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JR上野駅公園口
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JR上野駅公園口の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 21~35 2/2ページ
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戦後の日本の歴史の中で皇室が果たしてきた役割がきちんと冷静に描かれているところが気に入った。 | ||||
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なかなか、評判どおり面白いです。 | ||||
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アメリカで大きな賞をとったと聞き、どこがアメリカに選ばれたのか?この文章はどんなふうに翻訳されたのかと思いながら読み始めました。格差社会、原発、大災害、生きること死ぬこと、日本とアメリカの人々がそれぞれ興味があること、知りたいこと、考えなければいけないことが大きな時代の流れの中で描かれています。 読み続けるのが苦しい場面もあったけれど、後半猛スピードで読みきって気がつくと一晩で読みました。 たまたま主人公がホームレスだったけど、読後にそれは父であったかもしれないと思い、苦しくなってお墓に父を訪ねました。あの時はわからなかったけど、今なら少し父のことがわかるような気がします。 人が死ぬのは見えるのよ、苦しいけどそのあとも行き続けるのよ、でも自分が死ぬのはわからない、だから生きてるのは苦しい。柳さんが言いたいことのひとつはそういうことかな。 ずいぶん前に読んだ柳さん作品よりも、ずっと心にしみました。 | ||||
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茨城弁を知悉する作者が、近親方言の福島のイディオムの憑依を受けて深い所からその喪失を代弁する。 | ||||
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柳美里さんの作品を読むのが なんとこれが初めてなのですが お恥ずかしい話まったくいままで 読むことをせず、彼女の影響力の大きさとか そういうものとかに目がいっていました。 今回この作品を読んで311を忘れないようにしようと 思いました。 当たり前に暮らせることがいかに幸せなんだろう?って 思いました。 難しいことはうまく言えませんが、本当に災害の怖さを 感じる作品でした。 | ||||
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本書は2014年に発行された。2020年に全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した。私は以前、上野駅から徒歩10分ほどのところに住んでいたことがあり、度々上野駅にも、公園にも、その敷地内の美術館・博物館にも行っていたので興味を持った。また、たまたまカミさんが本書を持っていたので読んでみた。 (以下、内容についても言及) 1933年生まれの東北出身の出稼ぎ労働者が主人公。彼は浄土真宗の宗徒である。住職の言葉によると、「往生は仏様に生まれ変わることなので、悲嘆に暮れることはない」。 柳氏は、ホームレス、住職、元小学校教員、方言指導者などに取材しており、リアルである。参考文献は27冊、参考ウェブサイトが1つ挙げられている。 私の仏教への知識不足で本作を過大評価している可能性はあるが、私には十分ためになった。 付け加えて、装幀の荒涼とした写真がいい。 (付記)私が検索して見つけたウェブサイト(Scroll.in及びBooks and Bao)によると、本書の翻訳者Morgan Giles女史(米国人)はロンドンの古本屋で本書を見つけ、英訳しようと考えたとのことである。なお、Giles女史は南相馬市を訪れて、柳氏に会っている。この翻訳者と出版社のTilted Axis Pressの着眼点は素晴らしいと思う。私は受賞で話題になるまで本書に全く気づかなかった。 | ||||
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レビューで、主人公が自死したのは3・11大震災のあとと書いているかたがいますが、 主人公が自死したのは、2006年の「山狩り」の日、73歳(昭和8年生まれ)のときです。念のため書いておきます。 主人公は、死後に「彼の世」から、津波で死んだ孫娘を俯瞰していたのだと思います。 | ||||
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特にありません。 | ||||
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身も蓋もない、希望のない、剥き出しの現実から取材した小説。 そのことは、この国の閉塞感、やりきれなさと直に繋がっているのが読み進むにつれて夜明けの薄明のように立ち上がり、明らかになってくる。 当たり前に暮らしてゆける「場」がない、あったとしても永くは続かない。 主人公はじめ、周囲の人びとも吹き寄せられ、朽ちてゆく。ひとりびとり、ポツリ・ポツリ。 主人公は生活や子どもたちの教育のためにずっと出稼ぎ続きだったが、それも徒労で終わる。 ありふれた、どこにでもある不運。が、トルストイの言うように、それぞれの不幸は皆別々の表情をもって、蔓延している。 真島橋をすぎて右側へカーブを切り、坂道を降りていくと、 松林の中を海風が吹き抜ける右田浜キャンプ場が広がっていたのに、そこは再開に至っていない。 万葉集にも歌われた(3−396)真野川河口が大きく開けていたため、津波の怒涛に晒されしまった。 祖父思いの孫の麻里が車中で津波に巻きこまれたのは、その辺りに思えてならない。 | ||||
