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ザリガニの鳴くところ
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ザリガニの鳴くところの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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ミステリーといえばギリギリそうかもしれないけれど、一人の女性の一生を美しく描写した物語。 「結局、誰がチェイスを殺したの?」がわからないままエンドロールかと思いきや、最後の最後で犯人がわかります。 謎解きではなく、大自然と共に生きたある女性の人生を紐解くって感じかな。良作です。 | ||||
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※ネタバレなしレビュー 誰からも見捨てられ湿地の少女と呼ばれた主人公の人生 そこに死亡事件が絡み、ミステリーとドキュメンタリーが混ざったような珍しい作品 ただ、長い 情景描写 や 主人公の回想が長過ぎる 冒頭で死体が出てきたことと、主人公の数々の特徴から犯人は主人公なのかどうなのかという強いヒキがある なのに事件と直接関係ない邪魔でしかない描写がたくさんあり、ほとんど読み飛ばした きちんと精査すれば、500ページ超なんてならず、文庫一冊くらいで終われた また個人的に読後感はあまり良くない なんとなくオチは読めていたが、延々と主人公の視点で語られてきたのに、肝心の事件についてのカイアの心情がまったくわからないのはモヤモヤする それまでの過程で彼女の性格から、そうするだろうな、と納得できればいいのだが、そうでない 事件の真相は彼女の性格から考えづらい だからこそ彼女がなぜそんな重大な行動をとったのか知りたい なのにそれが書かれない モヤモヤするのは当然だ なんというか、惜しい作品だった | ||||
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不幸な生まれの少女が苦労を重ね大人になっていく話。物語全体を通して描かれる情景や心理描写は女性の繊細さを描いていてゆったりと浸れる。 とても長いのでオーディブルでまったり聴く分にはいいが文字だと冗長に感じそう。 ミステリー(裁判)パートまでの前置きが長くまた結末もあっけない。ミステリーではなくロマンス小説として読んだ方がいい。 | ||||
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自然の描写も翻訳の丁寧さもいいんだが、ミステリーとしては疑問が残る。そもそも、叙述からしてラストはわかってしまう。映画ではそのへんがわからないので衝撃のラストになるんだろうが、原作ではなんだか肩透かしを食らった感じ。しかし、文芸大作としてはいいと思います。 | ||||
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カイアという一人の女性の人生を追体験しながら チェイス・アンドルーズという男性の死の真相について迫っていく構造。 湿地帯の情景描写は美しいのだが、 このカイアという女性の人生は育児放棄・迫害・疎外とまぁ…暗い。 チェイス殺害の犯人は、まぁ…結局やってたのねという感想。 暗い中、指紋とか完全に綺麗に拭き取ったのかという違和感もあるが。 何度でも手軽に読み返してカイアの人生を追体験したい…って作りではないな。 だってこの主人公、途中から読者に隠し事していることになるからね。 寄り沿えないというか。 いやそもそも、ホタルやカマキリのようにそこに何の感情もないのか。 と考えると、やっぱり常人とは別の生き物のような気がして入り込めない。 一度読み切ったらそれでいい。 | ||||
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ドンデン返しミステリーとして期待して手に取ったので、正直ガッカリ感は強いです。 でもむせ返る様な湿地の匂い、切り裂くような寒さ、 少女の孤独と絶望、それでも生き抜く逞しさ。 でもどんなに強くなっても人間は一人では生きられないという哀しさ。 そんな自然の情景と少女の心理描写の巧さは感動しました。 ーーーーーー以下内容に踏み込んだ記述ありーーーーーーー ミステリーとしても時間軸を行ったり来たりしながら、どんどんカイアが警察に追い詰められる展開はドキドキハラハラで途中まではものすごく面白かったです。 しかし!舞台が法廷に移り、ミステリーとしてこれからが本番!! となった途端、急速に面白さがブレーキダウン。 残りのページ数からして嫌な予感がしましたが、裁判の内容も陳腐だったし (陪審員がどうやって判決を導いたのか、とかも知りたかった) ドンデン返しのオチは今となってはありきたり........ 翻訳がやたらと平仮名を多用してるので、その辺も伏線?とか色々深読みしながらビックリする準備してたので、ミステリーとしては星1つです。 でも普通の叙情小説として考えれば、余韻の残るいい本だったと思います。 | ||||
