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野火



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野火の評価: 4.47/5点 レビュー 101件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.47pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全101件 41~60 3/6ページ
No.61:
(5pt)

『ビルマの竪琴』→『アーロン収容所』に続いて読むといいでしょう。映画(旧バージョン)とは違います。

昨今の日本では、わかりやすいとか簡単にという言葉が横行し、深くものを考えない傾向が高まっています。
池上彰さんが受けるのはこうした時代ならではの流れですが、わかりやすい話が正しいのかといえば、本当にそうなのか疑問です。わかりやすい話には裏がある。何か重要なことを省いたうえで成り立っている可能性が高い、世の中のムードや空気がこうだからといったものに乗っかっているからこそ分かりやすいわけです。したがって、本当の姿なのかどうか疑問です。
少しこの小説でも読んで、歴史を、物を深く問うたらどうでしょうか。それだけのきっかけになります。この本は広く読まれているようですが、さすがは日本人ですね。分かりやすいとは無縁のこうした作品にも取り組む人々がいるのです。

ビルマの竪琴、アーロン収容所に続いて(順番は何でもいいですが)読むべき戦争作品の傑作です。

野火は映画で最初見ましたが、映画と原作とでは全然違いますね。
映画では俺の肉を食べてもいいと言った兵士から逃げるだけのシーンがありましたが、原作では彼の死体としっかり向き合っての自己内対話が続いています。
映画の限界がありますが、映画には戦場の孤独が描かれていないように思います。それを描くのは地味すぎるし、見せ場がなく面白くないのでしょう。この森の中でさまよう孤独なボロボロの兵士の自問自答こそがこの小説の秀逸な点です。

作者が本当に描きたかったのは死闘ですらない、何と戦っているのかも分からなくなって、何を見ているのかもわからない、自分の時間も地理もわからなくなっている、そのうえで食べ物だけを求めているのに人の肉は食えないと精神的にもがき苦しみ、民間人の女を殺した後にその贖罪意識を背負う彷徨う兵士の姿だったのでしょう。人間の極限を描き、極限から生まれた思考を浮かび上がらせるのが目的だったのでしょう。

「・・・「野火」の主人公が置かれている状況では、他人の存在も主人公を彼一人の世界に益々追いやるばかりである。その時何が起こるか。それが「野火」で行われている実験である」(解説 吉田健一氏)

他者との関係のみならず、そこには生と死の問題や宗教も入っています。その宗教(ここでは十字架に象徴されるキリスト教)すら戦争と飢餓に苦しむ男の前には何ら無力なのです。むしろ十字架こそが敵の象徴であり、命の危険信号です。

さすがに映画ではセリフ無しはあり得ないのですが、この小説はセリフ無しでの進行が長いです。というのはこの小説は、戦争が終わった後、東京郊外の精神病院の一室で書かれた回想なのです。ですから、目的が自分自身の姿を赤裸々に解放することであり、必ずしも他者とのかかわりあいの中で進行していくわけではないので、セリフ無しが続くのです。ところどころで他者とのやり取りであるセリフが出てくるのですが、少ない分そのセリフは非常に重くなっています。

以下は独語ですが特に印象的な言です。

「私は彼らを少しも憎んではいなかったが、私の属する国が彼等の属する国と戦っている以上、我々の間には、十字架を含めて、何の人間関係もあり得なかった。我々はいわば物質的な危機の状態にあった。十字架という万国的愛の象徴も、敵に所有されているかぎり、ただ危険の象徴に過ぎない。」

ここには戦争という状況における真の意味での深刻さが描かれています。結局何もすがるものはないという、孤独。むき出しの個人。

今の日本は孤立している人はたくさんいますが、孤独な人は少ないのかもしれません。その孤独の価値について教えてくれるのがこの書であり、おそらくその孤独を経なければ、生きる意味も、自己も露わにはならないのかもしれません。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.60:
(5pt)

戦争ドキュメンタリーの名作。

極限状態の人間が生々しく描かれており、戦争を知らない世代が読むべきドキュメンタリーの名作です。贅沢な生活に慣れた人にオススメの一冊。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.59:
(5pt)

戦争の生々しさ

学生時代に、学校の図書室にポツンと置いてあったのを見つけ、手に取りました。表紙の写真、そしてタイトルに怖いと思ったのを覚えてます。笑
人間は、人間を食べない。この本に出会うまでの常識でした。でも、この人と同じように島で置き去りにされ、飢えたら?なぜか、戦争で殺し合いをするより、人間を食べる方が悪いことのように感じます。どちらも、主人公のような兵士は生きるために、という目的に違いはないのですが、、、
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.58:
(5pt)

素晴らしすぎて言葉が出ない(笑) もっと有名になれ(笑) これからも期待!

