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JR上野駅公園口



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【この小説が収録されている参考書籍】
JR上野駅公園口

JR上野駅公園口の評価: 3.69/5点 レビュー 58件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.69pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全13件 1~13 1/1ページ
No.13:
(1pt)

読みづらい

とにかく読みづらい。つまらない。苦痛。人生で唯一の完読できなかった本。
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4309022650
No.12:
(2pt)

暗く

重い
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4309022650
No.11:
(2pt)

小説としては

2014年に出版された本だが、アメリカで翻訳文学部門の大きな賞を受賞したことで購入。
期待して読んだが、主人公がどんな人物なのかなかなかつかめず、感情移入することが難しかった。
大きな山場はいくつかあるが、それ以外のほとんどは退屈な読書だった。というか、これでもかというほどわかりにくい。
海外で賞を取ったのは、天皇制、先進国のホームレス、フクシマ、という現在の日本社会の矛盾や問題点を描いていることに選者が反応したのだろう…と思った。
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4309022650
No.10:
(2pt)

話題でしたが、、

面白くなかった。
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No.9:
(2pt)

期待しましたが

アメリカでも評価されたと雑誌time誌に載っていたので期待して購入。私には何も響きませんでした。
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No.8:
(1pt)

話が変わりすぎる

まず読んでいて、話が過去、現在と変わるのですがその変わり目が曖昧すぎて話に集中できませんでした。
そんな繰り返しをしているうちに感情移入など出来ようはずもなく「ただ文字を読んでいるだけ」になってしまい、30ページを行く前に時間の無駄だと感じゴミ箱行きとなりました。
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4309022650
No.7:
(2pt)

淡々と読んだ

悲しいことがたくさん起きるがどうも感情移入ができなかった。
また、上野でのご婦人方の会話等どうでもよすぎて読み飛ばしてしまった。
文体も私の好みではなかった。
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4309022650
No.6:
(1pt)

読むに堪えない

冒頭から、空想と現実がごちゃごちゃしている。文章は拙いと思う。
苦痛になり読むのをやめた。

なんだかすごい賞をとったらしいので、たぶん面白いんだろうな。
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4309022650
No.5:
(2pt)

流れが読み取りにくい

主人公に起きたことと、ホームレスになった事情、描かれている時間軸、天皇家への思い、それらの流れが度々止まったり急展開して、読む側はどこに感情を用意すればよいか戸惑う。私の頭ではなかなか理解が難しかった。
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No.4:
(1pt)

伝えたい事はなんだろう

地方出身者の自分には、ただただ辛い本だった。感受性が足りないのかな。
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4309022650
No.3:
(2pt)

読みづらかった

ヒラヒラする部分と 詳細なデータ部分 私的には 読みづらかった。これが アメリカでは 賞を?
わからない?
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4309022650
No.2:
(2pt)

横の繋がりが少なくやや不満

ストーリー性に乏しく不満足。
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4309022650
No.1:
(1pt)

文学として、評価できるのか?

柳 美里 著「JR上野駅 公園口」を 読んで
著者柳美里(ゆう みり)1968年生まれ 在日韓国人 高校中退 演劇界より小説家に。「家族シネマ](芥川賞)「フルハウス」(泉鏡花賞)「ゴールドラッシュ」(木山文学賞)。本書は2014年河出書房より出版。たまたま米人モーガン・ジャイル氏の目にとまり翻訳され、2020年全米図書賞(翻訳文学部門賞受賞) {TIME紙が選ぶ今年の100冊}にも選出され、目下世間から大きな注目を集めている。

これは一人の女流作家が描いた「ホームレス人生没落物語」。ショッキングな作品テーマでありながら、よく読めば淡々と書き進められた、福島県相馬郡出身の一人の貧乏農民の人生物語。

1933年「天皇」と同じ年に生まれたという主人公は、4男4女貧乏農家の長男。国民学校を卒業後、いわきの漁港に出稼ぎに出た。船の暮らしで困ったのは虱だった。北海道でも働いたが、高度成長期には東京に出てオリンピック工事現場で土木作業をした。その後相馬に戻って結婚、長男浩一長女洋子が生まれた。年から年中借金取りが家に来た。しかし、長男浩一の、妻節子の突然死が重なり、もう相馬では生きていられないと判断、再び家を捨て、故郷を捨て、東京上野公園にホームレスとして暮らし居ついた。残飯をもらえば、空き缶を拾えば何とか日は暮れ時は過ぎていく。しかし3・11大災害、孫娘麻里は突然濁流に消え、もう家族も故郷も孫娘まで失った主人公は生きる力を失い常磐線上野駅2番線ホームに立ちすくみすべてを消してしまおうとしていた。