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濃密な情景描写が続く導入部。 最初だけかと思ったら、最後まで続きます。これが良いという人もいるでしょうが、自分には肩が凝るというか、お腹いっぱいというか、ちょっとツラい。なので星ひとつ減らします。 サンプルで確認してみることをお勧めします。 そんな感じですが、中盤を過ぎてどんどん引き込まれていきました。 最終的には「面白かった」なんですが、ミステリだと思って読むと「何だこれ」となるかも知れません。 ので、さらに星ひとつ減らします。 結末は、たぶんそうだろうなと思ってた通りでした。 | ||||
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後半からスピーディーになりますが、 結末はそれほど驚くものではなかったかな。 評価3.8くらいな感じでしょうか。 | ||||
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カイアの生涯が柱となってストーリーは進むのだがなかなか幸福が来ないので息苦しくなる。探偵が大団円を迎えると言った内容でも無く、最初から小説だと思って読み進むと良かったのかもしれない。読了後はなぜか寝付けなかった | ||||
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推定無罪と霧の中の少女を合体させたような内容 殺人事件だから、真犯人は?と、ついつい読み入ってしまいますが、終わってみると?という感じでした でも頼んだ本がすぐ届く、Amazonて凄い❣️ | ||||
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自然の描写が素晴らしい。その中で孤独に暮らすカイアのサバイバルと恋の物語としたら五つ星だったかもしれないが、ミステリーのトリックにいかにも無理がある。理詰めで読むなという意見もあるかもしれないが、ミステリー仕立てにした以上トリックが破綻していては意味がない。また題名がダサいのも惜しまれる。原題はSingだからザリガニの唄とか単に「カイア」とでもした方がまだマシ? | ||||
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物語を面白くするには、殺人事件を起こせばいい。 でも、そうやって物語に導入される殺人って、安っぽくなってしまうんですよ。。 この本からは、その安っぽさを感じて、非常に残念に思いました。 殺人事件のくだりを一切抜きにして、少女が成長する姿だけを描いた方が、小説として上等なものになったのでは。 自然の描写は美しかっただけに、もったいないな〜と感じました。。 | ||||
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先に読んだ「父を撃った12の銃弾」との類似性が指摘されていて、ネットで本書のあらすじを確認したが、やはり現物が読みたくなって購入。 二作の共通点は過酷な環境で暮らす少女の成長譚という点と話ごとに過去と現在話が入れ替わる(やがて現在に合流)点だ。 しかし本書の場合、過去と現在が平行して進むわけではなく、一部錯綜する。それにも関わらず登場人物の紹介と湿地帯の地図が付くが目次はなし。ちょっと不親切。そこで自分が理解しやすいよう、以下目次兼カイア年表を作成。 