素晴らしすぎて言葉が出ない(笑)
もっと有名になれ(笑)
これからも期待!
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.57:
(1pt)

良くない

村上春樹のような比喩表現が嫌いなので、この本は苦痛になった。
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4101065039
No.56:
(5pt)

実に深い

洋書をもっと揃えてほしい。ほしい本が少なすぎる。せめてランキングに入ってる本は入れてほしい
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.55:
(5pt)

戦争文学の代表的作品

私の好きな歌手の愛読書ということで、大岡昇平氏の本を初めて読ませていただきました。戦争が題材ということで覚悟して読み始めましたが、人食いなどがリアルに書かれていて、とても衝撃的でした。戦争文学の代表的作品として、これからも語り継ぐべき作品だと思います。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.54:
(5pt)

人肉の是非

日本への帰国者のほとんどが人肉を口にしていたという。 彼らは社会にも家族にも絶対秘密にして口封じをして一生涯を閉じた。 著者はその人肉の実態を小説形式で精緻に描く。 敗残兵が手りゅう弾による自爆を選ばず生き残る選択をする。 最大の難敵は敵兵ではなく飢餓である。 そのために同僚を撃ち殺し猿の肉として食する。 人間ではなく猿だからとの自己暗示で彼の贖罪意識は救われる。 人肉を食しなければ餓死する状況で、人肉で生き延びた人を責められるのか。 法律は平時のもので戦時には適用外である。 殺人が正当化される状況で敵兵の肉を食べるのは不道徳か。 また同僚の死体を食べのは不謹慎か。 問題なのは同僚を殺して食することである。 戦時においても殺人罪が適用されるのではないか。 著者によれば人肉は美味しかったという。 同僚で殺し合いをする前に原住民や敵兵を襲って殺して食することはなかったのか。 極限の飢餓の中で人肉で生き延びるのが正義か、人肉を食しないで餓死するのが正義か。 著者は前者が正義とする。 人肉は戦争では避けて通れない道である。 誰もがその議論を忌避するが広範な討論が必要である。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.53:
(3pt)

衝撃的な戦争作品

衝撃的な戦争作品。ではあるが、表現が難しく、テーマも重く、心理状態に共感できず、あっという間に読み終わりました。

病気が理由で隊を外れ、一人孤独で退却し、行く先々で、飢えに耐え、恐怖で現地人も殺し、終いには、同胞も殺すという戦争中の極限状態の精神は想像を絶するんだろうとは思いました。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.52:
(4pt)

リアルです。

ラジオ放送でこの作品を映画化した監督のお話を聞き、読んでみたくなって注文しました。戦場というものがいかに過酷であるか、改めて感じさせられた一作でした。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.51:
(4pt)

観念的な部分も含め読みやすく、

核心部が再現不能なほどスプラッタであり、にもかかわらず復員後が描かれた塚本版の忠実さに驚く。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.50:
(5pt)

「若者を戦争に行かせる」よりコワいこと

塚本晋也が監督した映画版がとても衝撃的で、原作を読み返したくなりKindleで購入しました。

私は30代で、はじめて本作を読んだのは大学時代でした。当時は、人肉食の問題や戦後のトラウマを扱った後半部のインパクトが強かったのですが、いま読み返してみると、主人公の田村一等兵が「不要物」として軍隊を追放される前半部が印象に残ります。

本作は戦争文学に分類されますが、そもそも既に戦争の体を成していない状況から始まります。「戦争」と言いながら、敵との戦いや争いはほとんど描かれません。作戦は存在せず、組織の命令系統は完全に崩壊していて、極度に腹を空かした男たちが食糧を求めている「だけ」です。

肺病を患った田村は、中隊からも病院からも見捨てられて、熱帯の広大な原野にひとり放たれます。六本の芋を手にして、彼はあてもなくさまよいます(と、書くのは不正確で、彼には死という明確な「あて」があります)。

「名状し難いものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、既に明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。」(前半部より)

戦争を描くというよりも、共同体に棄てられた人間の行く末を描いているのがこの小説なのかもしれません。国家に棄てられ、仲間に棄てられ、神に棄てられる。そんな状態に陥った者はどんな人間性(または非人間性)を見せるのか・・

そして、「戦争を描くというよりも」と書いた上の段落に自分でツッコミを入れると、むしろこの「共同体が個人を見捨てる」ことが、辞書的な意味ではすくい取れない、戦争の本質なのだと思いました。

「若者を戦争に行かせる国」はコワいかもしれませんが、もっとコワいのは、共同体の存続を目的とする戦争は、若者だろうが何だろうがその成員を見捨てる、という社会的/精神的な暴力性かもしれません。野火を読み返して、物理的な暴力や飢餓と同じくらい、この暴力性に恐怖を感じました。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.49:
(5pt)

