(短編集)
町かどの穴 ラファティ・ベスト・コレクション1
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町かどの穴 ラファティ・ベスト・コレクション1の総合評価:
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欲しかったのですが、大部分の作品を既に持っていたので見送っていました。しかし今日見たらkindle版が紙の半額くらいになってました!! 今日は12/26なのでクリスマスプレゼント?? コレクション2冊まとめて購入しました。とくに「九百人」収録作はハードカヴァーしか持ってないので携帯端末で読めるのはうれしいです! | ||||
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本書の表題となった「町かどの穴」って、町かどの歩道にあいてる穴? 本書の表題が気になりました。表題に選ばれた理由は何でしょう? 「道路の穴じゃないよ、ホーマー」(17頁) だったら、どこの穴? 2021年に刊行されたアメリカ版のタイトルは、“the best of r. a. lafferty” そのタイトルのどこにも「町かどの穴」なんてありません。 それもそのはず、作品「町かどの穴」は収録もされていません。 編者の編集方針なのでしょう。 本書(日本語訳書)の編者「牧 眞司」さんには、 編集上の何か思い入れのようなものがありそうに感じました。 牧さんによる「編者あとがき」の中に、 「第一巻を『アヤシイ篇』にすることは揺らいでいない。ラファティと言えば、アヤシイ世界でしょう。私たちが暮らしている日常の外にアヤシイ世界があるのではなく、現実そのものがアヤシイのである」(547頁) やっぱりね。 「ラファティは『禁酒によってポッカリと空いた穴を埋めるため』に小説を書きはじめたそうだ」(548頁) 禁酒による禁断症状のひとつに<自意識の分裂>がありそうです。このへんがアヤシイぞ。 「町かどの穴」とは、行きつけの町かどの穴場(酒場)のことかもしれません。 と思いながら、冒頭作品「町かどの穴」を読んでいくと、 「すぐその角」(15頁)の医者のうちが「町かどの穴」のようにも思えました。 「町かどのコート医師の家」(16頁) 「『わしはこのブロックの住人たちの進入点として、バス停のそばに穴をこさえた』とディオゲネス」(26頁) あらら。町かどの「バス停のそば」に作られた、その「進入点として」の穴は。 バスで乗り降りする人が落っこちやすい場所にある穴。落とし穴。 主人公のホーマーは毎日朝晩、バスで通勤しているのでしょうね。 夕方、疲れて帰ってくるときに「バス停のそば」の自分で作った 「穴」に落っこちてしまうのでしょう。 「偶然発生的な進入の穴や方法はたくさんあるが、計画的なそれは、わしのこしらえたそれだけなんだよ」(27頁) もしかして自慢? 自慢にならないと思いますけど。 この短篇小説「町かどの穴」も、著者ラファティ自身によると、 計画的にこしらえたオリジナル作品ということなんでしょう。 それにしても、ラファティという作家は、 「前衛や先鋭ではなく、むしろ古い物語の系譜につらなっている」(542頁) と編者の牧さんは位置付けています。 作品「町かどの穴」の結論。「おれの女房は大グモだ」(33頁) 悪夢です。 主人公の女房レジナは医者にききます。 「『あたしがこのごろ見ているあのたのしい夢を、なんとかやめられないものかって?』レジナがきいた。『もう、つくづくうんざりなんです。せんによく見た、あの鳥肌立つような夢にもどれません?」(20頁) 「おれの女房は大グモだ。おれをガツガツ食べてるよう。もう手足がなくなっちまった。こんなことなら、はじめの悪夢のほうがましだよう!」(33頁) 夫婦そろって悪夢のほうが好きみたいです。絶句。 「女王どくぐも(リコサ・レジナ)があたしの学名」(32頁) 女房レジナは、女王どくぐもだなんて! 読者は読んでて鳥肌が立ちました。 冒頭作品「町かどの穴」は、本書『ラファティ・ベスト・コレクション1』の 最高傑作だと思います。アヤシサという点で抜群ですもの。 編者の牧さんも、作品「町かどの穴」が、 このコレクション第一巻中の全19篇のうちでアヤシサ最高、ナンバー1だ と思っているのでしょう。冒頭に配置しているのですから。 《備考》 <翻訳語の疑問について> 「ホーマーはドアの取手にいささかてこずった。どの校訂版にもあるというものではない」(9頁) ドアの取手に対して、「校訂版」という日本語はおかしい。