1952年 カイア6-7歳〈1 母さん〉〈2 ジョディ〉〈4 学校〉〈6 ボートと少年〉〈7 釣りの季節〉 1953年 〈9 ジャンピン〉 1956年 〈11 満杯の麻袋〉〈12 ペニーとトウモロコシ粉〉 1960年 15歳〈13 羽根〉〈15 ゲーム〉〈16 読み書き〉〈17 敷居を超える〉〈18白い小舟〉 1961年〈20 七月四日〉〈21 クープ 1965年 19歳〈22 変わらない潮〉〈23 貝殻〉〈24 火の見櫓〉〈26 岸を目指して〉 1966年 〈27 ホッグ・マウンテン・ロード〉 1967年 〈29 海草〉〈30 潮衝〉 1968年 〈31 本〉〈33 傷痕〉 1969年 〈35 コンパス〉〈39 遭遇〉〈41 小さな群れ〉〈43 顕微鏡〉〈46 王様〉〈48 旅(途中まで)〉〈プロローグ〉〈3 チェイス〉〈5 捜査〉〈8 見つからない痕跡 (途中まで)〉〈48 旅(途中から)〉〈8 見つからない痕跡 (途中から)〉〈10 枯れ尾花 〉〈14赤い繊維〉〈19 怪しい行動〉〈25 パティ・ラヴの訪問〉〈28 エビ漁師〉〈32 アリバイ〉〈34 小屋の捜索〉〈36 キツネ罠〉〈37 メジロザメ〉 1970年〈38 サンデイ・ジャスティス〉〈40サイプレス・コーヴ〉〈42 監房〉〈44 監房の友人〉〈45 赤い帽子〉〈47 専門家〉〈49 変装〉〈50 ノート〉〈51 欠けた月〉〈52 スリー・マウンテンズ・モーテル〉〈53 ミッシング・リンク〉〈54 評決〉〈55 草の花〉〈56 ゴイサギ〉 〜2009年 64歳〈57 ホタル〉 【以下ネタバレあり】 先に本書のカイアと「父…」のルーは、生育環境は異なるものの過酷な状況という点では共通している旨書いたが、彼女達の最大違いは両親の愛情を確信できるかどうかだ。 ルーの父親はれっきとした犯罪者であるが惜しみない愛情を彼女に注いでいる。母も赤ん坊の彼女を守るために命を落とした。 一方カイアの父親は貧しい飲んだくれではあるが犯罪者ではない。しかし家族に対し壮絶な暴力を振るう。母は子供達を愛していたが命の危険を感じ無我夢中我が身一つで逃げ出した。このことが彼女らの人格形成に大きな影響を与えているのは指摘するまでもない。 同じ物語内でも、やはり“ホワイト・トラッシュ”出身のテイトが、エビ漁師である父と亡き母と妹の愛情を感じて育ってきたのとは対照的だ。 また両親の愛情あるいはその欠如は、物語をハッピーエンドと感じるか、あるいはバットエンドと感じるか、個人の見解にもよるが結末の捉え方に大きく関わってくる。 私は「父…」の結末には明日への希望を感じたか、本書の読後感として物悲しさが残った。 親の愛情及び家族の欠如以外にカイアの哀しみの要因を挙げると野生児「湿地の少女」はやはり人間だったということ。 ネットの書評を読むと、カイアの本性は自然で、「生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所」である「ザリガニの鳴くところ」近辺でしか生きられなかったという指摘が多かった。確かにその通りで、最終的に彼女自身そこへ還っていく。 それでもやはりカイアは人間だった…いや人間性を完全に捨て切れなかった。 その証拠が詩と貝殻のネックレスである。 詩は誰からも理解されないと思っていたカイアが、テイトの思うように「彼女なりの自己表現で…自分の思いを…誰かに伝えようとしていたのだろう」。 そして件のネックレス。光り物を集める習性を持つ鳥もいるが、彼女が“証拠品”を取っておいた理由、それは女たらしのチェイスがこれを肌身離さず身につけていた理由でもある。欲望だけでは説明できない。やはりそこには愛が存在していた。 貝殻は付き合い始めた頃チェイスが見つけカイアにあげたものを彼女がネックレスにして彼にプレゼントした思い出の品。危険と分かっていたものの捨てられなかったのだろう。 それを知った時のテイトの気持ちは如何なるものか。おそらく彼女の“したこと”は許せるだろう。しかしこれを“取っておいたこと”に衝撃を受けたのではないか。 自他共に認める彼女の“野生性”の最大の理解者でかつ最高のパートナーだった彼も知り得なかった彼女の心の奥底にあったもの。それを知っても尚彼女を愛する彼が取る次なる行動は如何なるものか。 カイアの眠る「ザリガニの鳴くところ」へのホタルの誘いには抗ってほしいと願う。 尚、本書にて雌が自らの光の点滅で別種の雄を誘き寄せ食べてしまうホタルがいることを初めて知ったが、NHK E テレの香川照之さん演じる「カマキリ先生」によると、雌カマキリは動くものを餌と認識するのであって必ずしも雄を食べなければならないわけではないらしい。また交尾後むざむざ餌にならぬよう上手く逃げおおせる雄カマキリも多いとのこと。 日本のオオカマキリとアメリカのカマキリでは事情が違うのかもしれないが、ご参考まで。 | ||||
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ミステリーとしては低評価。 読み物としてもそれほど面白いものではない。 過大評価というやつ。 | ||||