読み物としては読みづらい、娯楽目当てなら途中で投げ出すだろう

こんな目に合わない人生がいい
馬鹿なプロパガンダに気を付けて生きよう
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.48:
(5pt)

ある一等兵の、強い臭気が鼻を突く恐るべき体験

若い頃から読まねばならない本と認識していたのに、今回、手にするまでに長い期間が経過してしまったのが、『野火』(大岡昇平著、新潮文庫)である。

この本の凄まじさは、この箇所を読めば明らかとなる。「私はなんの反省もなく食べている。しかもそれは私が一番自分に禁じていた、動物の肉である。肉はうまかった。その固さを、自分ながら弱くなったのに驚く歯でしがみながら、何かが私に加わり、同時に別の何かが失われて行くようであった。私の左右の半身は、飽満して合わさった。私の質問する眼に対し、(戦友の)永松は横を向いて答えた。『猿の肉さ』『猿?』『こないだ、あっちの森で射った奴を、干しといたんだ』」。

「日が暮れ、焚火の火の赤さが増した。(戦友の)安田と永松はそれぞれ雑嚢から、猿の干肉を出し、火の上に載せた。安田は一枚、永松は二枚出した。そのうち一枚は私の分であった」。

「私は銃声のした方へ駈けて行った。林が疎らに、河原が見渡せるところへ出た。一個の人影がその日向を駈けていた。髪を乱した、裸足の人間であった。緑色の軍服を着た日本兵であった。それは永松ではなかった。銃声がまた響いた。弾は外れたらしく、人影はなおも駈け続けた。振返りながらどんどん駈けて、やがて弾が届かない自信を得たか、歩行に返った。そして十分延ばした背中をゆっくり運んで、一つの林に入ってしまった。これが『猿』であった。私はそれを予期していた。かつて私が切断された足首を見た河原へ、私は歩み出した。萱の間で臭気が高くなった。そして私は一つの場所に多くの足首を見た。足首ばかりではなかった。その他人間の肢体の中で、食用の見地から不用な、あらゆる部分が、切って棄てられてあった。陽にあぶられ、雨に浸されて、思う存分に変形した、それら物体の累積を、叙述する筆を私は持たない」。

敗残兵となった著者のフィリピン・レイテ島での戦争体験が赤裸々に綴られているが、私の鼻にも強い臭気が沁み込んできたので、書き抜くのはここまでとする。

これが戦争の厳しい現実である。戦争ができる国へ向けてひた走る我が国の国民一人ひとりが手にすべき書である。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.47:
(5pt)

戦争は地獄

戦争の準備の必要を煽る風潮が強まる中、又愚かな戦争をしないため。
命令で死地に行くことを強制された徴用兵たちの見た地獄、捕虜になる前に死を選ぶことを天皇の名において徹底した帝国陸海軍、責任を取らない戦争指導者、、、
これらを忘れてはいけないと改めて思いました。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.46:
(2pt)

評価の高さにつられて読んでみた

途中、というより冒頭から「私」の生への執着が感じられず不謹慎ながら弛緩した展開に眠気を催す。徴兵された普通の兵士の最期は映画的ドラマティックさとは無縁のこうした淡々とした地獄絵図の中のそれが最も現実に近いのかもしれないとは思うものの、不謹慎かもしれないがこのシチューションにはもっと分かりやすく暴力的・破壊的・背徳的なプロットのほうが似つかわしいのではないかとも思ってしまった。上梓された時代を考えればこれでも十分インパクトはあったのだろうけれど。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.45:
(4pt)

戦争を知らない人間は、半分は子どもである。

フィリピンでの、日本軍の敗残兵の彷徨について、生々しく語られている。
病に冒されている主人公の「私」は、所属部隊と粗末な野戦病院とのあいだを往復する。
どちらからも、役立たない、あるいは食料がないという理由によって、追い払われるからである。

敗残兵の彼らは、心身ともに傷つき、飢餓状態に陥っている。
米軍の砲撃や空襲、ゲリラの攻撃を恐れながら、ジャングルのなかをさまよっている。
戦友の屍が累々と横たわる、ジャングルのなかの、あてのない道を歩むほかない。
しかも、饑餓どころか、蠅や蛆虫、蛭が体にはりつき、少しずつ自身が食べられているのである。

現地人の畑から、芋などの食料を奪う。
しかし、それも、すぐに難しくなる。
そのため、自生する草なら、虫が食べたあとがあれば毒がないので、口に入れる。
さらに、自らの体に張りつき吸血する蛭さえ、体からはがして、口のなかに放り込む。