変だ。 ドアの取手は、本ではないので、「校訂版」には違和感を感じます。 もしかして誤訳か? とも思い、原文を確認しました。 「校訂版」に対応する原語は「recentions」でした。 誤訳ではありませんでした。 してみると、著者ラファティは意図的に「校訂版」という語を使ったということでしょう。 著者は、こんな風な逆説的な言い方をする作家のようです。 「バカだけど、かわいいやつ! 利口な犬などだれがほしいか!」(9頁) 校訂者は、著者の間違いを正して訂正するひと。作家の女房役。 ここではたと気づきました。 きっとホーマーの家のドアの取手は最近、具合が悪かったのでしょう。 だから奥さんが昼間に修理屋に頼んで、 夫に相談せずに勝手に、別のタイプの取手に交換させたのでしょう。 ドアの取手なんて、無意識でも開け閉めできるもの。てこずるほうがおかしい。 主人公の奥さん(レジナ)は、 夫の原稿を勝手に読んでイジル<校訂者>のような女性だったのでは。 「女王どくぐも(リコサ・レジナ)」のような女性なんて、恐すぎる。ブルブル。 間違っていても、すてきな文章は素敵です! 正しい文章など「だれがほしいか!」 初めてラファティの作品を読みました。いっぺんでとりこになりました。 第二巻の「カワイイ篇」を読むのが楽しみです。 | ||||
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私がSF小説を読むのは、基本的に、ユーモア文藝としてのSF小説を非常に愛しているためです。 そのため、「ユーモアと奇想とSFとが見事に混合していた」ラファティの初期作品を読んだ時には、非常に衝撃をうけました。 だが、その後のラファティ作品は、SF的なロジックが弱くなり、ストレートに笑える箇所も少ない、独自の「奇想小説作家」になってしまった。結果として、そういう作家、ラファティには、残念ながらあまり興味がもてない私、であることを再確認いたしました。 | ||||
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目次を一瞥した瞬間に思ったのは、このセレクトは決してベストではないし、この本ではじめてラファティに触れた読者はもう読まなくなるだろうな、ということ。 「編者あとがき」には「なるべく多くの読者にラファティの魅力がつたわるように企画した」とあるが、であれば並列的なベスト本を複数出版するのではなく、まず比較的とっつきやすく楽しい作品を集めた入門編的選集を出すべきだったのでは。 短編集初収録作品があるのは嬉しいが、これらもベスト本に含まれるべき作品というより、あくまでボーナストラック的な扱いが順当な作品だろう。 といったうっぷんを晴らすために以下、妄想の『ラファティ入門コレクション』を選んでみる。 『みにくい海』(1961) 『せまい谷』(1966) 『断崖が笑った』(1968) 『ブリキ缶に乗って』(1970) 『また、石灰岩の島々も』 『われらかくシャルルマーニュを悩ませり』(1967) 『コンディヤックの石像』 『うちの町内』(1965) 『つぎの岩につづく』(1970) 『太古の殻にくるまれて』(1971) タイトルは『みにくい海』、カバーイラストと挿画は片山若子さんにぜひ。 | ||||
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長らく『ホークスビル収容所』収録作としてしか読むことができなかった「いなかった男」を含め、日本ではラファティの単著には未収録であった短編が収録されている。 しかし、これまで『九百人のお祖母さん』『つぎの岩につづく』『どろぼう熊の惑星』『昔には帰れない』を読んできた者にとっては、これら既存の短編集からの再録との、抱合せ販売でしかないところがツラい。 新しい読者を獲得したいなら、これまでの4冊はKindle版で再刊するなりした上で、未収録短編を集めたオリジナル短編集を1冊加えれば良いのでは? それなら、従来からのファンも困らない。 せめて青心社版『子供たちの午後』等から、新たにハヤカワで新訳したものも収録するとか、もう少し「サービス」が欲しいところ。 本書と、ポーランド語原典からの新訳である『インヴィンシブル』(国書刊行会 スタニスワフ・レム・コレクション第二期)とを比べて、昭和の昔からのSFファンがどちらを先に買うか。 『インヴィンシブル』では? | ||||
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