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人里離れた湿地で「湿地の少女」と町の人間から蔑まれながらも天涯孤独で逞しく成長する少女の成長を縦糸に、町での殺人事件を横糸に織りなして語られる物語。黒人差別・プアホワイト・南東部の田舎町・殺人・・はじめはフォークナー的な陰惨な物語かと思ったがさにあらず。 少女の居場所である湿地・入り江は、むせ返るほど豊穣で牧歌的に描写され、人間社会から拒絶された少女のサンクチュアリだったことがうかがえる。 少女は成長の過程で、「なぜ母親は自分を置き去りにしたか」何度も自問自答するが、結局「ケガをした赤ん坊を捨てたキツネ」のように、DVをはたらく父親により共倒れされるより、種として生存することを優先した判断であると思い至る。(母親はあとで強い後悔の念に至ったことが後であかされるが) これが少女の価値観に大きく影を落としたいるように思える。 動物学者である著者は、ホタルやカマキリの例を引き、ある個体が、じしんの生存のために別の個体を利用することがあるが(たとえばホタルの雌は、雄を交尾を誘いながら食い殺す)、この行為は結果として種の持続に貢献しており、その行為に善悪はないとしきりに描く。 成長後の主人公は、社会的に恵まれずとも外見も学の才にも恵まれて魅力的な男性二人から言い寄られる(一方は生殖目当てだけど)。いわば遺伝子強者であったが、自身の安全のために「ホタル」的な行為を働く。そしてその行為をホタルの生存戦略を例にとり、内心で正当化していたことが死後に判明する 主人公は結果、社会的な名声を獲得するとともにパートナーにも恵まれた、しかし、結局は幼いときの母親に棄てられた経験から、「ホタル」のような自然本位の価値観からはなれられず、心のどこかでは「ザリガニの鳴くところ」(自然の奥深くで、生物が生物であり続けるところ)を探し続けていたかのように思える。そう思うと、単純な少女の成長譚ではなく、そこはかとない恐怖感ともの悲しさが湧いてくるのである。 | ||||
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(ネタバレ注意) 誰もが最初に疑問に思うのは、果たしてザリガニは「鳴く」のかと言うことだろう。原文では「鳴く」のところはsingである。だから直訳すれば「ザリガニの歌うところ」となる。鳴くと歌うとでは若干感じが違う。鳴くにはおそらくストレス下にある場合も含むであろうが、singにはストレスはかかっていまい。すなわち、「ザリガニが自由にのびのびと暮らしているところ」といったほどの意味であろうか。言い換えれば、人間の開発や干渉が及んでいないところ、か。しかし、本文中ではとってつけたほどしか出てこないザリガニが、なぜ本の題名にまでなっているのか?彼女が一番お世話になったのはmusselsイガイであり、本来ならば「イガイの鳴くところ」とでもすべきだろうが、そうすれば毎日のようにイガイを大量に掘り、それを売りさばいて生計を立てている彼女自身が生態系の破壊者であることを想起させてしまうからだろう。 原文で読んだ。95%位(盛りすぎ?)はまぁまぁ正しく理解したと思うが、残りの5%ぐらいは意味不明だったり、適当に読み飛ばしたり、誤解したりしていると思う。大勢に影響ないとしておこう。(ところで、日本語の本のここに投稿するのは不適当かもしれないがお許しを。) 親からも兄弟姉妹からも見捨てられ去られて、天涯孤独の身となった6歳の少女Kyaの死ぬまでの物語である。彼女はたくましく、また反面半ば臆病に生き、そして成長していく。そこに殺人事件が絡んでくるが、これはおそらく読者を最後のページまで誘導するための作者の仕掛けであって、決定的に重大な意味を持っているようには思えない。法廷場面が好きな私は、そこを一番ワクワクしながら読んだが、読み方としては邪道と言えるかもしれない。しかし、この仕掛けがなければ、涙を誘う部分があるとは言え、前半はやや退屈である。 主人公の次に重要な意味を持つのは、ノースカロライナの湿地帯marshであろう。そこは彼女の棲家であり、遊び場であり、学びの場であり、食料の供給源であり、収入の源でもあった。そこは、日本でよくあるように、洪水や台風や地震といった自然の猛威といったものは、少なくとも彼女の命が尽きるまでの60年間ほどは一度もなく、彼女がshackと呼ぶボロ家も、多少手を入れたとはいえその年月無事に立ち続け、ストーブとともに彼女のアイデンティティーの重要な一部をなす。母親の帰りを待つためにも、そしてもはや帰ってこないとわかってからも、出て行った母親の記憶を留めるためにも、それはそこにそのままの形で必要だったのである。 また一方湿地帯は、そこは彼女がmarsh girlとして村人からあざけられ差別される原因であり、また同時に彼女を村人から守ってくれるシェルターでもあった。