最後は、傷つき、死が目前に迫る戦友同士が、互いを食しようとするのである。
「俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」と言って、死んでいく者がいる。
肉が切り取られた痕跡を、散乱する屍にみることも少なくない。
あるときは、切り取られた体の一部が積み重ねられていることを目にする。
こうして、「私」は、戦友を食べるかどうかという極限の問いのまえに、煩悶する。

このように、本書では、激烈な疑似体験が与えられる。
瞠目するほかない。
ページをめくる手が震える。

奇跡的に帰還した「私」は、次のように述べる。
「この田舎にも朝夕配られてくる新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別にして、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかあるまい。その時彼等は思い知るであろう。」(195ページ)

この言葉に続いて、このレビューのタイトルとして引用したように述べる。
「戦争を知らない人間は、半分は子どもである」(同)と。
「戦争を知らない人間」は、一人前ではないのである。

この作品が発表されたのは、昭和27年/1952年である。
敗戦から6年5ヶ月後に発表されている。
それでも、「戦争をさせようとしている」兆候が感じられたと述べている。
また、それに「欺されたいらしい人達」もいたことが確認できるようである。

短期間で、戦争体験は忘れられるのであろうか。
それとも、語りたくない悲惨な体験は、語られないのであろうか。

今年は、戦後70年である。
「半分は子ども」のような、一人前ではない「戦争を知らない人間」ばかりになっている。
戦争についての濃密な語りに耳を傾けるべきである。
そのためにこそ、本書を読むべきである。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.44:
(5pt)

第二次大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台にした地獄絵図

大岡昇平が、自らの戦争体験を基に極限状態に追い詰められた人間を描いた、戦争文学の代表作。終戦間もない1951年に発表されている。
舞台は第二次大戦末期のフィリピンのレイテ島。主人公は、結核を患って所属部隊を追われ、ジャングルを彷徨うが、途中で出会った敗残兵は空爆、飢餓、病気で次々と倒れていく。そして、食料欲しさに現地人の女を撃ち殺し、遂に、再会した戦友から与えられた「猿の肉」を食べることになる。。。
記憶喪失の状態で復員した主人公が、精神病院で次第に識別と記憶を取り戻していき、医師から療法のひとつとして勧められて綴った戦地での体験は壮絶なものであった。
そして、レイテでの体験を書き終えた主人公は、家族と普通の生活を送ることを拒否し、「朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。(中略)戦争を知らない人間は、半分は子供である。」と語る。
ロラン・バルトは、「文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる」と説いたが、私は本作品のメッセージを、極限状態に置かれた人間の生に執着する逞しさとして捉えることはしない。
先の戦争が生んだ悲劇・惨劇は、南方や沖縄での地上戦、広島・長崎への原爆投下、終戦間際の特攻隊、戦後のシベリア抑留など、最前線における敵との殺し合いに留まらないものであるが、その極限状態のひとつとも言える地獄絵図を描き出した本作品は、多くの人に読まれるべきものと思う。
(2008年7月了)
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.43:
(2pt)

青々しい文学青年が書いた駄作のようだ。

大岡氏の名前は前から知っていたが、氏の著書『現代小説作法』を勉強する前に、どんな小説を書いているのか読んでみようと思って購入した。
 結論から書いてしまうと、とにかく下手でつまらない。
特に文章が酷くてテンポが悪い。無意味な句読点の多さや改行を繰り返しながらフィリピンの自然描写が続く。この件が冗漫で仕方がない。あまり嫌味な事は書きたくないのだが、『シャワーのような雨』など比喩も手垢のついたものばかりが目立つ。頻発する観念的な言葉も素人の文学青年が書いたようなものばかりだ。そして肝心のカリバニズムのジレンマも書き込みが薄い。風景描写とともにそれに関しても文章の稚拙さから戦場の凄みが感じられず、凡庸としかいいようが無い。
大岡氏の体験として戦争はかなり生々しいものがあるはずだが、実際に兵士として戦争に参画したわけではない開高健氏の作品のベトナム戦争ものの方が、遥かに迫力と凄みを帯びている。率直に言って、なぜここまでレビューが多く、内容も好意的なものが多いのか理解できない。
■蛇足:『俘虜記』も併せて購入したが、同じ調子で続けられたら辟易だ。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039
No.42:
(5pt)

沢山の人に読んでもらいたい

『野火』の映画を見るに辺り、まず原作を読んでみたいと思い買いました。映画の予告などできっとすごい描写で悲惨なのだろうと予想しながら読みましたが、思っていたよりもすごい内容でした。映画も原作もたくさんの人が読むべき、見るべきと痛切に感じました。
野火(のび) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:野火(のび) (新潮文庫)より
4101065039

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