうならなかったのは読み直しが面倒だからでしょうかね。 ミステリ史の分水嶺になった作品だと思います。 | ||||
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財産のある未亡人が、心臓発作で死んだが、どうやらそれが他殺らしい……。 パリ警視庁からアノー探偵が召喚されて、調査を開始する。(なんで探偵が警視庁に協力を要請されるんだ?) ……ユーモア·ミステリーと言われているらしいけど、そんなに面白いやり取りは見られない。 ……最後の解説に、"1920年代に書かれた推理小説の代表的名作の一つ"であるとして、クリスティーの『アクロイド殺人事件』他のいくつかの小説と共にこの小説が挙げられていますが、それほどのものだとは思えません。 ……トリックもそんなに奇抜でもないし、犯人も、そんなに予想外でもなく、ストーリーも、そんなによく錬られているとも思えない。 ……書かれたのが割合古い年代だという意味では、古典かもしれないけど、“名作”と言えるかどうかは、疑問が残ります。 ……それと、イギリス人である著者が、作中でフランス人のアノー探偵を、かなり馬鹿にした描き方をしていて、そういうのが、やっぱりイギリス人とフランス人は仲悪いんだなという感じがします。 | ||||
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こつこつと積み重ねていく検証と論理はおもしろい。でもポワロみたいな探偵が優秀過ぎて、弁護士が愚直に見えるのはちょっと……。特にラストのオチが酷い。このバカな弁護士視点で語られてるのがツラ過ぎました。こんな弁護士じゃ不安過ぎる! | ||||
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若い頃に3回は読んでおりいずれも本格推理の最高峰の一つという高い評価をしていた。犯人や基本トリックは記憶していたため今回は伏線や人物描写等に注目して読んだが思ったほどの高評価とはならなかった。これは探偵アノーの芝居気やワトソン役のジムの正義感ぶりがわざとらしく全体的に幼稚な感じが否めなかったからである。伏線は大胆過ぎるほどでむしろ犯行計画としては稚拙ともいえる。アノーの言動には隠された意図があり濃密な心理戦として読み応え十分だがジムの純真さがかえって興ざめでロマンスの部分はラストも含め中途半端であり作品としての質を落としていると思われる。 伏線として提示される手掛かりや「可」と「不可」の表などによるヒントは全て最後に説明がついており本格推理としては緻密で見事であるが若干わかりにくい。他のレビューワの方の指摘にもあったが屋敷の図面があったほうがよかった。ストーリの概要は記憶していたこともあり前半はやや冗長であったが後半からは謎めいた展開と緊張感にあふれるサスペンスが続き一気に読めた。特に暗闇の中で真犯人が明らかになる場面は秀逸である。若い男女の郊外へのお気楽そうなドライブにも意味があったわけで終盤の舞踏会の場面の説明も独特のサスペンスがあり手に汗を握るものがある。 基本トリックについては最初に読んだ時の感銘が深く何度読んでも秀逸と感じる。その設定、犯人側の対応、解決へと自然な流れがありここが推理の点でキーでありアノーとジムの対立のポイントにもなっている点を高く評価したい。 動機の面ではアノーの推測による説明で終わっているのがやや不満であった。犯人の心理面をもっと掘り下げるような展開や記述があれば作品としての深みが増したと思われる。ここまでミステリアスな展開が続く中で結局は勧善懲悪の娯楽作品に終わってしまっているのがもったいない気がした。 アノー物の最初の長編「薔薇の別荘」や短編「セミラミス・ホテル事件」も読んだがこれらも含め作者の嗜好とも思われるような共通点があるのも本格推理の最高峰の一つと評するにはためらうものがあった。やはり本格推理の優れた異色作として評価すべきかと思われる。 | ||||
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数年前に読み、福永武彦の端正かつ読みやすい訳文に満足した。 もちろん、ミステリの古典としての味わいにも。 柳川貴代さんの装丁は、雰囲気たっぷりの写真を含め、理想的だ。 探偵のイラストのカバーは、正直いまいちだった。 神保町の羊頭書房で、まだましな以前のカバーのに買い直したりしてました。 今回の復刊は、新解説もあってうれしい。 多くの人に読んでほしい。 | ||||
