■スポンサードリンク
じんかん
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
じんかんの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全110件 21~40 2/6ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
世間では、悪人として描かれている松永弾正久秀の生涯を、別の視点から描き、新たな松永弾正久秀像を作り上げたような爽快感のある作品で、とてもおもしろい作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦国の将、松永久秀の一生を、夢のように掘り下げて下さっている。 歴史教科書での1行を500ページの小説にしたような感じでした。 特に日夏とのエピソードが… 素晴らしいと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
生きることの意味を考えさせる良作であり、他の方のレビューにもあるように是非、大河ドラマで見てみたい作品 ただ、「零す」(こぼす)と言う言葉がやかましいほど使われている。 新しい言葉を知ってやたら使いたがる子供のようで鬱陶しかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上司に勧められ読みました。 松永弾正ついて初めて知ることができました。弾正の人生を知るごとに熱い気持ちになりました。歴史書ではありますが人々の動きなど現代に通じるものがありぜひ読んでいただきたい一冊 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦国の悪人、梟雄と言われた松永久秀の生涯を描く。 史実でははっきりしない久秀の少年期から、作者の素晴らしい想像力で描かれる。 読み始めたら止まらない。 圧倒的な描写力、惹き込まれるストーリー、震えるセリフまわし。 この小説を読み終えた時、この世に言う大悪人が、誰よりもカッコ良く、大好きになっていた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
細部までこだわって映画化して欲しい。登場人物の名前が難しく、途中混乱してしまうこともあったが、ストーリーとしては凄く面白く、深みのあるものであった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間は仏教用語で「にんげん」と読みます。 何故かと言えば、仏教用語は呉音だから。 人間に仏教用語以外の意味(人間をヒューマンの訳語として当てた)が一般的に普及するのは明治時代以降の学校教育の普及による。 だから、「じんかん」という題名自体からして考証が足りてないと言える。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ただの記載ミスかな? ハードカバー買いたいのに 買ったら英語だったらと思うと怖くて買えません | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一気に読みました‼️最初から予想させない展開、松永久秀が好きになります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
を松永久秀を通じて考えさせられる。これだけの激動の人生を生きなお生きる意味を考える。 そこに宗教、天文学、茶道、が絡められて面白く読める。人との関係、贖えない力に身を置き死にものぐるいで生きる意味を模索する主人公には畏敬の念とともに親近感も感じる。 とても良い時代小説。ボリュームはあるがお勧めしたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今年は三好長慶(1522-1564)の生誕500年に当たり、堺博物館が特別展を開いている。私も「三好一族」のにわか研究生となり、三好研究の両巨匠、今谷明氏の『戦国三好一族』と天野忠幸氏の『三好一族』を読んだが、そこに書かれたもう一人のバイプレーヤー松永久秀に強く惹かれた。歴史教科書は、松永は三好氏を乗っ取った大悪人とし、そう思ってきたが、両書は逆だ。天野本は「松永が三好を欺いたという一次資料はない」と断定している。両書に出てくる松永は三好一族に最後まで忠誠を尽くしたと読める。おかしい。 そこで関連書を検索して本書に行き当たった。