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(短編集)
虚数
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虚数の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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意識を持ったAIネタの作品が載っているらしいので図書館でザッと目を通しました。 原著が出たのは1973年だそうで、既にそれから半世紀が経過しているわけですが、意識を持っていてもおかしくないんじゃないかってぐらいAIが高性能化した今日時点で読むと、レムのこの思考の試みと言うか未来の洞察の偉大さに敬服するしかありません。 内容はかなり凝っていて1ページめからの通読はかなりキツいので、どちらかというと断片的に拾い読みしてイマジネーションの糧にするのがこの本の正しい読み方のようにも思います。 またこの翻訳書も原著を尊重したのか単純な翻訳ではなく作品ごとに体裁を変える等かなり凝ったものになっているので現物を手に取ることをお勧めします。 因みに作中のGOLEMの講義は2027年の設定ですが、誰かと言うかAIがこの作品を記念して、2027年の時点での見解を講義してくれることを待っています。 | ||||
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レムの「架空の書籍の書評」という方法は(ローティ的な意味で)「アイロニスト」的な表現手法だと思います。「公共的な科学言論」ではなく「私的なファンタジー」として科学に関する思想を書くことによって、争いを避けられるというわけです。 おちゃらけ、というか、ユーモアを含んだ表現も、その意味では本書に必要不可欠な要素だと言えます。ふざけた表現でも、内容を理解して共感してくれる人にはちゃんと伝わるし、そうでない人にとっては「真面目に批判する気が起きない」ので争いにならないというわけです。つまり、前者にとっては「ユーモラスな表層の裏に、骨太な思想が隠れている」ように読めますし、後者にとっては「とるにたらない妄想」として読まれるわけです。 | ||||
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「未来においては存在する本の序文集」というポストモダンな雰囲気のあるメタフィクションです。 変わった本好きなら、それだけで買いな作品な気もしないではないですが、作品の構造まで見えるようになるとさらに楽しめます。 ポストモダンやメタフィクションによくある感じですね。 ただ・・・翻訳のせいなのでしょうか、「完全なる真空」の方がよかったという全体的な印象でした。 | ||||
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レムのSF小説を貫くテーマを挙げろと言われれば、僕は人類とは別種の知性との交流を挙げたい。 最も知られた作品である『ソラリス』をはじめ、彼の小説には地球外からもたらされる、 人類には意味を解読することができない情報と、それを発信する知性がしばしば登場する。 この作品集『虚数』にも、それは見られる。 バクテリアが文字を獲得する一遍を除いて、 本作で、別種の知性を獲得するものは、コンピューターだ。 人類の知性を実数軸とするならば、本書で描かれるコンピューターの知性はそれに直行する虚数軸と言えるだろう。 形式については、僕はなんとも言えない。 さすがにこれほどの着想を小説として描き出すのは、さしものレムも手がつけられなかったか、と思うだけだ。 しかし、本書の着想は本当に面白い。 現在のコンピューターを巡る知のあり方は、人の知性のあり方に束縛されているのではないか? コンピューターが意識を獲得した時、コンピューターはコンピューターのための知を獲得するのではないか? 人類が十進法に慣れ親しんでいるのは、指が十本だからだ、という説があるように、 私たちの知性は、私たちの肉体のあり方とまったく無関係ではなさそうだ。 ならば、コンピューターが意識を獲得し、世界を認識し、自ら知の体系を築き上げはじめたとき、 そのあり方は人類とは異なった物となるのではないか。それがレムが本書で展開する発想だ。 そして、その時人類は自らが人であるということの限界を知るだろう。 荒唐無稽といえばそうかもしれない。 しかし、レムにとっては、自らが人であるがゆえに逃れられない限界は、終生描き続けずには要られないテーマだった。 そして本書は本当に、未来を支配する知性を描き出す、フィクションを越えた未来の序文となるかもしれない。 | ||||
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この本はめっちゃ面白い。 レムの小説で、ソラリス、砂漠の惑星、につづいて、三番目におそらく面白い。 部屋に飾っておきたい本の第一位である。 格好良すぎる。 いちばん好きな話は「ビット文学の歴史」の序文である。 こんな話が思いつくであろうか。まさに、センスオブワンダー。 理系的知的刺激である。 けなしている人は、まったくどうかしている。 「虚数」は国書刊行会の序文の大爆笑とともに、超面白いアイデアを集めた傑作集である。装丁が格好いいし、中身も素敵なので、とても素敵である。 ちなみに、「完全なる真空」の方はつまらない。 | ||||
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ポーランドで「虚数」として出版された「架空の書物の序文集」と、後年別に記された「GOLEM XIV」を併せて収録している。両者のリンクとしては、「虚数」の中の一編「ヴェストランド・エクステロペディア」にGOLEMに関する記述があり、またそれ以上に、知性と肉体に関する考察という点で通底している。 序文集「虚数」は、後半の「GOLEM XIV」への程よいイントロダクションになっている。「虚数」の各編は、様々な衒学的脱線であふれかえっているが、そのすべてにおいて、知性と肉体について言及している。そこから立ち上がってくる問いは、知性は、人間の肉体という仕様に依存する概念なのか、ということだ。肉体、というか人間という物理的存在に拘泥した「ネクロビア」への序文を嚆矢として、その後に展開されるのは、言語を学んだ微生物、機械による文学、コンピュータによる未来予測を編纂した未来百科事典といった、人間以外の知性を題材とした弾けとんだ話だ。 そして、人間が造りだした、人間以上の知性を持つコンピュータ「GOLEM XIV」による人間への講義録の形式を取る「GOLEM XIV」。この中で、GOLEMは、人間について語り、自己について語り、知性について語る。その全貌は到底把握しきれないが、根本にあるアイディアの手触り、手応えは圧倒的。 以下、ぼくの個人的解釈になるが、「知性」は、この地球上では「ヒト」という生物種に至って創発されたが、より一般的な「知性」の在りようは、ヒトの生物学的構造や遺伝情報に拘束されるものではない、というのが本書の中核にある主張である。ヒトが持っている生物学的デザインは、高い知性を持つために最適化されたものではなく、より現実的な、生き抜き、殖えるために最適化されてきている。そこに運良く知性が宿り、現在の程度まで到達したが、人間の到達しうる知性は、ヒトの生物学的デザインにどうしようもなく縛られている、というわけだ。そして、人間が造りあげた計算機であるGOLEMは、そのデザインのくびきを断ち切った次世代の知性であり、人間が到達し得ない、理解の及ばないところにまで達している。 これは絶望的であり、なおかつ心揺さぶられる言明である。ぼくは、基本的にはまったくそのとおりだと思う。その上で、人間がもがき回る、人間の知性が探り当てられる知識もまた、事実上無限であり得ると信じられるからだ。限られたハードウェアの上で、エネルギー吸収的に営まれるぼく自身の知性が、いかほどのものを紡ぎだせるのか、落胆よりもむしろ勇気づけられた。どの程度のものであれ、自分にはどうやら知性と呼べるものが備わっていることに感謝したいし、そのポテンシャルをフルに引き出してみたいと思う。 レム亡きいま、知性に関する思索を文字通り「空前絶後」の完成度で示した本書に及ぶものはおろか、類似する文学作品すら、今後産まれる望みはないように思える。 | ||||
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