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富豪が不審な死を遂げ姪に疑いがかかるが・・・というお話。 この小説に関しては、瀬戸川猛資氏の「夜明の睡魔」で江戸川乱歩が本格推理小説と誤読して、ユーモア小説としての側面を気づかないで、それが日本でもそのまま伝わり、真価が理解されないで損したという事を事前に知っていたのですが、何となく読まずに時が過ぎ、今回の新版で初めて読みましたが、読後は狐に抓まれた様な読後感を持ちました。 何故かと言うと瀬戸川さんが指摘した様なギャグやユーモアが全然笑えなかったので。私の読解力が落ちたか、作品が100年くらい経って経年劣化してしまったのか、よく判りませんが。ギャグとかユーモアとかは時代によって流行り廃りが激しいので、100年も経てば通用しなくなる物もあると思うので致し方ないとは思いますが、これからこの小説を読もうとされている方は気を付けた方がいいです。私だけがこういう感想なのか知りたいので、読んで積極的にレビューを書き込んでもらいたです。 と言っても決してつまらない訳ではなく、この時代の推理小説としては今読んでも読むに足る作品だと思いました。ただ、あまり過度の期待を持って読まない方が賢明かも。 瀬戸川さんの弟子だった折原一氏によると、褒めるのが上手だったので実際読んだら外れだった物もあったとある所で語ってらっしゃいましたが、私も本書はともかくデクスター氏の「ウッドストック行最終バス」がそういう感じでした。外れの小説に関して瀬戸川さんが誤読したとは思いませんが・・・。 このメースンという作家は今から100年前くらいには大変人気のあった作家だったそうで、代表作の「サハラを舞う羽」等は4~5回映像化されているそうですし、ヘミングウェイの小説にも名前が言及されていたり、そういう大衆小説が好きな私の様な読者には気になる存在であります。他の小説も是非翻訳して頂きたいです。 100年前に人気があった大衆小説が判る佳作。機会があったらどうぞ。 | ||||
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アノーは、かなり早い段階で犯人に目星をつけている。彼が暗示的に仄めかしたり、逆の言動をとったりするので、 ジムはイライラと翻弄されるばかりだ。しかし、勘の良い人ならば(トリックはわからなくても)、 途中で犯人(ここでは首謀者だが)を言い当てられるだろう。それほど凝った小説ではない。 ただ、形式がすこぶる変わっている。 事件が発生し、はじめ探偵は五里霧中にあり、手がかり・証言などから、論理・直感で、最終的に解答を導出するのが 従来型(例外もたくさんあるが)だが、本作はまったく当てはまらない。 出題者は、著者ではなく、アノーに委ねられている。読者はジムとともにアノーに立ち向かわねばならない。 とはいえ、アノーは、はじめから事件の全貌を隈なく知悉しているわけではない。読者・ジムに大きく先んじて事実を 掴んでいるのである。大局的にみれば、この探偵は、始終出題者の立場にあったと思う。 ※ 写真・自己紹介は無視して下さい | ||||
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ちょっとトリックに 特殊なものが使われています。 ジギタリスとかはよく聞きますが そういう類のものではありません。 確かにアノーのすばらしい推理には 舌を巻きます。 ところが、なんだか戻ってきたりしている気がして 違和感をものすごく感じるのです。 それが唯一の残念な点。 そして、やはり系統の犯人。 間違いなく怒りたくなる系です。 読ませるなコラァ系です。 雰囲気はいいのに… | ||||
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確かに探偵とのやりとりや会話に、ユーモアあって面白いところはある。でも、肝心の筋がなあ(苦)。 | ||||
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推理小説というのは犯人がわかってしまえばそれっきりかと思えばそういうことでもない。この小説は何度読み返しても面白い。犯人と探偵との心理戦が読み返すほど理解できるからであり、そこから人間の心理に肉薄できるような気がするからである。これほどの長編になればどこかでズレがでてきそうなものだが、それも感じられない。一気に読める傑作推理小説のひとつだと思う。 | ||||
