きらん風月
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
きらん風月の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
新刊本かと見違えるほど綺麗な本で、内容も楽しく読めました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
寛政時代の著名人が数多く登場し、史実と創作が絡み合う。 主役から脇役まで魅力的なキャラが並ぶので、映像化すればまた魅力も倍加しそう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「木挽町のあだ討ち」のようなドラマチックな展開を期待して読むと肩透かしを食った感はあるものの、実は「きらん風月」も趣を全く異にする良作。 多様性とは真逆の価値観で、がちがちに定められた江戸時代を舞台に一人の人間の生き様を描く本作。読了して感じたのは「多様性うんぬんと言っても、結局、人のあり様は令和になったとて同じなんだ」ということ。 志もそんなに高いわけじゃない。人並みに落ち込み悩む。頑張れる時とそうじゃないときがある。人の縁に恵まれる。 そんな普通の人間が、どのように成熟していくのか。 令和の今につながる人間の成熟の物語をぜひ堪能していただきたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今の日本に住んでいるとペンの無力さを痛感させられ、「ペンは剣よりも強し」という言葉に疑念を抱いてしまう事も多い。それじゃ民主主義が建前ですら存在しなかった江戸時代の人は更にペンの無力さを痛感させられながら生きていたのでは……そんな事を思わざるを得ないのだが、そんな諦観に「ちょっと待った」を掛けるのが永井紗耶子の新作たるこの作品。 物語は文化15年(1818年)、61歳になる松平定信が栗杖亭鬼卵の名を耳にする場面から始まる。 老中を辞任した後は白河藩に戻ったものの、家督を譲ってからも藩政に口出しを続けた挙句、家中の儒者から「政にあまり口出しなさらぬよう」と戒められた事でむくれて権現様の痕跡を訪ねて歩く旅に出た定信。 旅の途中で大雨による大井川の川止めを食らい掛川城に滞在していた所、挨拶に来た藩医の孫に最近の掛川での流行りを尋ねて「山中鹿之助の産まれた諏訪原城が近いと評判」と聞かされ、山中鹿之助は尼子の家臣ではと訝しむ。 藩医が「それは読本の事であろう」と孫を窘めるが妙な話を思いつくものだと定信は更に孫に流行りを尋ね「東海道人物誌」なる品川から大津へ至る東海道の各地に在する様々な分野の名人たちを紹介した人物録を教えられる。 作者の大須賀陶山なる人物が先の読本の作者と同じであり、その名を「栗杖亭鬼卵」と称すると知った定信は興味を惹かれ日坂宿に住まうという鬼卵を尋ねる事にするが…… 上で紹介した冒頭でピンと来られた方もおられると思うけど導入部分は「商う狼 江戸商人杉本茂十郎」によく似ている。ただ、こちらは主人公である戯作者・栗杖亭鬼卵が自分の来し方をかつては江戸幕府の最高権力者であった松平定信に語って聞かせるという形を取っているのが相違点。 「商う狼」の茂十郎は商売の力で絶対権力と向き合った人物であったけれども、本作の主人公・鬼卵はペンの力で同じ事を成し遂げた人物と言っても良いかと。そして杉本茂十郎が実在の人物であったのと同じくこの栗杖亭鬼卵も実在の人物なのである(Wikipediaにもちゃんと記事がある) 物語は大きく3部構成となっており、各章で鬼卵の駆け出し時代、停滞と自問を繰り返した中年期、後進を見守りながら己の芸の完成を目指した時代を描きつつプロローグとエピローグ、更に幕間では老いた鬼卵と定信が対話を繰り返すという形式で進行する。 みなもと太郎氏の「風雲児たち」の大ファンなので松平定信が「朱子学以外は学問として認めない」だの「娯楽なぞ無くても構わん、質素倹約が第一」といった政治を行うかなり独善的な人物であったというイメージは持っていたけど、本作は年を取っても定信が藩政に口出しをする困ったチャンとして登場するので大笑い(ちなみにこの作品、韮山代官の江川家やら林子平の名が出てくるので「風雲児たち」ファンは読んでいてニヤニヤすること請け合い) こんな定信を対置させるからこそ、文人墨客として生涯を送った鬼卵の来し方が輝くのだとも言える。 第一章では狭山騒動の煽りで扇腹(武士として死ぬ事を許さない処刑)を受ける羽目になった村上庄太夫の死の真相を明かす「失政録」をアンダーグラウンドで出版した事を切っ掛けに筆に賭けた鬼卵の人生は始まり、そのままジャーナリスト的な人物へと成長を遂げるのかと思わされたのだがそうはならないからこそ面白い。 師匠からは「お前の手からは鬼も蛇も生まれる」と無限の可能性を秘めている事を告げられ文化の中心地・上方で狂歌師や絵師を目指したはいいが、まるで芽が出ず当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった円山応挙と自分の才能を突き付けられ「ものが違う」と絶望したりと停滞の時期を過ごした挙句に三河吉田(現在の豊橋市)へと都落ちする羽目になったり、若い嫁を貰ったのはいいけど病で先立たれたりして「わしゃ、何のために生きているんだ」と無気力状態に。 特に天明の浅間焼けで始まった大飢饉を前に「文人墨客とかこのご時世において何の役に立つのや」と自問するに至っては小説読みの一人として「クリエイターがそれ言ったらお終いじゃん」と嘆き節を漏らしたくなるのだが、そこまで自問し絶望して一度クリエイターとして死にかけたからこそ復活の力強さが描き出せるのだとも言える。 やがて大成した鬼卵は冒頭で尋ねてきた定信を相手に真っ向からその政治に異を唱える様な対話を重ねるのだけれども、その姿は若い頃に狭山騒動で見せた義侠心を滾らせる様なものではなく、様々な文化人と交流し、自身も創作の世界に向き合ってきた事で生まれたユーモアセンスを交えたしなやかで強かなセンスを纏っていた事に注目したい。 鬼卵が定信に披露した「世の中の 人と煙草の よしあしは 煙となりて 後にこそ知れ」という歌を思うに本作は停滞期も含め紆余曲折を経て大阪生まれの文人の卵が豊橋から三島といった東海道のあちこちを渡り歩く中で一代の文化人として花開くまでを描いた「成長物語」であったのだなと思い知らされる。同時に鬼卵と対峙した定信が身内からも厄介者扱いされる境遇において「救い」を得る物語であったのだとも。 ただ、鬼卵の人生はまことに興味深いのだけど、その人生の取り上げるべき部分をもう少し絞り込めればなあという気も。特に第二章の鬼卵の停滞期を描いた部分は都落ちから愛妻との死別、天明の大飢饉に朝鮮通信使の接待と面白そうなエピソードが連なるのだけど、作者が「あれも、これも」と目移りしすぎたのか若干焦点となる部分がボヤけてしまった様な印象が残った。 第一章が狭山騒動を巡る顛末に絞り込んで構成されてスッキリとまとまっているだけに余計にその焦点がバラけた様な印象が強まってしまったのかもしれない。 ともあれ、名前からして初めて知った栗杖亭鬼卵の人生はまことに興味深いものであり「江戸時代中期にこんな文化人がいたのか!」と知る事が出来るだけでも十分に楽しめる内容にはなっている(ここいらも「風雲児たち」的ではある) | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 4件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|