ホームレス生活の主人公は上野公園口にビニールシートにくるまって毎日を暮らし、その住まいも天皇巡幸の度毎に「山狩り」と称して整理排除の対象とされていながら、天皇の車が目の前を通過していく際には思わず「万歳」と叫ぶ、天皇崇拝の田舎爺。天皇陛下は幼き頃より尊み、この上野公園もかっては天皇様からご配慮頂いた「恩賜」公園。思わず「万歳」と叫ぶ田舎爺の心中には、天皇陛下あってこその自分たちだという幼き頃からの市井の思いが今も生きている。天皇を敬うのは、ホームレスという人生放棄者ではなく、市井の一人という階級意識があった。

以上がこの小説のストーリーだが、僕はこの小説は文学作品ではなく、ひとつの読み物に過ぎないと評価したい。ここには文学が基本とする「生きる」葛藤が描かれていないではないか。作品は、ルポルタージュ方式で、過去を表面的に、淡々と描写しているに過ぎない。読んでいても、ストリーは現在のことなのか、過去の話なのか、混乱してすぐには読み取れない。主人公は貧乏のどん底から這い上がって働きに出たのに、貧しさへの苦しみは描写されていない。貧乏農家の長男は、故郷を後にして出稼ぎに出なければならないのに、そんな生活の悩みや葛藤などはどこにも書かれていない。浩一や妻の死が本人にどんなに苦しいものであったかも、その描写すらない。書かれているのは淡々とした事実ルポルタージュ。そこに生きた一人の人間の苦しみなどは何故か何も書かれていない。ホームレスに転落した主人公の姿が描写しきれてはいない。ホームレスから発するあの悪臭さえ、作品からは匂ってこない。「文学」とは生きる葛藤を、生きる潤いを表現するものではなかったか。しかし、この作品にはホームレスの体臭すら匂ってこない。この作品が何故多くの注目を集めるのか。この作品を文学と評して良いものか?

弟は言うだろう。「兄貴、この主人公の苦しさは、すごく胸を打つではないか」と。僕は答える。文学とは生きる哲学なのだ。天皇やホームレスがテーマに選ばれたことがこの作品の売りかもしれないが、僕は文学としてこの作品を読み、作者が文学作品としてこれを書き上げたなら、これは文学作品として優れてはいないと言い切りたい。天皇やホームレスを興味本位で覗きこむなら、お昼のTVトーク番組で結構だ。文学とは他人の不幸を興味深く覗き込み、これを表現し、読者の興味を満足させようとする世界ではない。人生で人間が如何に苦しみ、いかに生き抜くか、これをテーマに対象を見事に書き上げることが文学ではないのか。この小説には、如何に苦しみ、生き抜くかを一生懸命に書き上げようとした痕跡など、何処にも読み取れない。この小説が米国で大きな文学賞を受賞したとしても、僕には矢張り受賞と作品価値とは別物だと言いたい。弟には悪いが「僕は小説はあくまで文学作品を読みたいなあ。他人の不幸を興味深く覗きこむ物語にはあまり関心はないのだ」と答えようと思っている。これは文学にこだわり過ぎの古老の偏見だろうか。柳美里は立派な文学者として認められた女流大作家である。僕の「文学偏見」にはきっと迷惑するかも知れない。いやそうではなくて、文学そのものが昔と違って、人間の葛藤などをテーマとする時代ではないのかも知れない。

思えば高校時代「太陽の季節」が芥川賞を受賞し、我々は大きなショックを受けた。一橋大学の学生であった石原慎太郎氏はマスコミで大きく脚光をあびた。ある高校教師は言った。「これは文学ではない。君たちはこんな物語に心惹かれていてはいけない。読むのなら日本文化が築きあげた古典文学を読め」と。僕はそんな「文学教育」を受けて、石原小説を斜めに見捨て高校時代を過ごした。矢張り僕は「現代文学」から遅れ、ピントが外れたひとりのカッコつき「文学」にこだわる古老に過ぎないのだろうか?

「文学」とは何か。「感情や思想を、言語や文字によって表現する芸術」である。「太陽の季節」に芸術はなかった。高校時代教室で教えらえた文学とは「文学にはまず人間が書かれていなければならない」と教えられた。「文学が読者や観客をとらえる真の説得力は、それが歴史的な現実の客観的な論理を的確につかみ、これを芸術的に形象化しえること」だ。「文学とは読者や観客に「美的感覚」を生み出すことだけを意図した人為的構成物ではない」「自我や個性を放棄し、現代という空疎な社会に追従し、マスコミ社会の受賞という空疎な報酬に甘んじて、文学という自我を放棄し、芸術という崇高なる歴史的伝統を放棄して良いものだろうか」僕は「JR上野駅公園口」は真正面から読んで これが芸術といえてるだろうか、大きな疑問を持つ一人である。ここには人間が描かれていない。
JR上野駅公園口Amazon書評・レビュー:JR上野駅公園口より
4309022650

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