今村翔吾氏は存じ上げなかったが、なんと購読している朝日新聞に連載小説を書いておられる定評のある時代劇作家と知った。本書は「第41回吉川栄治文学賞」を受賞している。不明をお詫びしたい。良き小説は歴史書のそっけなさを味付けしてくれる。松永久秀の内面を探るのに小説という形式は最適だろう。本書を読むと久秀が生き返ってくる。 作家は小説の中で久秀の「三つの悪行」を明確に否定する。織田信長が徳川家康に久秀を紹介する時の言葉だ。信長は「この男、人がなせぬ大悪を一生に内に三つもやってのけた」と言う。三つとは、「主家を凌ぎ、将軍を殺し、東大寺を焼く」だが、久秀は下剋上が当たり前の乱世で、身を潰してまで三好家を守ろうとしたとするのが。この小説のメインストーリーだ。将軍照輝を殺したのは、久秀の思料に反した三好長慶の継嫡子義興と久秀の嫡子久通の軽挙だったし、東大寺を炎上させたのは松永勢ではなく、松永に対抗した三好三人衆だった。前掲の歴史書もそう書いている。小説は信長自身がその真相を知っているとして、信長と久秀の心情の共通点を示唆する。心憎い作りである。 松永久秀の出自は明らかでない。小説は久秀の性格形成のエピソードとして、魅力的な話を作り上げる。語り様も凝っていて、久秀自身に話をさせるのではなく、安土城の天守閣で、久秀から聞いたとして、信長が小姓頭の狩野又九郎に打ち明ける。その語りを通して信長の松永に対する信頼感もを見せる仕掛けになっている。 話は十四歳になる九兵衛(久秀の幼名)と九歳になる弟の甚助が少年の窃盗団の仲間入りした時から始まる。両親は京郊外の西岡と言う地で小商いをしていたが、父は米を徴発に来た細川家の足軽に殺され、貧窮の中で母も死んだ。二人は寺に預けられるが、稚児趣味の坊主の元から逃げ出す。二年後、少年窃盗団は強盗に失敗して殺され、二人は別の寺に収容される。ここの老僧は三好家の密偵だった。その伝手で境に行き、同じ乱波の武野新五郎(後の紹鴎)宅に身を寄せ、茶道を仕込まれている時に、武野の雇主三好元長と出会い、兄弟で仕官することになる。エンターティメント小説に恥じず、その他久秀の初恋の日夏なども登場し、登場人物たちは後に再登場し、それぞれきっちりと落とし前をつける。 元長は祖父之長を堺で細川高国の謀略によって殺された後、故郷の阿波に戻って雌伏六年の後、再び堺に攻め入る企てを持つ。久秀は元長の密偵として大和に柳生家厳を訪れ、野武士500人を集めて元長の侵攻を助ける(家厳は後に久秀の軍事顧問となる)。小説では堺衆がこれらの野武士を雇い入れて町を警備させ、自治制度を作ることになる。元長は(堺公方と名乗る)足利義維、管領細川晴元と共に堺に居て、久秀に都を支配させる。近江に逃れた細川高国は5年後大軍を率いて上洛し、尼崎で打ち取られるも、次第に力を増してゆく元長に恐れを抱いた将軍義晴と晴元が示し合わせて、一向一揆を焚き付けて元長を襲い、元長は切腹して果てる。享年31歳。豪胆な元長は久秀と息が合った。元長が生前久秀に語った夢は、世の中の支配者を天皇や武士ではなく民衆に移行させること。この突拍子もない発想が元長のどこから出て来たのかを小説は明らかにしない。堺の自治制度はその始まりだったのだろうか。その言は久秀の心に刻み込まれた。久秀は元長の幼い遺児たちを連れて阿波に脱出する。 久秀は今度は元長の嫡子元慶の被官となった。十六年後、元慶は父の仇き細川晴元を打ち取り、余勢をもって畿内の大半と四国の半分を収める大大名になっている。そうなればなるで、将軍家や管領家の内輪もめに巻き込まれ、さらには肥大する三好家内部の統制にも悩むことになる。久秀も三好家家臣の嫉妬にさいなまれる。元慶は連歌や茶道、能を好む教養人で軟弱なところがあったと言われる。年齢を重ね、嫡男長興の死もあって気弱になった長慶は讒言も信じやすく、弟の安宅冬康が謀反を企んでいるとの噂で彼を殺し、その後悔から二か月後に死んだ。讒言の主は松永久秀とも噂され、彼も家中に居辛くなるが、元慶から継嫡子で甥の義継を後見してくれと頼まれており、三好家三人目の被官となる。元長の遺言「政治を民衆に預ける」は結局元慶には伝えずじまいで、義継に言ってみるが、凡庸な彼には理解できない。 三好を憎む将軍義輝が国人を扇動して一揆などを企てるのを、浅慮で血気にはやる若い義継が久秀の嫡子久通等と図って誅すが、それは久秀の思慮とは正反対のものだった。案じた通り味方が離反してゆく。久秀は信長に頼みこんで義継を被官させるが、三好家乗っ取りを企む三人組(歴史書はそこまで明言していないが、小説はそう書くことで、善悪をはっきりさせる)は十九歳の義継を籠絡し、信長が追放した将軍義昭を抱え込む。義継は三人衆のたくらみを知り、久秀のもとに逃げ込む。