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(短編集)
逢魔宿り
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逢魔宿りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
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残念なことにページが折れた物が届きました。 | ||||
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本作は短編集で、物語は全5編。バラバラの怪異譚の裏に、共通する不気味な符号がある……という著者お得意の構成になっている。 ただ、その怖さに満足できるかというと、断じてそうではない。 『お籠りの家』の設定は、実にそそられる。しかし、そのおもしろさにブレーキをかけるのが、著者のワンパターン芸「後ろから何かが追ってくるから、必死に逃げて逃げて……どうにか逃げおおせた」である。正直、うんざりする。もういい加減、少しは新しいシチュエーションを考えてほしい。 『よびにくるもの』では、出てくる女性の心の動きが引っかかる。 ぶっちゃけて言ってしまうと、彼女の愚かな行動のせいで大好きな祖母が死ぬ。だが、事件前まではさんざんお祖母ちゃん子を強調していたのに、事件後に彼女の脳裏を占めるのは、怪異が自分に向かってくるという恐怖ばかりである。「言いつけを破ったせいで大好きなお祖母ちゃんを死なせてしまった」ことに後悔している様子が、ほとんど書かれていない。いくらなんでも極端すぎないだろうか。 そして全編の恐怖の質を大きく落としているのが、著者の分身であろう「僕」の存在である。 「僕」は死なない。語り手だから。たまに不気味なことが起きたりするが、結局は無事に終わる。『水戸黄門』における黄門様のピンチと同じだ。最後は無事だとわかりきっているから、ホラーなのにちっとも怖くない。 (まあ、やけに偉そうで、そのくせいちいち謙遜するのが実に嫌らしい『三津田』と、その太鼓持ちの編集者『三間坂』が鬱陶しいシリーズに比べると、まだ『僕』のほうがマシではあるのだが……) 基本「僕」は、怪異の体験者の話を蒐集して小説に仕立てる立場なので、読者にとっては怖い話が又聞きとなってしまう。「僕」に話を教える語り手も、死なずに生きているパターンがほとんどなので(例外はある)「どうせ大丈夫なんでしょ」程度しか興味を抱けないのだ。『ついてくるもの』のような、衝撃的なラストだといいのだが、本作『逢魔宿り』に、同じほどの衝撃はない。凋落著しい。 もう著者は、メタ設定を辞めたほうがいいと思う。毎度毎度、冒頭の「僕が拙作『〇〇』を書き終わってから〜」などという寒いメタ芸に付き合えたのは、次いで語られる物語自体がおもしろかったからである。しかし最近は全然ダメだ。「迫力不足」の一言に尽きる。 「体験者の名前は明かせない」とか「地名も変えている」とかの記述に、リアリティを感じる人がいまどき本当にいるのだろうか。私からすれば失笑ものだ。 ダラダラと、他のクリエイターの作品やその知識を披露するのも、非常に邪魔くさい。はいはい、著者が博識なのはわかったから、早く物語を読ませてちょうだいよ。それとも、ただのページ数稼ぎなの? メタ展開というものは「読者自身が、いまどの世界にいるのかがわからなくなる」みたいな高等テクニックを除けば、作家自身の「お遊び」のような代物である。遊びだけに、ハマればそれなりに楽しいが、スベると痛々しいことこの上ない。そして三津田信三は、最近はもうずっとスベりっぱなしの気がする。 誤解をされるかもしれないが、私は著者のファンだ(説得力は無いだろうが、本当である)。だからこそ激しく言いたくなるのだ。『首無の如き祟るもの』や『八幡藪知らず』のように、物語だけでいいの! 余計なものは要らないの! もうつまらないメタ描写はやめて、ちゃんと面白い「小説の物語」を読ませて!……と。 | ||||
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