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この小説は、上野公園でホームレスとして生き、死んだ男が主人公ではあるが、ホームレスの話ではない。 天皇と同じ年に生まれ、また長男が皇太子と同じ日に生まれたから浩一と名付け、 原ノ町駅では「天皇万歳」と叫び、特別清掃「山狩り」に翻弄されるが、天皇の話でもない。 この小説は、ひとは誰しも独りでは生きることができない、という 古今東西の名作がテーマとしてきたことが描かれている。 ホームレスとなった男に、シゲちゃんという物知りのホームレスが、上野公園の成り立ち、 東京大空襲、西郷隆盛と彰義隊、いろいろなことを教えてくれる。 (猫のエミール(ルソー!)を田中正造になぞらえるシーンは、笑いがこみ上げました) ところどころに差し込まれる通行人による声、 重要なモチーフになっている浄土真宗の経文を読み上げる声、 ラジオから流れてくるアナウンサーや政治家の声、 声という声、音という音が、この小説からは溢れだしてくる。 こんなにも聴覚を刺激される小説は初めて読みました。 ラストシーンでは、東日本大震災が起こる。津波の描写が胸に迫る。原発事故は描かれていない。 警戒区域を中心に、放射能汚染ばかりが注目される東日本大震災ではあるが、 津波による被害が忘れられがちになっている今こそ、改めて読んで良かったと思う。 読み終わった後、そっと目を閉じてみる。 すると、聞いたことのない相馬弁が、ありありと浮かんでくる小説です。 公式ブログの「あとがき」が公開されていたので以下、引用しておきます。 http://blog.goo.ne.jp/yu_miri/e/cacf46e952e8f3b6df63ad66bdeb6770 この小説を構想しはじめたのは、12年前のことです。 2006年に、ホームレスの方々のあいだで「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。 「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施1週間前、2日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。 上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前7時から、公園に戻る5時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。 真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。 「山狩り」の取材は、3回行いました。 彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると――、70代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。 「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。 彼が描いたのは、屋根と壁――、家でした。 その後、8年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、5冊の小説と2冊のノンフィクションと2冊の対談集を出版しました。 2011年3月11日に東日本大震災が起きました。 3月12日に東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発、14日に3号機が水素爆発、15日に4号機が爆発しました。 わたしは、原発から半径20キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた4月22日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。 2012年3月16日からは、福島県南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを務めています。 南相馬在住・南相馬出身・南相馬に縁がある「ふたり」と話をするという内容です。 2月7日現在で、第94回まで放送されたので、200人以上(ゲストが3人以上の時もあるので)の方々とお話をしたことになります。 放送とは別に、南相馬市内(主に鹿島区)にある仮設住宅の集会所を訪ね、お年寄りのお話を聞きに行くこともあります。 この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。 家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるために避難生活を余儀なくされている方々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの方々の痛苦がわたしの中で相対し、二者の痛苦を繋げる蝶番のような小説を書きたい、――と思いました。 それから、南相馬と鎌倉の自宅を往き来するあいだに、上野公園近くのホテルに泊まるようになりました。 上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました。 昨年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。 先日、東京五輪の経済効果が20兆円、120万人の雇用を生むと発表されました。宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンTVなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。 一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。 オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。 多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。 「感動」や「熱狂」の後先を――。 2014年2月7日 | ||||
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公園の掃き溜めは、流れ流された人たちの最後の場所だったのだろうか。 とつとつと語る「福島弁」だから悲しいのだろうか。 はたらけどはたらけど・・・ 不器用なのか、時代のせいか、政治により仕組まれた、ごく平凡な人たちを呑み込む奈落のせいか。 作者のつづる「訛り」は付け焼刃ではなく、しっかりと伝わる。 地元の人でもあるまいに、ホームレスのお国訛りの声を聞き取る姿勢が、彼らの死をも「生かす」ことになっている。 原発事故で避難された人を、「危険極まりない迷惑な人たち」という風潮は今も厳然とあるが、そういう「自分のところだけは大丈夫」はもはや通じないこの国である。 | ||||
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ストーリーの展開が映画のフラッシュバックを彷彿とさせるような手法でバラの名前も知らない私にも 脳裏に各種のバラの花が浮かんだ。そして地名や地域の訛りをふんだんに表現されていて内容的には 暗くても心は弾んだ。地域の訛りをよくあそこまで聞き取れたというのがある種驚きでもあった。 | ||||
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一生懸命に淡々と薄っぺらな人生を歩まざるを得なかった。 日本を積み上げてみたものの人とはあらぬ方向へ進んでしまった。 社会との関わりが薄いと人生そのものが薄っぺらくみえる日本。 その人らしい人生と今更言われても自分探しはもう遅い。 作者らしい時事問題の中にある人生が描き方 映像や寒暖、臭気を文章化させたら当代一の作家だ。 | ||||