久秀は織田軍が上洛するまで三人衆等の連合軍との戦いに持ちこたえて義継を安堵してもらい、自身も信長の臣下に収まる。それから五年後、武田信玄の上洛が伝わると、義継はまた三人組にたぶらかされて信長に逆らう。信玄は上洛途中で命を落とし、無傷の信長軍との勝ち目のない戦が始まった。久秀はこの度も義継に従う。今度の謀反を信長は許さなかった。その後は御存じの通り。久秀は信長が安土城建設の参考にしたという四層の楼閣を有する豪奢な信貴山城で、名器平蜘蛛の茶釜を抱えて自爆する。享年六十九歳。 松永久秀とは何者だったのだろう。神も仏も信じないリアリストでニヒリストだったと作家は書く。武士に嫌気がさし、民衆を信頼しようとしつつ、しばしば敵対した。だが信長のように民衆を根絶やしにしなかった。真のニヒリストだったからこそ異常なほど明晰に、執着して物事に対処できた。そういう人物を今東西古今の小説は数え切れないほど取り上げて来たのではなかったか。今村翔吾氏はもう一人の時空を超えた超人を世に生み出したのである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
謎の多い武将の魅力を余すところなく、描き切っている。 とりわけ多才でありながら、裏切りの連続であったとされるが、不思議な人身掌握術があり、これがまたとない煌めきである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
九兵衛が松永弾正になった足跡を人間の心の葛藤から解き明かしており読みごたえがあった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これまでの松永久秀像を覆す物語。 これまでの歴史小説家は話を面白くするために歴史の舞台で松永久秀を悪人として描いてきました。 しかし、戦国時代に果たして、善と悪をきちんと分けられるものなのか?と改めて疑問に思います。 斎藤道三しかり、松永久秀しかり。 本当の悪人なら、民はついてこないはずです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本の冒頭、久秀の信長への二度目の謀反を又九朗が信長に伝える場面で、信長に「鎮圧には少将を行かせる」と言わせているのだが、ここの説明で「一昨年遂に決行した甲斐の武田攻めと同じ陣容、つまり大軍を興すということである」と書いている。 ところが久秀の二度目の謀反は天正五年であり、信忠が総大将として武田征伐を行ったのは天正十年なのだ。あるいはこれではなく、天正三年の信忠が総大将として行った岩村城(秋山信友)攻めを指しているのかもしれないが、「前年」ではないし、大軍でもない。 冒頭から史実を全く無視しているので読書はあきらめました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
歴史上に埋もれたビックネームに深い余韻m( -_・)?得た❗ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
松永久秀…何か変わったオッサン武将やったみたいやなぁ、と思っていました ところが、ところが… 今村翔吾の紡ぎ出す久秀の物語りの何と爽快なこと 人とは、この世とは、神仏とは、、、 読み終えた後も爽やかな風が部屋を満たしていくような作品です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
信長公が小姓頭・狩野又九郎に、問わず語りで聴かせる松永九郎弾正久秀の生涯は、『やり方より在り方』という、いつの間に見失っていた大切な事を思い返させて、何度も感涙しながらの読者体験となりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全編通じて、 この一言にこの作品の全てが詰まってるような気がします! 自由と民主主義とは 結局、望むものではなく、 任せるもの… 信じたいものを信じ、 騙されてようが為政者に任せるほうがラク。ついていけなくなったら、 後で責任を取ってもえばいいや! いつの時代の人も、これなんだと痛感した…民衆(国民)も悪い… | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
根拠がだされない新解釈の松永の小説であるため、共感できませんでした。 なんでもいい風に解釈していけば結構なんでもありの話しになります。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!