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木挽町のあだ討ち
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木挽町のあだ討ちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 81~83 5/5ページ
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帯には「今もっとも注目される歴史・時代小説家による革命的傑作誕生!」とあり、「革新的」という指摘には大いに納得する1冊でした。(「傑作」は言い過ぎかも?) 小気味よく軽さあふれる口上で始まったはずなのに、いつの間にか自分の心があったかく、そして夢中になって読んでいる。そんな素敵な作品でした。 | ||||
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睦月晦日の戌の刻、芝居小屋の場で、戯曲を書き演劇を上演する。 そう、”あだ討ち”。 江戸、木挽町の芝居小屋を舞台にしたミステリー。 義を貫くための辛さ。 慈愛で包まれる真心は温かく。 武士の理を尽くして。 ”これは涙ではない、汗だ”と言い。 | ||||
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「商う狼」に「大奥づとめ」と最近読む機会が増えてきた永井紗耶子の新作。 物語はあまりにも劇的な仇討が演じられる場面から始まる。討ち手はまだ前髪の少年剣士・菊之助。父の仇である博徒・作兵衛を降りしきる雪の中、木挽町は芝居小屋の裏でで待ち受け、被っていた赤い振袖を脱ぎ捨てるや仇討の口上を述べて斬り合いに。遂に作兵衛を討ち果たした菊之助は獲ったばかりの首級を掲げる…… 時は流れて二年後。仇討の舞台となった芝居小屋・森田座を尋ねる人物が。当の菊之助からの手紙を手に雪の中で演じられた仇討の仔細を教えて欲しいというその人物を迎えたのは木戸芸者の一八。まるで目の前であの仇討が演じられているかの様に芝居っ気たっぷりに語って見せる一八だが、奇妙な事に聞き出したい事は仇討の様子だけでなく一八の来し方にも及ぶらしい。 妙な事を聞くものだと訝しみながらも隠すものでは無いしと語り始めた一八は吉原の遊女の子として生まれてきた自分が長じて幇間に弟子入りし、やがてその幇間の道をしくじるに至ったというが…… 読んでいる間ずっと「人生到る処に青山あり」という言葉の意味を改めて考えさせられる事になった。 人間生きていると「自分にはこの道しかない」「これ以外の生き方はあり得ない」なんていう思い込みにチョイチョイ嵌り込んでしまうものだけど、そんな視野狭窄な状態はあっさりと「もう駄目だ」「自分はもう生きていけない」という極端な発想に繋がり易い。真面目な方であればなおさら、である。そして本作はそんな絶望に囚われている方にこそ読んで頂きたい、そんな一冊である。 物語の方は全六章からなる連作短編として構成されている。冒頭でこそタイトルにもある「あだ討ち」の場面が描かれるから、討ち手である菊之助の物語なのかと思ったら本編が始まるや仇討の舞台となった芝居小屋の面々による「我が人生」の一人語りが始まるから「アレ?」と面食らった。 が、この各章の語り手が聞かせてくれる来し方が実に興味深くグイグイと引き込まれた。トップバッターである木戸芸者の一八(関西人だと横山やすし師匠の息子を思い出す名前……)からして遊郭には厄介者でしかない男の子として生まれてしまったという「上弦の禄」っぽい悲惨な境遇から人生が始まるのだけど、ふとした切っ掛けで遊郭には欠かせない商売である幇間(たいこもち)に弟子入りする事に。 幇間がただの賑やかしでは通用せず、旦那によってご機嫌の取り方も変わる事を学びながら独り立ちも見えてきた矢先、遊女に暴力を振るうろくでもない客の座敷に上がった一八は溜まり兼ねて旦那相手の狼藉に及んでしまう。幇間としてしくじり呆然とする一八だが師匠から胸のうちにあった遊女をモノ扱いする連中への鬱屈を言い当て、幇間はもうやめておけと引導を渡される羽目に。 「幇間ぐらいしか生きていく道が無いのに」と絶望する一八だけれども、この絶望こそが本作におけるミソとでも称する部分。目の前に真っすぐ伸びている筈だった道がいきなり断ち切られる絶望感、身に覚えのある方も多いのではないだろうか?プロスポーツ選手や作家、ミュージシャンみたいな夢追い商売に限らず、希望の学校や就職先に進めなかったという形での挫折もあるだろう。 本作は仇討の様子を尋ねてきた菊之助の縁者を名乗る人物に一八同様森田座に絡む面々がその人生を語って聞かせる訳だが、彼らの人生は尽く絶望的な挫折を経ている。身分の低い御徒士から武芸で身を立てようとしながら師にも父にも絶望した殺陣師、裁縫の腕で生きていこうとしながら賤民である隠亡としての過去が足を引っ張った女形、優れた腕を持つが故に我が子の死に目に逢えなかった小道具職人、食うに困らない生まれであるが故に満たされなかった脚本家……誰もかれもが望んだ未来を断ち切られている。 菊之助の縁者に来し方を語って聞かせる今であれば芝居の一座に己の居場所を見付けているが、その信じていた道が断たれるに至るまでの追い詰められた心境や道を見失った時の絶望感はひしひしと読者の胸を打つ。大多数の人間にとって望んだ未来は手に入らない物だし、不合格通知や不採用を告げるお祈りメール前にして輝かしい未来に至る道が断ち切られた時の痛みは胸の内に一生残るものだから…… ただ、そんな痛みを知っている彼らの人生がたっぷりと描かれるからこそ終盤に向けて徐々に明かされていく菊之助が演じた仇討の真相が明かされる最終章が説得力を帯びる。義の為に生きようとして追い詰められた父親と主を誰よりも想う忠義の下男によって望んでもいない仇討へと追い詰められた菊之助に「お前はどこに居場所を求めたい?」と問いながら助力になってやろうとした森田座の面々の優しさがどこから来るのか、それを読者に伝えるための五章だったのだと大いに納得させられた次第。 一度は絶望する痛みを知っているからこそ、そして望んだ場所でなくても自分を活かしてくれる「居場所」はあるのだと知っているからこそ、かつての自分を見る様な思いで追い詰められた若者を視野狭窄から救い出そうとした連中の「温かさ」が堪らなく愛おしい。人の世に絶望する事があっても救ってくれるのもやっぱり人なのだと痛感させられる。 これから先も挫折する人、絶望する人、視野狭窄へと嵌る人で世の中は埋め尽くされるのだろうけれども、「本当に居場所は『そこ』だけのか?」「人の世に自分を受け容れてくれる場所は無いのか?」と問い掛け、視野を今一度広く構えてみようよと諭してくれる様な一冊。読者に勇気を与えてくれる小説というのはこういう作品を指すんじゃ無いだろうか? | ||||
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