孤城 春たり
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備中松山藩と聞いてピンと来る人はそう多く無いと思われる。幕末を題材にした作品であれば薩摩や長州、土佐、はたまた水戸や会津といった歴史を大きく動かした諸藩と比べても圧倒的に地味な存在であるかと。 本作に登場する儒学者・山田方谷にしても幕末を齧った程度の方であればまず聞き覚えの無い人物ではないだろうか?元より無学なもので名前ぐらいしか存じていなかったのだが、これが途方もない傑物だったらしく傾いていた藩財政を立て直す傍らで学問を続け、河井継之助の様な幕末のキーマンが教えを乞いに伺い、果ては徳川慶喜の大政奉還の詔の原案まで作り上げた人物と申せばその人物の一旦は伺えようかと。 深く知れば知るほど底が知れない人物であり、あの司馬遼太郎をして「立派過ぎて題材にするのは困難」と言わしめた事もあるのだとか。そんな人物を作者の澤田瞳子はどう扱ったのだろうか? 答:山田方谷を主役に据えねば宜しい 山田方谷を題材にした作品なのに山田方谷が主役を務めなきゃ詐欺だろという方もおられるかもしれないが……ちっと待ちなよお兄チャン、物事には順序って物があるんだ(突如ガラが悪くなる) 簡単に言うと本作は連作短編のスタイルを取っているのである。全5章から構成されているのだけど、各章で主役を務める人物は異なっている。無論熊田恰の様な歴史に名を残す人物が主役を務める章もあるのだけど、塩田虎尾となると「誰だよ、それは?」となる方が多いだろうし2章・3章の登場人物に至っては完全に市井の人物、それも潰れた菓子屋の跡取りや学問好きな武家の女子という歴史に名を残しようもない人物なんである。 そんな訳の分からん人物を主役に据えてどうやって山田方谷を描けるのか、はたまた幕末という激動の時代を描けるのかと疑問は当然に湧くだろう。だが、歴史に名を残し得ない人物、何の力も持たない時代の荒波に翻弄されるだけの一個人を通じてこそ描けるものもある。 むしろ「翻弄されるしかない、個人の力のちっぽけさ」を描くからこそ幕末という時代の本質が描けるのだと申し上げたい。山田方谷の様な偉大な知性にしても結局は時代の変化を覆す事など叶わなかったのだから。 申し上げておけば方谷の才能を見抜き、藩の財政改革を一手に任せた備中松山藩主の板倉勝静は徳川慶喜に老中として仕え、最後まで忠義を通そうとした=函館戦争に至るまで薩長に抵抗し続けた人物なのである。主君がこういった人物ではいかなる才の持ち主であろうと運命に従う以外には無いのである。 だから本作に登場する人物は基本的にオロオロしている。オロオロしているという言い方が悪ければ暗中模索していると申し上げるべきだろうか?260年にわたる太平の中でボンヤリしていたのは徳川幕府だけでなく当時の日本人は基本的に時代の変化などまったく予期せず、いざ幕末という激流が押し寄せてから初めて「どうしよう、どうしたら」と迷い始めたのである。 知性とはこういった暗中模索の時期にこそ意味を持つものなのかもしれない。それまで「これで良い」と明確だったものが次々と崩れていく中で「無力な自分は何をするべきなのか」という、ともすれば問われるプレッシャーだけでも押し潰されそうな問題に対して初めて方谷は「こう考えてはいかがか」と口を開く。 方谷の言葉は直接的な解答にはなっていないかもしれない。そもそも個人の人生に答えを出すのはあくまで当人だけであって方谷はただひたすらに「捨て鉢になって人生から降りるな」と諭すだけに留まっている。だが、その生き続けよという新たな命題が与えられたからこそ人はどんな状況になっても自分で答えを見つける為に生きねばと思いとどまるのである。 そもそも方谷が全知全能という訳では決してない。時代の流れとともに幕藩体制の、徳川幕府の崩壊は避けられない物となり作中で主君の勝静が「わたしは―わたしは愚かだ。何が老中だッ。何が松平楽翁公(定信)の孫だ。わたしは決して、徳川二百六十年の歳月の幕引きに立ち会うために、板倉の家督を継いだのではないッ」と慟哭する日を迎えてしまうのである。 そして勝静の取った選択は代々藩主として引き継がれてきた備中松山藩を捨てて徳川に忠誠を貫くという幕藩体制が盤石な時代であれば考えられない「お殿様の脱藩」とでも称するべき行動だったのだから方谷にしても仰天したであろう。 最終章は山田方谷という偉大な知性がその個としての限界を突き付けられる展開になるのだが、それでもなお「国破れて山河あり」と杜甫の詩に立ち返り「人は何があっても生きてゆかねばならぬ」と諭し続ける……が、時代の流れは時に犠牲を求めてくる。 勝静の江戸退却を受けて官軍から「朝敵」の扱いを受ける事になった備中松山藩は身の証しとして生贄を要求される事に。一つ間違えば会津藩同様の運命を迎える事になったであろう備中松山藩を救うために何より大坂から故郷へ戻った藩兵150人の助命の為に「されば自分の首を」と全てを引き受けた熊田恰の非業の死が描かれる場面では涙を抑える事が出来なかった。 この悲劇の場面、澤田瞳子の才が惜しげなく発揮されている。妻子の待つ故郷を目前にしながら愚痴一つ口にせず悄然と全てを受け入れた熊田恰の姿は悲劇その物なのだけれども、作者はここに僅かなコメディを混ぜ込むのである。最後の時を待つ恰が所望した最後の一服を用意しようと山田耕三や三浦泰一郎がアタフタする姿が悲劇的シーンをより鮮烈に仕立て上げていた。 本作は熊田恰の死で幕を閉じるのだけど、方谷の人生はこれで終わった訳では無いし(その後も函館で往生際も悪く抵抗し続けようとする勝静に迎えの船を送っていたりする)、商人の身から士分に取り立てられ、遊学の旅に出た前半生には全く触れられていない……が、人生を丸ごと描こうと思えば全10巻ぐらいになりそうな山田方谷を題材にしようとするのであればこの辺りが妥当という所であろう。 太平洋戦争での敗北なども含めてとかく「負け戦」というのはそれまでの常識をガラリと一変させるものではあるけれども、失政続きのこの20数年間で敵もいないまま再び敗戦を迎えつつあるこの国で「どういきていったら」とお悩みの方も少なくないかと思われる。 個人のちっぽけさを思い知らされる事も多かろうと思われるが、時代がどうなろうとも個人は生き続けていかねばならない、という方谷の教えを学ぶ上で本作は良いヒントになるのではないか……そんな事を想わされる幕末の荒波に翻弄される小国に生きた人々を描いた一冊であった。 | ||||
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そして、激動幕末の奔流をゆく。 備中松山藩、学者として藩に仕え尽力した山田方谷と、方谷を慕う人々を描く。 五常五倫、人を思いやり信じること。 ”万人を慈しまん”と、”至誠を以って生きんとする”、その理念。 ”春は必ず巡ってくる”と信じて。 胸が熱くなるとき。 | ||||
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