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1920年代の長編ミステリを代表する作品。フランスのディジョンの住人でハーロウと言う婦人が亡くなった事が物語の発端で、遺産を期待していた義弟のボリスが遺産管財人の所へ不平を訴え、遂には、遺産相続人のハーロウの養女ベティを殺人容疑で訴える事態に発展する。警察側はシリーズ探偵のアローをパリから呼び、ベティから助けを求められた法律事務所からは若き弁護士ジムが現地へ向かうと言う設定。出だしだけでも、物事を一歩々々着実に解明して行くと言う堅実な作風が感じられる。 ところが、現地へ向かう前、パリでアローと会見したジムは、アローからボリス問題は口実で、目的はディジョンで起こっている匿名の中傷手紙事件にあると聞かされる。真実か韜晦か ? アローは気取った道化者でポアロの前身のようである。そして現地に着くや否や、アローはボリスの告訴を簡単に退けるが、ハーロウ婦人は痕跡を残さぬ毒矢の毒で殺されたと宣言する。センセーショナルな宣言であるが、理詰めの考察に基づいたものである。犯人を当てずっぽうで当てるなら難しくないが、作者は飽くまで事実と論理で物語を進める。"必然性のミステリ"と呼ばれるに相応しい。また、犯人の立場に立てば、アロー登場以来、凄まじい心理闘争をしていた事が分かる仕組みになっているのも、読み応えを増している。 ミステリの黄金時代の幕開けを飾るに相応しい秀作。 | ||||
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さるお金持ち、ハーロウ夫人が亡くなった。そして遺産はその養女、ベティの手に。 ここで夫人の義弟、ワベルスキーは、夫人が亡くなったのはベティが毒殺したからだと訴える。 ベティは顧問弁護士に助けを求め、パリ警視庁からはアノー探偵が現地へと赴く。 読んでいる途中、アノー探偵がポアロのプロトタイプにおもえたが、この探偵のデビュー作は1910年、ポアロより先でした。ちなみにこの作品は1924年。 1つの脅迫、そして、舞台の街に広がる強請りの手紙、そして殺人。 これらが最後に見事に解かれていきます。 個人的に少々、芝居がかった描写が気になりましたが、これは人それぞれでしょう。 面白かったです。 | ||||
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火花散る心理戦は迫力たっぷり。 また、例えばこんなユーモアには、思わず微苦笑させられる(31ページ)。 「記憶というやつは女のようだな」と氏は考えた。「もしこっちがあとを追いかけなければ、向こうからひとりでにやって来る」 とはいうものの、氏は女に対するごくふつうの男の立場にあった。つまり、女のあとを追いかけずにはいられなかった。 福永武彦の訳は、さすがの一言。 ラストも洒落ている。 | ||||
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ある富豪の夫人が亡くなりその全財産が養女ベティに残されることになります。ところが夫人の義弟が「ベティが夫人を毒殺した」と告発したため事態は紛糾。孤立無援のベティは顧問弁護士に救いを求めパリからはアノー探偵が調査に乗り出してくるというお話です。 アノー探偵はユーモラスな雰囲気を持っており少々芝居がかっていると言えるかもしれません。自尊心も強いようでクリスティのポワロの先輩とも称されますが、尋問の中にも罠を仕掛けたりするところなどは職業的犯罪捜査者の特徴が出ていると思います。 『トレント最後の事件』からロマンスを推理小説の中に取り込む動きが出始め、本作も例外ではなく恋愛の味付けがされておりますが、より洗練された形になっているのではないかと感じました。 全体を見ても一つの作品として高いレベルでまとまっており、黄金時代の傑作の一つであると言えるでしょう。 | ||||
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メースンの「矢の家」は推理小説ファンにはよく知られたクラシックミステリの傑作。資産家の未亡人の死に毒殺の疑いがかかり、パリ警視庁のアノー氏(エルキュール・ポアロを彷彿とさせる名探偵)が、調査を開始します。登場人物は少なく、犯人をあてるのは難しくありませんが、問題はどうやって被害者を殺したか。名探偵アノーと犯人との心理的駆け引きは読み応えがあります。 | ||||
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