湿地帯はアクセスの障壁であり、その障壁を越えてやってくる2人の男を彼女は愛し、裏切られ、憎み、また愛し、そして・・・殺す(順不同)。 チェイス殺害の罪で彼女は起訴される。確たる証拠は何もない。はたして彼女は無罪の評決を得る。しかし、物語の最後に実は彼女が真犯人であったことが明かされる。メスのホタルが偽の光の明滅でオスをお引き寄せるように、彼女はチェイスを火の見櫓にお引き寄せ、そして突き落としたのだった。彼女に人を殺めたことに対する葛藤はなかったのだろうか。そこは何も書かれていない。が,なかったはずがない。最後の最後でのどんでん返しに導くために、作者は書くことができなかったのである。それは、この小説の重大な欠点と言わなければならないだろう。 この結末には納得できない。元来、作家はその主人公を煮て食おうが焼いて食おうが勝手であって、読者が文句を言う筋合いは無い。しかし、主人公Kyaには、いかに人に去られ、捨てられ、孤独であっても、on her own で、すなわち独力で生きていくと言う一種の気高さ、矜持があったのではなかったか。そうであるならば作者にも、主人公を最後までそのように生きさせる矜持が同じくあって欲しかった。例えどんでん返しなどなくても、である。それが、この小説を後味の悪いものにしていると思う。ただ、彼女が子供に恵まれなかった事は、わずかではあるがこれに対する天からの罰であったのかもしれない。(逆に天恵とも解釈できるが。) 振り返って、彼女の一生は幸せだったのだろうか。他人から見れば惨めだった少女時代、その中にも楽しかったテイトとの学びの日々と裏切り。チェイスとのこと。本を書いて名声と大金を得た娘時代、それはまた同時に一級殺人罪で法廷に立たされた苦難の時代でもあった。無罪獲得後のテイトとの撚り戻しと結婚。それ以後の愛と自由な生活と早すぎる突然の死。葬式の参列者の多さが、彼女の晩年が幸せであったと暗示しているようでもあるが、殺されなければならないほど悪人であったとも思えないチェイスの落下する瞬間の眼差しを、おそらくは時にふれ思い出したであろう彼女が、本当に幸せであったかどうかは、私にはわからない。 読んでいるうちに物語に対する疑問が、湿地帯の水のようにふつふつと湧いてくるが、長くなるので1つだけ書いておく。彼女が殺害現場に向かう際に時間節約の元になったとされる潮流は、帰りには逆流となって船足を遅らせるので、結局何の助けにもならなかったのではないだろうか。 ところで、今日は「広島原爆の日」ですが、Kyaの生まれたのは広島に原爆が落とされた2ヶ月後です。 | ||||
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二度目読了してもこれほどの高評価の理由がよく分かりません。 鳥の羽がとても美しいことがよく伝わったのでこれからは落ちているカラスの羽さえ凝視します。そして美しさを認めるのでしょう。 でも6歳(完全一人になったのはその後ですが)の子供が一人で湿地で生き続けることができるほど夏も冬も自然は優しいのでしょうか。 一切の社会経験や学習経験がないにも関わらず14歳まで文字さえ知らなかった人間が一人の助け(しかも助ける当人も成長途上)だけで大きな知識を携えた人物になることは可能なのでしょうか。 1960年代とはいえ、子供が一人でいるところに全くの心のこもった支援がいかないのは、子供の権利を守ろうとするアメリカであり得るのでしょうか。 教育なくも大いなる王になった「ライオンキング」的小説でした。 繊細で力強い自然描写のあるファンタジーと思えば星3・5、大人向けミステリーと思えば星3。 | ||||
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壮大な自然の描写のわりに人物描写が貧相なので、全体的に薄っぺらい印象でした。だらだら長いだけで描き切っていない感があります。脇役のキャラクターに人間味を感じるのに、中心人物はよくあるパターンで安っぽいテレビドラマのようなストーリー展開でした。話題作で期待したのに残念。 | ||||
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長続きしなかったです! | ||||
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本の印字が薄くて老人には読みづらい。また数ページしか読んでいません。 | ||||
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