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上野公園にテントを張って生きるホームレスの中には東北出身者が多い。主人公は福島県相馬郡出身で、かつては出稼ぎで働き東京オリンピックにも貢献した。しかし今はすべてを失ったその日暮らしのホームレスだ。今上天皇と同い年で、皇太子と同じ日に生まれた息子に浩一と名付けたが、虚しい。天皇の裏側に生きる男に人民の自由はない。3・11を経た日本が再びオリンピックに向けて、被災者も原発の危機も顧みないでひたすら突き進む先に何があるのか? 考えさせられる、柳美里久々の傑作。 | ||||
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この小説は、上野公園でホームレスとして生き、死んだ男が主人公ではあるが、ホームレスの話ではない。 天皇と同じ年に生まれ、また長男が皇太子と同じ日に生まれたから浩一と名付け、 原ノ町駅では「天皇万歳」と叫び、特別清掃「山狩り」に翻弄されるが、天皇の話でもない。 この小説は、ひとは誰しも独りでは生きることができない、という 古今東西の名作がテーマとしてきたことが描かれている。 ホームレスとなった男に、シゲちゃんという物知りのホームレスが、上野公園の成り立ち、 東京大空襲、西郷隆盛と彰義隊、いろいろなことを教えてくれる。 (猫のエミール(ルソー!)を田中正造になぞらえるシーンは、笑いがこみ上げました) ところどころに差し込まれる通行人による声、 重要なモチーフになっている浄土真宗の経文を読み上げる声、 ラジオから流れてくるアナウンサーや政治家の声、 声という声、音という音が、この小説からは溢れだしてくる。 こんなにも聴覚を刺激される小説は初めて読みました。 ラストシーンでは、東日本大震災が起こる。津波の描写が胸に迫る。原発事故は描かれていない。 警戒区域を中心に、放射能汚染ばかりが注目される東日本大震災ではあるが、 津波による被害が忘れられがちになっている今こそ、改めて読んで良かったと思う。 読み終わった後、そっと目を閉じてみる。 すると、聞いたことのない相馬弁が、ありありと浮かんでくる小説です。 公式ブログの「あとがき」が公開されていたので以下、引用しておきます。 http://blog.goo.ne.jp/yu_miri/e/cacf46e952e8f3b6df63ad66bdeb6770 この小説を構想しはじめたのは、12年前のことです。 2006年に、ホームレスの方々のあいだで「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。 「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施1週間前、2日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。 上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前7時から、公園に戻る5時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。 真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。 「山狩り」の取材は、3回行いました。 彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると――、70代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。 「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。 彼が描いたのは、屋根と壁――、家でした。 その後、8年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、5冊の小説と2冊のノンフィクションと2冊の対談集を出版しました。 2011年3月11日に東日本大震災が起きました。 3月12日に東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発、14日に3号機が水素爆発、15日に4号機が爆発しました。 わたしは、原発から半径20キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた4月22日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。 2012年3月16日からは、福島県南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを務めています。 南相馬在住・南相馬出身・南相馬に縁がある「ふたり」と話をするという内容です。 2月7日現在で、第94回まで放送されたので、200人以上(ゲストが3人以上の時もあるので)の方々とお話をしたことになります。 放送とは別に、南相馬市内(主に鹿島区)にある仮設住宅の集会所を訪ね、お年寄りのお話を聞きに行くこともあります。 この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。 家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるために避難生活を余儀なくされている方々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの方々の痛苦がわたしの中で相対し、二者の痛苦を繋げる蝶番のような小説を書きたい、――と思いました。 それから、南相馬と鎌倉の自宅を往き来するあいだに、上野公園近くのホテルに泊まるようになりました。 上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました。 昨年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。 先日、東京五輪の経済効果が20兆円、120万人の雇用を生むと発表されました。宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンTVなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。 一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。 オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。 多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。 「感動」や「熱狂」の後先を――。 2014年2月7日 | ||||
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